「月吹く風と紅の王」



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 エルシェリタはマルフィルの意見に賛成したわけではない。
 その言葉に同意しただけである。これは少なくとも彼にしてみれば、同じようで同じではない。
「重要なのはこの場所の力。夕朱の珠のあるなしは全く関係ありません」
「……ま、そうだよな。おまえならそう言うと思ったけど……」
 取り越し苦労だったと納得しながらも少し残念なマルフィルである。
 それを顔に出さないよう注意しながら、マルフィルは気持ちを切り替えた。
「それで、どうするって?」
「分かりませんか?」
 生徒の答えを待つ教師のように、エルシェリタは悠然と待ち構えている。すぐに教えてくれはしないらしい。
 面倒くさいと言わんばかりに鼻筋を歪めつつ、マルフィルは鳥の巣のようだった髪を片手でぐちゃぐちゃに掻き回しながら考えた。
「点と線…、のことか?」
 マルフィルが得意なのは気石探し。
 それ以外のことはあんまり得意ではない。けれどこの場合なら、その知識を生かして良いのかもしれなかった。
「そうです」
 エルシェリタは頷く。正解は嬉しいが、マルフィルはあんまり喜べなかった。むしろ当たって欲しくなかったぐらいである。
「でも、これぐらいの場所なら他にもあるし、こういうところなら気石ができやすいってだけで、確実でもなければその流れを利用するのも難しい」
 ありとあらゆる場所を流れる力の粒が集まりやすいところ、ひと筋の流れとなりやすいところ、そういったものがある。ここもまたそうしたひとつであり、石のあるところ辺りを境目に力の流れが混ざっていた。
「焔の者なら焔の気、風の者なら風の気、それらを取り込むことはごく簡単なことです。ですが別の力を取り込めないわけではありません」
「そりゃそうだけど、いろいろ問題があるだろ。それ用の術具があればともかく、大体それを作るのだってものすごく難しい計算式をこなさなくちゃいけない」
「ええ」
「…………悪いんだが、俺は出来ない。エルシェリタ、できるのか?」
「いいえ?」
「エルシェリタ、おまえの力は強い。頭も良い。だけどそれで何でも出来る訳じゃない。無謀すぎる」
「マルフィル。何の手がかりもなくそれを行うと、私は言いましたか」
「えっ。…あるのか、何か?」
 てっきりこの場所の力を何の準備もなしに使おうしていると思っていたマルフィルは、違ったのかと照れ笑う。
 けれどすぐ真顔になった。ふつうの人相手ならなるほどと納得して引き下がるのだが、この友人相手には通用しないのである。
「今からその支度をするとか言わないよな?」
「言ってはいけませんか」
「だから、どうしてそういう無茶無謀をさらっと言うんだよ…」
「思い違いをしていますね」
 煙に巻かれることさえ幾らでも経験しているから、マルフィルが疑わしげな顔を上げる。
「なら出せ、今ここで出せ、何か出せ」
「ツィーツェ、あれを」
「はい。どうぞ、公子」
「……………?」
 ツィーツェは胸もとから手のひらにのるような小さな冊子を取り出す。それを渡され、マルフィルは首を傾げた。本当に思い違いの証拠品が出るとは思わなかったマルフィルである。
 念のため開いても良いのかと確認を取ってから、手に付いていた土を払って冊子をめくったが、マルフィルはすぐに後悔した。
「う……なんだこの、小難しい式は…」
 恐らくツィーツェの手によるものだろう。細かくみっしりと書き込まれた字を追って、半分行く前に音を上げた主人に代わり、アンセルが冊子に目を通す。
「私は余り精霊術には詳しくありませんが、面白い組み立てですね」
「まだ完成していませんが、ルシエが最近取り組んでいるもののひとつです」
「……っえ。ルシエくんが考えたのか、これっ?ほんとに?王宮付きの術者とかじゃなくて?」
 改めて冊子を覗き込んだマルフィルは、小さな字の羅列を目にして頭が痛んだように額を押さえ、目眩を払うように軽く首を振った。もう1度見直しても頭の中身が入れ替わるわけではないので、ついていけないことには変わりない。
 1度にすべて目を通すことは諦め、マルフィルはひとつずつ丁寧に見ることにした。それなら少しずつ読み解いていける。
「そういえばあの鳥も…すごく簡単そうに出してたけど、……あれって難しいよな」
「鳥ですか?」
 ここに来た理由は話したが、どうやって辿り着いたかはまだだった。ルシエがつくった石を探す鳥のことを説明しつつ、マルフィルは小さく唸る。
 冊子の中に書き込まれた術の組み立ては、とてもあの少年が考えたものだとは思えない。それはルシエ自身の見た目や人形だからというわけでなく、あの年齢の少年が、ということである。
「古語も読めてたし、花青宮じゃなくて学術院に入るべきじゃないか?エルシェリタ、ちゃんと考えてやれよ」
「……何をです」
「だからさ、ルシエくんのことだよ。高位術者とかにもなれるんじゃないのか。そうなったら名誉もお金も入るし、世のため人のためにもなってさ………」
 言いながらマルフィルはふっと口を閉ざした。それは目の前の友人に向かって言うようなことではない。
 王族が人形を持つのは当たり前のことである。
 その是非はともかく、彼らはそうして来なければならなかったことを、マルフィルは知っている。
 知ってはいるが、もし少年が望むなら術者の道を歩むべきだと思う。できることなら、少年の気持ちと友人の気持ちが同じであればと願うものの、それがひどく勝手なものだとも分かっていたから、続きを口にすることが出来ない。
