森衛士が森を守護するなら、天衛士は空を守護することを司る。少年が着ているのはその天衛士のみに許された服装だった。 「…いかがわしいことをしていたのではあるまいな」 「あり得ないよ、人聞きが悪い」 セゼは一笑し、首を振るが少年は厳しい顔でそれを遮る。天衛士のシーエンリというのが少年の正体だったが、彼の不穏な様子に少なくとも気安い間柄ではないということだけがユツには伝わる。 「森の者が何を考えているのか私には分からない、理解を超えている。あり得ないと言いきれない」 「だからって、一目見て言うようなことじゃないよ」 「徴持ちは王子さえ良ければ後は何だって良いのだろう、そのような者を信用できるか?」 「果ての者ならどうだ?」 からかうようにロウが口を挟む。セゼと少年との言い合いは冷たく、軽いロウの声に二人は押し黙る。声を真面目なものに改めて、ロウは口を開く。 「シーエンリ、今のは言い過ぎだ。セゼに詫びろ。…お前は俺が果ての者だと言ってのけ者にしたことはないが、王子に従う天衛士が言うべきでないことを言った」 「私は在る場所がどこであるかで区別などしない、違うとも思わない。私が分からないのは、森の者の多くがあちらの者を庇うことだ。彼らが我々とは違うことは誰の目にも明らかではないか。あちらは異質だ。こちらとは相容れない。セゼ、あちらに行ってしまった王子など、あちらの者。もう我らの王子ではない。徴持ちなどやめて、天衛士になったらどうだ?学士でも何でもいい、そうなれば私だって信用出来る」 「…………」 言い切るシーエンリの口調は強く、責めたロウの言葉を跳ね返すにしても後ろめたさがない。 「中央への推薦を断られたと学師が嘆いておられたぞ」 「あちらの者もここの者と変わらない。それに、王子はここの王子だよ。それを枉げることは何ものにも出来ない」 「セゼ」 鋭く咎めるシーエンリにセゼは優しく微笑んだ。場を和らげるように、そっと口を開く。 「僕は王子がいなくては生きてゆけないよ。王子を敬えなんて言いやしないけど、それは分かって欲しい。学師にもそう言って断った。…さあ上がらせて、この子が風邪をひいてしまう」 水辺を離れながら全身をすっぽり覆うような布を更に数枚取り出したセゼは、川原に上がると丁寧にユツの体についた水気を拭き取っていく。乾いた布で拭われるのは心地よくユツは大人しくそれに従った。陽射しに照らされた灰色の小石は微温湯に足を浸したように、やわらかに体を暖める。時たまひんやりと過ぎる風も丁度良いぐらいの涼しさだった。あちら、というのがさっきまで自分のいた場所らしいというのも、そこの住人を彼が酷く嫌っているらしいことも感じていたが、だからといって彼に何かされるような気が不思議としなかった。それよりも早く川から上がって、あれば服も着たい。 風上に立ったシーエンリは不満げにセゼを見つめ、帰れとばかりに近寄ってきたロウを片手で邪険に払った。 「どうせ、お前があの子どもを川に放り込んだのだろう。ひどい男だな」 「どうせとは何だ、どうせとは」 「まだ水浴びには少し早い時期というのに、可哀想に。頬から血の気が引いて」 ここのところ食事を摂っておらず血の足りないユツの顔を見て、シーエンリはそれが水の冷たさのせいだと哀れむ。実際の事情を知ってか知らずか、シーエンリに言われるままユツの顔を振り返ったロウはさほど驚いたふうもなくああ、と肯いた。 「そうかもな」 「かもではない、私はお前に湖に放られて以来、足がつかない場所は嫌いだ」 「空の者は水が苦手だからなあ」 「私はお前のせいだ、と言っている」 「人のせいにするなって」 「子ども、お前は森の者か?もしそうならこんな男のいる森など捨てて空に来たらいい。歓迎する」 「……、空って」 ユツが口を訊くとは思っていなかったのか、シーエンリはユツに向けて言ったにも関わらず驚いたように目を見開いて、視線を彷徨わせた。何かに戸惑ったように、一度口を閉じる。 「妙に緊張させるな、その真っ直ぐな目のせいか」 「そちらにいった方が良いの?そうしたら帰れる?」 「…帰る?」 訝しげなシーエンリの視線から遮るようにセゼはユツの目の先に立った。 「ユツ。シーエンリを困らせてはいけない。シーエンリ、この子は最近この森に来てね、はじめにいた場所を恋しく思っているんだよ」 「…果ての者か?」 「違う、森の生まれだよ。目覚めて間もないんだ」 「そうか、ならば空の祝福をしてやろう」 シーエンリはユツに近づき、額へと手を伸ばそうとする。そのシーエンリの腕をロウが掴んだ。その荒い動きにシーエンリは勿論、ユツも驚いてロウを見る。祝福、というのが何を指すかは分からなかったが怖いものにも思えない。何がロウを慌てさせたのか分からなかった。 「待て、驚くだろ。そんなことをしたら」 「無論、簡略する」 「だめだ。簡略したって驚く」 「心配のし過ぎではないか?確かにこの子は華奢だがそんな毀れやすいものでもあるまいし、たとえまだ力に目覚めていなくてもより多くの者に祝福を受けた方が良い」 呆れたように息を吐き、シーエンリはロウの手を振り払って再び手を伸ばす。だが、その手を今度は自ら途中で止めた。いったん首を傾げてから、徐々に眉を寄せ、険しい顔をうかべていく。セゼがそっとユツの体を引き寄せた時には、その顔は怒りへと変わっていた。 「あちらの匂いがするではないか!」 「…………」 「この子ども、妙な気配がすると思えば、あちらの匂いがぷんぷんするぞ!」 「…シーエンリ」 「言い訳など聞かない。報告してやる」 「…なんて」 「決まってるだろう!このようなこと門番が許すはずがないのだからな」 「悪いけど…報告しても、門番は何も言わない」 冷たいほど静かに口を開いたセゼに、シーエンリはますます怒りで顔を歪めた。 「何だと?」 「少なくとも、反応はないと言ってる」 セゼは不快を表し、シーエンリを真っ直ぐに見据えたが、それで黙るシーエンリではなかった。その視線を振り払って、シーエンリは声を張り上げた。 「反応がないだと!?…例えそうでも許されることではないぞ。無断で界を渡ったなどと思ってはいないが、お前のせいでこんな子どもに匂いが移って!この子の顔色の悪さはそのせいではないのか?ひどいことをする。お前は王子のこと以外は本当にどうでも良いのだな。直ぐさまこの子どもから離れろ。そうしてさっさとその匂いを落としてこの子にも処置をしてやれ!!…不愉快だ、そんな匂いの側に一秒だっていられるものか、くそ」 鼻の上に袖をあてて覆い、後ろへと後退るようにシーエンリはその場から飛び上がった。軽やかに飛翔し、森の上を抜けて空へと上がる。瞬く間に小さくなるシーエンリの白い影を見送って、セゼとロウはどちらともなく深く息を吐いた。 「…………」 「…………」 「…あのあちら嫌いさえなければな」 「シーエンリの言うことにも一理ある。取り敢えずここを離れて匂いを落とそう。ユツ、色々不満だろうけど村に落ち着くまでは我慢していて。すぐに着くから」 布に覆われた体ごとセゼが抱きかかえ空に浮き上がる。咄嗟に抗おうとしたユツは抱えられたまま森の上を恐ろしい速さで駆け抜けられ、声を失った。万が一、暴れて落ちては一溜まりもない。その恐怖で否応もなく従った。 |