「青く沈む」



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 てっきりついうっかりでも頷いてしまうと踏んだのに、自分のことは棚に上げて何がいけないのか和真には分からない。睨みつけても平気な顔をしていたのに、急に怯んだ従弟を和真は怒りも忘れて見上げた。
「いやなの?どうして?巫には好きなだけ着せ替えさせられているのに」
「そんな扮装みたいな格好はさせられていません」
「なるほど。でもちょっと微妙じゃないの、それ」
「…………?」
「巫の用意するものなら間違いないとか思っている?」
「ご厚意に甘えてばかりで申し訳ないと思っています」
 厚意というか好意はあるだろうがただの親切心かといえばとんでもない。誤解であると伝えたくなるのを、和真はすんでのところで堪えた。
 尚人に服を着せる巫の楽しみを奪っては、後が怖い。責任をとってかわりをさせられては困ると保身に走った従兄に気付くことなく、尚人は唐突に黙った和真を不思議そうな顔で見つめた。
「あの、やはり良くないですよね。僕は…立場もわきまえず、明さまに甘えてばかりで…」
「いやいや、巫の楽しみを奪っては悪いし、うん。あんまりにも後ろ向きなことを言うから、意地悪したくなってしまっただけだよ。次に聞いたら本気で好き勝手に遊ばせて貰うから」
「…………」
「お返事は?」
「………ハィ…」
「なんか小さかったけど、まぁいいや」
 にこやかに微笑みをうかべたまま、宗主はがらりと空気を変える。
「修行日の参加。許されると思っているの」
 尚人はぴたりと動きを止め、息をひそめるようにしてそっと従兄を見上げた。
 遣え人は参加しないのが通例で、前回参加を決めたときもかなり物議をかもした。今回は誰が見ても体調を崩しており、参加させれば怪我をするだけだと前以上に風当たりがつよい。和真の手にかかれば外野を黙らせることなど難しいことではなかったものの、そうまでする必要があるかどうか。少なくとも和真を含めた殆どの者にはない。
「何か言いたそうだね。言ってごらん」
「おそれながら…、他の僕の事情を知るごく一部を除いた大多数の参加者にとっては、それはただの過保護です」
「前回の1位通過者が、多少体調を崩した程度で棄権するのはおかしいと?」
「はい。参加は義務です」
「義務とは少し違うけどね。まあ似たようなものではある。尚人、わたしは修行日には参加しないものだと思われていた。肉体的に年が足りないから。でも出来ると自分で分かっていた。尚人、君はどうなの。全力を尽くし、良い結果を得るのはいい。認められて、褒められて、でもね、その後で務めを果たせなくなるようなことになっては困る」
 榊の保有する穢れ山に昇って負を祓う。それが修行日の最初に与えられる最も重要で過酷な課題だった。多少の怪我など負って当たり前。むしろ五体無事に戻る方が少ない。
 穢れ山は"負"が溜まりやすい。負はそれだけではどうということもない、ただのカゲのようなもので害がなくても、集まれば禍を呼ぶ。生半可な術者ではとうてい太刀打ちできずに手が付けられなくなっていたのを、榊家が引き取ってようやく人死にだけは避けられるようになっていた。
 参加者たちは負祓いを繰り返しながら峰向こうにある浄域を目指す。榊家が設えた浄化機能を作動させ、山丸ごとを祓った。1年後再び同じことを繰り返して、同時に術者の質の底上げもはかる。それが修行日がこの山で開かれる主な理由であり、一族に名を連ねて生きていくなら避けては通れない道でもある。
 負祓いは集中力を要する。穢れ山で祓うということになればかなりの回数をこなさなくてはいけないから、期間内に浄域の近くへ辿り着くことさえ出来ない者も多かった。
「……宗主は飛び抜けた成績を残されました。誰も打ち破れないと言われた圭也さんの記録を遙かにしのいだ短時間制覇で、今世紀中に抜く者はないだろうと言われています」
