私の恋人は、さる大きな財閥一族の末っ子で、和史という。 その彼への家族の溺愛、また周囲からの人気ぶりはかなり有名らしく、私もさる情報源から、その事実を見くびらないよう、忠告を受けているほどだ。 しかし、その時私はまだ、その度の超えたアイドルぶりを甘く見ていたのだと思う。そう、私はそれを後に思い知るのだった。 「和史。たまには街に出て食事をするのはどうだろう?いや、和史がそれに危惧を抱いているのはわかっているよ。家に関わる人間に会う危険性があるからね、知っているんだけれど、和史がドレスアップした姿を、今度は私のために見せてはくれないだろうか」 これまで和史とのデートでは、常に公的な場を避けてきたので、ラフな格好が主流だった。和史の私服はとても可愛らしい。この上なく似合う。しかし…一転たまに仕事中、外で会うことがあると、地味としか言いようがない姿なのである。 …秘書として目立たないようにという気持ちは分かる…それはそれで充分素敵だと思う…でも、やはり残念で仕方ない。 以前、思いもかけずパーティで鉢合わせした時、私は一言も誉め言葉を伝えられなかったのが悔しく堪らない。 その時の和史の姿は、本当に見事だった。 清冽で、凜とした横顔。まるで錦の花を散らしたような立ち姿。私は驚き、そして多分、かなり長い間、見惚れた。色が淡く、繊細な仕立てをした衣装は和史に似合っていた。ラフな姿をしている時の和史は、どちらかというと愛らしい印象がある。それがフォーマルな装いだと、息を呑むほど気高く、そして美しいのである。私は再びその姿が見たかった。 それに、私の為に和史がその美しい姿を見せてくれたら。…こんな喜びはないし、唯一見たことのあるドレスアップが、他人の誘いでされたものだというのも気に食わない。…はっきり言えば。 私の要望に、和史は多少悩んだようだったが、すぐに頷き、私は和史が身内の人間に決して会わないよう、最高のデートコースの制作に、力を注いだ。 翌週の夕方。私たちはこの国で1番、とは言えないものの、最上級の料理とサーヴィス、そして秘めやかな時間を楽しむのは最適だろうホテルを選び出し、街へと出かけた。 改めて見ることが出来たフォーマルな装いをした和史に、私は感激した。 惚れなおす、というのは、こう言うことに違いない。私は喜びに目を細め、和史の耳元にそっと囁いた。 「金の欠片を散らしているのかな、それとも、月の宝石を?眩しいほど綺麗な和史にまた、恋をしてしまうよ。本当に良く似合っている」 やわらかな色合いも、多少強い配色も、和史は普段から上手に着こなす。つまりは洗練されているのだろう。場に合った服を、さりげに選べる。 ほんの少し俯き加減で、照れたように目許を赤らめた和史は、小さな声でありがとうと笑む。私たちは人気の少ない道の中でゆっくりと言葉を交わし、2人きりの存在感を楽しみながら歩いていた。沈み始めた夕陽がちょうどよい翳りを落とし、邪魔するようなものからは覆い隠してくれる。 私は和史をいとおしく見下ろし、和史を見つめた。 「いつも思うけれど、和史の着る服にはタグがないね。どこで買っているの?」 和史のひいきの店を知って、是非そこからプレゼントを、という目論みがある私は、オートクチュールを示すロゴさえない服に実のところ、首を傾げてばかりいた。和史の服はどれもこれも、全く購入先が分からないのである。この機会に聞き出してしまおう、という私のささやかな作戦に、和史はああとにこやかに頷いた。 「僕が生まれた時に」 「生まれた時?」 思いがけない出だしに、私は首を捻る。 和史の誕生と服の購入先に関わりが…? 不可解に思う私を他所に、和史はこくん、と自分の話に何の疑いもない顔で頷く。少なくとも和史にとっては、おかしくもなんともない話らしい。私は一瞬うかんだ疑問をすぐに打ち消し、微笑みをうかべて続きを促した。和史はそれを受けて、再び話し出す。 「うん。で、父さんがデザイナーの卵たちを呼んで、僕に1番似合う服をデザインする者を、専属として雇い、支援する。って言って」 「…………」 …………。 ……特別注文、でなくて、専属ね。専属。 「……そう、…」 「僕はその人の考えてくれたものの中から選んだり、あるいは贈られたりして、ずっと着ているんだ。僕の好みに合うし、本当、似合うのを作ってくれて、お気に入りなんだよこれも」 ……タグが、ないわけである。 私は納得しながらも、少し気が遠くなった。 恐らくそのデザイナーは、そういったスポンサーがいることは伏せて活躍しているに違いない。でなければ、その話はかなり有名なものになっているだろう。我が子に似合う服を着せるためにデザイナーを雇ってしまうなど、はっきり言って、常識を超えている。 とはいえ、それならば和史のこの似合いぶりも良く分かる気がした。和史を良く分かった上で、また和史のことを大切に思いながら、考えられ仕立てられた服だから、一層、和史の魅力を引き立てるように、似合うのだろう。 これはもう何としてでも、そのデザイナーと密かに連絡を取らなくては、と私は思った。でなければ和史とお揃いなんてことも永遠に不可能…。 私は素敵な話だね、と微笑みながら、密やかな闘志を燃やした。 |