山の夜は早く、闇の中にぽかりとうかんだ月が昼とは違った明暗を生み出していた。重なり合うふたりの肌の上に白い月の光が射して、ぽうとうきあがらせる。 窓の外へよそ見をしたのを責めるように深く抉られ、青年は小さくあえいだ。ふだんの真面目で、少し固すぎるほどの優しい顔が朱く淫らに歪む。 体を震わせるようなツンと尖った快感が突き抜けて、思わず逃れようとした体を腕を引いて戻される。青年は小さく罵りの言葉を吐いてのし掛かってきた男の体をどけようとしたが、ぴくともしない。 「……っ、…」 より奥へと入り込もうとするような重たさに苦しみ、眦が涙が伝った。 「…、も、…離せ、…とう…ごっ…、……」 弱い箇所ばかりを狙って擦られる。悶え、体の内も外も悦びの中に落とされ涙がこぼれ落ちた。 淫らな音が鼓膜を灼き、羞恥心を煽るが相手の動きにそって腰を揺するのを止められない。 巧みな責めに次第に我を忘れて、貫く固まりを受け入れ、乱れ、圭也は繰り返し極めた。 浴室からでてきたばかりの男を上から下まで眺め、青年は不快げに眉を寄せる。 あんまり予想通りだったので、東伍は少々がっくりきた。情事後の甘い雰囲気など、1度も味わったことがない。 「水」 「あ?」 「なぜもっときちんと拭ってから出てこない」 「いいだろ、別に」 「私の言うこともきかなかった。やめろと言ったのに」 東伍は持っていたタオルでがしがしと荒く髪の水滴を拭う。少々言うことを聞かずに貪り尽くしたので、拗ねているんだろうとは思ったが、まんまそれを口にしては火に油を注いでしまう。 不機嫌な年上の男に対して、東伍は優しい顔をうかべて見せた。 「久しぶりだったから。ごめん」 「私は君のせいでだるくて、とても疲れているんだよ」 「ついね。悪かったと思っている。ベッドを半分あけてくれるか?湯冷めしそうだ」 「本当に反省してるんだね?東伍」 掠れの残る声ですごまれても色っぽいだけだったが、顔を見ればふてぶてしい。 つい少し前まではあんなに可愛かったのに…と、こぼれそうになったため息を飲み込んだ東伍は、念を押す圭也には応えず、むりやり隣にもぐり込んだ。まだ髪が濡れているので、心底嫌そうな顔が向けられる。傍に寄るとその分後退って間を空けるので、仕方なくもう1度浴室に戻る東伍は圭也にはどうも弱い。 東伍と圭也の、どちらに主導権があるかといえば3つ年上の圭也である。 彼らがはじめて出会ったのは、東伍が尚人の世話役を引き受けたときだった。 その時東伍はまだほんの子どもで、圭也や美矢は到底適わないような立派な大人に見えた。もちろんお互いにまだ子どもだったものの、少なくともあの頃は年齢差が重くのし掛かっていて、いつのまにか背を追い越し、体格にも勝った今も、東伍は圭也に対してあまり強く出られない。 3つ、という年齢差は結構侮れない。もちろん勝てないのには別の理由もあるが、やはり年上年下ということは大きい。 「図体ばかり大きくなったけれど、まだまだ子どもだね。言われないとろくに髪も拭えなくて」 大人しくきちんと水気を拭い取ってくると、圭也の機嫌がようやく回復する。それぐらいのことで満足してしまえるとはお手軽だなと言い返してやりたいのは山々だが、子ども扱いしているときの圭也の口もとは優しく緩んでいて、東伍は口を噤んだ。そばへ近寄っても文句を言わないのがこういうときだけというのが少しわびしいが、ないよりはいい。 圭也は弟分だった東伍に背を越され、体格やら腕力やらに負けるのが悔しくてたまらないようなのだ。だから少しでも優位に立つと嬉しいらしい。 