「月吹く風と紅の王」



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 薄く紗がかかったような意識をルシエはゆっくりと浮かび上がらせた。
 ここはどこなのか。今まで何をしていたのか分からない。
 ただひどく心地よく、このまま瞼を閉じてしまいたかった。
 どこで何が起きているのだとしても、このまま微睡んでいれば良いのではないか。
 そういった誘惑にかられる。

 "なんてね"

 趣味でやっているだけの術組みでも、たまには役に立つんだな、とまるで他人事のようにルシエは思った。
 重さの残る瞼を意識して押し上げる。心地よさはまやかしだ。
 口の中で術払いの言葉を紡ぐと、完全にと言うわけではないが絡みついていた眠気が晴れる。
 葉乳を垂らしたような白さに包まれた場所だった。あるのはその白さだけ。
 一応立っていられるようなので地面らしきものはあるし、歩けば進む。ただし天井も壁もなく、少なくとも地面と同じ色なので見分けが付かない。
 上から見た方が早いだろう。軽く床を蹴って、ルシエは首を傾げた。
「ん?」
 別に弾みをつけなくても浮き上がるはずが、跳ねてもすぐに着地してしまう。
 おかしい、とルシエは思った。
「えい、とう、てい」
 かけ声を掛けてみたが気休めである。
「…どうやって飛ぶんだっけ?」
 歩くより先に飛べるようになる風の精霊だから、今までそんな疑問を抱いたことなどない。
 ルシエは左に傾けた首を右に傾け、開いた手のひらにぽんとこぶしを当てた。
「あ。飛行術の本、1度も読んだことがない」
 幾ら記憶をさらっても出てこないわけである。
 風の精霊が飛べるのは厳密に言えば術ではない。強いて言えば、風だから飛べるのである。
「後でお願いしよう」
 飛行術が載った本を手に入れて貰わないといけない。ツィーツェに頼めば何とかしてくれるだろうと結論づけ、ルシエは改めて周囲の様子を丹念に眺めた。これぐらいのことで驚いていたら、エルシェリタの人形はやっていられない、とルシエは思っている。
 ここはどうやら空間の狭間と呼ばれるものなのだろう、とルシエは考えていた。
 空間の狭間とは、あらゆるものがあり、あらゆるものがない、とされる場所である。
 マルフィル辺りなら、つまりどういうことだと訊ねてくるだろうが、そうとしか言いようがない。誰もそこへ意識して辿り着くことはないが、誰かしらははまり込んだことがあるところなのだった。
 眠りの間に見る夢とも似ている。
「夢はどうやったら目覚める?狭間にも応用できるかな?」
 でも夢は夢であり、狭間ではない。
 考えながら親指と人差し指で輪をつくり、なるべく真ん中を通るようにふっと息を吹きかける。
 小さなつむじ風が淡い光を帯びて輝き、そのまま消えてゆくのを確かめてから、ルシエはもう1度輪に息を通し、片方の手で素早くそれを捉えた。糸を絡めるように手のひらに巻き付けてにこりと微笑んだ。
「手順さえ踏めば良いのか」
 そうすれば術は使えるようだ。
 それは風の力を持った者なら、すぐにできる簡単なものである。本当なら指や息などを使わなくてもできるが、恐らくここでは出来ない。だからこれは風の精霊以外でも使えるやり方である。慣れてくると輪に通さなくても巻き取れるようになった。
 巻き付けた糸で手のひら全体が光を放つようになってから糸を外し、ひとまとめにして粘土のようにこねる。繭のようになったそれを手のひらで伸ばし、丸く平らにしてから、ルシエは大きく振りかぶった。力一杯上へと放り投げる。
「わ、とと」
 ぱきん、と枝が折れるような音を響かせてそれが落ちてくる。
 体をすっぽり覆うほど大きな円盤を床にぶつかる寸でのところ掴み取って、ルシエはほっと胸を撫で下ろした。
「落ちたら割れるんだった…」
