「ルシィ兄さん、これ、あたしがつくったの」 「あたしのもかぶってっ。ひゃぁ、すごく似合うっ」 色とりどりの花でつくられた花冠をふたつかぶった月色髪の少年は、まるで壁掛けの絵から飛び出してきた古き神々のように儚げで美しい。いつもは元気よく飛び回っている兄が大人しくしているのを良いことに、少女たちはめいっぱい兄を飾っては目配せし合う。 次の花はどれにしよう? 虹の花と薄紫の花なんてどうかな。 きらきらと輝く4つの双眸が言葉よりもずっとはっきりと思いを伝えあっていた。 ミメイとセイラは長く伸ばした茶色の髪をおさげにして滅多に髪型も変えない。それでも短く切った兄の髪で遊びたい、伸ばしたら楽しいのに、と、いつも思っていた。だから、好きなだけさらさらとした髪に触れられること、花飾りをつけられること。思い描いていたことをぜんぶしようと思って、忙しく動く。 丁寧に櫛を入れて、とっておきの紐飾りを使って結い、着飾って。そうして里のみんなにおひろめしたら、きっとみんな目を奪われるだろう。きれいに伸ばしさえすれば、砂埃のせいで少しくすんで見える月色の髪は輝きを取り戻すし、生白いと笑われている透きとおるような白い肌も引き立つのに、ルシエはいつも飛び回る方がずっと大事だと言って、ろくに髪も梳かさない。 彼女たちにはそれが少しつまらなくて、同じだけ悔しかった。たくさんの人が彼女たちをきれいだと褒めるけれど、そんなことより自慢の兄のことをみんなにも分かって欲しいと思ってしまう。 母譲りの碧の瞳を持ったミメイは花冠をかぶった銀が混じる不思議な蒼色の瞳を見上げ、少しどきまぎとはにかんだ。視線を逸らしてはそっと見て、なんてきれいなんだろうとうっとりする。 末っ子のセイラは上の兄と同じ明るい青の瞳をきらきらと輝かせながら、次の冠をつくろうと花摘みにいそしんで、繰り返し兄の方を振り返っては姉のもとに花を運んだ。飾りがいのある素材に浮き立った気持ちは満面の笑みになってこぼれ落ちていた。 ミメイたち家族は、里から少し離れたところの山へ来ていた。ここには良い薬草がたくさん採れるから、これまでも度々摘みに来ている。ただ、家族全員で訪れたのはこれがはじめてだった。 岩と石、背の低い植物だけがある山の高みはなかなか居心地が良く、気持ちよい風も通り抜けて、いつまでもここにいたい気持ちになり、穏やかな時が流れる。 「ミメイ、セイラ、薬を作りましょう」 「はあい」 母親に呼ばれた2人は頷いて、手にしていた残りの花を兄に持たせた。 「ルシィ兄さん、持ってて」 「ちょ…ミメイ」 「ぎゅ、しないでね。でも編んでもいいよ」 あんまりたくさん1度に持たされたものだから、持ちきれなかった花がルシエの周りにぽろぽろとこぼれ落ちる。 慌てて身を屈めると抱えていた花まで落としてしまい、あっというまに足もとが花に隠れた。 花に埋もれる姿があんまり似合いすぎて、花の精かと見紛うほどだ。 その姿を見て満足げな笑みを交わし合った2人は、わざとだな、と兄に気づかれる前に母親のもとへ駆けだしていく。 怒るに怒れなくなったルシエの向こうで、2人はてきぱきと動き出していた。 摘んだばかりの薬草の中にはすぐに手を加えないとダメになってしまうものもあるので、幾つかの薬はここで作ってしまうのだ。彼女たちは幼いながら母親からそういった知識を伝えられており、ふっと覗かせる横顔は真剣そのものだった。 「兄さん、冠、とっちゃいやよ」 「…うん」 それでも兄のことを忘れたわけではないらしい。 花冠をとろうとした手を止め、ルシエは大人しく妹の言葉に従った。 乗せたままではうっかり壊してしまうかもしれないと思ったが、勝手に外したら泣かれそうで恐い。ここには家族しかいないのだから、似合わなくてもいいか、と、ルシエは開き直ることにした。結局のところ彼は妹には弱かったので、大人しくゆるしがでるまで、そのままでいることにする。 花冠をかぶったまま、ルシエはぼんやりと足もとを流れる雲を見下ろした。ここは高さがあるので、山の下を通る雲の姿を見下ろすことが出来る。 「ルシエは本の時間、する?」 