「ボウシバナ」



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「映さん。菱の間で広紀さまがお呼びです」
 映は、食器を片づけていた。自分を合わせても4人分でしかない食事を世話するには広すぎる台所で、手際良く夕飯の後片づけをしていく。しかしその途中でかけられた声に映は水を止め、訝しげな顔で広紀の秘書である吉江を振り返った。
「あの、菱の間って、近付いてはいけない、お部屋だと…」
「部屋と言うか、離れなのですが。…今宵は、映さんも、と」
「僕も、ですか?…あの」
「大丈夫です。後はわたしがしますので」
 映は首を傾げながらも、吉江に頷いた。
 映は、仕来りには、慣れている。映の父も、当主しか入ってはならない部屋、当主しかしてはいけないこと、などさして重要ではないことを尤もらしくしていたものだった。古い家や大きな家には1つや2つそういうものがあるもの。映はそう思っている。だから、国本家に決して立ち入ってはならない場所があると教えられても、すんなり受け入れていた。そこは何なのだろうと、興味さえ持っていない。
「ただ、行けばよろしいのですか」
「…ええ。映さんが、行ってくださるなら、それで」
 訝しげな顔で、映は吉江を見た。
 呼ばれれば当然行くのが映の務めで、行かない、という選択肢は映にはない。行ってくださるなら、と行くことを感謝するような吉江の言い方はおかしい。
 吉江はまだ若いが、優秀な秘書だ。何をするにも手際良く、気配りが利いている。その吉江の態度がいつもとは微妙に違うようで、映は不安に思う。心持ち、吉江の顔が暗い気がした。
「あの、…では、行って参ります」
 吉江の様子を気にかけながらも、映は小さく頭を下げて、台所を離れる。呼ばれているのなら、とにかく行かなくてはいけない。菱の間がある奥座敷へと歩いていく映を、吉江は重苦しい顔で、見送っていた。



「映です」
「ああ、入って」  
 菱の間に続く廊下は、屋敷の奥まったところにあるせいか、他の場所より薄暗かった。映は中から聞こえた広紀の声に従って、扉を押す。
 部屋に入った途端、映は誰かに腕をとられ、床に引き倒された。
「……広紀、さん…?」
 数人の見慣れない男たちが、映を見下ろしていた。その真ん中に広紀の姿を見つけ、映は訝しむ。これまで映は、広紀からこんな粗雑な扱いを受けたことはなかった。
「映くん。ようこそ。今日はね、この家の正式な一員になってもらうために、学んでもらいたいことがある」
「まな…ぶ?…え、何、…を」
 訳が分からないまま、映は男たちに床に押さえつけられる。ひんやりとした木の感触が、肌に触れた。瞬く間に服を剥がされ、映は真っ裸になる。羞恥に、唇が震えた。こんな格好にされては、状況だけは理解できる。映は、信じられない思いで声を荒げた。
「僕は父とは違います。男娼の真似ごとなんてしません!」
「これは、何も映くんをおもちゃにしようと思ってのことではないよ。ね、千波」
 映は息をのんだ。まさかと思う。優しいばかりだった広紀の豹変にも信じられないというのに、千波まで自分を欲望の対象とするとは、信じたくなかった。そんな映の前で、別の部屋から千波が現れる。映は、戦いた。生活が苦くて身売りすることさえ考えた映を救ってくれたのが、千波。
「どう、して…」
 声が震える。きちんと服を着た千波の姿は、ほんの少し前に映の作ってくれた夕食を喜んで食べてくれた姿と変わらない。映は混乱した。自分に何が起こってしまったのか、良く分からない。
 千波と入れ代わるように、広紀が部屋を出る。見知らぬ男たちはいたままだったが、映からは離れた。動かせるようになった体をあげて、映は千波を睨み付けた。
「売春などいけないと。愛妾に身をやつしてはいけないと、言ってくれたのは千波さんでしょう…っ」
「そう。そんなものに映をとられたくはなかった」
 一筋の陰りも、醜さもなく、華やかに千波が微笑む。映は、千波の笑みが好きだった。いつも、微笑まれると幸せな気分になった。思わず見惚れて、映は悲しくなる。千波は映を裏切り、映を欲望の対象としようとしているのに、映は千波を嫌えない。
 千波は木の床にぺたんと腰を下ろす。その腕に、包まれた。抱き締められ、千波の胸に頬を押しつけるような格好になる。ぬくもりに胸がつくんと痛んだ。
「映。これは学んでもらわなければいけないことなんだ」
「い、っや、やだ」
 上半身を抱き止められたまま足を引かれ、膝だちするような格好になる。その尻の狭間に、濡れた感触があった。粘度の強いクリームを、べちゃべちゃと狭間に塗られる。男たちが、映の秘孔を弄っていた。
「や…ッ」
 思いのほか抵抗なく、指が沈んだ。顔が紅潮する。羞恥と恐怖に、目が潤んだ。その眦に、優しく口付けられる。映には誰とも経験がなかった。性の禁忌を一欠片も持たない、映の父とは違う。むしろそんな父親を身近にしていたからこそ、性的なこととは一番離れた場所にいた。
「映。なんて可愛い。きっと気に入られるよ」
 誰に気に入られるのだとは、聞けない。映は、それどころではなかった。ぐちゅぐちゅと指が奥の襞を押す。本来起こるはずのない刺激に体が震えた。吐き気が込み上げる。映は悲痛な声を上げた。
「やめて。やめてください」
「この家で幸せになるためには、必要なことなんだよ」
「や、なに、やだ…」
 体が、熱かった。全身が悶え、震える。それが欲情しているためだと、映は気づく。指だけは苦しい。もっと、もっと、欲しかった。息が、荒くなっていく。首筋を流れる汗の雫さえ、映には苦痛になった。
「…う、…っ…」
「ちょっと強めの薬だから、初めての映にはきついよね」
「いやだ、も、…っ」
 増やされた指が蠢く。襞がひくついた。物足りない。強烈な焦れが映を襲う。屹立したものから、雫が溢れ出す。誰も刺激をくれない場所だった。開放を待ち望んでいるのに、刺激が、足りない。思わずそこに触れようとした手を、千波にとられた。
「だめだよ。そこには触れない、きまり」
「触って」
「だめ」
「触って…っ」
 映はむせび泣いた。千波に縋る。千波の穏やかな心音が、聞こえていた。抱き締めてくれる腕の感触。ぬくもり。声に震える胸。心が満たされるような、優しい場所。
 ひどい、仕打ちだった。千波は映に直接何もしていない。それどころか安堵を与えてくる。肉体には他人を使って酷いことをしながら、千波自身は、映の心を捉えていた。
 指が、抜かれる。首筋に舌が這い、指先が乳首を摘む。別の舌が、背筋を舐める。耳たぶを、噛んでは含んだ。喘ぎが、映から漏れた。男たちは何も言わない。ただ微かに、吐息を洩らす。
 ぐいと、狭間を割られた。熱いものが、あてがわれる。
「映。力を抜いて。…いい子」
「ぃあああ…っ」
 体が震えた。叫ぶ口を、塞がれる。千波の舌は映を慰めるように口腔を撫ぜ、舌を絡め、幾度も角度を変えて口付けた。
 千波の肩に、映の指が白く食い込む。千波は微かに痛みに顔をしかめたが、されるままになった。激しい動きで、映の奥が抉られる。
 真っ赤に色づいた襞は欲望を包んで震え、更に深く銜え込むように蠕動した。
 誰に触れられることなく、映の欲望が床を汚す。同じように映は体の奥に見知らぬ男の欲望を受け、いつのまにか気を失っていた。



