「君は冬とゆく」



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 この学校は新校舎と旧校舎が向かい合わせに建っていて、その間に噴水のある中庭がある。新校舎側には講堂。旧校舎側には体育館があり、グラウンドと部室棟があった。
 1・2年生が新。旧に3年生と職員室その他副教科用の部屋があり、校舎はどちらも4階建て。いちばん最初の事件があったのが新校舎の窓だった。外をのぞくと中庭が見えて、向こう側の旧校舎は備品室のようだ。
 "どの…窓?"
 "あれだよー"
 "4階の角っこか…"
 和葉・七矢・早月の順に体の中から声が響く。
 僕の中にみんなの意識を通すことはそんなに難しいことじゃない。いつもと違うのは3人は僕の感じているものは分かるけれど、3人からの感覚は共有できない。ふだんならそれも繋げちゃうんだけれども、だいたいそういうときは378中央校内にいて僕自身が安全な状態。今日は違うので、最低限の接続にとどめていた。
 "みんな、問題なく見える?"
 "ばっちり見えるよー"
 "こういうのもたまにはいいよね"
 "…なんか…へん……だけど…"
 "眞冬のありがたさが身にしみるよ。いつもありがとう"
 早月の腕が伸びて、抱きしめてくれるみたいな熱がふんわりと体を包む。
 僕は少し微笑んで、ゆるく首を傾けた。
 "もっとうまくやれたら良いんだけどな。…でも、早月こそ、いつもありがと"
 この辺の芸当はまだ和葉たちにはできない。ずるいと声が揺れ合って、一生懸命真似しているのが分かったけれど、それがやけにくすぐったい。
 騒がないこと、と早月の制止がかかったので、それに合わせて絡み合うふたりを定位置に押し込め、僕は目的の窓の前に立った。
 "秀次から連絡。4分間切れるって"
 "それはずいぶんと短いね"
 "仕方ないよー。柊と秀次だけでやってるんだから"
 校内の装置類を切って、ダミーを流して、みたいな処理だ。
 それを一斉に止められるだけでもすごいんだけれども、得意分野の早月も、それなりにこなす七矢も辛口だ。
 "文句言うな。じゃあ代われ、だって"
 "じゃんけんに負けたのはそっちでしょう?"
 どうも機械を使って、操作組とやりとりしているらしい。僕には柊たちの声は届かないけれど、だいたい言っていることは分かる。だいたい、じゃんけんと言ってもただのじゃんけんじゃない。考えを読まれないよう壁をつくって、動きを見きられないようにして、と、いうふうに、かなり本気の超能力者戦だ。
 "眞…冬…、ぼくも…そっちにいきたい…"
 じゃんけん勝者のひとりであるはずの和葉は、まるで負けたみたいに声がぐずっている。
 あー…と、みんなの声がそろった。いってらっしゃいする、と言っていたのを僕が聞いてなくて、慌ただしく出てきたものだから起こすのを忘れていて。
 おかげさまでご機嫌斜めだ。
 しばらくなでなでしていればすぐ機嫌が直るんだけれども、今はそれをする余裕がない。
 今だけなら、という早月からの許可がでて、僕は和葉の端っこをつかむ。
 "読み上げ開始"
 発せられるカウントダウンに合わせて和葉を引き寄せ、校内に張り巡らされた観測機の停止を感じ取る。
 超能力感知器。外部侵入型防止装置。超能力センサー付き監視カメラ。よくまあこれだけ置いてあるものだと感心するぐらい、対超能力者用の機械が揃っている。これではあまりに動きづらいのだ。
 "復帰30秒前には戻して"
「うん。引き上げ、はじめるね」
 半分透けた状態でくっついてきた和葉を床に下ろして手を繋ぐ。
 和葉の体はもとどおり378中央校内にある。意識だけに形を持たせて引っ張ってくるのは、あんまりおすすめできない状態なんだけれども、まあ、和葉なら平気だろう。
「基点を、中心に半径…20。防衛線…構築。音声…、屈折…確認…」
 色の薄い和葉の双眸が眇められ、手のひらにしっかりと力がこもる。
 ただそばにいたいわけじゃなくて、手伝いたいというのが先にあるのだろう。和葉が作業を開始したのにあわせて、僕はリングがついているほうの手を窓にあてた。
 放課後の新校舎に残っている生徒は数えるほどで、周辺には誰もいない。
 いるとしてもだいたい同じような場所にいて、こちらに来る気配はなかった。