「…うん」 リィジアが抱えてきたのは白紙の本で、そこにこの山の地形や、草花の種類、気候の変わり方など思いつつままに連ねていこうというのである。 巫女見習いとして母の手伝いをする妹たちに、ほのかなうらやましさを抱いていたルシエは、父の言葉にこくりと頷いた。何もしないでいるよりは、何かしていたい。そんな気分だった。 恐らくそれを見越してだろう。いつもなら家に帰ってから記す白紙の本をわざわざここまで持ってきたリィジアは、息子と並んで寝転び、まずは手近な花を写しはじめる。 「葉っぱのとげとげ、丸い花びら、空の中の白」 「摘めば若草、食べれば苦い、煮て色糸」 ルシエは巫女にこそならないが、妹たちに負けないぐらい薬草のことを知っているし、食べられる草や実なら妹たちよりも知っているつもりである。 口ずさむのは風の一族に代々伝わるもので、大切な知識を独特の節回しで伝えていく。遊びの中で覚えられるように、それでいてなるべく忘れないように。 「甘い空、沈む太陽、鈴鳴るように」 加わった声の主を見上げ、ルシエは唇を尖らせた。 「ロッディ。鈴鳴るようにじゃないよ、振るんだよ」 「兄さんと呼べ。そこはどちらでもいいんだよ」 生意気を言う弟の頭を小突いたロッディは本の前に屈む。母親を手伝って崖下の河原から鍋いっぱいの水を運んできたロッディからは、ふんわりと水の香りがした。 どきりと胸を揺らしてから、ルシエは頬を膨らませてわざとらしく兄を睨み、小さく鈴鳴るように、と呟いた。本当なら水汲みをするのはルシエの仕事だったが、後ろめたさを押し殺し、この方が響きがいいな、とこっそり思う。 それを見抜けないロッディではないが、年々かわいげがなくなる弟に苦笑いをうかべて、おもむろに空を指さした。 「父さん、なあ、あれ、あの雲の形、何かに見えない?」 「…雲?うーん、あ」 リィジアは微笑んだ。稜線に沿うように流れる雲には見覚えがある。 「ルシエがはじめて焼いたパンだ」 「えー…、おれ、あんな変なのつくってない」 丸く膨らんでいるその雲は片方が飛び出していたり、くぼんでいたり、なかなか面白い形をしている。ふくれ面をうかべる弟を、ロッディはにまにまと見下ろした。 「いや作った、あれはすごかったなあ。母さんの薬草をめいっぱい詰め込んでいて、はち切れんばかりでさ」 「そうそう、中身が飛び出していたねえ、あんなふうに」 口々に言われて、ますます頬をふくらませ、唇を尖らせるルシエである。 「あんなじゃなかったよ。もっとマシだった。大体、母さんも父さんも兄さんもみんな風邪引くからいけないんだ」 「そうだったか?」 「そうだったかなあ」 「そうだったんだよ、もう」 最も覚えておいて欲しいところを忘れているとは、と拗ねたように言うルシエ自身、雲を見るまで忘れていたのだから、お互い様というものである。 あれはロッディも二親もそろって熱を出して寝込んでしまった日のことだった。 妹たちの面倒を見てあげてね、と頼まれていたルシエは、ミメイの手を右手に、セイラの手を左手にしっかり握りしめて、いつもは入ってはいけないと言われている薬草室に足を踏み入れた。 煎じ方に気をつけなくてはいけない熱冷まし、鼻が曲がりそうなきつい匂いの胃薬、蜂蜜で出来た喉薬、知っている限りの薬草を引っ張り出して、まずは飲ませようとしたがうまくいかず、それなら食べものに混ぜようと覚えたてのパン作りに取り組んだのだ。 「おれが何とかしなくちゃって思ったんだけど。あれはまずかった。自分で食べて、口が曲がるかと思った」 「でもすごい効き目だったよ。ひとくちで熱が吹き飛んだ」 「そうそう、あまりにすごい味で」 リィジアは息子を褒め、ロッディは弟を茶化し、気恥ずかしさとむっとしたので顔を歪めたルシエは、堪えきれなくなって吹きだした。リィジアもロッディも揃って笑い声を立て、それぞれに記憶をくすぐった雲が形を変えて流れていくのを眺める。 ルシエはずいぶん前のことだったと思っているが、父と兄にとってはついこの間のことのようでもある。しかしその時と比べればルシエはずいぶん大きくなった。