 それをつくるのは大抵空で、受け止めるのも風だったからうっかりしていた。
 ルシエは薄い円盤状のそれをもう1度真上に放り投げ、指でつくった輪に息を通す。糸状の光を綾取りのように指に絡めて落ちてきた円盤を受け止めた。それをゆっくり水平にして離すと、胸もと辺りで浮きあがったまま、それ以上落ちない。
 淡く光を帯びた膜のようなそれに乗り込むと、ゆるやかに動き出す。
 それは風の力で編んだ風布のひとつで、飛び慣れない子どもたちが空の上で休憩をする時に使うものだった。はじめは大人たちの力を借りてつくり、その場をゆるやかに旋回させたり、留め置いたりして使うが、長じてくると弾力を持たせてその上で跳ねて遊んだり、逆に固さを持たせて階段状にしてみたりと、遊びの中に取り入れて使う。
 今の今までその存在すら忘れていたが、幸いうまく作れたようである。ルシエはにっこりと頬をゆるめた。風布は得意なもののひとつだったから、体が覚えているようだ。
 歩くより飛ぶ方が速くて楽、という風の精霊は歩きがあまり得意ではない。ルシエは歩くことが嫌いではないのものの、長い時間歩き続けられるようには出来ていない。
 森を走り回って疲れ切っていたはずの体は不思議と軽く、息切れひとつしなかったが、歩くよりは飛んだ方が良かった。
「とりあえず、見てみないとな」
 風布の上に俯せになったまま、幾つかの力ある言葉を繋いで勢いよく上昇する。周囲に張り巡らせた風のおかげで、たとえ急に天井が現れてもぶつかる前に気づくことが出来るから、ためらいはなかった。
 空間の狭間に体ごと挟まっているのか、意識のみがここへ訪れているのか。
 恐らく後者だろうとは感じていたが、どちらにせよ幻獣の森にいたはずがこうなっているのだから、なるべく急いで戻らなければならない。残してきた体をツィーツェやマルフィルは守ってくれるだろうが、のんきに構えていたら、戻るべき体を失うなんてことになりかねないのである。
 それはさすがに困る、とルシエは思った。




 どれだけ行っても辺りの景色は白色のまま変わらない。
 すぐに天井や壁に行き着くことはないということだけが分かり、これ以上は無駄だと分かってくると、気持ちもだんだんゆるんでくる。
 何か方法を見つけなければならないとは思うものの、単調な景色には飽きが来る。
 うつらうつらしながら地面に近いところを浮遊していたルシエは、いつのまにか周りの様子が変わっていることに気づいた。
 風布に乗った己を映す水面と、空。
 頭上を見上げれば雲ひとつない星空に月が見え、ひんやりとした夜の風が肌を通り過ぎていく。
 布の端から水面に手を伸ばすと水の冷たさが指先をくすぐるように触れて、ルシエは目を細めた。
 狭間を抜けたのだろうか、と思ったが、何となくそう思えない。
 水面を手のひらで乱しながら、ゆったりと風をまとわりつかせて滑るように進んだ。夜の闇を吸い込んだ水面は浮遊するルシエの姿形をくっきり映し、底を覗かせない。見たところ、水面の切れ目も見つからなかった。水気には潮の香りがないので、恐らくは湖だろう。ただ恐ろしく広く、岸が見えない。
「ねえ」
「…………」
「ねえってば」
「……ん…?」
「あ、こっちを向いた。こんばんは」
「……!こんばんは。…」
 まさかそこに人がいるとは思わなかった。
 風布の上にちょこんと座った青年から、嬉しそうな微笑みを向けられる。体を起こして同じように座ってから、ルシエはいつのまにか同乗していた青年を怪訝な顔で見つめた。
 いったいどこからやってきたのか、と思ったものの、それよりも声をかけられるまで全く気づかなかったことの方が不思議でたまらない。気配を殺すこと自体はそれほど難しいことではないが、風を遮ることも揺らすこともなく、風に覆われた風布に近付くことなどなかなかできることではなかった。
