「月吹く風と紅の王」



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「ルシエさま。もう少し帯をきつくしませんと、着崩れてまいりますから」
「でも苦しいってツィーツェ…」
 日も昇りきらないうちから働き始めたツィーツェはルシエを着飾ることに余念がない。
 朝早くから起こされて付き合わされるルシエにはたまったものではないが、こればかりはどうしようもないことだった。
 今日は花青宮の人形たちが一堂に会する日なのである。むろん主人たちも同席する。王族と人形が揃うのだから、それは華やかなものである。
 ツィーツェだけでなく、花青官なら誰もが自らが仕える人形たちをより磨き上げて、この晴れ舞台へ送り出そうと躍起になった。本来なら人形自身も気合いが入るものだが、ルシエには今ひとつ主人を喜ばせようとか他の人形たちに後れを取らないようにとか、そういうふうな考えには至らないので、とにかく早く今日が終わらないかと思っている。
「ツィーツェ花青補。香は何を合わせましょう。白広と楚峰を1対2ぐらいでよろしいでしょうか」
「花青補。こちらの肩巾はいかがいたしましょう。レーディアンテのものと、ロカレイテアのものなどもございますが」
 花青官たちはいきいきと動き回って、ツィーツェに確認を取りながら、装飾品や小物の類を集めて並べた。
 ルシエにしてみればどうだっていいから、ということばかりなのだが、彼らにとっては人形の大事である。
 ツィーツェは一の宮全体の花青官たちを取りまとめる地位にある。他の人形がいれば花青官たちを見回って指示を与えなければならないが、今の一の宮にはルシエしかいないので、たっぷり時間をかけることができた。
「白広と楚峰に藍廉を少し。肩巾はロカレイテア産の糸で織ったものが良いでしょう。ルシエさま、足幅は小さく、お裾を踏まないように気をつけて下さいませ」
 足もとをすっぽり覆い隠して小さく広がる裾は、前から後ろに向かって少し長めにとられている。
 ほっそりとした身体を包む衣装は上から下に流れるような形をとり、肩から手首に向かって幅が大きくなった。
 三角の袖からはほんの少し指先が覗くので、この日のためにふだんよりも念入りに手入れをしてある。特に爪紅は施していないが、よく磨いてあるのできらきらと輝いて、爪そのものを煌石と入れ替えたようである。
 衣装の全体に使ってあるのは光紗布と呼ばれる薄い生地で、布そのものが光を織り込んだような輝きを放った。それを淡い空色に染め、白銀の糸で流れる風と花を縫い取ってある。
 光紗布は何枚か重ね着しても厚みが出ない。その為、ルシエの華奢な肩や腰回りもくっきりとあらわになって、より一層細身に見えた。
 軽い仕立ての光布がルシエが身動きする度にふわりと広がって、沈む。腰の高い位置で締めた細帯には朱金の糸と蒼銀の糸を織り込んだものを使っていて、結び目を小さくし、脇に垂らしてあった。空色の流れに道をつける朱と蒼が凛とした雰囲気を生み出し、裾がふわりと揺らめくと帯布もきらりと舞う。
 出来の良い衣装に満足しながら、ツィーツェら花青官たちは、手際よく着付けていく。
 光紗布そのものが華やかであるため、衣の上には特に飾りをつけていない。
 織り模様のあでやかさ、ほっそりとした仕立て、それだけで充分である。
 着付けを終えてから、ツィーツェはルシエを鏡の前に座らせ、軽く形をつくっておいた髪を結い直した。
 横髪を細く編んで頭上でまとめたものに、冬の光を集めたようにほの蒼く、透明な輝きを持つ雪映石の飾り紐を通し、大粒の藍璃石ふたつみっつ挿す。天冠は后にのみ許されるものだから、人形は額飾りをつけた。
 どれもこれもルシエの衣装は特別仕立てのものだが、額飾りにはめこんである紅い雫はルシエの瞳よりも大きい。紅想石と呼ばれるその石の、これほどまでに大きく澄んだ色合いのものは滅多に手に入るものではない。
 第1王子エルシェリタの気の色は瞳と同じ紅だから、その人形であるルシエの身には必ずひとつその色を置く。別にそうしなければならないとか、他の色ではいけないということではないが、ツィーツェはその方がよいと考えている。今回ならば、この額飾りがそうであった。
 まるで空を染める夕日のように朱く、夜にかかる深い紅色のように澄んだ輝きを放つ石は、ごくごく簡素な円い台にはめ込まれており、白銀の鎖をつかって額にかけられるようになっていた。
 月色の髪に蒼銀の瞳、それだけで満ち足り完成されたルシエの容貌の中にあって、強烈な違和感をもたらしかねないその紅い石は驚くほどしっくりはまった。