頬から丸みがとれて幼さが抜け始め、手足はすらりと伸びてしなやかな線を描く。 大人の仲間入りをするのはまだまだ先だが、そろそろ新しい名前のことを考えてやらなければならないだろう、とリィジアは思った。特にその話をしたわけではないが、ロッディが弟に贈るための祝いの剣を作っている最中だということも彼は知っていた。 ふっと沈黙がおり、その間を草むらを揺らす風が埋めている。 ややつよい風が彼らを通りすぎ、ロッディは弟の頭をぐしゃりと撫でた。 「残念だったな」 「ん…なんだよ?」 唐突な言葉に訝しげな顔をつくり、花冠ごと頭を押さえて兄を見上げる。 「舞祭。ルシィなら主役をやれたのに」 ああ、とルシエは頷いた。 そのことならば、もうすでにたくさんの人から同じようなことを言われていた。だから、ルシエはいつもと同じように応える。 「……足を折ったのは、おれだから。それに主役の舞はミリアンの方が似合いだよ」 「ミリアンの舞も良いけど、オレはルシエの舞も好きだ。ほんとだぞ?」 「……うん」 ミリアンはロッディよりも5つほど年上なので、彼ぐらいの世代にとっては憧れの存在だった。ルシエもそれを知っているので、妙に念を押すロッディに笑みをこぼす。そんなに言わなくても、ロッディの弟妹贔屓は前からなので、彼が弟の舞を楽しみにしていたことを疑う者はいないだろう。 舞い手を決める大切な舞台が、つい少し前にあった。だいぶ前からその日に合わせて体調を整えてきたルシエだったが、結局、出られなかった。それに出られないと、舞祭での良い役は貰えない。そう分かってはいたが、どうしようもなかった。 包帯が巻かれたままの足を見下ろして、雲を見上げたままルシエは頷く。悔しくないと言えば嘘になるけれど、群舞のひとりになるのだって楽しいと思う。 負け惜しみではない。舞はどんなものだって好きだし、本当ならその群舞にだって出られなくなるかもしれないのを、ミリアンの口利きでひとりで舞う役も貰えた。 だがあんなことがなかったら、主役の座はルシエのものになっていたかもしれない。 それも事実ではあった。 きっかけは些細なことだった。 ルシエたち風の民は、先日、新しい街へと入った。 ルシエは兄や妹とは違った髪と目の色だったので、それをからかわれることが多かった。それは新しい場所に行けば高い確率で起こることで、案の定、街の子どもたちはルシエとルシエの兄妹を見るなり声を揃えてはやし立てたのだ。 くすんだ空色、出来損ないの青色。 穂の金色にも土の茶色にもなれない、かわいそうな月色。 あまり外から人が来ない街だったから、余所から来る他の精霊が珍しいというのもあったのだろう。兄妹の中でひとりだけ見目が違うルシエはからかいやすいというのもある。 ルシエがいちいち言い返すから引っ込みが付かなくなってしまった彼らと、気がついたら取っ組み合いの喧嘩が始まっていた。 それだけならいつものこと。大したことでもないが、その後が良くない。先頭に立ってルシエをからかっていた街の少年を思い切りよく蹴り飛ばした途端、彼の暴走が始まってしまったのである。 これは文字通り暴走、力の制御が利かなくなることだ。 精霊の子どもがふとしたきっかけで力を暴走させてしまうのは時々あることで、大人たちが数人いれば抑えられるものである。その時は運悪く近くに大人がおらず、ルシエはとっさに自分で抑えようとした。自己流だが、術の扱いならその辺の大人に負けない知識があったから、過信もあったかもしれない。 「暴走そのものは、わりとうまく抑えられたと思うけど」 まさか屋根に大きな石が吹き飛んでいたなど、思いもしなかった。それが自分の足の上に落ちてくることも。 「とっさに風で支えたけれど、思ったよりも重かったんだよ」 「骨を折るだけで済んで良かったけれど…、暴走に行き合ったらまず逃げるように、って言っていたよね、ルシエ?」 リィジアはやんわりと息子をたしなめる。 まず身の安全を図ることが大切だったし、ルシエ自身、暴走を引き起こしかねない年齢なのだから、下手に関わり合うべきではない。 