「恋人番外編」
〜ある彼の、日常茶飯事〜


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 それは、受難の日だったから、としか思えない。もしくは、和史にとって、あらゆる災厄がやって来る日。
 和史が教えてくれたには、彼女らは、叔母の従姉妹の友人、であるらしい。和史が縁者等と会わないよう気を配った私も、さすがにそこまでは把握していなかった。勿論、兄弟の友人の友人、やら、はとこの、娘の婿やら、果てはお抱えの植木屋の息子の伯父の孫に重役の孫やら、その子どもやらは、知りようはずもなく…。
 人が増えたおかげで知人縁者たちの独占状態から抜けることの出来た和史の傍に寄り、私は苦笑混じりに小さく口を開いた。
「和史が嫌がってきたのにはそれなりの理由があったんだね。大反省しているよ」
「イヴァンは悪くないんだ。…ちょっと僕に運がなかったんだ。今日、執事の1人の娘の従兄弟の友人が結婚したらしくて、何となくこっちに来たみたいで」
「……それは、また…」
 和史に遠いのか近いのか、…いや、どう見たって、普通は無関係に近いような…。私のぼやきを悟ったように、和史は申し訳なさそうな顔をうかべる。
「皆暇人なんだ…。ごめんね、実際に結婚式に出席したのはこの一部らしいし…」
 和史はひとしきり謝った後、微かに憤ったような表情をうかべて、しきりと話しかける周囲をねめつけていく。その和史に労いと慰めの言葉をかけながら、私はやや投げやりな気分になっていた。
 夫人たちに連行されつつ、予約していたレストランに向かう廊下の途中で、更に和史を知っている人間と数人会ったのは、私も良く覚えているし、それはまだ理解の範疇だった。まあ、そういうこともあるだろう。多少は会うかもしれない、そんなことは思っていた。密やかに人気のレストランだからである。
 それが…、その中から、更に携帯で呼び出される者、ルグリ家の末子がいると知って物見高く寄って来た者…、和史を取り巻く人間は見る見る間に膨れ上がり、はっきり言って今、私は何が何やら全く分からなかった。和史は廊下の隅で、人の渦に埋もれているような状態なのだ。
 もう、こうなっては仕方ない。
 いや、仕方ないとしか思えない。
 詰まるところ、私たちは運が悪く、そして認識も甘かった。そういうことなのだろう。
 デートは諦めて、彼らの相手をしてあげて、と囁きかけた私は、ふと和史の顔色がぱっと良くなったのに驚いた。和史はエレベータの中から今し方出てきたばかりの2人連れに駆け寄る。山となった人々にはあまりおいそれと近寄れない相手ないのか、その和史は追いかけてこない。…ささやかに実業家をしているぐらいでは、視界の隅にさえ入らないのだから、よほどの相手だろうか。まるで透明人間でもされたかのような視野外の扱いを受けていた私は、そんなことを思う。
 和史の傍に並んで現れた2人を見やった私は、そこでふと、あれと気付いた。どこかで見たことのある2人だった。…どこでだったろう?
 考え込む私の先で、青年は嬉しげな笑みをその顔いっぱいにうかべた。
「ユークリッド様。お久しぶりです。お元気でいらっしゃいますか」
「ええ、とても。でも今少し、困っていて」
「…ユーク様は、会う度々に大変でいらっしゃる」
 こそりと口を開いて、青年が和史の背後にちらとおかしげな視線を遣る。あの大騒ぎを見れば、一目瞭然というものだろう。和史は青年の言葉に苦笑しながらも頷いて、青年の理知的な双眸と、やわらかに整った顔を頼もしげに見上げた。
「それで、お願いが…」
 何なりと…と青年が答えかけたところで、1人の男が和史と青年との間に割って入り、台詞を止める。
 それは陶器人形のような繊細な顔立ちにふてぶてしい眼差しを兼ね持った、端麗な顔の男。青年と共に現われた、2人の内の1人だった。