 青年は夜を淡くしたような紺色の髪と淡い水色の瞳を持ち、その横には瞳をもっと淡くしたような透きとおる耳がついている。それはルシエの手のひらよりも大きくて、余程薄いのか、風の中でわずかにはためいていた。
「ぼくはリリク。君は?」
「ルシエ…」
「ルッティーエ…?」
「いや、ルシエ」
「ルッジャジエ?」
 言葉は通じているはずなのに、名だけがうまく伝えられない。
 ルシエは聞き取りやすいよう、音を切ってみることにした。
「ううん。ル・シ・エ」
「分かった。ルーシェ」
 どうしても言いづらいらしい。ルシエはそれで良いと頷いて、青年を見やった。にこ、とうかべた青年の笑みには愛嬌があり、警戒心の欠片もない。
「リリク、ここがどこか知っている?」
「うん。ここは×××××」
「×××××…?」
「そう」
 リリクが使ったのは少なくとも精霊の言葉ではない。どちらかと言えば竜語に近かった。ルシエはアンセルのおかげでリリクが言ったとおりに音を紡ぐことはできたが、意味はさっぱり分からなかった。
「ごめん、分からない」
「あれ?そうなの?」
 不思議そうに首を傾げたリリクにルシエは頷きを返す。
 リリクは眉を小さく寄せて唸った。
「困ったな、そうとしか言いようがないんだよね。でもあれだけ音をつくれたら、意味もすぐに分かるようになると思うんだけどな。ルーシェはどこの子なの?」
 リリクは初対面のルシエにも対して全く気負いがない。のんびりとした空気をまとわりつかせたリリクの問いかけに、ルシエは少し口ごもった。
 嘘は言いたくないが今住んでいるところは旅先で、ふだんは王宮傍の人形の宮に住んでいる。どこの子だと聞くからには出身でも良いのかも知れないが、悩んでしまう。
 花青宮住まいの人形がこんなところにいると知ったなら、リリクは驚くだろう。それだけならまだしも、変に気遣われては堪らない。人形は箸と扇しか持てないぐらい非力、と考える者は思いの外多いのだ。
「………風の…、」
「風?でもルーシェは精霊じゃないでしょ?」
 ルシエは目を丸くしながら首を振った。
 間違えられるだけならともかく、どうしてそこまできっぱり言われるのかが分からない。
「僕は精霊だよ」
「そうなの?」
 今までもっとも驚いた顔をうかべたリリクは、ルシエの姿を上から下まで丹念に眺め、それでも確信を持てなかったのかそうっと歩み寄ってくる。
 リリクはルシエの頬や肩に触れて首を傾げた。リリクは手と足をすっぽり覆う長衣をまとっていて、手を伸ばしても布から指が出ない。布の上から触れられているので、少しこそばゆかった。
「精霊ってもっと…うんと、ぼやっとした感じなんだよ」
「…そう?」
「うん。でもルーシェはきらきらしているし、それに」
「………っ」
 じいっと覗き込んでくるリリクの顔や手つきは小さな子どものように他愛なかったので、触られるままにしていたルシエは、とっさに何が起きたのか分からなかった。
 唇に触れるひんやりとした感触に口付けられていると気付き、押し込められた熱い感触にそれが舌だと知る。
「……っん、ん」
 押しのけようとした腕を布越しに手が思いの外きつく押さえ付けてくる。ルシエは息を荒げ、胸を灼くような嫌悪感に全身を震わせた。リリクの舌はざらついており、やけに長く、ルシエの喉や歯列を丹念に舐めまわる。
「ふつうの精霊はこんなに美味しそうな匂いはしないんだ」
「………っふざけるな…ッ」
 怒りを込めて振り回した手の甲がリリクの頬を叩く。
 それを避けようともしなかったリリクは濡れた唇をぺろりと舐め、口もとをついと引き上げる。ルシエはいつのまにか乱された襟元をかき寄せて布端に後ずさった。
 跳ね上がった鼓動が全身を震わせ、嫌な汗をかかせる。
 濡れた感触が残る唇が煩わしくて、ルシエは頭ごと水面にくぐらせ冷たい水を浴びた。我慢できずに口もすすぐ。
「そんなにぼく、下手だった?」
「リリク、それ以上僕に近寄ったら、風で切り裂く」