「おきれいですよ、ルシエさま」
「ええ、ほんとうに。素晴らしいです」
 ツィーツェは紅い輝きを得て、より一層艶を増すルシエの美貌に息をのむ。
 幾度見ても、感嘆と驚愕を感じずにはいられない。
 支度の済んだルシエを囲む花青官たちも、この時ばかりは己が仕える人形の美しさに目を奪われて、口々に褒め称える。
「……本当にこんなにきついままで…?」
 晴れ姿に浮き立った顔はしかし、人形の呟きにふっと緩み、いつも通りの苦笑いを誘った。
「もちろんですよ。あまり食べ過ぎないようにしていただかないと」
「それぐらいしか楽しみがないのに…」
 薄く化粧を施した唇を尖らせて、ルシエはため息を吐く。
 ため息を吐きたいのはこちらだと花青官たちはそろって思ったが、むろん口には出さない。あんまり言ってへそを曲げられても困るので、ただやんわりとたしなめた。
「さ、ルシエさま」
 差し出されるツィーツェの手に、ルシエはそっと手のひらを置く。
 人形になったばかりの頃、気が遠くなるほど繰り返し練習させられているため、やろうと思えば人形らしい振る舞いもできるのだ。
 いつもと違った装いで宮の外へでる人形を、残る花青官たちは胸もとに手を置き頭を垂れる彼ら独特の礼で見送った。





 ルシエ自身がどう思おうとも第1王子を主人に持ち、その寵愛を一身に受けつつ、王の覚えもめでたいとなれば、かなり恵まれていた。それをはっきりと見せつけるのが、こういった場での席順だった。
 大広間にはまず王族の席が正面に据えられ、その左右を人形が並ぶ形をとる。
 王の席がもっとも高い位置にあり、その一段低い場所に第1、第2王子が座った。王の左右に並んだ王子たちの下の段に他の王子たちが並び、后がいる場合はそれぞれの隣に配される。隣に座れる后は正后のみ。それ以外の后は第3以下の王子の下の段に並ぶ。
 王の正后は亡くなったまま空欄なので、誰の隣にも后がいない状態である。
 人形の席は王族の席よりも一段下。
 王族席とはやや間を空けて、一の宮の壱の人形、その正面に二の宮の壱、二の宮の隣に四の宮の壱、その正面、つまり一の宮の壱の人形の隣に三の宮の壱の人形、といったふうに並んで座る。壱や弐といった割り振りは主人が決め、大抵は寵愛の深さ、またはいずれ后にする際の位階を考えて与えられた。
 ちなみにルシエのようにひとりしか人形がいない場合でも、いきなり伍や六といった後ろの位に置かれることもあった。参までは欠けても席順を繰り上げないので、一の宮唯一の伍の人形、だった場合は四の人形と同じ場所に座ることになる。
 要は位の高い人形から王族に近いところに座ることができ、そうではない者ほど奥に座った。
 ルシエは一の宮の壱の人形である。席は王族に最も近い。
 すでに半分ほど埋まった席を横切り、決められた場所に腰を落ち着けると、面白いぐらいに刺々しい視線を集めた。
 もっともきつい眼差しを向けているのは正面の二の宮の人形で、視線で射殺せるならルシエはとうに穴だらけになってその辺に転がっているに違いない。
 王の長子エルシェリタの人形になるべく育てられたのが、彼、二の宮の壱の人形である。橙や黄色の花を咲かせるセシリカの花の精で、大輪の花に似合う華やかな美貌の持ち主だ。
 ルシエが入宮した当初から、彼には色々絡まれている。
 いい加減にしてくれと言うのがルシエの願いなのだが、なかなかそう簡単にはいかないようだ。お互いの席が気軽な会話が出来るほど近くないのがせめてもの救いだった。
 王族席には布を筒や円形に縫い合わせて綿をつめた座り枕をたっぷり使ってあるが、人形の席にはそういったものはない。浅く綿をつめた敷き布があるだけで、うっかりすると隣とぶつかってしまう。
 しかしそれは隣り合わせの場合で、両側に分かれた人形の間には所狭しと料理が並べられており、向こう側の席に座る人形とはよほどの大声でもあげない限り話し声は判然としなかった。
 そのおかげで彼の罵り声を聞かずに済むのだが、まあ、見ているだけで分かるものもある。
 支度で長い時間拘束されたルシエはお腹も空いているし、疲れてもいて、少し苛々としていたものだから、よし、その喧嘩買う、ぐらいの勢いでにらみ返した。
「ルシエさま、リューシカさまと見つめ合わずに、ね。食事をいただきましょう?」
 うっとうしくてしかたない視線に嫌気がさして席を立たずに済むのは、隣に座る第3王子の人形のおかげだった。
 ルシエが不機嫌になるすれすれのところを見極めて、すかさず取りなしに入る優しい声に、ルシエも大きく息を吐いて気持ちを落ち着けた。