「圭也のものは尚人も抜いたでしょ。みな度胆を抜かれていた」
「あのときはどうしても…1番が欲しかったんです」
「圭也は褒めてくれた?」
 和真の問いに尚人の顔がほんのり赤らみ、いえともはいともつかないことを言って口ごもった。
 おめでとう、誇らしいよ、と言ってくれた圭也の優しい眼差しが、尚人には何より嬉しかった。いちばん欲しい言葉を、いちばん言って欲しい人から言って貰えた。
 尚人の負祓いの力は封をかけられていて、ごく初歩的なことしか出来ない。制御を受けていることを知らないものが殆どなので誤解されているが、実際にはかなり高位の術も使いこなせる。だがたとえ身に付けていても、普段は使えないのだからないも同じ。
「わたしは皆に尚人がどう思われようと構わない。そうでしょ」
「……はい」
 参加しなければ、前回はずるだったのではと言いがかりをつける者も出るかもしれない。そうなれば尚人は術者としてはなかなかやっていきにくくなるが、遣え人としては問題がない。
「過去そうであったように屋敷にこもって人目に触れない生活を選べば、受けなかった誹りです。どちらにしても、僕に一術者として独り立ちすることは夢のまた夢だと…分かっています」
「そう」
 和真は頷き、器にまだ半分以上残っていたので薬湯をスプーンで掬って口元に寄せた。尚人はやんわり拒んでひとりで食べられると器を受け取り、非常にゆっくりながらもきちんと空にした。それを見て取った和真は話を途中で切り、立ち上がった。
「食事も出来そうだね。消化に良さそうなものを作らせてある」
 食事を取りに、和真は部屋を離れた。戻ってみると、誰かが来たらしい。
 尚人の傍に白い服が広げられているのをみて、和真は口もとに小さな苦笑いをうかべた。
「修行日用の式服ね」
 参加するしないを話しているところだというのに、間が悪いというか、むしろ確信犯というべきか。
 式服を置いていくついでに食事がし易いよう整えられ、背もたれにできるように大きめのクッションとテーブルとが用意されている。そういった気配りができるのが、巫邸らしいともいえた。
 料理をのせた小皿を並べて、和真は箸を渡す。
「とりあえず、冷めないうちに食べて」
「はい、すみません…ありがとうございます」
「餡かけ好きでしょ。奥にはまだいっぱいあるから、おかわりできるよ」
「はい、すみません…ありがとうございます」
「……尚人、それは後にして」
「はい、すみません…ありがとうございます」
「…………」
「…………」
 仕上がった修行日用の服が気になるのか何度も手に取り、少し口に運んだだけで箸を止める従弟を、和真はうかべていた笑みをわずかにひきつらせて諦めた。
 半ば奪い取った箸で栄養があるものを選んで口もとに運ぶと、無意識に開くので素早く押し込む。横目に眺めた式服の仕上がりはさすがの出来で、修行日ぐらいにしか出番がないのが惜しまれる仕立てだった。
「…宗主」
「ん?」
「今年は…最下位かもしれません。そうなるぐらいなら参加しない方がいいとおっしゃられるかもしれません。でもどんなにゆっくり進むことになっても、参加したいんです。…遣え人であり、ただ一族の子である、どちらの自分でもありたいんです」
「辛いよ。必要のない苦労を背負い込むね」
「欲張りで…どうしようもないとは思います。でも、僕にはあとがない」
「良くも悪くも榊家の子だから、か。いいよ、ただ今のままではだめだ。夜にまた熱が上がるようではね」
「……治します」
 修行日までにどれだけ快復できるかが分かれ目だ。たとえ参加を認めてもすぐに迎えを出すことにもなるかもしれない。だがそれはさして問題あることではない。
 和真はにっこり微笑むと、手元の器をテーブルごと傍から遠ざけた。
「そうと決まれば封を少し緩めよう」
