「月吹く風と紅の王」



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 宴もたけなわといった頃になると、酒も回って広間はいっそう賑やかになった。
 ルシエもユーシムも酒はたしなむ程度だから、酔うほどは口にしない。
 王族席を見ると、エルシェリタがいつも通りの端正な面持ちで何杯も酒杯を空にしているのが見える。エルシェリタは酒につよく、かなり度数の高い酒を口にしていてもまったく変わらない。いつどんなときも乱れることがないエルシェリタを見ていると、いつかは酔っぱって醜態を見せるだろうか、と期待を込めてみてしまう。そうなったことはまだ1度もないが。
 ルシエが見ている方を見て、ユーシムは唇の端をやんわり持ち上げた。
「シーゼルエント大公は相変わらずのうわばみでいらっしゃるようですね」
 ルシエは頷いて、主人の傍らに視線を向けた。そこにいるのはユーシムの主人である。彼もまた、けっこうな酒杯を空にしている。
「ソレイシア大公もすごくおつよいです」
「シーゼルエント大公には負けますよ」
 ユーシムはあっさりと否定して、果実酒入りの手杯に唇を付けた。
 第3王子セイルトル。ソレイシア大公と呼ばれるユーシムの主人は美貌の長兄とは似ても似つかないがっしりとした体躯の男で、華やかな席だというのに眉間にシワを寄せているのが人形の席からでもよく分かる。何か嫌なことがあったわけではなく、彼はこれが地顔だった。
 セイルトルは武人であり、王の軍を取りまとめる総大将でもある。
 いつみても無愛想を絵に描いたようなセイルトルは、ユーシムを隣に侍らせているときだけほんの少し眉間のシワがゆるむ、とはルシエの感想だった。席の配置からいって、第3王子はルシエの視界に良く入る。
「あるじの仏頂面は筋金入りですから、どうしようもありませんが…。酔えば酔うほど、眉間のシワが深くなるんですよ。おかしいでしょう?」
「酔われるのですか?ソレイシア大公が?」
 戸惑うルシエにユーシムは何でもないことのように頷いた。
「もちろん。シーゼルエント大公ならばそのようなことはないのかもしれませんが」
 エルシェリタが酔わないので、王子は皆そうなのだとルシエは思っていた。王族は身体の構造が少し違うのだから、そういうことがあってもおかしくないだろう。
 それを口にするとユーシムは目をまるくし、ふっと王族席に目をやってからどこか納得するように深く頷く。
「ルシエさまのあるじはシーゼルエント大公ですからね。何もかも完璧に兼ね備えたような方ですから、ルシエさまがそう思われるのも仕方ないでしょう。ですがいかな王族とはいえ、傷を受ければ死に至りますし、微笑みかけられればうれしく感じるのですよ。そう特別に思わなくても大丈夫です」
「…そう、なのですか?」
 美貌にそぐわない精力絶倫ぶりをつねに見せつけられているルシエとしては、やはり王族とその他は違うと思わざるを得ない。
 どれだけの太さがあるのかと首を傾げずにはいられない極太の神経や、都合の悪いことはきれいに聞き流す耳や、ひどい仕打ちをしておきながら1番大切だとのたまう口など、ルシエがおかしいと思う点は挙げれば切りがない。
 納得がいかない様子がありありとわかるルシエの様子にユーシムは眼差しを和らげ、そういうものなのですよ、と優しく応えてから、王族席と人形席の間にある舞台に目を向けた。
「次は七の宮の方のようですね。水に属する方、…のようですが」
 ユーシムが唐突に言葉を切る。
 王族席の前に歩みでた踊り子を見て、ルシエもまた動きを止めた。
 ひどい顔色だ。水の精霊らしい涼やかな衣装を身にまとった少年は一歩前に進むだけで、足もとを震わせている。
 青ざめた顔は緊張で血の気を失っているというより、彼の体調の悪さを物語っているのだろう。それを示すように少年の額にはびっしり汗がうかんでいる。
「七の宮様の悪い癖がでられたようですね…」
「…ユーシム?」
「直前まできつくいたぶられておいでのようです。あれでは舞うことなどできませんでしょうに」
「…………」
 七の宮の主人である第7王子は定められた上限以上の人形を持ち、日替わりで違う人形を侍らしているというもっぱらの噂で、それだけでは飽きたらず、他の宮の人形にまで手を伸ばすことがあるのだという。
