「月吹く風と紅の王」



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 ウィレク城主マルフィルは、悩んでいた。
 深い森の奥を歩きながらちらりと傍らに目をやる。さらってきた少年は落ち着いていて、逃げる様子もない、それは良い。
 午睡用の薄い衣にマルフィルが貸した無骨なサンダルを履いた姿と、袖も裾も長い上品な身なりの花青官とが自分の隣を歩いているのは違和感があるが、それまた問題はない。
 マルフィルを悩ませているものがあるとしたら、それは、
「あの…マルフィル様…、先ほども同じ道を通られたように思うのですが…」
 その言葉通り、マルフィル自身にあった。
「うんうん、ルシエくん、俺もそうかなあ…って思っていた」
「…………」
「…………」
「帰りましょうか、ルシエさま」
「うわっ、待てって、お願いっ、もうすぐ、もうすぐだから!」
 手に手を取り合ってきびすを返そうとする2人の服の端っこを懸命に掴んで、マルフィルは引き留める。
 泣きそうになりながらも急いで辺りを見回し、見分けられそうな目印を探すがどこを見ても同じような木々が続くばかりである。
「あと少し、少しだけだから…っ」
「それをおしゃるのは8度目です」
「9度目の正直って言葉があるだろ」
「ありませんね。そのような言葉を新しくつくっていただく必要もありません」
 ツィーツェは容赦なくマルフィルの言葉を否定し、当てつけがましくため息を吐いた。
 ここで見捨てられたら何のためにここまで来たのか分からないと、マルフィルは必死だ。ツィーツェたちが息を殺してそっと離れようともすれば、すぐに気づいてしっかりと腕や服を掴んでくる。意外に隙がなく、なかなか離れられないでいるツィーツェたちだった。
 今回も再び森の中を進むほかなくなり、この鳥頭…とごく小さな声でツィーツェは罵る。
 風除けを張っていなかったため、マルフィルの頭にあった鳥の羽は吹き飛んでしまったが、その風でただでさえぼさぼさだった茶色の髪は鳥の巣のような絡まりようになっている。まさに鳥(の巣)頭のようである。本人は自分の頭の様子を見ていないので否定のしようがないが、きょろきょろと頭を左右に振りながら歩き、度々首を傾げていると、まるで鳥が歩いているようだ。
 言い得て妙にしっくりくる鳥頭を抱えたマルフィルは、立ち並ぶ梢を見上げて途方にくれたように首を竦めた。
 ウィレク城主マルフィルは放浪癖の持ち主だとツィーツェから教えて貰ったルシエだが、もしかしてそれは迷子癖の間違いではないかと思う。空から深い森のただ中に降りた後、マルフィルは目指す場所に辿り着けず、さっきから同じところをぐるぐる回っていた。
 あまりに思い悩む様子に少しだけ情け心が出たのかもしれない。ツィーツェはやや声を和らげて、森の上から場所を確認してはと提案したものの、マルフィルは辺り一面永遠と続く森の姿を一望して更に訳が分からなくなってしまったようだ。
 目印は4つのうろがある木などと、全くもって目印とはほど遠いことを呟きながら森の奥へ進む。
 もちろんマルフィルは真剣だった。しごく真面目にはじめて入った森の中で目指す場所を探している。ただし地図も確かな手がかりもないままであるのは、ルシエたちには教えられない事実である。飛ぶことが出来るので2度と出られなくなると言う危険性がないからこそできる無茶だったが、無謀には変わりない。
 道を知らない案内役を数歩下がって追いながら、ルシエは真横にぴったりついた花青官を見上げた。
「ねえツィーツェ…、ここ…」
「ええ、幻獣の森ですね」
 ルシエがいいためらったことをツィーツェはあっさり口にする。その声に怯えや憤りはなく、ただたんたんと事実を伝えるだけのものだったことにルシエは少しほっとした。少なくともツィーツェはいつも通り冷静だ。万が一急に逃げなくてはいけなくなっても、これなら対応できるだろう。
