「ようこそおいでくださいました。壱の方さま。何もない城ではござますが、ゆっくりとお過ごし頂ければ幸いでございます」 「ありがとう」 ウィレクの城に入った第1王子一行を迎えに出たのは、その城主ではなかった。 城の些事をすべて取りまとめているのだという執事はまだ若い青年で、アンセルと名乗った。ほっそりとした立ち姿はどことはなしに気品があり、見るものをはっとさせる。 人形を王族の付属品といった扱いをする者もいるが、すっきりとした顔立ちにはしばみ色の瞳をした青年はきっちり礼を踏まえながらも、素朴な温かみがあった。細々としたことに気がついて、ルシエを丁重に扱いながらもよそよそしすぎない。 調度品なども客のためだけに誂えたものではなく、きちんと生活に基づいた実用性のあるものを揃えてあって、城主か、恐らくは青年の趣味らしい華やかすぎず、地味になりすぎない、落ち着いた雰囲気を持つものばかりだった。 焔の民への注意事項をたっぷり詰め込まれたルシエにしてみれば肩すかしを食うような穏和な青年に、ルシエはすぐに緊張を解いた。 「アンセルさまは、…不思議な髪の色をお持ちなんですね」 人好きのする笑みにつられて、ついも口が軽くなる。 歓迎のお礼にお茶に招くと、青年は快く受けてくれ、ふたりは小さな丸いテーブルを囲んでいた。 お茶そのものは花青官たちが用意したもので、透きとおった金色のお茶である。 天馬俥に積んであるそのお茶はルシエが好きなもので、口当たりは良いが、後味にさっぱりとした酸味が残った。アンセルはお茶について少しこだわりがあるらしく、花青官が用意したお茶に感動した様子で丁寧に香りを楽しみ、口に含んで顔を笑みで綻ばせる。 ルシエがそう口にしたのは、アンセルが焔の民の特徴を何も兼ね備えていないことにようやく気づいたためである。 ルシエは聞き逃してしまっていたのだが、焔の民はこの城の城主一族だけで、城に勤める者の殆どは土属性の精霊のようだった。 優雅な手つきで茶器をテーブルに戻し、アンセルはルシエの正直な感想に小さく目を細めた。 「ええ、…私は精霊ではないので」 「そう、なのですか?」 焔でも土でもないようだ、とだけ思っていたルシエは、想像もしなかった返答に手を止めた。別に精霊だけが住む土地ではないが、主人が精霊なら家人もそう、と思い込んでしまっていたらしい。 少し尖り気味の耳の形に付け根は深い碧で、毛先に行くごとに白に変わる髪色。 精霊ではないと言われて、ルシエは小さく首を傾げた。確かにそのような特徴在る容姿を兼ね備えた精霊がいるとは聞かない。青年から漂う涼やかな雰囲気はどことはなしにウィリスタのような木精を思わせたが、それも少し違うようである。 「あの…では、お伺いしても…?」 同属であれば隠そうとしても隠しきれるものではないが、王族のように複数の力を持ち合わせて、どこの何だと言えないものもいた。 精霊の中でも本性を知られることを嫌う者がいる。 ルシエの問いかけは少しぶしつけなものだったが、それに答える答えないはあくまで青年の自由である。 遠慮がちな人形の問いに、アンセルは頷いた。 「ええ。マズスギルです、壱の方さま」 「…とは、竜種のひとつの?白い鱗に…ずんぐりとした体で、長い尾と首で、2本の角がある」 「そうです」 「すごいっ。はじめてお会いしましたっ。天馬たちが"こわい"と怯えるわけですね、…あっ、いえ、もちろんあなたのことを気にしてというよりは、その」 興奮に頬を染め瞳を輝かせたルシエは己の失言におろおろと言葉を彷徨わせた。 城に入る前に天馬たちが上空で旋回し、すぐに降りようとしなかったのだが、そういう理由ならば納得できる。 しかしそれをそのまま言ってはまるで彼が悪いと言っているようなものである。 うまい言葉が見つからず焦るルシエに、アンセルはやわらかな微笑みをうかべた。 「どうぞ気になさらず。天馬たちには申し訳ないことをしました」 「い、いえ…」 天馬やマズスギルは大まかに幻獣種と呼ばれている。それら種の中でもマズスギルは竜種、幻獣種の中で最も高位の生きものだった。竜種とひとくちに言っても数は多く、四つ足のもの、翼を持つものなど多種多様で、その中でも人の形に姿を変えるものは特に力がつよいとされている。 天馬たちは竜種が持つ力の強大さに恐れ、本能的に逃れようとしたのだろう。それは間違いない。長じれば竜種に引けを取らないつよさを持つ天馬だが、俥を引く天馬たちはまだ若いので、そこまでは至っていないのだ。 「あれ…でも、虹彩が…」 竜種が人に変わると虹彩が縦に割れる、そう聞いたことがある。 