 これは禁じられた行為だが、本来の主人の許しを得て己の人形にしてしまうことができれば罪には問われない。
 加虐の傾向が強く、人形の入れ替えも激しい。人形と遊ぶために政務を度々放り出すため、花青宮内だけにとどまらず王宮内でも鼻つまみ者の王子。それが第7王子だった。
 精霊王の血筋にはなぜか彼のように淫奔な性質を持ち合わせた者がでやすい。そのような主人のもとに望んでやってくる人形などひとりもいないはずだが、実際には入宮を希望する者は後を絶たなかった。
 ひとつは人形になる際の縁切り金ともいうべき、身内への恩賞の支払いが他の王子たちよりも高額なこと、人形として召し抱えられている間、本来ない褒賞金が支給されること、このふたつがある。
 第7王子のように性倫理にゆるい、淫蕩な王子は放逐されるものだが、精霊王の血筋に現れるこういった性質の者は、特定の分野で優れた才能を発揮することが多い。彼にしてもそうで、薬草毒草の扱いに関して右に出る者はない。下手に外に出して禍をもたらすよりは花青宮内で留めておきたいというのもあるのだろう。第7王子を飼い殺しにするために、彼には多額の金銭がまとわりつくのだ。
 中央に歩みでた少年の様子に楽士たちも戸惑っているようだった。
 雅やかに流れ出すはずの楽の音がいつまでたっても響かない。
 ルシエはいらだちを覚えながらこの事態をどう思っているのかと第7王子に視線を向けたが、すぐに見なければ良かったと後悔した。彼はまったく興味がないのか近くの女官にしつこく声を掛けている。
「レスティア、またか」
 王のため息を受けて、第7王子がはじめて目の前の人形に目を留めた。
 しかしそれだけだった。彼は知能が劣っているわけではない。だから今の状況を理解することは出来るが、興味が無くなった人形に対して何かしようという気持ちにはならないのだろう。
 第7王子は薄い茶色の瞳で人形を見下ろし、うなじで揃えた淡い金色の髪を小さく揺らす。王はやや疲れた様子で片手を振った。
「七の宮の拾玖。よい、下がれ」
 人形の礼を取るのも精一杯という様子で、水の精霊が頭を垂れる。王の許しを得たことで、七の宮付きの花青官が少年を素早く外へ連れ出した。
「興ざめだな」
「誠に申し訳ありません。弟の不徳、わたくしがかわってお詫びいたします。代わりと言っては何ですが、別の舞い手を用意させていただきましょう」
 エルシェリタが優雅な動きで父王に向かって一礼をする。
 美しい王子の視線が次に向いたのは人形の席だ。
「ルシエ、舞いなさい」
 第1王子の言葉に広間が静まり返る。
 こういった場で披露する演目は、ひと月以上前から稽古を続けるものだ。ルシエの舞は気晴らしを兼ねているから、休みなく続けてはいるけれど稽古らしい稽古はひとつもしていない。
 これでまともに舞えという方がおかしい。ルシエにしてみてもふざけるなと言いたいところだが、ここでそういっては王の不興まで買ってしまう。
 傍らのユーシムを見ると、少し困ったようにしながらも嬉しそうで、ルシエの出番ができたことを喜ぶ様子だ。そんなに良い状況ではない、と思いながらも、ルシエは頷く他なかった。
「…、かしこまりました。着替えてまいります」
「それでも舞えるでしょう。長くお待たせするものではありません」
「………、はい」
 それでも何の支度もしないわけにはいかない。
 立ち上がるとすかさずツィーツェが手を取り、室内を覆う垂れ幕の外へルシエを連れ出す。
 靴を履き替え、足回りが自由になるよう丈を調節して、肩巾を舞い用の、端に鈴がつけられたものに持ち替えた。
「風舞の15の2がよろしいかと」
「気分的に16の1なんだけど」
「それでも構いませんが、もう少し肌が見える形にいたしますので」
「……15の2で舞う」
 今日の衣装を薄くされると身体の線があらわになりすぎる。
 不承不承頷いて、ルシエは肩巾の鈴をしゃらんと一振りした。
「舞えばいいんだよね、舞えば」
 息を整え、ルシエは幕の外へ出る。
 ルシエには思わぬ大役を言いつけられた気負いも気後れもなく、歩み出した足取りには何の迷いもなかった。