 "和葉の警戒線はほんと緻密ー"
 "眞冬、感覚半分でいいからね。全部あけちゃだめだよ"
「うん」
 和葉たちが手伝ってくれている間に、僕はひとつずつ、今まで起こっていた出来事を思い返す。
 いちばんはじめに窓が割れて、中庭の木が倒れていた。断面は粗くて、何かを押しつけたようなあと。
 体育館脇の花壇に穴。直系2〜5センチ深さ10〜71センチ。計12個あった。
 同じ日に、旧校舎2階数学準備室で棚に片付けてあった花瓶の破損。切断面は鋭利。左上から右下にかけて斜めに切断。
 新校舎から旧校舎の渡り廊下にペンキが落下。昼休みだったため目撃者多数。突然頭上に出現した、と証言あり。
 その後も備品室にあったチョークがすべて砕ける。カーテンの切り裂きなどが続いていて、学内に設置された超能力感知用の装置には、複数の超能力波が記録されていた。目覚めたばかりで能力が不安定な超能力者だと、そんなふうに複数の波形を持つことがある。
 ひとつずつ、教えて貰った場所を思い返し、遠いところから跡を読み取っていく。
 個別に見直せるほどの時間はないから、底引き網みたいなものだ。とりあえずとれるものはとれるだけとっておいて、後でより分ける。
「余計なものが多いな」
「警戒領域、安定。…眞冬。…」
「ああ、へいき。これぐらいなら、倍あってもいいよ」
 とはいえ、依頼が早くて助かった。こんなに人が多くてたくさんの意識が集まった場所では、すぐに跡が分からなくなってしまう。僕の能力からすれば、あと2、3日経ってしまえばこの方法は取れなかっただろう。
 "残り時間1分。…59…58…57"
 "眞冬、引き早めてねー"
 "うん…。和葉は戻、す…"
「揺れを確認。2-3の浸食/欠損。…っ」
「あー…、和葉、待って待って」
 広げていた感覚に切れ目が入るのが分かる。
 誰かが僕の伸ばしていた感覚網に触れてきて、その箇所が壊れたのだ。
 僕の網はとびきり脆くできているので、初心者でもすぐに触れる。その分、すぐに壊れて使い物にならなくなってしまうのだ。
「…、防衛行動に、移る。読み上げ開始」
 "和葉っ、攻撃待て"
 "眞冬、浸食部から3−3までを分離"
 "や、…てる。早月、線を…"
 "分かった。残り41、40…"
 すぐ近くで、和葉の気配がふくれあがる。ぴりぴりと毛を逆立てた臨戦態勢具合に、かなり乱暴に侵入されたのが分かった。ふだんはこうならないようみんなの中継ぎをしているわけで、僕は僕に対する攻撃にあまり慣れていないから、和葉の怒りももっともだ。僕はみんなと違って、守りが弱い。
 "…和葉"
 "眞冬、…いやだ、戻らない"
 "…大丈夫、だから…"
 ぼんやりとしていた和葉の色合いが濃くなる。強引に体を引き寄せにかかっているのだ。急がなくてはいけない。
 早月が引いてくれた線にむりやり和葉を繋ぐ。強引に追い出せば和葉に負担がかかってしまうからしたくないけれど、そのまま置いておくことは出来ない。
 和葉は聡すぎて、犯人のもとへすぐたどり着いてしまう。それはそれで良いんだけれども、そうなると和葉はあっというまに相手を壊してしまう。相手が何者か分からない段階で、それは避けたい。
 せめて自分から帰って欲しいと願うと、それが伝わったらしい。
 "…眞冬、……"
 "ごめん…和葉"
 ものすごく不満そうな顔を浮かべた和葉が、意外なことにすすんで僕から離れた。怒りで我を忘れてかけていたのに、それをおさめられるようになったなんて、成長したなぁとしみじみしてしまう。
 和葉はそのまま僕の中から出ていった。荒れている状態で残って、僕に影響を与えたくなかったんだろう。その気づかいにも感動する。やっぱりたまには現場に出ないと。サポートばっかりじゃ、起きてる変化に気づきにくくなる。
 感心する僕に七矢の苦笑いがかぶさった。
 "よーし。眞冬、和葉が道筋を残してくれたよー"
 七矢は和葉がいなくなったところへ入り込んで、僕の中から広げっぱなしになっている僕の感覚網を手早く解いていく。僕にかわって、分離した浸食部の一部を回収、回収仕切れないものはそこに存在してもおかしくないものに変えて、みたいなことを一瞬のうちにしてのけるのはさすがだと思う。