「なんです?マルフィル。急に黙ったりして」
「いや…。早く元に戻ると良いなと思って」
 ええ、とエルシェリタは微笑んで見せたが、しばらくの沈黙の後、その場の視線はとても冷たいものへと変わる。
 ルシエが竜種に魅入られ、感情を失ったのは不慮の事故だとしても、そもそもここに連れてこられなければそうならなかったのである。
 幻獣の森にルシエを連れてきたのはマルフィルその人だ。言うことに事欠いて、と言わんばかりの周囲の様子を感じ取って、マルフィルは気まずそうに視線を逃がした。
「分かってる、分かってるって…」
「何がです?」
「や、だからさ、俺が悪いんだけどさ、でも…月に属する精霊は幻獣に攻撃されにくいって言うじゃん…」
 幻獣の中には月の輝きを糧とする者がいるので気配が似ているからだとか、昔々の盟約があってそうしないなどと言われているが、確かなことは分かっていない。
「逆に甘く芳しい香りがするとも言われていますけれど」
 極めて冷静にそう口を挟んだのはアンセルである。
 マルフィルはちょっとぎくっとしたように肩を揺らした。
「でも、でもさ、アンセルは平気だろ?芳しくないだろ?」
 一生懸命同意を得ようとするマルフィルをアンセルは微笑みでかわす。
 どちらだろうが、ルシエを危険な場所に連れてきたことには変わりない。攻撃されない、のではなく、されにくくなる、という話なのだ。一生懸命取り繕おうとするマルフィルを彼らはさりげなく視野から外す。もともと眼中にない、と言わんばかりの対応である。
「しかし、驚きましたね」
「ええ、そういえばこのどうしようもない人には時々、こういうところがありました。決して聡い方ではないのに、妙に鋭いことを言ったり」
「おまえら…、俺を貶して楽しいか」
「はい」
「ええ、もちろん」
 2人揃って大きく頷く。
 ツィーツェはあんまりにもきっぱりとした彼らの反応に肩を落とすウィレク城主を見て、遅い、とだけ思った。今更そんなことに気づくとは、遅すぎる。
 ひとりを覗いて全員からひどい感想を貰うはめになったマルフィルは遠い目になりながらも、それで、と話を戻した。
「俺が何かしたか」
「ええ。マルフィル、ルシエは風の精霊なのです」
「ああ、なるほど。飛べたもんな。………えっ?なんて?」
「ですから、風の精霊です」
「でも、ええ?…そういや、見た感じ月光じゃないし、…?」
 考え込むように首を傾げたマルフィルに対し、エルシェリタとアンセルは顔を見合わせた。今まで全く気づいていなかったと言うことらしい。それはそれで大いに問題である。
「きちんと分かっていないまま、人を攫うなどと。ひとつ城の主人がそんなことでどうします。その場から離れただけでも弱ってしまう精霊だっているでしょうに。少しはものを考えて行動してください」
「その辺は俺だって考えたけど、ルシエくんなら大丈夫だと思って」
「マルフィル。根拠のない自信を抱かないように。本当なら人形を攫って、気づきませんでしたでは済まないのですからね。直感だけで動くのはやめて下さい」
「……ごめん、反省しています…」
 これ以上ないまでにアンセルの瞳がつり上がったのを見て、マルフィルは大人しく頭を下げた。
「本当に申し訳ありません。エルシェリタ」
「いいえ、良いんですよ。後でたっぷり反省をしてもらう予定には変わりはありませんし」
「もちろんです」
 もう反省します、というマルフィルの心の訴えは誰にも届かない。
 悪いのは自分だとしてもアンセルとエルシェリタは年々、自分に対して冷たくなる気がする、とはマルフィルは思ったが、これ以上の墓穴を掘るわけにはいかないので黙っていた。
「話を戻しましょう。つまり、この覚え書きを使おうと思っているのです」
「後半にあった記述ですね」
 手にしたままだった冊子をエルシェリタに返しながら、アンセルが素早く応じる。彼は精霊の術には詳しくないが、マルフィルよりはずっと造詣が深い。
「もとは別の用途で考えられたものでしょうが、良い出来だと思います」
「ええ、ですが少々式が長いので、アンセルにも手伝っていただければと思いまして。どうでしょう、構いませんでしょうか?」
「もちろんです」
「マルフィル、お願いできますよね?」
 アンセルには年下というせいもあって控えめに申し出ているものの、マルフィルに対してははじめから拒絶することなど認めていないエルシェリタである。
 そのことを良く分かっているマルフィルは、大人しく頷きを返した。ここで冗談でも断ったら後が怖いと、それぐらいの知恵は回る。
「がんばります」
「よろしい、では…」
「……………」
「………エルシェリタ…?」
 美しい顔から微笑みがかき消えるのを、マルフィルは目の当たりにした。
 優しい言葉の奥で毒を孕む彼の本質を知っていても、その微笑みにはやわらかさがあり穏やかさがあった。冷ややかさの中にもひと筋の温もりがある。
 しかしそういったものが取り払われたエルシェリタには、ただ恐ろしさしかない。マルフィルは身の毛をよだたせながらも、そうなる様を見続けるしかなかった。
「エルシェリタ、いけません…っ」
「な、なに。わっ」
 人形をしっかり抱えたまま腕の中に倒れ込んできた王子を抱き留め、マルフィルは途方に暮れる。
「頼むから、ひと言断って行けよ……」
 マルフィルの呟きに応える者はない。意識を失ったエルシェリタの顔は穏やかそのものだった。



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