 舞えというなら、ただそうする。ルシエはエルシェリタの人形で、主人の意に応える義務があった。




 ルシエが中央に歩みでて膝を付くと、一呼吸置いて、ゆるやかに音が流れ出す。
 風舞は風の精霊に伝わる舞で、その名の通り風を操りながら舞う。
 肩巾のたるみをふわりと浮かせて、ルシエは全身を勢いよく弾ませた。
「相変わらず、楽しげに舞うな」
「恐れ入ります。…一の宮の壱がたしなむ、唯一の人形らしい芸事でございます」
 舞い人は優雅な身のこなしで拍を刻む楽の音に合わせながら、天から地へ独特の流れを描き、手のひらを落とす。小さな歩幅で滑るように移動して、つむじ風絡ませた身体をくるりとまわした。
 まるで空を往く蝶のようにほっそりとした両腕を閃かせて、音もなくひらりと地につき、しゃらりと鈴を鳴らす。
 のびのびと舞う人形の姿につられるようにして、人々の間にうっとりとしたため息がこぼれた。
 人形の中でも若い部類に入るルシエのみずみずしさを、あるいは未だ無垢であり、純真であるルシエの心を存分に映し出して、花開かせる。
 風舞15の2は別名"天の蝶"ともいう。
 空を往く蝶には光あり、よつ翅に風ありて、遠く天の高みを志す。
 風の精霊に古くから伝わる物語の一節からとられた舞であった。
 ひとさしごとにあでやかさや、かろやかさ、それに空の澄んだ色合いや広さをも込めなければならない。たいへん難しい舞のひとつでもあるが、幼い頃から舞うことが遊びのひとつとしてあったルシエにはゆるく微笑みがうかぶ。
 ふだんの姿からでは到底想像できない舞姿の美しさに広間の人々は我を忘れて見惚れ、あるいは呆然と、その舞に見入る。たいへん素晴らしい舞だった。
「良き舞であった」
 ルシエは舞い終わって弾む息を静めながら、人形として躾けられた一礼を優雅に行った。かけられる言葉は舞い手であった人形に対してではなく、主人に向けてのものなので、ルシエが返事を返す必要はない。
 優れた技能を持つ人形の中には直に褒め称えられないことを悔しく思うものもいるようだが、別にお褒めの言葉を貰えなくても、ルシエとしてはまったく問題がなかった。
 衣装に直して席に戻れば、ユーシムの大絶賛が待ち構えている。



 ルシエの舞が好きだと言って憚らないユーシムは、思いかけないルシエの活躍に口もとを綻ばせて、戻ってきたルシエを迎えた。
「素晴らしかったです。ルシエさま。わたくしはまたずっと見惚れておりました」
 いつもすっきり整って乱れることもない表情に嬉しげな朱色を乗せて、ユーシムはルシエをべた褒めする。
「恐れ入ります…。…でもそんな…、恥ずかしいですから、ユーシムさま」
「ルシエさまの舞い姿、何度拝見してもため息がこぼれます。どうしたらあのように舞えるのでしょう。わたくし、いつも感動しきりで。あ、喉が渇かれましたでしょう。どうぞ」
 全く以ておおげさだと思いつつも、ユーシムの言葉には心の底よりの賞賛だけがあって、ルシエの気持ちは慰められる。
 予想外の出来事に対する苛立ちやら、人形の身のやるせなさに捩れていた気持ちがすっとおさまるので、むしろユーシムには感謝してもしきれないぐらいだ。
 相変わらずのかいがいしさでユーシムはルシエに果実水を渡し、舞終えたばかりで熱のこもる体に扇で風を送ったりする。
 そうしているうちにすっかり和んで、ルシエとユーシムはわきあいあいと出し物を楽しむのだった。
 催し物も半分過ぎて、そろそ終盤という頃になると、あまり飲まないとはいえルシエもユーシムも、ややお酒が回ってほろ酔い加減になる。
 そういう頃合いになってユーシムが何気なく話題を変えた。
「ルシエさまは舞台慣れしておいでてすから、夏至の旅ではたくさんの方と会われるでしょうけど、きっと難なくこなせますね」
「……え?」
 一瞬意味が分からずルシエが首を傾げると、ユーシムも同じように首を傾げた。
 酔っているのでお互いに反応が少し鈍い。
「ルシエさまは今度の夏至の旅に同行されるのでしょう。はじめての旅ですし、楽しみにされておいでだと思ったのですが」
 微笑んでいた顔をわずかに強張らせ、ルシエはユーシムの言葉を反芻した。