 そこかしこに漂うつよい気配はここがのんびりうろついても良いような森ではないことを示している。
 幻獣の森とはそのまま幻獣が住む森のことで、古い森であることが多い。
 人里近くに幻獣の森があるのは珍しいが、もともと土地の気が豊かな場所だと考えればおかしくなかった。そういった場所には精霊、幻獣に関わらず、自然と引き寄せられるものである。
 幻獣の森は危険な場所だが、生い茂った木の葉が陽光を遮り、薄暗がりの中にちらちらと小さな生きものが瞬いて見えるのは、どこもかしこも明るさに満ちていて平和のひと言に尽きる。ただそれは束の間の姿。
「マルフィル様、出直しましょう?この森は、陽が落ちてからでは危ないです」
 この辺りは太陽が沈むのが早く、ただでさえ暗い森の中で陽光を失えば真っ暗闇になってしまう。マルフィルは自在に焔を灯すことができるが、使い方を誤れば森を燃やしかねないので多用できない。
 暗くなれば今は姿を見せない危ない獣も出歩くようになり、細く伸びた梢が邪魔をして、飛び立つのも苦労する。こうした森は陽が落ちてから歩くものではないと、ルシエは学んでいた。人形になる前、好奇心からこうした森を歩いて散々な目に遭ったことは1度や2度ではない。
「夕暮れが最適らしいんだよ。夕朱の珠って言うんだ」
「…それは…、気石の?」
「おおっ、良く知ってるなあ。すぐに話が合う奴ってなかなかいないんだ」
 ルシエの言葉にマルフィルは顔を笑みに綻ばせる。まさか話が通じるとは思っていなかった。
 喜ぶマルフィルとは逆に、ルシエは少し困ったように目を伏せた。
「でも確かそれは、幻の気石だったと…思いますけれど」
 術に使える気石を探すために、そういったものを扱った本も読んだことがある。
 そのことをたまたま思い出しただけだったので、まさかマルフィルがこの森で探しているのがそれだと、すぐには頷けない。
 しかしマルフィルはそうしたルシエの戸惑いなどまるで気づかない様子で大きく頷く。
「そうそう。俺もまさかこんなところにあるとは思わなかったんだけどさあ、最近読んだ文献の中に書いてあって、急いで帰ってきたんだ。でも夕朱の珠は清らかな少年しか手に出来ないってあるから困って」
「……清らかな…少年」
 それがいったいどういうものを指すのか、ルシエには分からない。分からないなりに少なくとも自分ではないことは確かだろうと思う。
「僕は人形ですし、男ですが」
 清らかなという形容詞を受ける者は大抵少女である。年齢的には合うかも知れないが、それだけである。
 本当にそんなことが書いてあったのだろうかと訝しげなルシエに対し、マルフィルはまるで何の不思議もないように自信満々だ。
「大丈夫大丈夫。まさかそうとは思わなかったんだけど、ルシエくんの雰囲気、すごく良いだろ。清らかってこういうのを言うんだよ」
「あの。たぶん間違いなくマルフィル様のご期待にはそえないと思いますので、別の方法を考えられた方が良いです」
「うわ、はっきり言うねえ。ルシエくんは」
 マルフィルがあまりに大きく目を見開くので、ルシエは少し言い過ぎただろうかと思ったが、言い直す気にはなれない。なるべくすぐにこの森を出た方が良いと思ったし、早々に諦めて貰った方が他の選択肢を選び取りやすい。
「公子の無謀な計画に付き合われるほどルシエさまは暇ではありません。それにルシエさまにお声を掛けられるのなら、それなりの手順というものがあります」
 ツィーツェはやや厳しい表情でマルフィルを見る。
 清らかな少年を勝手に森の奥に連れてくるのも難はあるが、壱の人形であるルシエを勝手に連れ出されるのは更に問題である。