 僕の方は七矢が作業する分の余白を残してから、後は閉じにかかった。巾着の紐を引っ張るみたいに取り込んだものを守りながら、一気に戻す。
 柊と秀次が切ってくれた各種装置が再起動するまで残り10秒あまり。
 すべてを片付けた僕は七矢に手伝ってもらって、ぶじ事なきを得た。




 日が沈み出すと、辺りの気温がぐっと下がって寒さがきわだつ。手袋を通して忍び込む寒さに、はぁあと大きく白い息を吹きかけてから、寮の玄関扉に手をかけた。
 はき慣れない皮靴を脱ぎ終わったところで、奥から大きな体がぬっと現れる。
「柊、たっだいまー」
「眞冬、たいへんだったなぁ」
 飛びついた体をひょいっと抱き上げられる。そのままいつものように蹴り上げようとした足をつかまれると、天井近くに放り投げられた。
「ぱんつ、捕獲〜」
「ああーっ、スカートだった」
 いったいどうしてそう一瞬で脱がせちゃうかな。落下中にめくりあがるスカートの端を押さえると、これ見よがしにひらひらと小さな布きれを振られてしまう。取り返そうと伸ばした腕ごと腰の辺りをつかんだ柊が、僕をそうっと床に下ろした。
 天井が高くて助かった。でも抱きとめてくれなくたっておりられるのに。
 柊によじ登るようにして奪い返そうとしているところに秀次がやってきて、回収を手伝ってくれたけど。すごく嫌な顔をうかべた。
「どうせやるなら、もっと色っぽく脱がせろよ」
 返してもらったのをはき直しながら、そういえば着替えれば良いんじゃないかと思い至る。
「問題はそこじゃないでしょう」
 そう思っていると、早月が僕の着替えを持って現れた。
 早月はふたりの頭をひっぱたき、僕の着替えを手伝う。
「和葉は?」
「ヤマアラシみたいな顔して、ぴりぴりしてるよ」
 一瞬で着替えさせてくれた早月に頭をなでなでしてもらって、お疲れさまと瞼に口づけられる。
 そうされながら聞いてみたけど、やっぱりなー。そんなに簡単にいろいろ変わったりはしないよね。
 完全にへそを曲げられると僕としか口を利かなくなってしまうけれど、七矢のちょっかいには返事をするらしい。なら、まだ大丈夫だ。
「とりあえず、奥へ行こうぜ」
「てめえ。そのやりっ放しどうにかしろよ」
「ああ?秀次。おまえには言われたくないぜ」
 僕相手だとあからさまに力加減をしているふうのふたりも、楽しげに相手を罵り合う。けっこう真剣な殴り合いをすることも多いけれど、このところ秀次もめきめき腕を上げているから、いつか勝てるようになるかも。今は柊に負けてばっかりなのだ。でも秀次はめげたりしない。
 じゃれ合うふたりを背に前を歩いていると、早月の視線が僕に向けられる。
「予定よりも遅かったね」
「うん。夢中になっちゃって」
 網の回収後、僕は仲良くなった子たちの部活を見てまわっていた。ふつうなら始末がうまくいったかとかどこの誰が接触してきたのかとか調べるものだろうけど、僕たちはあんまりそうしたことは気にしない。予定よりも優先すべきと考えたらそうするけど、時と場合さえ選べば脇見も良し、と言うか。それほどのことじゃなかった、というのが僕の判断だ。だから物珍しさいっぱいに部活動見学をしてきた。
「どこがいちばん良かった?」
「陸上部っ」
 寒いのに薄着で、でもそれを感じさせないぐらい風を切って走ってて。
 誰かが走る姿を見るのって、すごく楽しい。
「陸上部には仲良くなった子がいてね。色々させてくれたの。久しぶりに走ったよ」
 一生懸命陸上部についてを話していたら、いつのまにか外から戻って追いついてきたらしい。外の空気をまとった紘一が、思わずといったふうに笑みをこぼす。
「なに、紘一」
「成長してないなあと」
「紘一っ、ひどいっ。僕だって気にしてるんだから」
 分かってるもんね。走るのが遅いって言いたいんだよね。
 迎えに来てくれたならすぐに来ればよいものを、僕がスカート姿のままのろのろと走るのを、グラウンドの隅っこで眺めながら、しばらく笑いをかみ殺していたんだ。
 そりゃあ僕はさ、走るのは好きだけど歩いた方が早いんじゃないかと思わせるのろのろ具合だけど。
「走り高跳びはけっこう高かったでしょ」
「ああ…。放っておいたら、軽く2メートルは越えかねなかったな」
 感心すると思っていた早月までそろって吹き出す。そんなに僕の身体能力がおかしいって言いたいんだろうか。まったくもう。