「………ごめんなさい」 もうしないと言わないところがルシエの手強いところである。 反省はしているが、次はもっと上手く振る舞おうと考えているのが丸わかりだった。 リィジアは何か言ってやらなければと思ったが、ちょうどよくロッディが妹たちに呼ばれて席を立ったので機会を逃し、こっそりとため息を吐くだけにとどめた。 そんなリィジアの気持ちを知ってか知らずか、ルシエは固定された足を軽くもぞつかせる。 「お父さん。おれ、あの雲のそばに行ってみてもいい?」 何か言いたそうにしていたと思えば、近くに行きたくてうずうずしていたのだろう。リィジアは頷いた。 「いいよ。でも、足の負担になるといけないから、風はわたしに任せてね」 「うん」 風を使えば足が付かなくても動き回れるが、それにはコツがいる。 ルシエは足を気遣いながら立ち上がり、杖をついて山の端に立った。 手にしていた杖を離し、外へと背を押すリィジアの風に従う。片足だけで弾みを付けて崖底へと落ちながら、ゆるやかに上昇した。 父親の風に乗って、ルシエは滑るように空を移動する。 雲は近付けば近付くほど水気を感じさせ、ただ白い霞となるが、リィジアの風はやわらかく、心地よい。 雲も光も空も。風のそばにあるもの。近しいもの。 あいまいな形しか持たない薄雲の精霊が遠くに見えた。青さの中に融け込むように、ただぼんやりとそこにある。 大空の中で瞼を閉ざしていると、まるで薄雲の精みたいに融けていくようだとルシエは思う。精霊としての形を失い、小さき者たちに含まれて、消えては生まれ、生まれては消えゆくものへ変わるような気がする。 舞祭の主役をやれないこと。 街の子どもたちにからかわれたこと。 何もかも忘れてしまえる気がしたが、どこかでちゃんと、忘れられないでいる自分を感じてもいた。 雲海を見下ろせる場所まで上昇してから、後から付いてきたリィジアが先を行き、風布の上にルシエを座らせた。 「んー…、次はロッディのパンみたいだね」 「だね、ロッディのってああいう感じだよ」 いかにも固そうなでこぼこの雲の形を見て、ルシエは頷いた。風は止まることなく流れているので、雲の形も徐々に変わっていってしまう。 「ロッディに見せてやろう」 声を弾ませ、兄を呼びつけようとしたルシエはしかし、ふっと口を閉ざした。それを見てリィジアは首を傾げる。 「呼ばないの?」 「…ん、いいや」 母親を手伝って鍋の周りを囲んでいる兄と妹を見て、ルシエが顔色を変えたのをリィジアは見ていたが、それを指摘することはなかった。同じような迷いはリィジアも通ってきたものである。 明るい茶色の髪と、それぞれどこかしら似通った顔立ち。 彼らだけなら、新しい街に打ち解けるのも早いだろう。 髪の色や顔立ちで家族かそうでないかを決めるなんてどうかしている。しかし、こうやって離れてみれば己を爪弾きにしようとする者たちの言い分も一理あるように思ってしまうのは、どうしようもないことだった。 「ねえ、ルシエ」 リィジアは息子の隣に並んで座り、同じ雲を見下ろしながら話しかけた。 足を痛めて、思うように手伝いも出来ず、そのいらいらが疎外感に繋がり。今のルシエにはそういうところが少しある。 そのようなものは怪我が治ればかき消えてしまうだろう。 だが1度感じてしまった惑いはいつまでもルシエに付きまとうかもしれない。 「祭が終わったら、わたしとふたりで旅に出てみる?」 「………え?」 「たまには里と離れてみるのも良い経験だし、そろそろ頃合いかなと思うんだ」 「…………」 「ロッディもわたしと一緒に旅をしたことがあるし、次はルシエの番かなとね」 「行く」 兄に負けたくない一心で答えてから、ルシエはリィジアと2人だけなら、誰にも母や兄妹と似ていないと指さされることもないのだと思って、どきりとした。 じっと自分を見つめるリィジアの瞳にその気持ちを見透かされた気がして、ルシエは急いで付け加える。 「ロッディはいつもおれがまだ小さいっていうけど、水汲みも出来るし、薪も割れる。