「恋人番外編」
〜ある彼の、日常茶飯事〜


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 ハイヤーを降り、散歩を楽しみながら向かったホテルは、近年、大がかりな工事で建て直しただけあって、まだ新品の美しさを誇る建物だった。ただ、ホテルとしては経験が長いだけあり、建物は新しくても軽薄な様子はなく、それなりの品位や風格を感じさせる。落ち着いた雰囲気が、どことなく安堵感を与えた。
 エントランスホールに入るなり、マネージャは目敏く和史に目を止めた。その視線に、和史がさりげない仕草で一瞥をくれる。和史は社交面を担っているというから、当然マネージャの男は和史を見知っているのだろう。おそらくは和史も相手の人となりなんなりを知っているに違いない。
 和史が視線をくべたその瞬間に、マネージャは和史がエスコートされてきたただの連れであること、私がこの場では主であることを悟ったらしい。和史に向かって微かに出かけた足が止まる。それを瞬時に分からせた和史の力量と、マネージャの能力に舌を巻きながら、私はそ知らぬ振りで、改めて近寄ってきたマネージャと顔を合わせた。
「ようこそおいでくださいました、リファール様。起こしいただけます日を大変楽しみにしておりました。お席にはあちらにおりますボーイがご案内させていただきます」
「そう。ありがとう」
 言われるまま向けた視線の先で、若い男が頭を下げる。どうやら彼が案内してくれるらしい。微笑みながらマネージャのもとを後にしかけたとき、ふと傍らの和史の顔が翳っていることに気付いた。どうしたのだろうと思う前に、甲高い声が耳を貫き、私は一瞬目を丸くする。
 声がした途端、傍らの和史が人影に埋もれた。
「ユーク?まあ!こんなところで会えるなんて嬉しいわ」
「今日のお洋服も何て可愛らしいこと。ユークちゃん、もっとこちらにいらして」
「まあまあまあ!大きくなったわね、どれぐらいぶりかしら」
 2ヶ月ぶりです、と和史が愛想半分で短く言う。その答えに妙齢の夫人は惚けた顔をしてにこりと微笑み、まるで小さな子どもにするように和史をその胸の中に抱きしめた。それを見て、他2人も競って和史を腕の中に絡み入れる。
 和史はあんまり嬉しくなさそうな顔をして、彼女たちの感激ぶりと相反するような不機嫌さを漂わせていた。とはいえ、嫌悪しているかといえばそうでもない。というよりは、気の置けなさが傍目でも良く分かる。
 ただ、私にはさっぱり、彼女たちが何者なのかが分からなかった。
 妙齢といえるだろう夫人たちが上品に着飾り、理知的な雰囲気を漂わせたその様は、どこかの貴族夫人か、かつてのファーストレディか、といった趣。おそらくそれは間違いではないと思う。…にも関わらず、和史に対してはまるで我を忘れたようにはしゃいでいる姿は、…何なのか。一見、孫の前でも厳しく礼儀を諭しそうなご夫人たちの奇行に私は首を傾げるしかない。
 ……教えてもらった和史の親戚一覧には、ない顔だから…、…社交界で知り合った友人…とか…かな?
 そんなことを思う私の先で、和史は毅然と相手を見遣った。
「……僕は連れと一緒に食事に来てるんです。相手に失礼でしょう、どうかご遠慮下さい」
「あそこの夜景はとても素晴らしいのよ」
「そう、とってもね。さあ参りましょう。そこに段差があるから、つまずかないようにね」
 夫人たちは、和史の言うことなどまるで聞いていなかった。1回り以上に長い歳月を生きた夫人たちの手にかかっては、孫みたいな歳の和史など、小さな子どものように思えるのかもしれない。現に、きちんと話を、と怒る和史を、まるでだだっこを見るような顔でにこにこ見上げている。
 巧みに手を引かれ、誘導されて、恋人の姿が遠のく。さすがに唖然としているわけにもいかなくなり、私は慌ててその後を追った。



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