「うーん、でもちょっと、変わった味もするな。中に別の力が混ざっているみたいな。あー…、ルーシェって、もしかしてお人形さん?」
「…っ!」
「ぼくの珠を孕んでみて?」
「来るな!」
 小さく言葉を吐いて、丸めた大きめの風玉を放つ。警告のつもりで放ったそれは、リリクの前で解かれ霧散した。
 ルシエは大きく目を見開き、先ほどと少しも変わらない愛らしくにこやかな笑みをうかべた青年を見上げた。一呼吸置いて、尖らせた風を放つ。相手の衣を裂き、肌を傷つけるはずの力は再び青年に届く前にかき消えてしまった。
 ルシエは焦らなかった。
 2度同じことをしてから、どこで力が消え、どんなふうに解かれたかを慎重に見極める。焦りは術を組む際に邪魔になる。できるだけ冷静さを心がけながら、親指と人差し指とで作った輪にルシエは軽く息を通した。
「すごいね、そんなやり方で術が組めるんだ」
「リリク。君がここへ僕を喚んだの?」
「うん?…ああ、そう。ドルテを通して」
 ルシエが風の力でつくった短剣を握りしめるのに、リリクはその刃よりも作り方に興味があるようだった。もう1度やってと無邪気に乞うリリクを黙殺し、ルシエは注意深く間合いを取った。
 まだ飛べる気がしない。湖に落ちても泳ぐことは出来るが、ルシエはあまり泳ぎが得意ではない。逆にリリクの耳は水の者に現れやすい特徴である。
「ドルテって…あの、ヴィエンドル…?」
 何となく思いついて問いかけると、リリクがこくんと頷く。
「そうだよ。君はドルテに魅入られて心をここに飛ばした。それをぼくが引っぱって、ここに連れてきた」
 リリクの答えにルシエはちょっとの間、呆然とする。
 大型の竜種を見たことは覚えているから、魅入られてしまったというのなら、理解は出来る。そうなった自分のうっかりさを呪いたいぐらいだったが、その後に続くリリクの台詞は納得できない。狭間ではなく、ここは彼の世界なのか。しかしそのようなことが出来る者がいるのだとは聞いたことがない。
 訝しげなルシエにリリクはわずかに唇を尖らせ、つまらなさそうに口をひらく。
「ドルテと別れるって言ったから」
「…………」
「彼。頭に血を昇らせて、ぼくをうっかり狭間に落としたんだ」
「狭間って…この?」
「ううん、知ってる?ドルテって短気なんだよ」
 リリクは少し、人と会話するのが苦手なのかもしれない。好き勝手に自分の言いたいことを口にする。分かるように話して欲しかったが、ルシエはぐっと堪えて相槌を打った。下手に追求するより自由に話して貰った方が答えに辿り着きやすい。
「ドルテはね。ヴィエンドルでしょ?だから、ぼくより体も大きい。ぼくが落ちた場所はここよりずっと深かった。それでドルテはすっかり、ぼくを殺してしまったと思って、嘆き悲しんだ挙げ句、ぼくを追うことにしたんだよ。すごく長い時間がかかったけど、君を見て思いついたみたい」
 見た目よりずっと幼げな表情をうかべる青年をルシエは青ざめた顔で見やった。リリクの言いようはあまりにあっさりし過ぎている。
「追うって…」
 意識だけが狭間から出られなくなれば、いずれ体は朽ちる。それはルシエも分かっている。ドルテは何とかしてリリクを救おうとしたのだろう。ドルテはしかし、それが出来なかったのだ。
 思い苦しんだ彼が行き着いたのは、自らも同じ狭間に入り込むこと、そうリリクは言う。ルシエは震えそうになる唇を固く閉ざした。目指す狭間に行くことなど、できない。たとえ出来ても、体に大変な負担を掛け、無事に狭間に入り込む前に息絶えると言われている。意識だけなら何となるかもしれないが、体ごと近くへ行こうと考えたのなら。それはとても危険なことだった。
「狭間に自ら入り込むには力がいるでしょ。でも、君を食べれば出来ると思ったのかも」
「でも、…リリク」
 愛らしく微笑むリリクを、ルシエは首を振って見つめる。
