私立清花第二中学校はとりたてて特徴もなく、どこにでもありそうな共学校のひとつだ。 偏差値もそれほど高くはないし、広く世間に知れ渡った事件が起こったこともない。それが最近、校内で不審な出来事が多発しているという。 突然窓硝子が割れたり、一晩で花壇に人がすっぽりはまるぐらいの穴があいたり、廊下を歩いていたらどこからともなく大量のペンキが降ってきたり。 「悪戯?」 「悪戯レベルだな」 特定の相手にたいしてだったら嫌がらせだけど、そうではないらしい。 運転席に座った紘一は僕に頷いて、ハンドルを切る。紘一に運転はとても静かで、振動も少ない。 わざわざ車になんて乗らなくても、早くて快適で楽な移動手段がいっぱいあるんだけれども、超能力者相手じゃないときは、そちら側に合わせたやり方をとる。 別にそんなことをしなくたって平気な相手もたくさんいるんだけれども、運転免許を持っている、良い車に乗っている、たったそれだけのことでこちらの見方が変わったりする相手もたくさんいて。 まあ紘一の場合は乗りものが好きだから、ということもあるんだけれども、こんなふうに時間をかけて移動したりする。 僕は電車は好きだけど車はそんなでもなく、暇つぶしに外を眺めながら数を数えていた。流れていく景色の中の特定の色や形の数を数えて、足したり、引いたり。よそに気を取られて飛んだ数は紘一が補足してくれる。昔、車に乗るとてきめんに酔う体質だった和葉の為に考え出された遊びだから、やると宣言しなくてもみんな無意識にはじめてしまう。 「第二ってことは第一があるの?」 「ああ。区をふたつほど離したところに」 「別に一緒でもいいのにねえ。分けなくても」 「まあ、いろいろとあるんだろう。事情がな」 「たとえば超能力者嫌いとか?」 僕のつぶやきに紘一は苦笑をうかべる。 「学校の規模に対して超能力者が少ない、というのはたいした問題じゃない」 「でも、そのおかげですぐに分かったんだよね。超能力を保有する在校生が犯人じゃない、って」 超能力者嫌いはどこにでもいる。 あからさまに嫌悪することはみっともないと思われているから、僕たちが表だって非難されることはあまりない。でも怖いとか生理的に受け付けないとか、そういったことがなくなるわけじゃないのだ。 公言こそしないけれど、非超能力者の生徒を優先的に集めた"安全"な学校づくりをしているところもわりあいある。 窓に息を吹きかけて丸を描き、僕は小さく唇を尖らせた。首を傾げた拍子に、長い黒髪が肩を流れる。 みんなが意見を揃えて選んでくれたかつらは肩と腰の間ぐらいまであるロングストレートで、髪飾りなんかはつけてない。長い髪が好みなら言ってくれれば良かったのに、と思ったけれど、まるでそれを見越したみたいに、今回はこれがいい、と付け足された。たまたま長い髪が見たいだけ、ということらしい。 数えていた数字を足して形で分けて式を組み立てながら視線を空に逃す。 「ここの学校って、能力の種類も把握してる?」 「事細かに。校内での能力使用は禁止されていて、使えば設置されている観測機に自動記録される」 「うわー…、すごいねえ」 そんな学校によく入りたいと思ったものだと思うけど、人には事情があるってことだろう。 わざとそういった場所に身を置いて、超能力を持っているけれど使う意志がないということをアピールする人だっている。超能力は個性のひとつだと見なすのが今の風潮ではあるけれど、望んでいても持てない、望まなくても持つ、そういったことがあるから当然、超能力者全員がすすんで超能力を使うわけじゃない。 窓に書き込んだ数字はあっというまに水滴に変わって一緒くたになってしまう。ため息をひとつ吐いて、窓を拭った。 「眞冬、答えは?」 尋ねられて答える。花丸、と紘一が微笑んだので、僕は少しうれしくなった。 やっぱり外れるよりは、当たった方が気分がいい。 朝早いせいで少しぼやけていた頭の中が、わずかにすっきりしてくれた。 依頼を受けたと話があってから一晩。じゅうぶん話し合って決めたことと言ったら僕の身支度に関してだけ。おかげで今朝はぼうっと立っているだけですぐにでも外へ出られる姿になれただけ楽だったけれど、依頼をどうこなしていくかは全部僕任せだ。おおまかな方針は決めてあるけれど、具体的なやり方はお任せ、ってやつ。 「依頼主の希望はトラブルを起こしている潜在能力者を見つけて、場合によっては研究所に知られずに解決しろってことでしょ」 超能力者はすべからく研究所に登録されるもので、どういった事情であっても故意に見逃せば厳罰ものだけど、公にしたくないイコール研究所には知られたくない、って人が多いんだよね。 「みんな研究所が怖いんだもん、仕方ないか」 「いつも通りその辺りはぼかしておいた。