「青く沈む」



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 眠ってしまったのを待ちかまえるようにして、ごそごそと傍に寄った宗主は従弟の鼻を摘んだり頬を突いたりして、べたべた触る。それでも全く起きる気配がないことに気をよくして、隣に潜り込んだ。心地よい暖かさのある布団を思う丈味わいながら満足げに笑んだ宗主を、巫は呆れきった顔で見下ろした。
「筋金入りの寒がりなのはよく分かりましたが、寝た子の邪魔などするものではありませんよ」
「うんうん、邪魔なんてしてないでしょ。それにしてもすごい。まるっきり子どもの寝方だよ」
「それだけ体力を消耗しているんです」
 傷は守護によって大まかに癒されているとはいえ、損なわれた体力はなかなか快復しない。瞼に掛かった髪を払いのけてやりながら、巫は宗主をひと睨みする。
「手もとへ呼ぶすぐ前に、継役付きの一部が手を出したのを怒っているようです」
「そう」
「宗主。奥の間の出入りを禁じる程度で家のものを御したつもりにはなっていらっしゃれないとは思いますが」
「本来課せられるはずのない役を頼んで悪いと思っている」
 用意された台詞を読むような心のない顔だ。声には棘がないが、中身もない。
 心から言葉ではないと咎めても、言葉だけを美しく塗り固められて返される。そう分かっていたので、巫は喉もとまで出かけていた苛立ちを飲み込んだ。
 年端の行かない少年の姿であることで見くびられることも多い彼は、歴代の中でも抜きんでて能力が高く、恐ろしく回転の速い頭脳と優れた身体能力を持っていることでも知られている。身近にいる者ほど心酔し、幼いが怜悧な美貌を持つ姿に魅了されていく。当代宗主は一筋縄ではいかない。
「先々代がもう少し長く在位にあれば、もしくは父母でも揃ってたのなら、尚人が宗主だったろう。もしかしたら逆にわたしが遣え人だったかもしれない。尚人はこんなにきれいだし、痛ましい姿になるのは見ていて忍びない。なるべく早く任を解いてあげられればよいと思っているよ」
「あなたは遣え人には向かない気質です」
「代わってあげてもいいけど1日と保たないか」
「宗主。下らないことばかり言うその口を閉じないと、ここから放り出しますよ」
 巫に睨み付けられても宗主は平気な顔で小さく笑い声をたて、おざなりに頷きを返してみせる。
 次期宗主だと見られていた尚人は、当たり前ながら遣え人候補からは外れていた。適した力を持っていていることが大前提とはいえ、後ろ盾さえしっかりしていれば遣え人にされることなどない。
 先々代宗主は孫の中でもとりわけ尚人を可愛がっていた。彼にはふたりの妻がいる。現宗主である和真と血が繋がっているのは先に娶った妻の方で、圭也の母であり尚人の祖母であるのが後に連れ添うことになった妻になる。ふたりめの妻を、先々代宗主は誰よりも愛した。
 尚人は幸いにもつよい力に恵まれていたからすんなり後継者に決まったが、彼にとって力の有る無しはどうでもよかったに違いない。妻その人が喜ぶだろうという、ただそれだけで尚人を後継者に選んだところが、彼にはある。
「ねぇ…明。八つ当たりもいいけど」
「……分かっています」
「言わせてよ。尚人が守護の苛立ちを買った理由の一部は確かに、宗主としてのわたしの至らなさかもしれない。だけど遣え人は守護から嫌われれば生きてゆけない。そういうものだとよくよく教えているんだろう」
「…………」
「それなのにこうまで疲れ切るのは、巫の教えが足りないからとも言えるし、尚人の我がつよすぎるとも言えるよね」
 なるべく平穏に過ごせるように。
 嫌われることも傷つけられることもなくいてほしい。
 そう願って諭しても、尚人は守護に逆らう。巫である自分や宗主に向けるべき怒りを、守護に顕してしまう。
 口を噤むしかない巫を見上げ、宗主は口許にうっすら笑みをうかべた。
「これはわたしに似ている。大勢を統べる者として育てられたわけだし、分かっているんだ、自分が遣え人として生きる他ないと。愚かではあるかもしれないが、物陰に連れ込んで犯すぐらいがせいぜいの輩とは格が違う。ま、互いにその自覚がないのは同じだけど」
「あのようなのと比べないでください。品位を疑われますよ」
「そう?」
