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拍手御礼01


   内容:青く沈む 番外
      尚人の学校生活。

       
「おーい、榊、プリント運ぶの手伝ってくれ」
「…プリント?」
 教室の窓から手を振る同級生を見て、尚人は足を止めた。
 名家の子弟ばかりを集め、品行方正を絵に描いた生徒ばかりが揃った中で、彼、見広木(みひろぎ)の姿はとても目立つ。
 長身の強面で、ただ立っているだけでも人を威圧しているように見えるからだ。話し出すと太い筆で鋭く線を引いたような眉尻が緩み、少し愛嬌がでるものの、まともに目を合わせるとどこか獰猛さを孕んだ眼光の鋭さに肝を冷やす。
「次の授業は自習なんだってよ」
「どうして見広木が?」
 数学準備室のプレートが掲げられた部屋に入ると、プリントの山が用意されている。
「学年主任に目を付けられてな」
「教室に運べばいい?」
 応えが返る前にふた山にまとめ、そのひとつを抱えた尚人は教室の外へ出た。
「待てよ。榊、そりゃ持ちすぎだって」
 尚人の後ろを追いかけた見広木はふたつかみ分のプリントを自分の方に移し、隣に並んだ。
 榊尚人は学内ではちょっと知られた存在である。
 凛とした面立ちに隙のない身のこなし、ふだんあまり表情を変えることがないが、物憂げに窓の外を眺めている姿など絵になりすぎて正視できないと訴える男もいる。清廉かつ端麗な少年。
「聞いたか?園芸部の3年が品種改良した薔薇」
「…………」
「黄金に輝いて見えるらしい」
「黄金?」
「金粉を散らしたみたいに光って見える」
「……そう」
 興味なさげに進行方向に視線をむける尚人に、見広木は困ったように視線を上に逃した。
 この取っつきにくさがなければ、お近づきになりたい生徒はたくさんいるのだが、誰に対しても素っ気ないのでみんな距離を置いている。しかし見広木も負けてはいない。黙って歩くのは性に合わないと、すぐに新しい話題を見つけた。
「榊はどうして別館に?」
「呼び出し」
 授業の殆どを行っている本館とは渡り廊下で繋がっているものの、だいぶ離れたところに建つ別館は教師用で、授業用の資料が置いてある準備室、研究室などがある。
「呼び出し?」
「学年主任に」
 会話とは主語と述語があれば良いというわけではない。
 そりゃ足りないなと呟いた見広木に気がついたのか、たまたまなのか、尚人はくるりと方向を変えた。
「おい、榊…?」
「こっちを行こう」
「遠回りになるって」
「いい」
 中庭をまわる道へと出た尚人を追いかけ、からりと晴れた空を見上げた見広木はそれとなく進行方向を修正した。わざと日陰を伝って歩く。
「で、学年主任に呼び出されたのか?何で?」
「…………」
 成績優秀で授業態度も良い尚人が呼び出される理由などあるようには思えない。多少欠席は多いようだが、家庭内の事情に対する欠席、社内パーティに出席するなどの理由を認めてしまう学院では大したマイナスにはならない。
 これが見広木に対してであれば、なるほどと頷かれることだろうが。屋上の鍵の無断使用、授業中の外出、校外での乱闘騒ぎ。数え上げれば切りがなかった。すぐに暴力をふるうというよりは飄々としているので学年主任が目を付け、こまごまと仕事を押し付けてはせめて授業に出席するよう促してくる。
「進学しないから」
「榊、前の中間考査で4位とか…それぐらいだろ」
「見広木は首席でも、進学しないって聞いた」
「お?まあ、してもいいんだが、おれの場合はな。親父の会社を継ぐだけなら、今だって幾つか手伝ってやってるんだし」
「学校は羽を伸ばせる場所だって…言うけど。進学しなければ仕事ばっかりの毎日になるのに、それは嫌じゃないの?」
 この学院の生徒は殆どが親の仕事の後を継ぐ。そうでない場合ももちろんあるが、親のためにそれに相応しい学業を修める、そのひとつがこの学院の卒業である。
 自分から積極的に話してくれたことに喜びを覚えながらふむふむと相槌を返した見広木は、あっさりと首を振った。
