硝子戸のある縁側から朝陽が射し込んで、部屋の中を明るく照らしていた。 窓辺に茂る木の葉の揺れ加減で、時折彼の瞼の上に白い光が降り注ぐ。 背負い込まされた務めだけをこなすだけでも疲労困憊のところを、本家の仕事から学校のことまで忙しく動き回り、とうとう熱を出した従弟を彼は巫邸へ運ばせていた。その間、1度も目を覚ますことがなかった尚人は穏やかな寝息を立てて眠っていた。 巫邸の中は内も外も今までの喧噪が嘘だったように静かで、彼自身一息つく。 尚人が守護のもとから戻って来られたのは本来よりもずいぶん後になってからで、起きあがることもままならず人の手を借りて食事を摂るような有様だった。だというのに、心配する身内を余所に、表の仕事を言いつかけられれば文句も言わずに従う尚人にも責めはあるだろうが、拒否を認めない雰囲気があるのもまた事実。 本調子では決してないのにどんな処理も采配も淀みなく確実にこなすので、ただの飾りものが出しゃばるなと言わんばかりだった反応も数日で目に付かないまで治まった。ただその分、普段以上に快復が遅れている。 処方した薬が効いたようで、顔色は幾らかましになってきた。頬に触れて熱を確かめているとうっすらと目を開ける。何か言いたいのかと思って耳を寄せると腕が伸びて首筋に巻き付き、彼は目を丸くした。驚いて身を引くと、悲しそうな顔をして、いやいやと首を振る。 「かずに…」 「ん?」 「かずにい…行かないで…」 傍に映る色の薄い髪と目をぼんやり見つめている尚人に和真は微笑みをうかべた。 幼かった彼にしてやったように髪を撫でてやると嬉しそうに再び目を瞑る。 それきりなのがつまらない。寝た子の肩を小さく揺すった。 「尚人、もう1度言って」 「……、ん…」 「名前を呼んで。それぐらいのご褒美は欲しいな」 「……、う、宗主…?」 「違うよ、寝て。起きちゃだめ。寝惚けて」 「…?、う?」 叩き起こされたのに起きるなという無茶を押し付けられ、まだよく頭が働いてない尚人は狼狽える。そんな従弟を不満げににらんでから、宗主は手慣れた仕草で用意していた薬湯を引き寄せた。 咽せないように体を起こさせ、窪みの浅いスプーンで一匙掬う。 「飲んで」 とろみがあるので食べやすくなっている。本邸に与えられた部屋で伏せったときは、いつも苦みばかり強い薬粥ばかりだったため、尚人は唇の端をほんの少し綻ばせた。 「どう。少しは美味しくなっているでしょ」 「とっても飲みやすいです。……あのここは…」 「巫邸だよ。さ、もう少し飲んでおこうね。尚人の部屋はいちばん奥まったところにあるから静かだと思っていたら、水1つ寄越させるのにも手間が掛かっていけない。静養できないと思って、移させた。ここなら気心の知れた良い医師もいるしご飯は美味しいし、こうして面倒をみてあげることも出来るしね」 「い、いけません、そんな…」 「なにが?」 手ずから薬湯を飲ませて貰った後では手遅れの勘は拭えないが、今ようやく我に返って尚人は冷や汗をうかべる。まずい。このままそうですか、と頷いてはいけないぐらいとても良くない状況である。 「僕などに構っていただくことも、巫邸に置いて貰うことも、不相応なことです」 「刷り込みされまくっているなあ。相手は圭也?」 「ち、違います。い、いえ、そういったことを教えてくださったのは圭也さんですが、でも、それは僕が当然身に付けておかなくてはならないことで…」 宗主は小さくため息を吐いた。いつのまにか見上げないと目線が合わなくなってしまった従弟から、自分の手もとに視線を移す。 不相応かどうかはともかく、子どもに世話をされて畏まり、敬う。端から見れば奇異な光景だった。10代の従弟だからまだいい。5、6倍は平気で年が違う相手からもひれ伏されると、ちょっとした冗談である。笑い話もいいところだ。 「尚人はわたしが幾つに見えるの?」 「…?…22になられましたと…」 「そう見える?」 「……え?違われましたか?」 