コウが沈んでいる。 ぼうっと窓の外を眺めて、溜め息ばかり。私が傍に来ても、上の空で気付かなかった。 ………あやつのせいだ。 憎たらしい隣の家の、そう、クソガキ! 数日前、例によって服装で喧嘩をした際、あいつはもう服なんか作らないと言ったらしい。その時、残念なことながら、私はコウと一緒にいなかったから、全てコウから聞いたことと、そこから憶測で考えたことではあるものの、あやつはコウを拒絶し、挙げ句の果てには、あやつの怒りに戸惑うコウに、バカヤロウと叫んだ。 多分、あやつの服を着てくるとか着ないとかが原因で怒っていると思ったコウは、呑気なことを言ってしまったに違いない。 バカヤロウと怒鳴られて、自分の読み間違いに気付いたコウが慌てても、後の祭り。それからコウが何度、あいつの家に行っても、門前払いで帰され、学校では無視されてしまうらしい。 コウは落ち込んで、真剣に、真剣に、何が悪かったのかと考えて、分からずに迷い、悩んで、苦しんでいる。普段ならば、あやつが悪い、と、片づけてしまうのに、そうしたこともせず、…余程、あやつの拒絶が堪えているらしかった。 ……、あの阿呆が。コウがそういういことに疎いということぐらい、百も承知でしょうに!大体ですね、いつもいつも最後には折れていたくせに、急に強硬な態度をとるなんて、卑怯だと思いませんか。コウが奥手なのも、やや女王様気質なのも、まあ9割方もともとですけど、1割はっ、お前のせい。その責任をとり、いえ、…とってはいけませんが、とるべきなんです!…ああ、私の思いも千々に乱れます。 「…高文、今日も出かけてるって……。今まで、どこかに行くときはおれを連れていったのに…」 ぽつん、と、誰に言うわけでもなく呟くコウの声が、胸に痛い。 コウ。いつもコウを中心に回っていた衛星のようなあやつが消え失せたことは、今は、ショックだと思いますが…あんなやつのことなんか、早く忘れてしまうべきかも…しれませんよ…。 コウには私がしますし、人間でも、あやつよりもっと相応しい相手がいるはずです。 コウのように美しく、賢く、気高く、可愛らし…く、なくても良いですが、とにかく、あやつよりも、もっと良い相手が…! 「……高文、…」 ……コウ、…。 私がコウの足下に絡みついても、コウはぼうっと視線を漂わせて、あいつの名を呼ぶ。 コウは、あいつが最後の服だと言って寄越した、雪色のコートを握り締めていた。それは、多分、あいつが作ってきた中でも1番、コウに似合いそうな、もので…。 何ですか、この細かな縫い目…!まるで産着にするような目の細かさですよ。布は薄くて暖かい上質さですし、デザインはコウの美貌をよく熟知した洗練さで…! あいつは、採寸をしなくても、コウの身長が1ミリ伸びただけで気付く男で、誰よりもコウを見つめてきた。勿論、私には適いませんが、人としては1番と言ってやってもいい。 この私が、1万歩譲って1番を与えてやるというのに、バカ男…………………………………。 …………………………ウァ。いけない、悪態をつきながら眠るところです…。 この頃一際増してきた寒さで、どうにもしがたい眠気が襲ってくるのは、蛇という性のせい。 私は腹が立ってくるような考え事を止め、眠たさのまま、コウの足下にとぐろを巻く。起きたまま越冬させるのはいけない、とコウは暖房の温度を徐々に下げていってくれている。確かに、生理に反するようなことはしない方がいいのですが、…う、ううん、眠い、……。 空はどんよりと鼠色で、辺りはしんと静まり返っている。やがてうとうとし始めた頃、頭上高くで、こつこつと音がした。 …誰…か…来たみたいですよ……。 コウは相変わらずぼうっとして気がつかないので、私が壁を伝って窓に寄ると、そこには大きな熱反応があった。…人が絶食しているというのに、餌からやってくるとは何たることです。そもそも、餌としては不可ですよ。体が大きすぎです。それではまるで、あの…。 「……空之介、…」 「やっ。開けてくれへん。