 用水路の蔭に、瑞々しい緑の葉が群れる。船形の葉の上には、大きな2つの花びら。鮮やかな青の花が、朝露にしっとりと濡れていた。
「ボウシバナ、…」
「え」
「ボウシバナが、たくさん」
「ああ、ツユクサのこと」
 千波は小さく笑んで、繁みに入った。足下が濡れるのにも構わず、1つ摘んで、映に手渡す。
「映。今日はすずきが食べたいな。さっぱりしたやつ」
「…さっぱりだったら、湯引きとか、それとも、焼きものだとか」
「なんでもいい。映は丁寧に小骨も取ってくれるから、魚料理は何だって好きになった」
 朝陽の中で、千波は笑む。その表情は光のように明るく、花のように美しい。映は手渡されたボウシバナの茎を短く切って、千波の詰襟の胸ポケットに挿す。さりげに腕をとられ、引き寄せられた。唇を重ねられる。
「好きだよ」
「…………」
 映から体を離し、自転車立てを弾いて、千波はサドル腰掛けた。前かごには薄っぺらな黒鞄が入っている。映は、千波を見送るようになった。通学路に入る前の、屋敷そばの道から、千波を学校へ見送る。
 菱の間で抱かれたのは、始まりだった。数少ない国本家の使用人として生きる、始まり。今でも映はあれは何だったか良く分からない。ただ、あれから時々、映は菱の間で見ず知らずの誰かの相手をする。国本家の繁栄を約束する、誰かと。
「いってらっしゃい」
「いってきます。映。いい子でね。映は、ぼくのものなんだから」
「……はい」
 頷いて、映は千波を見送った。自転車は軽やかに土の道を行く。映の傍らで、ボウシバナが揺れた。若い葉が朝露を散らす。映は草むらに入り、花を手折った。映は、国本家の家政夫をやめようとは思わない。千波から、離れたくはなかった。それが、あの独特の、菱の間での抱かれ方に要因することだとしても。
 手元を露で濡らし、映は花を摘む。ボウシバナは、若い葉と、花を食べられる。花を湯掻いて、映は今夜の惣菜の一品にするつもりだった。



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