「おれはむしろ、さっさと卒業して好きなように好きなだけ時間を使いたいって思っているからな。進学して没頭したい学術もないし、それならむしろ世界を飛び回る方が性に合っている」
「見広木コーポレーションって、手広いよね」
「性格だな。血ってやつだよ」
 見広木は苦笑いをうかべて、少々まとまりのない事業展開を続けていることを認めた。失敗を恐れるより冒険を楽しめ、それが家訓である。
「榊んとこもアパレルから新薬研究まで割と手広いだろ」
「僕はあまり関係ないから」
「そうか」
「見広木、そこから出て」
「ふお?」
 何が起きたのか分からない。
 急に腕を引かれて日陰からこぼれ出た見広木は日向の道をずんずん進む華奢な背を追いかける。
 また遠回りだ。
「おーい、榊。どうした?」
「…あの道はだめ」
「ふーん」
 何がだめなのか見広木にはさっぱり理解できないが、この方向を行くなら先に話した品種改良の薔薇が咲く温室がある。
 温室の前で見広木は足を止めた。
「な、見ていかね?黄金の薔薇」
「休み時間が無くなる」
「大丈夫だって」
「電子錠がかかってる」
「平気平気」
 プリントを片手で抱えたままパンツのポケットを探った見広木は、薄っぺらいカードを取り出すと、何のためらいもなく温室の入口に差し込んだ。パネルのふたを開けて、13桁に及ぶパースワードを打ち込むと、あっさりと解錠を示す灯りが灯る。
 呆れた表情で尚人は傍らの男を見上げた。
「見つかれば停学どころの騒ぎじゃない」
「見回りは25分に1回。今は行ったばかりだって」
 悪びれた様子もなくさっさと中に入ってしまう見広木を追いかけて、尚人も温室に足を踏み入れた。不法侵入男のことなど放って先に行っても良かったが、少し興味があった。園芸部の温室は一般生徒は立ち入れない場所である。
 植物の知識がない尚人にはふつうの花木と区別はつかないものの、施錠付きの温室にあるのだから色々と変わった植物なのだろう。国内ではここだけの希少種も植えられていると聞く。
 温室といっても硝子張りの外から見える形ではなく、白い壁に覆われ人工灯に照らし出された室内はあまり土の香りも緑の匂いもしない。
 大きく枝を広げた葉も幹も白い木を眺め、隣り合わせに植えられた牡丹らしいこんもりとした固まりを横切って、奥へと進む。
「榊、これだ」
 小さな植木鉢の前に立つ見広木がすっと体をずらすと、紅い花びらが見えた。
 固そうな葉と枝を覆う棘、その中に数個花が咲いている。
 ふんわりと花びらが広がる八重咲きの小さな花は細かな斑が入っており、花びらの色よりも深い黒だと思えたが、良く見れば光を弾く金色の斑だ。
「光ってる」
「この1本しか成功していないって話だが、すげえな」
 黄金の薔薇というから、てっきり花びらが金色に染められた薔薇を想像していたものの、それよりずっといい。
「星が入っているみたい」
「お、なかなか言うな。…っと、行くか」
「ありがとう、見られて良かった」
「どういたしまして。ん」
「…あ、予鈴」
「いけね、警備員だ」
 温室から離れて数歩分で、向こうから歩いてくる制服警備員の姿が見えた。
「おまえたち!ここは立ち入り禁止区域だぞ!」
「はいはーい。走れ、榊」
「見回り行ったところって」
「ランダムに変わるんだった」
 プリントを抱えたまま全速力で走り出した2人を警備員が追いかける。
 さすがに見広木は捕まるような真似はしない。あっちこっちと扉を抜けてあっという間に本館に入ってしまう。
 揃って荒く肩を上下させながら、顔を見合わせて吹きだした。
「さてと、たまには授業にでるか」
「見広木、変わってるね」
「ああ?」
「でも、楽しかった」
「そりゃ良かった」
 ちょうど良く教室前に辿り着き、チャイムが鳴る。
「自習だ、おまえらプリント持っていけ」
 声を張り上げて教壇にプリントの山を置く見広木につき、持ってきた山を元通りの形に直した尚人は、自分の分をとって席に戻る。
 教室に戻った2人の視線が合うことはなかったが、たった1本咲いた黄金の薔薇がそのまま枯れてしまったと聞いたとき、2人は別々の場所でそれを少し寂しく思った。