「シャワーもないの。僕はシャワーでお湯が浴びたい。それじゃなきゃ嫌だ」 「しゃわぁ?」 「知らないの、そんなことも」 「あいにくと、俺は向こうのことなんかひとっつもな」 「役立たず」 「…おい、」 ロウが険悪な顔をうかべる寸前でセゼが間に入る。 「青色が水、赤がお湯だよ。自分好みの温度を考えながら触れると色が変わるから、その色合いで温度を判断して、橙色だったら20度ぐらいかな…。水量はこちらのつまみで調節できるようになっているから」 腹を立てたロウをその場から外して、無い物ねだりに困った顔一つうかべずにセゼが用意したのは水を生み出す水球にお湯を作る術や扇状に降らせる術など幾つかを掛け合わせたものだった。知識でしか現物を知らないにしては完璧に近い出来だ。 「…違う」 だがユツはその水球の浮かんだ浴室で冷たく首を横に振った。 「…そう、ごめん。どう違うのか教えて、合わせてみるから」 応えるセゼの物腰は柔らかく媚びたふうもなく、優しい。にこりともしないユツの口にしたそれがただの難癖であるのはセゼも分かっているはずだが、それに怒りもせず付き合う構えだ。子どもじみたことをしていると気付きながらユツは不機嫌な顔で口を開いた。 「善弘さんは言ったって用意しない、あるものでって言う」 「…そう」 「こんなの、ただの誤魔化しだよ」 「王子、言葉は選んで言え」 戸口から顔を覗かせたロウが言う。勝手にしろと捨てぜりふを残していたが、気になって追いかけてきたに違いない。ユツはここのところしょっちゅう、似たようなことを言って突っかかっていた。その度に多少の我慢をして従う構えだったが、さすがにそれも限界に来たのだろう。すました顔で立つユツをロウは睨み付けた。 「目が覚めてからセゼを困らせることしか口にしてないだろう」 「選んでそう言ってるからね」 「じゃあ止めろ」 「ロウは森衛士で僕に従うものなんじゃないの」 覚えたての知識で偉ぶって言ったユツに、ロウは髪を掻いた。呆れたように息を吐く。 「だからといって召使いになったわけじゃない。力も使えていない起きたての王子なんか、ただの子どもだ。正式に忠誠も誓ってないしな」 「ロウ、口が過ぎる。僕はなんだって聞くよ、ユツが彼を慕って僕を憎むのなら、それで構わない。ユツが言うままに出来るだけのことはしたいしする」 「甘やかしすぎだ、それがこれを愚図らせてるんじゃないか」 「ユツは大変な目にあったのだから、それぐらいのこと」 「それぐらいじゃないだろう、幾ら何でも…」 「うるさい」 渋い顔をしたロウの言葉をユツは遮った。ユツは苛立ちを堪えきれずにその場で足を踏み鳴らす。 「うるさいよ二人とも」 王子の間の泉で行われた洗浄は、苦痛を与えた。それはもう二度と味わいたくない酷いもので、思い出したくもない。だがそれを終えて目を覚ましてみた後は、王子と言われても違和感がなかった。王子というのならそうだと思えた。同時にユツはセゼのことも無理に連れ帰らせ、洗浄を行った憎らしい相手とは思えない。どうしてだか思えなかった。だから、逆にユツは苛立っていた。 「僕が、向こうに行くことになったとき傍にセゼはいて、もしかしたら行かずに済むことになって洗浄だって受けなくて済んだかもしれない。だけど王子だって思い出しても、あの日のことなんか殆ど覚えてない。そんな覚えていないことがどうだっていうの」 「恨んだっていいんだよ、…恨むべきだと思う」 「違う、セゼ違う」 混乱してユツは激しく首を振った。 目を覚ましてからしばらく体調が戻らず寝込んで過ごした。それを伝え聞いてたくさんの見舞いが届けられた。王子の部屋まで訪れられる者は限られていてそうしてくれた殆どと顔を合わせてはいないが、ユツは嬉しかった。王子が帰ったと喜び、快復を願って平癒を込めた品々をくれる。だが、セゼはあれからずっとどことはなしに沈んだ顔をしてユツから一歩引いていた。 失っていた記憶の一部を思い出したユツにとって、セゼの姿は別れたときのあの少年で、触れたとき顔を合わせたとき自分といるだけでそれだけで嬉しさや喜びが伝わってくるような華やかな存在に他ならない。だから今のセゼはユツにとって、紛い物のような違和感を感じさせる者だった。望んでいるのはそんな姿でもない、欲しがっていたものもそういうものではない。王子であるのを取り戻した途端、かわってしまった徴持ちの態度にユツは戸惑い、苛立っていた。 「セゼじゃない、そんなの」 「…ごめん」 「謝らないでよ」 「それしかないんだよ。本当ならユツは…」 「そればっかり、やめてよ!」 「…よせ、落ち着けユツ。セゼもだ」 首を振って耳を塞ごうとするユツの手を止め、ロウは面倒くさそうに頭を掻いた。泣き出しそうなユツと苦しそうなセゼの顔を交互に見やり、大きく息を吐く。手がかかる、と低く呟いてロウは押し黙った二人を見やった。 「何の契約があるわけでもないが、王子がいなければ徴持ちは生きていけない、徴持ちがいなければ王子も生きていけない。そう繋がりあっているものだ、とは聞いていたが、ったく。動揺するのまで二人一緒にするか。…面倒な、お前ら片手出せ」 「…手」 「片手?」 「王子は左、セゼは右手出せ」 ユツは言われるまま左手を前に出す。適応が早いと言えば聞こえはいいが、ユツは割と流されやすい。ロウと付き合いの長いセゼは訝ってユツのようにすんなりとは動かない。ロウはそのセゼの手を掴んで無造作にユツの手に重ねた。 「握れ」 「…って」 「握れよ、手繋いでおけ。そう、俺が"良い"と言うまでは」 「…あ」 「ロウ!」 ロウの組む術式は単純だが強固で容易には解けない。言葉に混ぜられた術式によって離そうと思ってもそう出来なくなった手をお互いに無言で見下ろしてから、揃ってロウを睨み付けた。そんな二人にロウは満足げな顔で肯いた。 「それで埋めろ。どこの誰より深い繋がりを持った王子と徴持ちには繋がっていられなかった時間をそのままにしておくことなんて出来やしないんだからな」 「余計なお世話っていう言葉…知らない」 ユツはそう言ってロウを睨み付けたが、そんなことぐらいで離してくれるような相手では勿論あるはずがない。どうにかしてよとセゼを見たが首を竦められ、ユツは大きく息を吐いて肩を落とした。 |