しかし彼にはそうしたところはない。素直な呟きにアンセルは頷いた。 「一部の種族はそうなってしまうようですね。ですが皆、そうなるわけではありません。…壱の方さまは私が怖くはありませんか?」 やや怪訝そうなアンセルの問いかけに、ルシエはきょとんとした顔で頷く。 竜種は力の気配がつよく、力の弱い精霊の中には天馬と同じく竜種に圧倒され、恐れを覚えるものがいる。ひとつ間違えば、力の弱い方がその存在を消されかねないからだが、ルシエにはむしろアンセルの雰囲気は居心地が良かった。竜種を敬うのと恐れるのとは違うことである。 「いいえ?そうか…ふつうは僕みたいな力の弱い精霊だったら、怖がりますよね。すみません。アンセルさまの気配がすごいってことは分かるのですが、ちゃんと理解できていないのかも」 「理解などと…そのようなことをしていただく必要はありませんが、…精霊の方は敏感でいらっしゃるから、私の気にあてられやすようなのです。もし壱の方さまがそうではと心配していたのですけれど、安心いたしました」 「それなら、僕は大丈夫です」 怖じけないと言えば聞こえはよいが、つよい力の気配に圧倒されることがあまりないルシエは、危ない目にもたくさん遭っている。ある意味、危機管理がなっていないということになるのか、と思ったルシエの気持ちを読んだように、アンセルはうっすらと苦笑いをうかべた。 ルシエは気づかなかったが、話をしている間にアンセルはそっと力の気配をつよめてみたのである。それでもまったく変化を見せないのだから、もはや危機管理がどうという範囲ではない。恐らく生まれつきのものだろう。 アンセルは怯えられることに慣れているが、決してそれを歓迎しているわけではない。できるだけ気配を殺しているのに、それでも恐れをこもった目で見られてしまうのだから、ルシエの反応は新鮮だった。 それに、そうしている間にも少し懸命にアンセルの怖い部分を探そうとしているルシエの反応は、まるで怯えないといけなかったのか、と後悔するようである。それが妙におかしい。 自分が筋違いの心配をしていることに気づくことはなく、ルシエはただアンセルの表情から、不快に思われたわけではないようだと言うことだけを感じ取った。 「壱の方さまはおそらく、私どもの気配をはね除ける力をお持ちなのでしょう。そういえば他にそういった方にお会いしたことがあります。確か渡り風の…リィジアという方でした」 ルシエは目を丸くした。驚いた声をあげて、ルシエはアンセルを見つめた。 「えっ、あの、それは父です。風のリィジアと呼ばれるなら、それはたぶん…。その、アンセルさまは父をご存じなのですか?」 「渡り風のリィジアはあなたの父上でいらっしゃっる?」 「はいっ」 「そうですか。まだ少年であった頃のお父さまでしたら存じています。確かにその髪の色も瞳も、お父さまに良く似ておいでですね」 父親を知っているのだという青年に会ってルシエは胸を弾ませた。 このようなところで家族の知り合いに出会うとは思っても見ないことだった。 しかし奇妙なことにも気づく。 それを言う青年の方がずっと父親よりも若く見える。リィジアが少年であった頃なら青年は更に幼いはずだが、これでは年が合わない。 ただ同時に竜種が精霊とは違った時の流れにいることも思い出し、ルシエはひとりで納得した。 マズスギルはある一定の年齢を過ぎると姿形が変わらない。もちろん精霊の中にもそういった特徴を兼ね備えた者はいて、王族などが良い例である。 「あ、そういえば、父が言っていました。渡りからはぐれてしまった時に、深い森の奥で、自分を救ってくれた白い竜がいる、って。…そうだ。もしその方に僕が会うことがあったなら、お礼を言ってほしいと」 言いながらルシエは居住まいを正し、ゆるやかに頭を垂れる。 父親の恩人に対しどのような礼をとるべきかとわずかに迷ったが、判断が付く前に体が動く。ルシエがとったのは正式な人形の礼である。それが今のルシエが出来る最上の敬意だった。 「一の宮の人形から、深い森の白き方に心より御礼を申し上げます。ありがとうございました、アンセルさま」 「いえいえ、まさか壱の方さまにそうおっしゃっていただくことになるとは。どういたしまして、月色の子」 「ルシエさま。彼がマズスギルであることは、他の方には言わない方がよろしいでしょう」 1日の終わりに艶やかに流れる長い髪に櫛を入れながら、ツィーツェが話しかけてくる。 ルシエは大きめの鏡に映る己の姿を真正面から眺めながら、うとうととしかけていた瞳を瞬かせて顔を上げた。 