 たとえマルフィルが正式な手順を踏んだとしても、とてもではないがルシエを外に連れ出すことなど不可能だったに違いない。そもそもそれがルシエである必要は全くないないのだから、尚更だった。
「それじゃ遅いって。姿を見せるのは一瞬っていう気石もあるんだ」
「そのような冒険はおひとりでなさって下さい」
 にべもないツィーツェにマルフィルは少し怯んだようだが、負けじといかに様々な特性を持った気石があるのかを力説し、その魅力について語る。
 語られれば語られるほどにルシエもツィーツェも、ちっちとも理解できないと思ったが、その魅力にマルフィルが虜になっていることだけは良く分かった。
 紅想石の優れた加工法を見つけたマルフィルだが、どうもそれが気石を追い求める途中で見つけた副産物に過ぎず、そのことに大した価値も感じていない。そうしたことを感じ取ったが、もともと好奇心旺盛で赴いた場所は気が済むまで探らずにはいられなかったルシエである。気石の魅力に関しては分からなくても、その探求心だけは良く分かった。
「それは確かにとても楽しいことだと思うのですが、この場所はちょっと…」
 せめて明け方から昼頃までなら良いだろう。
 ただそれでは夕暮れならより見つけやすくなると思っているマルフィルが同意するはずがない。
「危ないってことは分かってる。だからちゃちゃと探して、さっさと帰ろうと思うんだ…」
 迷子になっている時点でそれは適えられていない。しかしマルフィルは諦められなかった。後もう少しだけ探す、そう思って今まで色々な地を歩き、様々な気石を見てきたのである。
「文献ではこの辺りのはずなんだけどなあ…」
「今お持ちですか、それ」
「ああ勿論」
 どういう結果になるにせよ、ここから出るためにはマルフィルには満足して貰う必要があると、ルシエは気持ちを切り替える。
 幾ら帰ろう早く出ようと言っても、かつてのルシエだって言うことを聞かなかった。見たいものを見るまで、あるいは、今日は無理だと納得するまでは引き下がれない。
 木洩れ日を探してルシエはマルフィルから借り受けた巻物を紐解いた。
「…………」
 巻物を見て、ルシエは少し肩を落とした。
「古語で書かれている上に虫食いが…」
 ルシエに影をつくらないよう慎重に屈んだツィーツェもまた、切れ長の双眸を眇める。
 その上、執筆者はずいぶんとくせ字のようだった。読みづらいことこの上ない。
「すごいな、今時の人形って古語も読めるのか」
 ひとりマルフィルだけはのんきに感心している。
「……ええ、まあ」
 ルシエは術に使えそうな文献を読むためだけに会得したので、一般には読める者が少ない古い言葉をたしなむ人形が他にもいるのか分からなかったが、ここでは話がややこしくなるだけなので適当に相槌を打つ。
 巻物の中身は書き手の過去の人生を語るところから始まった。
 書き手いわく、幼少の頃はよく転ぶ子どもだったとか、川にもはまったとか、そういうことから、借りたお金を返すための算段まで。
 先行きに不安を覚えながら読みすすめていくと、若い頃に出会った不思議な体験に続いていく。
 ふと思い立って旅に出た彼、もしくは彼女は、ある日北の森の中に足を踏み込んでしまった。そこは大勢の幻獣が住む森だったため、すぐに出ようと思ったが、出口を見失ってしまい困り果ててしまった。
 このままでは夜が来る。恐怖に身を押しつぶされるようにしながら歩き進むと、不意にひらけた場所に出た。そこには小さな石像がぽつんとひとつ立っていて、傍らには4つのうろがある木が立っている。
 訝しげに思って近寄ろうとした瞬間、降り注ぐ夕陽の中にぽうっと光り輝く珠を見た。その瞬間彼の体は浮き上がり、ふと気がつくと森の外に出ていたのだという。
「そのことから思うに、転移珠の一種だと思うんだよな」
「…自然に生まれた気石に転移の力が?」
 変わった力を秘める気石は数多くあるが、転移は難しい術である。