 男は間に割って入るなり、すらりと伸びた背を存分に有効利用したプレッシャーを用い、目線下の和史を、子馬鹿にしたような目で見下ろした。
「あのさ、見て分からない?俺たちはデート中なんだよ。揉め事は違う所でしてくれないかな。卓海も構う必要ないし」
「で、デート、ひ人聞きが悪いことを言わないでくださいっ」
 青年が不遜な態度で口を開いた傍らの男を、真っ青になった後、真っ赤になって睨み付ける。それに、男は形の良い眉をきりと吊り上げ青年を睨んだ。
「どこがどう人聞きが悪って?これはデートじゃないと?」
「怒りますよ史郎さん。すみません、戯れ言ですから、どうか聞き捨ててやってください」
 優しげな顔立ちをした青年は、冷酷とも思えるほどきっぱりと、男の言葉を両断する。青年よりは男の方が年下なのかもしれない。微妙ではあるものの、分別があり過ぎるほどある様子と、そんなものは全くないような様子が、年上と年下の印象を感じさせる。男は一瞬、むっ、とした顔をうかべたものの、その苛立ちを別の方に向けることにしたのか、すぐに高慢な仕種で和史を見下ろした。
「…戯れ言かどうかはともかく、そもそもここは、君みたいなガキがいる場所じゃない。人の邪魔してないで、お子様は早くベッドに戻るべきだよ。…それとも、ムリヤリベッドに行かせてやろうか?ン?」
「わ!…うわ、ユーク様に何てことをおっしゃるんですかっ」
 和史には全く効いてないようではあるものの、危険な凄みを利かせる男に、青年が目くじらをたてる。その声音に、男はあからさまに不機嫌になった。
 どうやら男は、青年が和史を構うのが気に食わないらしい。叱りつけるような声にとうとう我慢の限界が来たのか、忌々しげに和史を一瞥すると、青年に詰め寄った。
「卓海!何でこいつに構うんだよ。今日は久しぶりに屋敷の外で俺と一緒に過ごす予定じゃないか。それとも、こんなガキの方が俺よりも大事ってことかよ?」
「ユーク様とは滅多に会えないですけど、史郎さんとは四六時中一緒じゃないですか。それに、…ユーク様は私より年上です。無論、史郎さんよりも。失礼な口の聞き方はやめてください」
「……、は?年上…?これが?」
 男は一瞬、惚けた顔をした後、いかにも嘘だろう、という顔をした。同じ東洋人の目から見ても、どうやら和史は年齢より幼く見えるらしい。実はこっそり、和史は年齢不詳なところがある、と思っていた私は少しほっとしたのだが、史郎と呼ばれた男は、相手が年上と分かっても、あまり気にしないようだった。そうも見えなくない、と青年に向かって頷き返す。
 しかし私はそこで、目の前にしているこのやけに自信家そうな男が、日本の有名な一族の主を担っている男だと言うことを思い出した。どこかで見たことがあると思えば、確か、何かのパーティでどこそこの誰だと聞かされた気がする。
 かつては随分と遊び回っていた放蕩息子らしいが、最近、こちらへと移され、改心したのか何なのか、気紛れのように並外れた手腕を発揮して、財界の注目を浴びていることでも有名だった。
 男は和史の顔をじろじろ見遣った後、ふと何かを思い出したような顔をうかべた。
「…もしかして、お前、ルグリの?」
「ええ。和名は和史と言います。卓海さんとは学生の頃に少しお付き合いをさせていただいて、それから親しくさせてもらってるんですよ」
 和史は余裕の顔でにこりと微笑む。史郎は片眉を上げてふうんと呟いた後、にやりと笑みを返した。
「学生の頃、ね。ということは、昔の卓海の写真とか持ってるんだ?」
「ええ、卓海さんが文化祭でした王子さまの扮装、とか、レアなものも幾つか」
「ユ。ユーク様…!」
 動揺する卓海青年を押しのけるようにして、史郎氏は和史の前に立った。
「…で?頼みって?出来るだけ簡潔で簡単で楽しいものを言ってくれるんだろう?」
「それは、勿論」
 私は和史の策士の顔に、思わず見入る。和史は悪巧みを抱えた顔で、にっこりと微笑みをうかばせていた。



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