 白い光を紡いだような長い髪をひとつに結い上げ、織りの美しい布でまとめた独特の髪型に、ごく淡い金色の衣装を身にまとった青年は、薄い碧の瞳を細めてルシエに微笑みかける。
 幻の木と呼ばれるウィリスタの精霊は、おっとりとした面差しに似合わず、てきぱきとよく動く。あっという間に空だったルシエの皿にたくさんの料理を盛りつけた。花青宮の料理人が腕によりを掛けて作ったご馳走は材料ひとつ取っても贅沢の一言に尽きるものだ。彩りよく味もいい。
 待ちに待ったご馳走に堪えきれない喜色をうかべたルシエは、そのひとつを見て取って、小さく眉をひそめた。
「ユーシムさま。僕、うずまき貝はちょっと…」
「お嫌いですか?」
「嫌いというか…」
 うずまき貝はその名の通り、渦巻きの中で育つ貝である。つむじ風程度のものの中にできるのがもっとも多く、竜巻の中や雷雲の中から見つかることもある。
 ルシエは皿に載せられた貝を慎重に避けて、一緒に炒められた葉っぱだけを口に運んだ。
 風の中で出来るものだから、風精であるルシエは食べ飽きている。
 せっかくのご馳走なのでもっと珍しくて美味しいものを食べたいし、もともとあまり好きな味ではない。
「お嫌いなら、わたくしがいただきましょう」
 言うなり優雅な手つきでうずまき貝を己の皿に移したユーシムは、高貴な生まれの精霊らしくどの仕草にも品があるのに、人の食べ残しを口に入れることにもまったく抵抗がないようだ。
 平然とした顔つきでうずまき貝を食べ終えると、ユーシムは次々におすすめの料理をルシエに教えてくる。むろん、ルシエも負けてはいない。
「ミハラ実のスープも美味しいですよ、ルシエさま」
「ほんとうだ。ユーシムさま、こちらの木の実のパンもいけます」
 ルシエが入宮したときにはすでに、壱の人形として同じ場所に座っていたユーシムはルシエに花青宮で過ごしていくためのささやかな知恵を授けてくれたり、共有場所に出てこないルシエに流行りの話を聞かせてくれたりする。
 ルシエはユーシムのことを兄のように慕っていたし、ユーシムもルシエを弟のように可愛がっているので、仲がよい。宴ともなればお互い食い意地がはっているので、よく食べ、よく話し、笑みをかわし合った。
 食べることに余念がないふたりだが、ただ座って出されるものを口にしていれば済むかといえばそうではなく、主な催しはこれからである。
 人形による歌や楽器演奏。外から招いた役者らの寸劇。
 新しく入ったばかりの人形の場合は、お披露目を兼ねているため、必ず何かにでなければならない。演目のはじめはまず、新入り人形が登場する。
 ルシエもいやいやながらでたことが何度かあった。参加しないときもまめまめしく拍手をしたり、優雅に微笑んで見せないといけないのだが、そこはそれ、ルシエは楽しければ笑うし、つまらなければ眠そうな顔もする。
「ルシエさまがお出にならないとなると、少し寂しくなりますね」
 飲みかけたスープを吹き出し欠けて、ルシエは慌ててのみ込んだ。
「ユ、ユーシムさま…」
 寂しいも何もルシエとしてはせいせいして、すっきり爽やかな気持ちでいるのだ。
「え、ええと、ユーシムさまこそ参加されていないと知って、残念に思った方が多いのではないのでしょうか」
「んー…、こればかりはあるじの意向ですからね」
 三の宮の壱、ユーシムは花青宮一の歌声の持ち主で知られている。ルシエ自身、何度か披露されたユーシムの歌声に聞き惚れたことがあるひとりだ。
 口にしてみるとつくづく残念に思えたが、ルシエやユーシム自身がどうこうできる話ではないので、大人しく口をつぐむ。
 もともとその歌声は人形になる以前から広く知られていたので、それが縁で人形になったといわれていた。
 三の宮にはユーシムの他に十数名の人形がいる。
 特定の人形だけに華を持たせることは不要な火種を作るので、こうした晴れ舞台も持ち回りになることが多い。三の宮にいる人形の数は、王子が持つ人形の数としては平均的な人数なので、ユーシムが度々その歌声を披露したことじたいが珍しいことなのである。
「あ、最初の演目がはじまりますよ。五の宮の方ですね」
 火の精霊が炎を操りながら、鈴と太鼓の音に合わせて舞い踊る。
 壮麗な踊りは花青宮の中の窮屈な日々や寵愛のあるなしにやきもきする気持ちをなぐさめてくれるが、食べることに集中しているルシエは、これで帯がきつくなければな、と思った。



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