「え、あの…でも…当日でないと……」
「圭也が不機嫌になる?」
「…その…、そういう決まりですから」
 予想はしていたが相変わらずの反応で、和真は数瞬押し黙り、呆れかえった。
「ほんとに圭也に弱いな。きっちりあれを確保してるわたしが言うのもなんだけど、裏表激しいよ。極悪だし」
「…………」
「なに、裏も表も知っているのが羨ましい?かわいいね、尚人」
「何も言ってません」
 むくれた顔をして俯いた尚人の頭を、和真は軽くぽんぽんと叩く。
「圭也は母親似だからね。尚人はふぎゃほぎゃ泣いてた頃からお母さん大好きっ子だったよ」
「赤ちゃんはふつう、母親が大好きだと思いますけど…」
「そうかな。赤ん坊なんてものを目にしたのは尚人が最初で最後だから比べようがない。…お母さんのこと、何か思い出したの」
「いいえ、すみません…でも父は少し。航市と一緒に術の使い方を手ほどきして貰ったこととか」
「尚人が父親から継いだ力は他に教えられる人がないからね。身に付けた術そのものが大切な財産だよ」
「…はい……」
 尚人には両親の記憶がない。悲惨な事故で、すぐ目の前で2人を失った衝撃で思い出せなくなってしまったのだといわれている。尚人の場合、事故の記憶と繋がるのか、親ふたりを思い出すこともできなくなっていた。
 不憫に思い、あるいは事故の顛末を知るために記憶を戻そうとする者もいたが、上手くいかず、大半がわざわざ思い出させる必要はないと判断して、今では話題にする者もない。もともと先々代宗主の存在が大きすぎて、尚人の両親は影が薄かった。すでにあの事故から5年が経ち、親しかった者たちからも徐々に記憶が薄れてきている。
「…彼らは似てはいるが違う。覚えていないものを比べることはできないだろうけど、重ねてみてはいけない」
「……はい」
 大人しく頷いた尚人に微笑み、和真は片手を相手の胸元にかざした。服に隠れて見えない榊家の印からふわりと仄青い光が溢れる。光に揺れるように宗主の薄茶の髪の毛が小さくなびいた。
 遣え人に施された能力の封の解除は宗主にしか出来ない。宗主においても完全には解けない上、様々な条件がついた。気の遠くなるような昔からある盟約で、宗主ごときでは安易に関われないようになっている。
「我が名において壱から参の封を解除する。壱、弐、許可、参。開封」
「……っ」
 はじめは何かが足りなくてもどかしいが、すぐに慣れて開放感が来る。
 光が収まってから目を開けた尚人ははっと我に返り、胸もとを押さえた。
「……叱られます。弐までしか許されていないはずです」
「黙っていれば分からない。それでもだいぶ不利なんだと分かってる?強い術を使えば反動が来る。あんな山で昏睡されると迎えに行くのも一苦労だし迷惑だよ。…さ、もうちょっと食べようね。服の調整もしないといけないし、今のまま寝付いたりしたら、勝手に色々仕込んでしまうよ。術者なら自分の小道具ぐらい1人で縫い込まなくちゃ」
「……宗主」
「わたしが許す。その何がいけない。誰が文句を言えると?」
「いえ、…ありがとうございます」
「どういたしまして」
 まだ熱の残る料理に息を吹きかけ、冷ましてやったのを口元に運んでやる。
「機会を下さった、そのお気持ちに応えられるようにがんばります」
「うん、でも無理無茶だけはやめてね」
 大人びた優しい笑みをうかべた和真は従弟の不安をかわす。
 封を多めに解いてくれた宗主の好意に応えるためにも、出来るだけ回復してから臨まなくてはいけない。
 針と糸を取り出して、早速服の微調整をし出した尚人は口元に料理が運ばれると口を開けて、与えられたものを口にする。和真はひな鳥を前にしたような気持ちで、しばらくの間、まめまめしく給仕役に徹した。



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