圭也は寝転んだままほっそりとしたグラスに口を付ける。 一揃い道具を持ち込んでいる、自分でつくったカクテルをひとりで楽しんでいる圭也に、東伍はぐっと身を乗り出した。手もとからひとくち奪って出来の良さににっと口許をゆるめる。ベースはウォッカで、何をアレンジしてあるのか口当たりが良かった。 「うまいな」 「勝手に。自分でつくって飲めば」 「圭也、…最近、うまくいってないのか?」 「なに?」 「宗主と」 「は?」 途端に不機嫌そうな顔になった圭也に、東伍は少しためらう。つい口から出たが、言ってみると近頃感じていた違和感にしっくりと合う。 髪に指先を通して耳元に唇を寄せ、眉間に寄せられたしわを解くように優しく抱き寄せた。 「いや…何となくな」 「東伍こそ。なに。尚人くんに期待してるって声をかけたことを言ってる?前年度優勝者にそれ以外で必要な言葉などないよ」 尚人は病み上がりで、優勝など到底不可能なことは分かり切っている。宗主自ら巫邸へ移させたほど具合が悪かったのに、圭也はわざと慰めの言葉を避けた、と東伍はにらんでいたが、恐らくそれに間違いはないだろう。 グラスの中の液をゆるくまわして、圭也は東伍から顔を背けた。 「ここのところ、尚人が望む言葉から微妙に外れたことばかりを選んでいる」 「それは気付かなかった。後学のために聞いておきたい。尚人くんは私に何を望んでいると?」 「圭也」 睨みつけた東伍の視線に気付かぬふりをして、圭也はグラスの縁に唇をつけた。 優しく甘く絡め取る言葉ばかりを選んできたから、ほんのささやかな言葉の毒が思いの外尚人には堪えただろう。分かっていたが、抑えが効かない。いらいらして、細部まで注意を払う気になれなかった。 その苛立ちの原因を宗主にみる東伍は勘が良いと言えたが、解決策の持ち合わせはないようなのに圭也は薄く笑みをうかばせる。 こういうとき、圭也は己が東伍よりも年上であることを嬉しく思う。本人はうまく隠しているつもりかもしれないが、些細な表情の変化で何をどう思ったか手に取るように分かる。かつての兄貴分の面目躍如と言ったところだ。 「私の主人は和真様だよ。尚人くんは甥っ子だし、和真さまとも血が繋がっているけれどね、宗主のお役に立つか。大切なのはそれだけ」 「尚人は…」 食い下がろうとする東伍に圭也は冷ややかな一瞥を投げつけた。 「お前に、その先をいう資格がある?私にこんなことまでしておいて」 首筋につけた歯形を見せびらかすように仰向いた圭也は、空になったグラスをテーブルに置き、これ以上の話はうんざりだというように眉を寄せた。 尚人がいだく憧れと思慕を知りながら、その思いの深さを誰よりも良く理解しながら、東伍は自分の思いを遂げることを選んだ。圭也が欲しいと望んだ。そうすることで心苦しさや申し訳なさを抱くと分っていたが、諦めることは出来なかった。見方によっては他の誰の悪意よりも、最悪な行為だろう。 「…分かっている」 「分かっていない。君はね、私を選んだんだよ。尚人くんではなく、私を」 「違う。どちらもを選んできた」 「違わない。君は自分の手に2人分抱えられると思いこもうとしているみたいだけど、そんなことできやしない」 「そんなことは…分からない」 固く唇を引き結んだ東伍をちらと見た圭也は、どうでもよいというように小さく首を振り、頬杖を着いて窓の外を見た。月が雲に隠れて、周りは全て闇にのみこまれている。暗がりに慣れた目でも、ひとつひとつの木々や山の稜線を見分けることは難しかった。 参加者たちは負の満ちた山の中で気を抜けない夜を過ごしているだろう。 