湯を使わせてもらい、俥の中で凝り固まった体を丁寧に解きほぐしてもらうと、すっかり気がゆるんでしまって、眠いことこの上ない。眠りと目覚めの間を行き来しながら、自分付きの花青官を鏡越しに見上げた。 「なあに…?」 「アンセルさまのことです」 「………アンセル…?」 ツィーツェの手の動きはやわらかく、髪を梳く手つきには澱みがない。 髪に櫛を入れられる心地よい感触に目を細めながら、ルシエは珍しく自分からお茶に招いた青年のことを思い起こした。 若木のようなしなやかな立ち姿に、乳白と碧の髪の毛。 ごく若い青年のようで、時折年長者が持つような深い慈愛の眼差しがうかぶ不思議な雰囲気があった。 会ったばかりの人だが、ルシエはアンセルの持つ雰囲気を好もしく思う。傍にいるだけで落ち着けて、結局今日丸1日を城で過ごしても会うことが出来なかった城主マルフィルも悪い人ではないのだろうと思わせた。アンセルが仕えている人なのだから、それなりに人格者なのだろうとルシエは勝手に想像をめぐらせている。 「でもツィーツェ、彼は僕に教えてくれたのに…」 それもあっさりと、何でもないことのように本性を口にした。 「それはルシエさまが壱の人形で、いずれは王后ともなられる方だからでしょう」 「…………」 それはひどい過大評価だと言って良いのか、それとも違うと言って良いのか、ルシエは良く分からずに小さく首を傾げて視線を上向けた。 アンセルがその話をした時、すぐ近くに花青官たちが控えていたが、アンセルは彼らを気にする様子もなかった。言いづらいことを口にするなら、ふつうは多少なりとも周りを気にするものだと思うが、人形の話し相手はたいてい花青官か主人、あって同じ人形たちである。花青官たちはひどく口が堅いから、己が聞いた話を余所に洩らすこともない。その身の上がアンセルの口を軽くさせた可能性もあるが、ルシエは妙に納得できずに眉をひそめる。 そもそもツィーツェたちはアンセルの話に驚いたふうもなく、ただ静かに控えていたことを思い出して、ルシエは視線あげた。 「もしかして、ツィーツェは知ってた?それにそのことをアンセルも…?」 「ええ」 短いツィーツェの応えはどちらの問いにも頷くものである。 恐らくそれを花青官に教えたのはエルシェリタだろう。ルシエは小さく唇を尖らせて、自分だけが除け者にされるところだったのかと不満を露わにしたが、再び首を傾げた。 「それでも、城の人たちは…知らないの?」 「ここは城の方々だけではなく余人は、と付け加えるべきでしょうが、少なくとも本性をお告げになってはいないでしょう」 そういえば、とルシエは思い出す。はじめてアンセルが自己紹介をしてくれたとき、彼は自分がマルフィルの執事であること、アンセルという名であることは教えてくれたが、それ以上は何も言わなかった。 出迎えに現れた執事に対し鷹揚な返答を返したエルシェリタも、ただアンセルと呼んでいた。親しい仲であればいちいちどこの誰それと呼び名を付けたりなどしないが、公の場でただ名だけを呼ぶのは珍しい。 「そっか…、そうだよね。難しいね。気づいているかいないかは別にしても、相手は竜種だもの。びっくりしてしまう人も多いのだろうし、万が一変化が解けたらどうしようって思ってしまうかも知れないし、……あれ、マズスギルって、体の大きさはどれぐらいだったっけ?」 「さほど大きな種族ではありませんから、ぎりぎりこの部屋に収まるぐらいではないでしょうか」 あっさりとしたツィーツェの問いに、ルシエは自分の倍ほどの高さをもった天井と、5人ぐらいは1度に寝られそうな大ぶりの寝台を入れた上に数人で舞い踊れそうな広さをもった部屋を鏡越しに見回して、堪えきれずに口もとをゆるめる。 わあと騒ぎながら逃げ出すのがふつうかもしれないが、わあと叫んで飛びつきたくなるような大きさだとルシエは思った。そんなルシエの表情に気づいたツィーツェがわずかにため息を吐いて見せたが、それにも気づかない。 「いいなあ…」 それほど大きな体ならば、どれだけの速さで飛べるのか。 竜種は翼があろうがなかろうが飛行能力が備わっているのがふつうなので、恐らくマズスギルも飛べるだろう。 実際には見たことがない白い鱗で覆われた体を想い、風を切って飛ぶ姿を想い、ルシエはうっとりと目を細める。 思いを馳せているうちにすっかり眠気が抜けてしまったものの、無意味な夜更かしを認めるツィーツェではなく、さっさと寝台の中に押しやられたルシエは、深い森の上を行く白い竜の夢を見ながら眠りへと落ちた。 |