 自然に出来るとは考えにくい。やや眉根を寄せたルシエに形勢不利と見て取ったらしいマルフィルが言いつのる。
「最初はそうした力は持っていなかったかもしれない。でも長い間をかけて、誰かが触れたり、近付いたりしているうちに変異していった可能性もある」
「有り得なくはありませんが…、石像という記述も気になります。自然にできた気石ではなく、誰かが作ったものではないでしょうか」
「そっかあ?俺には自然の神秘だと思うけどなあ」
 意見の相違はともかく、この文献だけで確かな場所を読み解くことなど到底不可能である。地図も書かれているものの、虫食いが激しく想像だけが頼りだ。
 分かるだけの情報を集めて考え込み始めたルシエの代わりに巻物を戻しながら、ツィーツェは木々の合間から覗く空がかげり始めたことに気づいた。道に迷っている間に思いの外時間が経ってしまっている。
 ツィーツェの胸に少し焦りが生まれた。このままではいけない。
 何らかの手を高じなければならないと思ったが、離れていても会話ができる範囲はせいぜい王宮と花青宮ぐらいの距離で、このままでは連絡を取り合うことはできない。
 マルフィルの望みを叶えることよりも、ルシエの身の安全の方が重要である。
 そう思ってルシエに視線を移したツィーツェは、何かを思いついたようなルシエの明るい顔を目にして、内心眉をひそめた。今すぐにでも帰らなければならないのに、ルシエの意識はそこから離れて行っているように見える。
「成功するかは分かりませんが…石の気を探ってみましょうか」
「石の気を…探る?」
 ルシエの提案にマルフィルは首を傾げながら、足もとを軽く漁った。
「石って…この、いっぱい転がっているやつのことか?」
「いえ、ある程度まとまったもののみです。石像というからにはある程度の大きさがあると思います。たとえば、こぶし3つ分よりは大きいと仮定して、それより大きな石の気配を探すんです」
「割れている可能性もあるし、地中に埋まっていることも…。数もすごいんじゃないか?」
「ですが、やってみないよりは良いと思うんです」
「そりゃそうだけど」
 マルフィルは頷きながらも、煮え切らない。頼りなさげに目尻を下げる。
「でも俺、そういった術はあんまり得意じゃないんだよ…」
 気が乗らない理由を悟って、ルシエは微笑みをうかべた。提案したからにははじめから自分がするつもりだったが、しょんぼりと肩を落としたマルフィルの姿は妙に可愛らしい。
「よろしければ、僕がやってみます」
 失せもの探しの術なら何度か試したことがある。
 今回の目的とは違うが、応用できるかも知れない。何か言いたげな花青官の姿には気がついていたものの、少し冒険心もくすぐられていたルシエは構わず術の支度をはじめた。
 適当な棒きれを拾い、落ち葉の少ない地面に丸く円を描く。
「土よ。光よ。我が言葉、我が名の下でひとつの大いなる力へとかわれ」
 円に集めるように音を放ち、その上で環にした指先を左右に引く。
 指先の間にあらわれた光の紐を広げながら円に変え、力ある言葉を混ぜ合わせながら、形をつくった。何の言葉もいらない術もあるが、術者が使う術としてはルシエの言葉はひどく短い。ただそれでも音を重ねた方が複雑な術は成功しやすいので、はじめの言葉に続き、ルシエは幾つかの音を混ぜ込む。
 あっという間にそれは完成し、ふんわりと長い尾を垂らした鳥が羽を広げて舞い上がった。
「あの鳥の後を追ってください」
「よしきた」
 請け負ったマルフィルが走り出す。
 ルシエは足を使って走るのがあまり得意ではない。正直術を使うよりも辛い。ツィーツェに助けられながら、ルシエは石の気を探す鳥を追うマルフィルの背を、ひたすら追いかけた。



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