安全な道を選んでいっているとしたら、まだそれほど遠くへ入っていないはずだった。 「尚人くんは…私と君とのことを知っても、受け入れるだろうね」 「……それは、…」 「可哀想?」 「……俺のしていることが尚人への裏切りだとしても、あるいはそれに類似したことであっても、その張本人が言っていい言葉ではない」 「君にしては穿ったことを言う」 「にしてはは余計だ」 むっとして睨みつけてから、東伍は圭也に倣って窓の外を見た。手玉に取られるようで癪だが、圭也の言うことにも一理ある。そのことを忘れないようにしておく必要があると、東吾は思う。 窓の向こうから、微かに鳥の鳴き声が聞こえていた。 胸内で東伍は短く舌を打つ。できることなら無視しておきたかったが、そういうわけにはいかない。ばれたときが怖いので、仕方なく東伍は中から窓を押し開いた。どうしたのと首を傾げた圭也の傍に白く小さなものが飛び込んでくる。 「式を送って寄越すとはな」 「機嫌がよろしいのだろう。かわいいね、良い声で鳴く」 白い小鳥を手のひらに載せた圭也にとろけるような笑みがうかんで、東伍は無言で窓を閉めた。逆立ちしても引き出せないような嬉しそうな表情にあきらめと呆れを半分ずつ抱えて、一緒くたに飲み込む。伝言を携えてきたただの鳥にまで嫉妬していては体がもたない。 圭也は自他共に認める宗主贔屓で、彼の優先順位の1番目は消して揺らがないことは、東伍も良く分かっているのだ。 小鳥はぴるると喉を鳴らして囀り、翼を広げたかと思うと1枚の紙切れに変わった。 「…圭也?」 紙の上に目を通すにつまれて険しい表情になっていくのに、横から手もとを覗き込んで東伍はひどく後悔した。 「おい…、落ち着けよ」 「着替えて。君も連れて行くから」 少し前に覗かせていた上機嫌ぶりが嘘だったように口もとを歪め、しかめ面をうかべた圭也が手早く服を身につけていくのを、東伍は呆気にとられて見つめたが、こちらの言うことなど聞く耳持たないと分かって、仕方なくベッドを出た。 もしここで恋人と飼い主どちらが大切なんだと訊ねたら即答で後者に違いなかったし、それだけならまだしも恋人って誰?と真顔で聞き返しかねない。かつての相棒の手綱ぐらい握れないのかと無茶な八つ当たりをされる可能性もあり、下手なことを言うよりは黙っておく方が良いと、そうとわかっていたが東伍はついぽろりと本音を零した。 「…そんなに慌てなくても、…」 圭也の眦がぎゅっと歪められた。しまったと思ったがもう遅い。 「東伍がそんなに薄情だったなんて知らなかったな。そんなことを言う口で私と尚人くんのどちらともを守れるなんて言うわけだ」 刺々しい圭也の声に頭を抱えた。火に注いだ油の効果はてきめんで要らないところへも飛び火している。 「あのな…。俺は少なくとも尚人のことは、誰よりも信用しているし、覚悟もしている。宗主に対しても似たようなものだ。彼らが本気で走り出したら止めようがない。追いかけていって、進む先が安全な道かどうかなんて、いちいち確かめていたらさくっと置いて行かれるだけだろうが。俺たちは最善尽くして待つ。それが良いんだ」 「分かった。それなら私は君を置いていく」 「って、圭也、待て」 「…ひっ。こ、この恥知らず、色ボケ、服を着てくることもできないのかっ」 「着るから待てって言ってるんだ」 廊下へ出て行こうとした圭也を素っ裸のまま堂々と歩いて引っ掴み、連れ戻してから、東伍は急いで服を着た。ショック療法は数分しか持たない。すぐに痺れを切らして置いていこうとする圭也を、着替えを済ませた東伍は黙って追いかけた。 |