「青く沈む」



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 参加者たちを送り出した後は、今までの忙しさが嘘のように静かになる。
 役員や付き添いたちとは別の棟に用意された部屋の中で、圭也は幾枚かの書類に目を通していた。
 その姿を時折眺めながら、榊家宗主はのんびりと過ごしていた。
 手もとにある甘い駄菓子を口にしながら、振ったり、転がしたりと何とも暇そうな感じではあったが、すべき仕事は片づけてあり、わずかに残ったものは圭也の処理したものに裁可を下すことぐらいだ。必要があったらすぐ適えられる場所にいるので、それも簡単に片づく。
 外には人目を避けられるところがないので、休みたいときは圭也のそばにいるのが1番なのである。1人で暇を楽しんでいると何やかやと構いたがる人間が多いが、仕事の邪魔されることを何より嫌う圭也の怒りを恐れ、よほどの鈍感か剛胆な人間以外割り込みに来る者はないので平和だった。
 ふっと圭也が顔を上げ、隣に目をやる。
 ずいぶんとカラフルな粒を口に運んでいる和真を見て、形の良い眉を寄せた。よく見れば他にも色鮮やかなカラーリングが施された小さな包みが転がっている。
「…それは、どうなさったんですか」
「う、んん?ああ…差し入れだって貰ったんだよ」
「継役の方々でしょう。どうしてあの方々は和真様が本当にお小さいわけではないのを理解されないんでしょうね。適当にかわされたらよろしいのです。体に良いとも思えませんから、程々になさって下さい」
「………ん」
 色とりどりに着色された丸いチョコレートは甘くて和真の好みではない。それでも食べられないほど苦手な味ではないし、即座に健康に悪いというものでもないだろう。圭也が言うようなほど危ぶまれるものなら、とうに発売中止のはずだ。
 すぐに取り上げたそうなのを見て取った和真は、筒状の入れものに蓋をかぶせ手から離した。圭也はこういった駄菓子を好まない。甘いものは和真よりもよほど口にするが、どちらかというと本物嗜好なのである。
「あの方々は和真様を可愛がってくださいますから、無下には出来ませんが。ものごとには加減というものも必要です」
「わたしはね、圭也。いつまでたっても小さな孫のように大切に思ってくれているのが嬉しいんだ。もちろん、圭也のいうことはもっともだし、たくさん食べはしない。でも少しだけなら、気持ちをいただかなくては」
「……和真様…」
 和真は肉親や家族といったものと縁が薄く、身も心も幼かった頃には逆に子ども扱いされることのほうが少なかった。
 生まれて間もなく榊家の血筋だった父親を失い、まもなく母を失った。
 当時身を寄せていた母方の実家は榊家と関係のない普通の家だったことで、早くから力の目覚めがあった和真は気味悪がられたのは、当然の成り行きだったろう。その為実母が亡くなったあと、すぐに父方の伯母が彼を引き取ったものの、彼女は夢の中に棲む人だった。
 甥への愛がなかったとは言い切れないが、そもそもが生活の全てを人に頼らねばどうにもならない人で、子どもの世話をする能力などないに等しい。
 ちょうどその頃尚人が生まれ、歳も近いと遊び相手に選ばれた和真だが、身の回りに人が増えても誰かと家族になれたわけではない。現在傍にいる血縁は圭也と尚人ぐらいだった。
「……わたくしは和真様の家族であり同志であり良い部下でありたいと願っています。いつでも必ず味方です」
「頼もしいね」
 微笑みながら頷いて、和真はわざとらしく眉根を寄せた。
「圭也の気持ちはとても嬉しい。でも、わたしは1つ気がかりだ。継役たちはわたしを想ってくれる余り、度を超えすぎてはいないかな」
「ええ、ご不要になる日も近いかもしれませんね」
 にっこりと微笑み返した圭也は、せいせいするとでも言いそうな様子である。宗主にとって利用価値があるから我慢しているだけで、そうでなければさっさと切り捨ててしまいたいのが彼の本音だ。圭也は和真に対する継役たちの態度が目に余ると感じていて、不必要になるのを今か今かと待ちかねている。
 容赦ない物言いをして、何事もなかったように書類に目を落とした圭也を和真は優しい目で見つめた。
 尚人に対する継役の振る舞いは、逆恨みも甚だしい。
 宗主の身近にいた者たちは宗主の引退後、共に隠居生活を送るが、彼らほど身近にいたわけではないが高い地位にあった者たちは、継役、という独自の組織を形成した。
 継役たちはご意見番として次の宗主の補佐を務める。すでに前線は立ち退いているので、影響力を持ってはならないとされていたが、ある程度の力を持ち得ているのは広く知られていることである。
 今の継役たちは、先代宗主の首脳陣。彼らは自分たちの仕えた宗主の衰退原因を、尚人のせいだと捉えていた。先々代の寵児を抱え込んだために、権力に歪みが生まれたのだと。
 先々代宗主からその座を引き継いだ先代宗主はおっとりとした雰囲気の人で、優しい人だった。尚人を引き取ったのも、身寄りがなくて可哀想だとか、いずれ後を継がせたいと考えてのことだろう。
 彼らの時代、継役だったのは先々代の重鎮たちだから、尚人贔屓だった。今の継役たちは尚人さえいなければもっと早くに自分たちの時代が来たと信じ込んでいる。
 だがそもそもが先々代の死が思いの外早かったことにつけ込んで、中枢に食い込んでいることを彼らは忘れているのだ。今の彼らが前の継役より能力が高いかといえば違うのは明らかだというのに、本人たちにはそれが分からない。
 膨れあがっていた勢いも今ではないに等しい。先々代の悪影響さえ取り除ければ良いと離れた者も多く、権力を振ることが多い現在の継役を嫌う者さえ少なからずいた。
 いずれ誰に手綱を握られているのか、分からせなければならない時もあるかもしれない。
 唇をうっすら横に引いて、和真は書類に目を通す圭也の足にもたれかかる。
「お疲れでしょう。床を用意しましょうか」
「ううん、いい…」
 愛しそうに目を細めた圭也が、やわらかい和真の髪を撫でる。
「いつもごめんね」
「いいえ。わたくしは和真様のもの。すべては和真様の良いように」
 たとえ和真が全てを打ち明けることなく、秘したままこの身を使おうと、圭也は気にも留めない。
 最も大切で最も愛しく、圭也は和真さえいればいい。それをはっきり口にして憚らないのは、彼だけだった。
「…うん、ありがとう、圭也」
 花が開くように微笑んで、和真は甘えるように頷いた。
 圭也もあまり恵まれた子どもではなかった。
 第2子の出産がもとで体調を崩した妻を想う余り、父親に嫌われ遠ざけられた圭也は、姉に守られて育った。尚人の母である彼女がいなければ、早々にどこかへ養子に出されていたかもしれない。そうならなくて良かったと和真は思う。何があっても必ず出会える運命だったなんてのんきなことは信じていない。
 大切に想う誰か以外はどうでもいい、圭也のその極端な愛情表現は父親譲りだ。父に疎まれた圭也が最もつよく、父親の性質を受け継いでいるのだというのは何とも皮肉で切ないが、愛すべき性質でもある。
 優しい手つきで撫でて貰っていると、心地よさに眠気が訪れる。うたた寝を始めた和真の頭を膝に載せて、圭也は再び書類に目を落とした。紙を捲る音だけがしばらく続き、明るい陽射しの中で山の木々がざわりと鳴った。



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