別に、おれは…、からかわれると腹が立つけど、……」 「うん」 「お父さんたちみたいにきれいだったり、かっこうよかったりしたら、からかわれなかったのかも、って思うけど。でも、おれはおれだって、それで文句あるかって、言ってやるんだ」 「大丈夫。いつかきっと、今のそのままのルシエのことを分かって、受け入れてくれる人と出会うよ」 「…うん」 それはそれほど待ち遠しいものではなかったが、そうなればよいと思うことは出来た。 しかし今のルシエにとっては、まだ見ぬ恋人よりも家族である。それを見て取ったリィジアは微笑みをうかべた。 「ルシエは、家族が好き?」 「好きだよ。お父さんもお母さんも、ロッディたちも。もっともっと色んなところへ行って、一緒にたくさんのものを見たい。次の祭にはおれもっと舞がうまくなって、みんなを楽しませるんだ」 リィジアは幼いが真っ直ぐな応えに頷き、息子の頭を撫でてから、ずれた花冠を直しかけ、そのまま手に取った。 「あ、…」 「ん?」 冠をとらないでと妹に言われていたルシエは驚いた顔をつくったが、リィジアを見上げて、自分が取ったのではないからいいか、と首を横に振った。 「なんでもない」 「上手につくるようになったね、ミメイもセイラも」 「うん」 「でも、ちょっと結びが甘いなあ」 「あ、あっ、待っ…」 リィジアが花冠に息を吹き付ける。するとそれは大きな風のうねりになって、花冠を崩し、ひとつながりになっていた花をばらばらにした。 薄い青の中に赤や黄や緑の色が散らばる。とっさに止めようとしたが、自由そのもののリィジアの風は何ものにも遮られることなく、見えないぐらい遠くへ、あるいは雲の中へ、そして山の上へと花を散らしていった。 まるで、舞うようにひらめき、揺れながら、小さな花たちが風とともに消えてゆく。 ここにはここを住まいとする精霊がいないので、花も岩も押し黙ったまま、駆け抜けて行くリィジアの風を見送っていた。あっけにとられながらもぼんやりと見送ってしまったルシエだが、そうはいかない者もいる。ロッディたちだ。 「こらあーっ」 「おとーさん、何っ」 「あーっ、あたしのお花が」 いきなり突風を浴びせかけられたロッディがこぶしをあげて父親を怒り、ミメイとセイラは頬をぷっくり膨らませて父親をねめつけていた。 「ごめんごめん」 リィジアは何事もなかったような顔で謝ったが、それで収まるはずもない。 鍋は守ったし、火も守った。散った花も半分ぐらい風ごとくるんで捕まえてある。同じ風同士だからそのあたりはわけなくできるが、だからといっていきなり突風を吹き付けて良いというわけではない。 兄妹を代表して迫り来るロッディの姿をみとめ、ルシエはリィジアを見上げた。 「お父さん…ロッディ怒ってる」 「うーん、だね。困ったね」 ちっとも困っていなさそうな顔でリィジアは微笑む。 平和そうな顔をしてこういう悪戯はリィジアの得意とするところだ。反面教師と言うよりルシエにとっては悪戯の師匠みたいなものだが、それにも時と場合がある。 妹につくってもらった花冠を壊されたルシエが口をへの字に曲げているのを見て、リィジアはうーんと首を傾げてみせた。 「空に花をまいたら、きれいだろうな、って思ってね」 「きれいだったけど、…いきなりなんて」 確かに見惚れてしまったが、それではいけない。 「新しく摘めば良かったんだ」 「確かに。でも、思いついた時が吉日だからね」 息子だけでなく、妻や娘たちからもあきれ返った視線を浴びながら、リィジアは悪びれた顔ひとつせず言い切る。ルシエは目を瞠り、あんまりにも潔い態度につい笑みをこぼした。 「ロッディが本気で怒ったら恐いのに」 「うん」 「ミメイとセイラだって、しばらく口利いてくれなくなるかも」 「うん」 「でも、きれいだった」 「うん、とてもきれいだったね」 2人は微笑みをうかべあい、共犯者めいた視線を交わす。 それからリィジアはおもむろにルシエの方へ手を伸ばした。 「ルシエ、わたしと一緒に逃げる?」 空をゆく花はきれいだった。 だから、ミメイとセイラには申し訳なかったけれど、ルシエはリィジアの手を取る。それから一緒になって怒鳴るロッディから逃げ回った。 |