研究所に伏せる伏せないは依頼としては契約外」 「うん、了解」 表に出せない依頼は請け負っているけど、僕たちだって研究所の関係者だっていうことを忘れてしまっては困る。 言っちゃ悪いけど、僕たちだって自分と同じ超能力者の味方をしたいと思うし、逆にもし相手がじぶんの大切な誰かを危険にさらすなら、それなりの対処をする。ただそれだけのことで、依頼や他人の言い分などでは動かない。多額の依頼料を払っているんだから、融通利かせてほしいなんていうのは、よくよく契約書を読んでから言ってほしいことだ。 「危ないと思ったら呼べ。誰かひとりは必ず近くにいるから」 「大丈夫。僕って殆ど超能力使えない超能力者だよ?」 「たとえそうでも、分かったな?」 「はーい」 ブレーキがかかるわずかな揺れがあり、車が止まった。いつの間にか車は校内の駐車場まで来ていたらしい。 「眞冬」 「ん、…」 降りようとしたところを腕をとられて引っ張られ、ふた呼吸分たっぷりキスをする。僕がじたばたもがきながら息を上げると、少しうれしそうな顔になった。せっかく綺麗に着せて貰った服がいつのまにかはだけてる。 「もう…」 なんでこう、みんなそろって手が早いんだ。 頬をふくらませながらにらんでいると、手のひらがもぐりこんでめくれたシャツを戻してくれて、乱れた髪も直してくれる。僕は紘一の頬に軽く口づけを返して、鞄を手に取った。 「いってきまーす」 「ああ、いってらっしゃい」 車内の紘一にひらひらと手を振って、僕は真っ直ぐ校内の中へ入った。 「髪すごーい、きれい。シャンプーは何使ってるの?」 「んと、ファスエ?」 「あーっ、わたしも」 この教室の女の子たちは屈託がなくてかわいい。 最近よくCMで流れているシャンプーは、髪につやとはりを与えてくれるお買い得商品だ。 地毛もかつらもそれを使って洗ってきたから、同じ香りがふんわりと漂う。見たところここにいる5人中3人は同じシャンプーみたいだ。 授業の合間合間にある休み時間で僕に急接近した彼女たちはお昼になって、ますますにぎやかさが増した。 お昼は購買で買ったり、食堂を利用したり、お弁当を持ってくるのだと聞いていたので今日の僕はお弁当。手のひらサイズの漆塗り二段重ねのお弁当箱には紅白の椿が描かれている。女の子らしいというよりどう見ても渋いけど、これは僕の普段使いでちょっとしたお出かけの時に使う。こんなふうに研究校で食事をしないときだとか、ひとりで遠出するときとか。 ただ、体つきの似ている和葉でさえこれに更におにぎり足して、パン足して、麺類を付け加えたぐらいでちょうどいいと言うのだから、僕のお弁当はみんなに比べるとずいぶん小さい。こんな量で良く足りるものだとはよく言われるけど、むしろそれだけどこに入るんだろうとこっちが聞きたい。 でもこうして女の子たちの前にいると、僕よりずっと食欲旺盛な気がする。もっと食べた方が良いのかな?と悩みながら赤い色のウィンナーを見ていると、ひとりが僕の箸先に視線を向けた。 「わー、たこさんウィンナーだあ」 「いいでしょ。じぶんで作ったんだ」 えっへんとばかりに自慢する。ただし。 「他は作ってもらったんだけどね」 「切って焼いただけじゃーん」 鋭い突っ込みが入ってえへへと頷いた。そういう女の子のお昼はいつもパンらしい。ざっくり入れられた切れ目にクレソンや色鮮やかなパプリカが覗いている。味見させて貰ったら黒こしょうがけっこう利いてて、好きな味だった。あとで作ってみたいなあと真剣に考えていたら、お店を教えてくれた。あとでみんなと出かけよう。 僕の容姿はわりと女の子受けが良くて、ふだん通りにしていればたいてい仲良くなれる。逆に女の子の格好をしていてもそうじゃなくても、男の子たちは遠巻きだ。すすんで近寄ろうとすると向こうは押し黙っちゃったり勢いよく喋りだしたりで、何かと面倒くさい。 ぼんやりしている間にも話題はころころ変わっていく。 「そういえばさ、理事長に会った?大丈夫だった?」 「うん?」 理事長と言えばこの仕事の依頼人だ。ゼムクリップみたいな目つきだよね、とついつい呟くと、みんなの顔が変に歪む。誰かが堪えきれなくなったように吹き出して、それが全員に広がった。 「ぴったりっ、すごーいっ」 「ほんとあの目ゼムだって」 「いやいやゼムクリップに失礼だってばっ、いやーっもう見られないかもっ」 涙流しながら笑い転げて、ゼムさーと切り出してもう1度吹き出す。それから顔を見合わせて、ちょっとだけ声をひそめた。 「あいつ嫌われてるんだよ」 「かわいい子を前にするとセクハラしてくるしさぁ、あの親父」 「最悪」 「そうかと思えば中学生のー、規律正しいぃ、って言い出すし」 自校の制服姿で現れた僕を上から下までまじまじと見ていた男は、なるほどずいぶん嫌われているらしい。