「air seed」



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「ユマリエさま、どうぞ」
「うん…ありがとう」
 シュシュが用意してきてくれた真冬用の外套に袖を通す。
 遠くまで良く見えた窓は白く凍って雪の結晶なんかが張り付いている。
 防壁を監視するはずの塔に道がつくられ、渡ってくるなり剣を打ち込んできた兄たちに受けて立ったラトが本気で怒り気味なのは、聞かなくても分かった。
 ラトは冷気を操れる。不機嫌になると無意識のうちに辺りを寒くしてくれるので、どんな季節になっても冬の上着は欠かせない。
 余計なことを吹き込んだのはあなたたちですね、と言いながらラトが笑み。
 ああそうだとも、と答えた兄さんもまたにやりと口許を歪めて笑う。
 けれどどちらも目に柔らかさがないので、とてもじゃないけど見ているこちらは穏やかな気分にはなれない。
「よくまあ飽きませんね」
「そうだね」
 彼らが争っている間にいったん城に戻った僕は、じいやに会ってきた。
 まだまだ油断はできないけれど、じいやはだんだんと快復に向かっていて、少し安心した。僕がそばに行くと目を覚まして、豆のスープはきちんと飲んでいるかと聞く。頷くと、満足したように目を細めて、良いことですなんて言う。
 部屋の隅にはこわい顔をした侍医が立っていて、じいやが頷くと、見舞いに行ったはずなのに、検診を受けさせられた。
 ラトが言った沈貝の話は本当みたいで、考えていたよりも体は傷んでいなかった。
 防壁は僕たちにとっての"悪いもの"まで通しにくい仕組みになっているらしい。
「それにしても寒い…」
 指先に吹きかけた息が白い。
 いつものことだけど、この人たちは僕をダシにして遊んでいるんじゃないのかな。
「シュシュ」
「はい」
「剣」
「はい」
 ふたふりの剣を分け合い、間を詰めようとしたラトたちの中に割り込む。
 跳ね飛ばした剣がしゅるしゅると床を滑って壁にぶつかった。
「あ、危ないだろうが」
「怪我をしたらどうするの」
 兄さんたちがシュシュを、ラトが僕を睨んだが。
「風邪をひきそうだった」
 僕が。
「そんなに寒かった?」
 ラトは寒さにつよくて、埋もれるほどの雪が降る頃になっても、びっくりするぐらいの薄着で出歩いたりする。頷くと、ラトの目が少しだけ泳ぐ。夢中になりすぎて、外野を忘れていたな、と思う。
「可哀想にねえ」
 兄さんたちは悪びれもしないで、僕の髪を撫でてくる。四方からまとわりつかれるので、逃れられない。体が暖まって良いけれど、ほどほどにしてもらわないと困る。
 城から運んでおいた椅子に兄さんたちを分解、分別して座らせてくれたシュシュは、それぞれの前に匂茶を運ぶ。シュシュの匂茶には葉乳が加えられているから、まろやかな甘みがあっていい。
「それで、どういう話になった?」
 いちばん上の兄さんが、厳かに口を開く。
 さっきまでの騒ぎとは縁がなさそうにしているけど、肩越しに見える窓の焦げ目はこの人が付けたものだったりするから、どうしようもない。
「後で直してよ」
「もちろんだとも」
 目を細めて頷いた長男に、下の兄たちも揃って首を上下させた。
 城でも破壊者兼修理人たちだから、大丈夫だとは思うけれど頭が痛い。
「この部屋にあんまりものがなくて良かった…」
「ユマはいつも外でやれと怒るから、壊れそうな物をなるべく置かないようにしていたんだよ」
 褒めて欲しいというようにラトが口を利く。この人たちに、何もせず、穏便に済ますという選択肢はないのかな。…ないんだろうな。
「はじめからこの部屋に道をつけさせるつもりだったのですね」
「どういうこと?」
 シュシュの口調は訊ねているふうでも確認しているふうでもない。決めてかかって納得しているようだけど、僕にはちっとも意味が分からない。
「…そもそも僕は寮に繋げて貰おうと……」
「ユマリエさまがいらっしゃれないところに道をつけても仕方がありません。幸い…ラトさまとおふたり揃えばたいへん際だちますので、おおよそ場所が分かった後は、気配を辿りました」
「ラトルリアス。貴様、謀ったな」
「人聞きの悪い」
「最初から道をつけさせるつもりだったのだろうが」
「お願いはしました」
「ひょいひょい作れるものではないと言っただろうが」
 ちゃっかり隣の椅子を陣取ったラトを見やると、冷たい色の目を柔らかに笑ませて、優雅な手つきで匂茶をひとくち含んだ。
「ラト…どうして?」
「后は国にあるべきと言うけれど、国に呼べば、体を弱らせる。そんなことになるぐらいなら、わたしはフォーレペルゲに住む。けれどそれではユマがいやなんだろう。国を蔑ろにしないで欲しいと、ユマは言うからね」
「そんなの」
「継承権なんてね、いつでも放棄する。心づもりをするよう、弟妹たちには言ってある」
 ラトならやりそうなことだけれど、でも。
「ラトは王に向いている」
「それが?前々より学園を卒業することを決められていたから、わたしはしばらくここを離れられない。その間ずっと、ユマと会えないなんて考えただけでぞっとする」
 言葉に詰まった僕に、ラトが小さく申し訳なそうに息を吐く。
「侍従長にはすまないことをした」
「あ…それは…僕が…」
「ユマのせいではないよ。わたしからの迎えを行かせるつもりだったのだけど、予想以上にこの義兄方がねばってしまってねえ」
「義兄呼ばわりされる覚えはないが」
「聞き飽きましたねえ、その台詞」
「ああ、そうだな。言い飽きたよ」
 再び火花がちらつくのをシュシュがお茶をつぎ足して回って仲裁に入る。
 まったく世話の焼ける人たちだ。僕が間にはいると加熱するので、任せるしかない。
 シュシュはラトの傍で匂茶を注ぐと、小さく頭を下げた。
「ラトさまにはお礼を申し上げます。届けられた薬が効き、快復に向かっています」
「ああ、それは良かった」
 薬?
