「青く沈む」



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 異能の一族の長として優れた能力を持つ宗主であっても死んだ者を甦らせるなんてことは有り得ない、そう言い切ることは簡単だった。
 むろん肉体なく存在するものはいる。守護がそうだが、彼らの存在は例外中の例外であり、死はある。終わりのないものは始まりもしない。ゆえにないと考えられていた。
 根津や真知の話を頭から信じ込む者がいたら、正気を疑ってかかった方がよい。
 真知がしたのは、そういう話だった。
「ねえ真知?そういった力があるとして、隠したとなると榊家だね。となると私が、ということになるのだろうけど、あいにく覚えがない」
「そもそもそういう仮定が立てられてしまうのは、僕のことを榊家が隠そうとするからだと思います」
「確かにね。榊家も謎が多いと言われているし、どうも私はごく一部で不老不死の秘術を操れるとか言われているようだ」
「宗主なら出来そうです。それぐらいなら」
「尚人……きらきらびらびらと、ふわふわくるくる、どちらを着たい?」
「くるくる?」
「リボンがくるくる、髪もくるくる」
「…………」
「…………」
 たしなめるべき人物が揃って脇道にそれているのだからどうしようもない。軌道修正は当たり前ながら宗主自らが行った。
「まあ、尚人は人より少し清浄な気を持つしね。榊家には色々謎も多いとか言われているみたいだし、わたしが言うのも何だけど、噂では不老不死の秘術とかもあるらしい。殺しても死ななそうだとはいわれるけど、こう見えてけっこうか弱いのに、失礼な話だ」
「………か弱いですか?」
 素直に疑問を露わにした尚人に宗主の笑みが深くなる。
「尚人。正直は美徳だろうけど、過ぎればただの毒だよ。覚えていてね?」
「は、はい……よく覚えておきます」
 宗主の微笑みにぞっとするものを感じて強ばり、大人しく失言の回収に向かった尚人は、少し悲しそうな苛立ったような表情で立つ幼友達を見上げた。
「真知」
「信じないならそれでいい。だが何とも思わないのか。自分の親のことだぞ」
「僕はおかしいのかもしれない。覚えてないせいかな、現実味がなくて…真知は、僕よりも母に懐いていたのでしょう」
「懐いていたというより手玉に取られていたの方が正しいね」
「言うな。…あ、いえ、おれにとってそこは思い出したくないことなので、言わないでいただけると……」
 言い返した相手が誰なのか気付いて慌てて訂正した真知は気まずそうに目をそらした。
 思い出を失い、その相手をも失った尚人は、記憶の中ですら親子関係を作り直すことが出来ないままだ。たとえああだったこうだったと教えられても、現実感がない。そのことを情がないとか、親不孝だと責めるのはあまりにむごいことなので、真知は言葉をつまらせる。
 ごくごく小さな声で呟かれた詫びの言葉を、尚人は聞き返さないことで受け入れた。
「おれは、もう1度あの人と会いたくて…。あの人から取り戻したいものがあって…。根津ひとりが動いただけでは何もかもなかったことにされると思ったんだ。おまえに人の命をどうこうする力があると思ったわけじゃない…ただ、おれが動けば信憑性が出るし、おじいさまや他が隠蔽に動いても、足下を掬おうとする連中が見逃すはずない」
「足下って…投げやりというか自棄というか…」
 捨て身の戦法過ぎて手に負えない。封じられた書を持ち出したことからしても、思い詰めたら何をするか分からない過激っぷりである。
「ということは、所在は掴めなかったんだね。髪飾りの持ち主は見つけられなかった」
「はい…。すぐ近くまでは迫れたのです。ですがどうしても接触は図れなくて…このままではたとえ髪飾りの存在を明らかにしても、良く似た別人だと反論されてしまいます。それならとこうしたやり方を選んだのですが、かなり無茶をしても掴めなかった…そのこと自体が誰かが隠していることに他ならないとも思ったんです」
 本家と縁遠い一般の術者が尚人と関われる機会を得ようと思ったときに、この修行日ほど都合の良い行事はない。
 継役と尚人の関係が最悪なのは少し注意してみていれば気付けることだし、真知と尚人が幼友達で仲が良くないものも調べようと思えば調べられる。
 根津が真知に接触を図ったのは尚人の役職についての内部情報を聞き出したかったのと、彼自身が人質としての価値を有しているからだ。
 真知の身の安全と引き替えに尚人をおびき出すこともできた。根津は当人たちよりも正しくふたりの性格や関係を見抜いていたのだろう。たとえことが明らかになってしまっても、幼友達を見捨てることになっては榊家としての外聞が悪いし、尚人は大人しく家の意向に従う気性でもない。
「ぎりぎり間に合ったから良いとはいえ、危うく榊家そのものを揺るがしかねない大惨事になるところだったねえ。そうまでして取り戻したかったのって、もしかして日記かな」
「…………」
「…日記?」
 真知は頷きこそしなかったが、顔を強張らせたその姿で宗主はすべてを見抜いたらしい。
 両親の記憶とともにそれにまつわる記憶が曖昧になっている尚人が不思議そうな顔をうかべると、宗主は愛らしい、楽しそうな笑みを向けた。不穏なものを感じ取った真知が慌てて、わぁわぁっと声をあげたが打ち明け話は止まらない。
「真知が日記をつけているのは知っているでしょ。尚人のお母さんはね、それの愛読者なんだよ。はじめは宿題の日記でも提出するような感じで見せていたんだけど、だんだん羞恥心が芽生えるわけだ。そこで見せないようにしたら、なんと彼女は一言一句違えず覚えていて、それをもとに続きをねだる」
 どう考えても脅しである。
 それもけっこう質が悪い。
「亡くなられたと聞いて悲しかったんだ。それはもう本当に辛くて…でも、手持ちの数えてみたら数冊足りなくて。母に聞いたら、渡したわよ、って言われて…っ」
 事故に遭った際に燃えてしまったならいい。
 たむけにしては色々難はあるものの、彼女が喜んで読んでいたのは確かだったので、冥土のみやげにしてくださいと言える。
 けれど生きていたら。
「まず間違いなくまだ持っていて、うっかり人に見せたり話しているかと思うと、おれはいてもたってもいられないんだ…っ」
 悲痛な響きを伴う真知の叫びにその場にいた全員が沈黙を守った。
 彼らの口もとは微妙に引きつって、慰めるべきところを笑ってしまいそうで仕方ない。
 それこそたかが日記のためにこんな大それたことをしたのかという感想もあるが、それだけ本人にとっては重大なことだったわけで、うかぶ笑みがたとえ微笑ましさのこもったものだとしても、あまりにふびんである。
「ええっと…ごめんね、それはうん、取り返しておかないとね…」
 どうにかそれだけ言って、尚人は背にある岩を支えに立ち上がった。すかさず宗主が手を貸して、ふらつかないように脇に付く。
 正面には航市と浩明たちが立ち、お目付役たちが本来の役目に戻って真知の周りを取り囲んだ。
「真知の理由は分かったけれど、あなたは本当に僕が死者を甦らせることが出来ると信じているんですか」
 放たれた問いかけに、地底湖の水面がざわりと波立ち波紋を広げる。
 突風とともに負の暗がりが視界を覆い、天井に開いていた明かり取りの穴が塞がれて暗闇が生まれた。伸ばした手の先も見えないような闇である。尚人の声に応える代わり、闇の中に沈んだ彼らを無数の刃が襲った。



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