真面目な顔で応えて不思議そうに小首を傾げる。これが嘘なら虐めようもあるが、本音なので手に負えない、と彼は思った。 親しき仲にも礼儀ありというわけではないが、彼は20歳も過ぎた成人男性だったので、打ち解けてもいない相手に手を繋がれて歩いたり真上から屈まれて顔を覗き込まれたりするのは快くない。すでに慣れたことでも、やはり気になる。 「…尚人」 「…はい」 「1度訊こうと思っていたんだけど。わたしが嫌いじゃないの?昔も今も取り立てて優しく扱ってあげたことなんてないよ」 誤魔化すのに長けてきた今ならともかく、見た目と実年齢が合っていた頃から付き合いのある相手ならば、和真の中に快く受け入れてみせながら切り捨てる冷酷な部分があることは分かっているはずだった。 美貌や、穏やかな口調、それに騙されるととんでもないしっぺ返しを食う。たが、彼の見た目に騙されているならそれはそれで良いように扱うだけなので、ある意味確信犯の猫かぶりなのだが、その存在を知っている者相手にまでいちいち気など配っていられない。 年下の従弟でお互い気心も知れているとなれば、かなりきつい目に遭わせることもあった。 「けっこう本気で邪魔にしたこともあるよ」 「はい、でも、…宗主はいつも変わらず宗主でしたから」 「そう。で?意味が分からない」 「宗主は僕に対する何も変わられていないんです。ちやほやされるばかりだったあの頃も宗主は僕をどこにでもいる小さくて突拍子もないことをしでかす生きものだと思っていましたし、…言いくるめられて退けられた覚えはたくさんありますが、壊れ物を扱うように触れられたことはありません」 「……それは…さりげなく恨み言のように聞こえる気が」 面白そうに首を傾げた宗主に尚人は驚いて、自分の言葉を反芻し、頷きかけて、慌てて首を振った。 「言葉が足りなくて申し訳ありません。僕の状況がどんなに変わっても宗主は態度をお変えにならない。それがありがたかったんです。僕が幼い頃から今も、ずっと同じように接してくださっています」 「そう?」 「そうです。…お訊ねして良いでしょうか」 「どうぞ」 「籠の中にいることを知らず外を知らず別の何かに思いも馳せない。守護に仕えることを至福とする生きもの。そういうものを作れば便利だったはずです。なぜ…そうされなかったんですか」 「口で言うのは簡単でも、なかなか出来るものではない」 「でも、可能だったはずです」 「今も先にも遣え人を都合が良い人形にするつもりはない。たとえ本人や周囲が生け贄に意志はいらないと思ってもだよ」 空気が変わる。産毛が逆立つようなつよい気配に尚人は怖気上がった。 表情は穏やかなままなのに、鋭い眼差しが全身を射る。失言を悟って尚人は唾を飲み込んだ。下手な謝罪も言い訳も、こういうときの彼には逆効果だ。 「尚人」 「……はい」 「今のような台詞を再び聞いたらどんなに嫌がろうと拒もうとも、…きらきらぴかぴかな銀の服を着せてやる」 「……はい?」 「ほんの少し身動きするぐらいで眩く燦然と輝くぐらいの宝石をつけてあげよう」 「すみません、あの…失言をお詫びします。許してください」 どんなきつい叱責を受けても良いようにいろいろ覚悟していた尚人だが、彼の発言は予想外すぎた。 きらきら?と少し呆けた顔で宗主を見る。 理解しきれないながらも即座に謝罪を述べたのは、付き合いの長さから勘のようなものだろう。安易に頷いたが最後、たっぷり後悔させられたことが山ほどあったので、しぜんと切り返しもはやくなるのである。 尚人と彼は互いに相反するものを持ちながらも、どこか似ていた。 はっきりした目鼻立ちや長い睫毛や透き通りそうな白い肌は、幾らか雰囲気は違っても先々代の血を引いた彼らの似通ったところである。若い頃から美男で謳われた祖父の特徴が出ているといえる。 きらきらだろうがぴかぴかだろうが、おそらくどちらが着ても似合ったが、似合っても着たくはないのが共通する意見だった。 |