「リリクは、もうそこを出たんでしょう。それにたとえ狭間から出られなくなっても、時間が解決してくれるはずだ」
 少なくともリリクは最初に落ちた場所から出られたと言うことではないのか。それならば、自力でここから出られるのではとルシエは思う。
 狭間から出られる時間は人それぞれで、いつになるかも分からない。
 しかし幸いにも精霊や竜種は生きる月日が長いので、自然解決を待てる。
 リリクは精霊ではないようだし竜種だとも言い切れないが、とても力が強いことは分かる。そうした種族であれば、長命であることが多い。
「体さえ守って貰えれば…いつか目覚める」
「うん。あー…、そっか。守られすぎたんだ。出られはしたよ。でもどういうわけか、次はドルテの傍から離れられなくなってしまって」
「…………」
「このままでは困るんだ。いい加減、ここにも飽きたし。だから1番食べがいがありそうな君をぼくがいただこうと思って」
 にっこり微笑んだリリクは、無邪気そのものである。だが、それを言われたルシエはすぐに頷けない。
 食料扱いされたルシエは小さく眉をひそめた。
「………リリクは精霊を食べるの?」
「ううん。でも、君は素敵な香りがする。ぼくの力は少し月に左右されるんだけど、きっと君を食べたら、それも治る気がするんだよね」
「気がするだけだよ、治らない。僕は風の精霊なんだよ。月光の精霊を食べたって治らないとは思うけど」
「嘘。見て、さっきの口づけだけで、ぼくの体はこんなに輝く」
 月明かりの下で淡い光を帯びたリリクは、先ほどよりもだいぶくっきりとした存在感を放っていた。湖の化身といってもおかしくないほど、夜の湖と合う。
「でも、でもさ。今の僕には体がないし。役に立たないと思う。それに痛いのは嫌いだ」
「痛くないよ。とても気持ちよくしてあげる。別にルーシェの血や肉が欲しい訳じゃない」
「もっと嫌だ」
 そんなことをしてくる相手はひとりで充分だ。
 エルシェリタひとりで持て余しているのに、快楽などいらない。
「ルーシェ。ぼくを見て。ぼくを受け入れて。珠を孕もう」
「嫌だ。ひとりで足りてる」
 近付こうとするリリクを威嚇するように、ルシエは手にした短剣をしっかり握りしめる。
 ルシエのそれは武器としてはあまり役に立たないが、それを媒体に術を使うことならできた。言葉を省いて術を使うには様々な手段があるが、こうやって何かを手にしておくのはその中でも成功率が高いものである。
「ここはぼくのつくった場所だって言ったじゃない。そんなの利かないよ」
「大げさな。調えただけでしょう」
「まあ…うん、そうだね」
 カマをかけただけだったが、正解だったようだ。
 少ししょんぼりと肩を落とすリリクは、そうしているととても可憐に見える。
 体の線は細いし、すらりとしていて、骨張ってもいない。
 けれど人好きのする笑顔の奥に何があるかはまったく伺い取れず、とても不気味だった。ルシエは慎重に相手との間合いを取る。
「ねえ、ルーシェ。君はまだ幼い。この世には君が知らないことがいっぱいあるよ」
「……っあ、ッ」
 握りしめていた短剣が泡となって弾ける。
 輪にしようとした指先を思っていたよりも大きく、ひんやりとした手が掴む。振り払おうとしたルシエは、そのままゆっくりと体の上にのし掛かってくる青年を見上げた。ルシエは力を込めているのに、びくともしない。
「ぼくとひとつになって」
「これはこれは。ずいぶんと、楽しいお話をされているようですね?」
 ルシエとリリクの間を切り裂くように一振りの剣が鋭い光を煌めく。素早くリリクが体を離していなかったら、頭の上から半分に切り分けられていたかもしれない。
 凄艶な微笑みをうかべるエルシェリタを、ルシエは呆然と見上げた。



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