 淡いはしばみ色のセーターを身につけた紘一と、生成り色のざっくりとしたセーターを来た早月は眦に涙をためてまで笑い続けていても、なんだか品よく見えるのがおかしい。ちなみに僕は淡い桃色のセーター。これは早月が編んでくれたものだったりする。
 ふたりをにらみつけてから、僕はおもむろに紘一の袖を引っ張った。
 紘一が手に抱えたコートから草と土の匂いがする。
「畑行った?春菊とれそう?」
「ああ。ネギと小松菜も良い感じだな」
「今日の夕飯、鍋で良くない?」
 冷凍肉のストックがあるし、やっぱり冬は鍋をしなくちゃ。
 夕ご飯にはなかなか全員揃うことがない。だから作る方は手早く済ませて、その分ゆっくり話ながら食べたかった。
「…………鶏…水炊き…」
 何の鍋にしようかと話していると、曲がり角の向こうからぬうっと現れた顔がぽそりと呟く。
 短くととのえた真っ黒い髪がつんつん跳ねてた。仕事が終わった後に一眠りしていたらしい。寝起きらしい和葉の手には、なぜかテーブルランプが握られていた。
「じゃあ、水炊き」
 反対もないようだし、それで決まり、と宣言してしまう。
 場を明るくさせようと、ふだんより景気よく言ったつもりだったんだけど、和葉は僕の方へぴたりと視線を合わせたままむっつりと唇をとがらせ、じいっと佇んでいる。
「あ。俺、野菜回収行ってくるわ」
「オレもオレも」
 不穏な気配を感じ取った柊と秀次が素早くきびすを返す。
 3歩ばかり離れた頃にはしっかりジャンパーを着て軍手をはめて、目的地へ消えるのがさすがと言うべきか。
「…ふゆ…」
「あー…、うん…。ごめんね。和葉」
「ぼくが、眞冬…まもる…のに」
「うん、ありがと……、あ、ちょっと、ま」
 近づいていくとテーブルランプが飛んできた。
 ついでに枕と目覚まし時計と毛布、それに扉と床板。
「はがれてるはがれてる」
 床どころか壁もめくれあがってきた。
 和葉は身動きひとつしていないのに、ばりばりばきばきとすごい音をたてながら、古い角質がこんなに簡単にはがれるんですよ、というどこかのキャッチフレーズ並に建材がぽろぽろとこぼれ落ちていく。落ちていくだけならまだしも、不規則に揺れながら飛んでくるのが厄介だ。
 左右斜めに飛び跳ね避けながら、大きなものは蹴り落とす。むりやりはがしているものだから、床は揺れるし、壁も震えてる。すぐにバランスを崩しそうになるけれど、危なくなると後ろから声がかかった。
「眞冬、前進」
「ほらほら、次が来るよ」
 僕の背後で降り散る飛来物にもまったく動じず、それどころかさっきから少しもその場を移動していない紘一と早月は、僕ひとりに任せる気まんまんだ。
 ふたりなら一瞬で駆けすすめるところを、僕はぜいぜい息を切らしながら走る。
「和葉…よい子だから、ね、飛ばしすぎは良くないよ」
「………眞冬が、わるいんだ…」
「そ、そうかな。えー…と…」
「ぼくのいうこと…、忘れる…」
「そんなことないよ…」
 たぶんね。どれかなぁ、どれ忘れてるんだっけ。あ、忘れてるなら分からないわけで。
 そんなことはとても口に出せないけれど、僕が適当なのはいつものことだ。和葉だってそれを分かってる。
「おそい…」
「はー…、うー」
 んんん…。今…聞き捨てならないことを言ったな、とは思ったけど。そういう和葉がなんだか憎めないから仕方がない。
 和葉は怒りで我を忘れているわけではないのだ。冷静かといえばそうじゃないけど、たとえて言うなら小さい子どもが母親の注意を引きたくて、悪戯してみせるみたいな。ついでに構ってもらえない苛立ちの解消も混ざってるわけだけど。
 泣きわめいたりもしないから、物静かなぐらいだ。こうなることは珍しいことではないので、やることは派手だけど中を見れば単純。
 びゅんびゅん飛んでくる物の数と速さは、決して僕が避けられないものじゃない。
 どうにかこうにか和葉の近くまでたどり着き、腕をつかんだ瞬間。嘘みたいに揺れが止んだ。
「すっきり…?」
「……少し…だけ」
 それは…、良かった…。
 廊下は半壊といっていいのか、瓦礫の山だけどね。



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