 首を傾げると、シュシュが僕の目を射抜くように捉える。
 置いていったこと、じいやを巻き込んでしまったこと、まだ全てを許して貰えてはないらしい。たじろいだ僕に、シュシュはいつも通り静かな動きで顔を伏せた。
「フォーレペルゲの民がなぜ外では暮らせないのか、体を弱らせずに済ませることはできないのか、ラトさまの研究の副産物がなければ、侍従長の快復はなかったかもしれません」
 兄さんたちもはじめて聞いたらしい。
 驚いた顔でラトに視線を向けて、何か気付くところがあったのか誰ともなく深く息を吐いた。
「外の民は…我々とは相容れない」
「かもしれません」
「貴様は多くを望みすぎる」
「いけませんか」
「いけなくはない…だが、…」
 僕たちは早い変化は好まない。
 ラトのやり方はむちゃなものが多すぎる。非難するわけではないけれど、受け入れることは出来ないと感じる兄さんたちを頭が固いとは思わない。ふっと降りた沈黙に、僕もまた何も言えなかった。
「ユマさまとラトさまは承石をかわしておいでなのです。来世までをも誓ったお二人のことに口を挟むのは、やぼというものではありませんか」
 侍従の取りなしに、いちばん上の兄さんがきゅっと眉を寄せ、不満そうにする。
 シュシュが僕とラトのことを話すのをはじめて聞いた。
 シュシュは誰よりも僕に厳しくて、それでいて近くて、簡単には甘えさせてくれないけれど、いつだって傍にいてくれる。嬉しかった。
「いやしかし、シュシュ…おまえだって、学園行きには反対していただろう」
「道のつけられない場所にあれば、もう2度とお仕えすることが出来なくなったかもしれないんです。その辺りの抜かりはない方だとしても、わたしが中まで付いていくことはできない。できることならと思うのは当たり前ではありませんか」
 2度と城へは帰れないかもしれないと覚悟をしてきた、つもりだった。
 でもいざとなったら、道を作ってもらえばいいって思っていたのは確かだ。そうできない最悪の状況なんて考えていなくて、思いもしなくて、恥ずかしい。
「考えなしだった…」
「間違われたとお思いなら、次は違う方法をとれるようになるかもしれませんね」
「そう…だといいけど」
「ユマさまにはラトさまという、半身がいらっしゃるのですから」
「それだけど、もう承石は取り戻したから無効だし」
「…え?」
「なんだと…?」
 シュシュと兄さんたちの声が揃う。
「だから、…誓いは取り消してあるから」
 言いかけた言葉は、途中で途切れた。
 兄さんたちは大喜びすると思ったけれど、なんだか反応がおかしい。
 シュシュは茶器を放り出して僕に飛びつき、兄さんたちはそのシュシュごと僕の体を引っ掴んだ。
「侍医を呼べ!」
「運んだ方が早いッ」
「ユマリエさま、しっかり、傷は浅いですからね」
 どこにも怪我なんてしていない、ということは言わなくても分かるはずなのに、なぜか分かって貰えない。
 体に絡む腕の中からどうにか顔を出してラトを見ると、にこやかに目が細められた。
 静かにカップを置いた次には、僕はラトの腕の中に抱え上げられていた。
「ユマを窒息させる気ですか」
「落ち着き払っている場合じゃないぞ、このトウヘンボク」
「承石の一方的な解除は臓腑を灼き、酷いときは生命さえ奪うんですよッ」
 ラトの顔色が変わる。
「本当なの?」
 ラトが僕を見る。僕は頷くことも否定することも出来ず、言い訳を許さないようなきつい眼差しに言葉に詰まった。
「それは…その、ペスズが助けてくれたから、…」
「彼らが言っていることは、本当なんだ?」
「それほどじゃなかったと思うけど…」
 赤褐色の双眸が鮮やかな朱色を放ち、ラトから立ち上った冷気が肌を刺して、恐ろしさが背筋をざわつかせる。息をのんだ瞬間、苦しいぐらいつよく抱きしめられた。
「お願いだからやめて。誓いの言葉なんていらない。ユマに苦しみを与えるぐらいなら、わたしは喜んで返した」
 食い込む腕が痛くて、息が苦しい。
「ラト…」
 身じろいで、どうにか顔だけは腕の外へ出す。兄さんたちの後はラトの腕に絡められ、僕はまた身動きができない。
「承石があってもなくても、気持ちは変わらない」
「うん…分かってるよ、でも…」
「いいや、ユマは分かっていないね」
 ラトの放つ声は厳しく、氷漬けにされていたのがようやく溶けて水滴の垂れていた窓が、きしりと鳴って、亀裂のような氷の道が通る。
 ラトがフォーレペルゲを受け入れてくれたように、僕もラトの国を、取り囲む世界を知り、その中で生きてゆけたらどんなに良いだろうとは思う。
 でも、そうするわけにはいかないし、もともとできない。
 添い遂げることを誓って交わした承石はもうなかった。だからこそ、何にも捕らわれず、妨げられることなく、僕はその言葉を告げられる。
「お別れしよう、ラト。僕はおまえを離縁する」
 告げた言葉に、目の前が霞む。
 頼むから。
「吹雪いてるよ…」
 これでどうして本人が凍えないのかが、やっぱり不思議だ。



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