「そうです」
 基本的に、榊家ではつよい力のある者の方が尊ばれる。
 特定の血を継ぐ者にしか使えない術もあるから、後継者は早めに選別され、教育を受けた。和真も尚人もつよい力を持っていて、どちらが宗主になってもおかしくなかったが、先々代の偏愛は尚人だけに向けられた。先々代による後継者選びは本来の榊家の有り様からは少し外れていたが、そのまま尚人が宗主になっても何ら問題はなかった。
「一部の人間にしてみれば、尚人に用意されていたものをわたしが横からかすめ取ったように見えるだろう。でもね、尚人は先々代の指名を受けていたあの頃でさえ、わたしが欲しいといえばあっさり渡してきたに違いない」
 和真が宗主の座を欲しがれば尚人は従った。たぶんそうだろうと巫も思う。
 周囲が思っていたよりも尚人は従兄に懐いていたし、自分の言葉や意志が何を導き出すのか、未来がどう描かれていくのか考えていくのが不得手な子どもだった。ただあの当時、尚人が手に入れられる情報など殆どなく、それも偽りばかりだった。それで正しい判断を下せという方が無理な話である。
「それはそうでしょうが、この子は決して無欲なわけではありませんよ」
「そう?尚人は傲慢だ。なぜわたしが宗主になったのか、どうして遣え人にならなければならなかったかを、突き詰めようとはしない。諦めて、勝手に納得して」
「あなたこそ、考えなければならないのではありませんか」
 一瞬不快そうに眉をひそめた和真は、その次にはにこりと笑みをうかべた。
「なにを?」
「私やあなたを恨むことを選ばなかった、尚人のことをです。一族のためというだけで全てを許せるほど、大人ではなかった。今でさえ、まだたった16年生きているだけの子どもです」
「思うほど子どもではない」
「宗主。あなたを苦しめているのはこの子ではありませんし、あなたは決してこの子のことを嫌っているわけではない」
「うん。そうだ。尚人が好きだよ。可愛いと思うし、きっとわたしの助けになってくれる」
 傍らに眠る従弟の髪を撫で、宗主は微笑む。
 体中にうかんだ惨たらしい痣は癒えきる前に新しいものを刻まれる。
 悲しいばかりの悲鳴がなんど叫ばれても、誰もなにもできない。それを当人もよく分かっているから、守護のもとへ赴く日々に対する文句や不安などを口にすることももう殆どない。
 疲れ果てた顔で眠る遣え人の少年は、体を撫でる宗主の手に、少し穏やかな表情をうかべる。
 巫はこぼれそうになるため息を飲み込み、ただ見ている分には年の離れた弟が兄に甘えるような微笑ましい光景を眺めた。見たままが全てなら良い。でもそうではないから、温かそうな空気が充ちるのがむごく感じられてしまう。
「宗主」
「…ん」
「私はあなたのしようとしていることを止めるつもりはありません」
「……そう」
「ですが、尚人の敵になるつもりもありません」
「公平でいたいわけだ」
「いいえ、違います。それではどちらにも手を差し伸べ、あるいはどちらにも関わらない。それでは何の解決にもならないでしょう。あなたたちのためになると思うことを、私は私の思うままさせていただきますから」
 宣言する巫を宗主は小さく驚いた顔で見つめ、頬を和らげた。
 一族に従い、一族の守護に従い、守護に従う、ただそれだけのものになることを望まない巫。異端と言っていいかもしれないが、ここにはすでにそういった例外が3人も揃っている。
 宗主になるはずだった尚人、幼い姿のまま宗主になった和真、どちらも前に例がない外れものだ。今更そこに1人加わったところでどうということもない。むしろ面白い。
「それで今はどうしたいと」
「尚人に休暇を。あなたにしてもこの子を壊したいわけではないでしょう。いただけますね、宗主」
 返答の変わりに笑みをうかべ、宗主は従弟の隣で目をつぶった。
 程よく温められた室内と傍らの子の体温が心地よい眠りをもたらす。宗主の許しがなければ外出もままならない、そんな遣え人に与える休暇などささやかなものだ。しかしないよりあった方がいいに決まっている。そしてそれは尚人からは求められない。
 いいよと答えた宗主の声を、巫はきちんと聞きとって小さく頭を下げた。



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