 酔いがいっぺんに覚める。ルシエのあからさまな動揺にユーシムも酔いを覚ましたようだった。にこにことうかべていた笑みがすっとかき消える。
 王族は夏至に合わせて旅に出る。
 ルシエが見初められたのもその旅のときだったが、今までエルシェリタがその旅にルシエを伴ってでたことはない。
 固い表情をうかべたルシエを気遣うように、ユーシムはそっと声をひそめた。
「一の王子が人形を連れて北へ行くと聞きましたが、わたくしの勘違いかもしれません…」
「いえ、でもユーシムさまがそう聞き及んだのでしたら、事実なのだと思います。…そう、夏至の旅ですか。緊張しますね…」
 ルシエはユーシムを心配させないように、むりやりつくりあげた微笑みを返し、それが崩れる前に舞台に視線を流す。
 夏至の旅はけっこうな長旅なので、主人が己の人形をともなって旅に出ることはよくあることだった。
 できればユーシムの勘違いであってくれた方がルシエとしてはありがたかったが、彼の情報の早さや正確さはなかなかあなどれないものがあり、十中八九間違いないはずだった。
「夏至の旅は思いもかけないできごとがたくさんあるものです。人形が堂々と外へ出て行ける行事ですし、楽しんでこられればそれに越したことはないと思いますが…」
 気乗りしない様子のルシエを見て取って、ユーシムが優しく励ますように微笑みかけた。彼はもう何度も夏至の旅に同行している。数多くの人形を連れて歩く主人もいるが、ユーシムの主人は夏至の旅にはいつもひとりだけを連れて行った。そのたったひとりの同行者として1番数が多いのが、ユーシムである。
 ユーシムにとっては楽しい思い出なのだろう。そう理解することは出来たが、戸惑いが先に立ったルシエはうまく話を合わすことが出来ない。
「そうそう、わたくしは北の生まれなのです。もしかすると、ウィリスタのロータムと名乗る男が訪ねてくるかもしれませんが、わたくしが息災であることを伝えてくれればすぐ帰ると思いますので、適当にあしらってやってください。すごくぶすーとした顔をした男ですから、すぐお分かりになると思いますよ」
 ルシエの気持ちを明るくさせようとしてか、やや茶目っ気を込めたユーシムの話に、ルシエはぎょっとした。
「……ユーシムさま、あの…その方は?」
「ああ、申し訳ありません。わたくしの弟です」
「……弟、さま…?」
 ユーシムのあっさりとした応えにルシエは息をのんだ。
 花青宮に1度入ったら、親兄弟、友人など、縁ある人々に会うことは出来なくなる。
 たまたま巡り合ったからといって罰せられることはないが、こっそり会えばむろん厳罰ものだ。
 顔色をなくすルシエにユーシムははっとしたように瞼をひらいた。
 いったい何がルシエをそうさせたのか、ユーシムにははっきりと分かった。ルシエが入宮するまでの経緯は花青宮内ではわりと知られており、ユーシムも聞いたことがある。ルシエは家族のと別れをきちんを済ませていない。ルシエにとって家族と会うことが出来ない日々は辛く苦しいものであった。
「わたくし、なんてことを…。夏至の旅では身内と出会うことも稀に起こりえますから、大目に見られるのですが、このようなこと軽々しく口にすることではありませんでした」
「い、え。そうなのですね。僕はまだよく人形に仕来りとか…分かっていなくて」
「ほんとうに申し訳ありません…」
 項垂れるユーシムの様子に、ルシエは首を振ってとんでもない、と慌てた。
「ユーシムさま、そんな…。むしろとても勉強になりました。お礼を申し上げます」
 ルシエはユーシムがあんまりにも簡単に弟のことを持ち出したので、それを知られれば罰せられるのでは、と、そういうことを思ったのだ。
 ユーシム自身がその可能性はないと否定するなら、ほっと胸を撫で下ろすだけでたいした問題ではない。
 しかしそういう話ではないのだと、ユーシムはやんわりと首を振った。
「ルシエさまのお気持ちを慮れず、…。それぞれの人形に違った経緯があるということを、常々よく思うようにしなくては思っておりましたのに」
「それをいうなら、僕もです。…あの、ユーシムさまは……、その」
 辛い別れではありませんでしたか、とはあまりにもあからさまで聞けない。
 ユーシムはルシエの言葉を汲んで、深く頷いた。