さむーてさむーて」 「どうぞ凍えてください」 一気に眠気の飛んだ頭で、フンと言ってやると、空之介は更に激しく、くちばしで窓ガラスを突く。空之介はあやつのペット。今のコウの精神状態で空之介を見れば、更に落ち込むのに違いないので、私は仕方なく、コウの見えないところから空之介を入れてやることにした。 窓を割られては溜まりませんしね!コウに構われなくて寂しかったとか、おいしそうだった、とかではないですからね!一応。 「マジ助かったわ。この冷え込みやろ、誰も気付かへんかったら、どうしよ思た」 相変わらず自分語を話す空之介は、本当に寒かったらしく、ヒーターの風をありがたそうに羽に受けて毛繕いをする。 私は、かふん、と欠伸をして、体の中に顔をうずめた。 「おい、寝るなよ」 「…………」 「あー、冬眠の時期か。メンドーなやっちゃなア」 ばかにすると言うより、労わるというような空之介の声に、私は喉元まで込み上げた文句を言うのをやめて、のそりと顔を起こした。 眠たいんですけどね、眠たいのですが、…。 空之介もこの時期、外に出るのは嫌だったでしょうし。出身はインドだとか聞いたことがありますし。寒さが大敵なのはお互いさまでしょうから。 「…、何用です」 「神尾の坊主。ぼけえっとしてんな」 「……あ゛」 ギロッと睨むと、空之介は意外にも沈んだ顔で、まるで独り言のような呟きを続けた。 「うちの坊も、ひでえ落ち込みぶりだべさ。どあほや。自分で言い出したことに、落ち込んでるんや」 「…………」 毛繕いをやめて、空之介は私を小さな丸い目でじっと見る。私と目が合うと、空之介はにやりと笑った。 「ここはいっちょ、手をかしてやろうや?」 手を?羽を?尻尾を? ……。 あやつはコウに相応しくない。断固反対します。 手など持ってませんしね、ふん。 「今は別れる機会です。隣同士が縁で連れ合いになっては、コウに迷惑ですよ」 「ショウ。坊ンらは、似合いのツガイになるとは思わんか?おれは、似合いやと思っちょる。だから、ここに来たんじゃ」 「ショーウー。ごめんね、放ってて」 ふらふらとした足取りで、コウが私たちのいる部屋に姿を見せた。コウが着ている、日溜まりの色のような、淡い蜜柑色のふっくらとしたセーターは、あやつが去年編んだもので、弱々しいコウの姿を、辛うじて現実に留めているような、そんな感じがする。 コウは私の傍で腰を落としてはじめて、空之介に気がついたようだった。 「空之介…?ショウに会いに来てくれたのか?…ごめんな、おれ、高文がどうして怒っているのか、分からなくて…高文、もうおれのこと、大嫌いになったんだ…」 「コウ、アイタイ」 空之介?急に、何を…? 空之介の声に、コウの肩がびくっ、と震えた。手にしたままだったコートを床に落とす。 その姿を見て、私は気がついた。空之介は、あやつの声色を真似しているのだ。良く注意しなければ分からないが、似ていないこともない。 ……、あやつの恋の手助けをしてやるなんて、不届きな。 やめろと睨み付ける私の視線を無視して、空之介がコウの頭上を飛び回り、続ける。 「アイタイ」 「た、かふみ、でも…」 「アイタイ。イツモノ。アイタイ。イツモノ、トコ。コウ。コーウ」 「高文…!」 コウの目は、空之介の向こうにあやつを見ているらしかった。すくっ、と立ち上がり、私を服の中に入れるなり、駆け出そうとする。 あ。コウ。今の格好のままでは、風邪を引きますよ。私も、すぐに冬眠に入ってしまうかも…。 微かに焦った私に応えるように、ばさりと音がする。襟口から小さく顔を出すと、空之介がコウに、床に落としたあやつのコートを足で掴んで渡していた。 「坊ンたちにはショウが要るんや、まだ眠っちゃいかん」 「……妨害するかもしれませんよ」 「わしゃあ、ショウは大切な主人の幸せが何か、間違うようなやっちゃないと、信じとるけん」 「…………」 コウが駆け出す。その向こうで、「イッテラッシャーイ」と鳴く呑気な空之介の声が聞こえた。 |