依頼人の相手はこっちでするから、と紘一が引き受けてくれたので、僕はひと言も口を利いてないけれど。 話を聞きながら少し押し黙ると、僕から不安を感じ取ったらしいみんなが、でもね、心配しないでね、と口々に言ってくれる。 「最近あいつ、忙しくってこっちまで気が回らないの」 「…うーん…と、忙しい?」 「うん。しょっちゅう歩き回ってる。最近は見回りとか言ってさ、他の先生も一緒で」 「あいつが不審者だからさ、ひとりにされられないんだろうけど」 「そうそう。でもさぁ、見回りなんて意味ないんじゃないの?」 見回りなんて、すごくうっとうしそう。聞けば授業中も休み時間も、日に3度は必ず会うぐらいしょっちゅう歩き回っているらしい。 「どうってことのないことなんだけど…」 「誰もいない教室の花瓶が割れてたり、チョークが粉々とかさ」 「そうそう、理科室のカーテンがぜーんぶ切り裂かれてたり」 「壁に穴もあいたよね。あれぜったい覗き穴だよ」 「でもでも聞いた?この前の教員室」 「知ってる。窓ガラス全部割れてたんでしょ?」 「こわー」 身震いを見せる顔はどれもちっとも怖がっているふうじゃない。 それもそのはずで、これだけことが続きながらも、けが人がひとりも出ていないらしかった。 「へー、誰もけがしてないの?」 「そう。だって大抵、授業中だし、誰もいない部屋で起きてるし」 「あ、でも。1度だけ昼休みにペンキが降ってきたことあるよね」 「保健の先生だよそれ。頭からかぶっちゃったのに、まず他の子に大丈夫って聞いててさ、泣いちゃう子とかいた」 「あ、それタカっちゃん先生の方?」 「そうそう」 「わぁ…大変だ」 ふたりいる学校医のうち、タカっちゃん先生というのは、ふっくらとした顔立ちの中年女性で、もうひとりは若い男だ。 その保健のタカっちゃん先生は誰かに嫌われるような人じゃないらしい。むしろ嫌われるならもう1人いる方だと口を揃えて言う。依頼先からそうっと借りておいた顔写真見たけど、まあ、女子中学生には好かれないだろうな、という顔ではある。 あまりに続くので全校集会などがひらかれてうるさく言われるのはうっとうしく感じるけれど、騒ぎ立てるなと言われるだけで、不思議と生徒側に原因を求められるようなことがない。だから、おおむね直接的な被害がないということになり、好奇心だけがたっぷりふくらんでいっているのだろう。 「目覚めたばかりの超能力が暴走しているんだってもっぱらの噂だけど、誰もチェックに引っかからなかったよね」 「でも誰かは目覚めてるんでしょ」 「えー…、でも、うちって超能力に厳しいじゃん」 そこでふっと僕の方へ視線が集まる。 ちらちらと気にしているのは左手首にある白い輪っかだ。実ははじめっからそこに視線が集まっていたことには気づいていたけれど、口に出すだけのきっかけがないようだったので、放っておいたのだ。僕は小さく微笑んで、小首を傾げた。 「そういえば。この学校って超能力者が少ないね」 「そーなの。だからみんな転入生のことすごい気にしてるよ」 「ねえ、どんな力を持ってるか聞いてもいい?すっごく重たいものとか運んでるの、見たことあるけど、そういうの?」 「見せて、見せて」 「ちょこっとだけでいいからっ、ね」 ものすごく期待のこもった目で見られた。思わず、さあごらんあれ、とマジックを披露するみたいにやりたくなるような、待ち遠しげな顔だ。 こういったときに、見栄えがする超能力を持っている人はいいよなあ。笑顔総取りだもん、ぜったい。 「それが…、ペン転がすぐらいしかできないんだー」 「えーっ?」 「どういったものでも、それが超能力に分類されれば必ずコレをつけなくちゃいけないから。つまらないよねえ、何にもできないのと一緒でしょー?それって」 まあさすがにそれは言い過ぎだけど、僕のいかにも残念そうな声に女の子たちが慌てたように取りしてくれる。超能力者といっても、特別良いことがあるわけじゃないんだよねえ…、と思いながら、僕は励まされたように顔をあげた。 コントロールの悪ささえ気にしなければ、もっといろいろできるんだけども。それには周りの了解をとっておかないといけないし。 「それにしても…その謎事件、気になるね」 「でしょでしょ。後で案内してあげよっか」 「ありがとー」 その後は特に超能力の話なんてでなくて、授業についてや、こまごまとした身の回りの話になる。別に僕に気を遣ってそうなった、というわけじゃない。超能力者にあんまり免疫がない分、ちょっと不思議な特技ぐらいに見てもらえているのが良く分かる。 ねるほどね、と思いながら、僕は小さく切り分けられた卵焼きを口に運んだ。この味付けは早月だろう。 ハチミツの甘みと鰹だしの旨みが舌にうれしくて、ついつい頬がゆるんだ。 |