「わたくしはルシエさまとは違って、むりやり連れてこられたわけではありません。家族とは離ればなれになることを納得したうえで入宮したのです」
「そうなのですか」
「ええ、人形としては一般的な入宮方法でした」
 本人がそう望んでのことばかりではないだろうが、人形になることをよくよく理解した上でやってくる者も多い。
 むしろルシエのように右も左も分からないまま、殆ど掠われるようにして人形になる、なんてことはとても珍しいのだ。
「わたくしは、ルシエさまには…、たとえはじまりが我々と違うにせよ、花青宮での日々をより良く過ごしていただきたいと思っております。ですが、別れ別れになることを理解し納得してはいても、お互いの情報を知らずにはいられなくなる。それはわたくしの弟もそうなのです。
 人の気持ちはそれほど簡単に割り切れるものではありません。お身内との挨拶をきちんと済まされていないのなら、それはよりいっそう難しいものになりますでしょう。こればかりはわたくし、一の宮様に苦言を申したいと常々思っているのですが…」
「そんな、どうかおやめください。そのお心を聞かせていただいただけで、とても嬉しく、ありがたく思います」
 ルシエは入宮の際、形ばかり父母とは挨拶をしたが、兄妹たちには声を掛けることが許されなかった。
 ユーシムはそのことを気遣ってくれている。それを知って、ルシエはとても慌てた。
 人形が他の宮の主人に苦言を呈するなど、とんでもないことだ。
 このような話をしたことが知られただけでも後々まずいことになる。世間知らずのルシエにもそれぐらいのことは分かった。
 ルシエは言葉を重ねてユーシムをなだめ、話をおさめた。
 ユーシムの話はルシエにとって嬉しさやありがたさを感じさせたが、同時に驚きも感じ得ないものだった。
 ユーシムのような木の精霊は本性である木が根元で繋がっていたり、ひとつ森が同種の木で形作られることもあるため、絆の強さはよく語られている。だからそのことに関してはルシエは驚かないが、もし会いに来たらよろしく、と明るく口に出来るユーシムの様子はルシエには衝撃であった。
 所変われば品変わる、というが、ユーシムの感覚はルシエのそれとは大きく開きがあることを、ルシエはよくよく理解するしかない。
 ルシエの一族は近くに王族が来たら、子どもを隠すのが習いになっている。
 エルシェリタが夏至の旅で近くの街に来たときはお忍びだったので、誰も訪れを知らなかった。一族には人形にまつわる悲しい話が幾つか伝えられているので、たとえお忍びだろうが、すぐに気付けるよう情報網を張り巡らせてある。基本的には速やかに情報が流れた。
 ただし、もし情報が流れてもルシエが大人しく隠れたかと言えば違った。
 ルシエの父や妹たちは身内の欲目をさっ引いても美しく可愛らしかったので、彼らを隠すことはルシエも大賛成だったが、まさが自分が王族の目にとまることがあるなど、まったく予想もしていなかったのだ。だから、ふだんも文句ばかり言って、なかなか隠れようとしていなかったのである。
 思うままに空を駈ける渡り風は自由を尊ぶ。
 花青宮に閉じ込められて過ごす人形になるなど、到底耐えられそうもないことだったから、ルシエもまた自分には関係ないと思いつつも、そうなったらいやだなとは思っていた。だが、それだけだったのだ。
 家族との別れをきちんと持たせて貰えなかったことは腹立たしい。けれど、きちんと隠れていなかった自分も悪いとも、ルシエは心のどこかで思っている。
「ルシエさま、ルコの実…お好きでしたでしょう。お食べになりますか」
 沈んだ面持ちのルシエを気遣って、ユーシムが果物が盛られた器から紅い実を摘み、器用に皮を剥いた。
「どうぞ、ルシエさま」
 ルシエは差し出される果物を受け取りながら、直に聞けば否定されるに違いないとしても、ユーシムが優しいのは、もしかしたら会うことが出来ない弟のことを想ってのことかもしれないと、ぼんやり思った。
 ルシエとユーシムの人形に対しての考え方は違うのだろうが、心とはそれほど単純に割り切って考えられるものではない、それはユーシムの同じはずだった。



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