「王子と温かい森の花」



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「セゼ、木々見の丘は遠い?」
 気晴らしに外に出ることにした。
 浄化を終えてからほんの少し村の中を挨拶程度に回ったきり家を出ない生活を送ってたので、外はまだ何もかもが目新しい。天辺の見えない巨木を飽きることなく見つめながら進む足取りは決して早いものではなかったが、家の中にいた時よりもずっと気分は良かった。
「近くはないよ」
「うんと歩く?」
「うんとは歩かないよ」
「そっか」
「疲れたら飛んでいこうか」
「…いい」
 走っていく、のと同じように言うセゼにユツは渋い顔で首を振った。飛ぶことを含め、ユツは全くそのやり方が分からない。セゼは勿論そのことを分かっていて、抱き上げて飛んでいく、ということを言っているのだろうがそうされるのは嫌だった。
「…へんだから」
「…へん?」
「…そんな気がする。僕は王子で、もう大きい」
 幾ら違う世界で育ったとしても、もう小さな子どもではない。
 王子はこの世で最も強い力を持つ者に与えられる名だ。たとえ力の目覚めがないにせよ、自分自身が最高で最強の力を持って生まれた者であることに違いはない。それが王子であり、だから王子と呼ばれている。
「…誰もそうは言わないけど僕は王子だから」
「…………」
「なんとなくだけど、そういうのあんまりしたくない」
 繋げた手を引かれて歩きながら、ユツは巨木の森の遙か頭上に覗く薄い色の空をじっと見上げた。空は遠い。人の顔ほどもある大きな葉に透けた青色の空は見慣れないが見たことがあるような気もする。生まれた時には物心が付いていたのだから、少しは覚えているのかもしれないが、どれもこれもまだ得体が知れない。少しずつ慣れていくに従ってなくなっていく不安だろうが、力も目覚めていない王子など王子とは言えない。王子であるという自覚があるだけ、違和感がつきまとっていた。
「言ってた、気に入るものって何かな」
「結主は誰よりもこの森のことに詳しいから、想像が付かないよ」
 村の中を歩いていたとき、偶然出会った結主に木々見の丘を勧められた。結主はこの森にある村全てのまとめ役で、望んでもいない術をかけられふくれ面の王子に気に入るものが見られるからと、慰めを言った。
 王子は生まれながらに王子だが、村の束ね役は大勢の中から選ばれてなる。後から持つ役や能力の方により敬意を払うのが習わしなので、村のまとめ役は尊称で呼ぶ。それが結主という名で、その役を担う青年ですらもロウの術は解けなかった。余りに独特なやり方をしてあるせいだが、そのことに気落ちした姿に哀れを感じたのかも知れない。とっておきの場所、を教えてくれたのだ。
「だけど本当に、言うことを守って、従ってよ」
「うん、結主と約束したからそれは守る」
「木々見の丘は危ない場所だから、勝手なことは厳禁だよ」
「分かってるよ」
「結主がおっしゃったんでなかったら、絶対に行かない場所だから」
 念を押すセゼにユツは真面目な顔で肯いた。結主は丘の名を口にしたものの、そこへ行くにはセゼの言うことを必ず聞くという条件をつけた。わざわざ守ると誓わされたのは心外だったが、裏を返せばそうまでしないと行かせて貰えない場所ということで、結主のお墨付きがなくても興味がわいた。
「ロウのせいで手が離れないんだから、心配なんていらないよ」
「かもね」
 不満顔のユツにセゼは苦笑をうかばせる。勝手をされたのは頷けないことでも、言いつけを守っていて欲しい今は逆に幸いだ。そうセゼが思っているのが感じられて、ユツはぼそぼそ愚痴りながら余所を向いた。
 ユツは術式が分からない。解ける解けないというその前に、それそのものが見えないし、感じられない。だからユツにとってそれはただの不条理でしかない。セゼが安心したくなる理由は分かっても、ロウがしたことは気に食わなかった。
「セゼの術式はきれいだったよ、でもロウのは全然分からなかったし」
「式の長さも形も違うから」
 自分から聞いた割にはふうんと気のない返事をユツは返す。訊ねればもっと詳しく語るのだろうが、聞く気にならない。セゼの返す答えには余裕がある。噛み砕いて分かりやすく言うだけの知識があるからだ。
「…言われても全然分からないけど」
「そのうち分かるようになるよ」
「セゼはすごいって聞いた。中央?って言うの?最高学府だって聞いた、そこへ推薦されていたって」
 この世界に渡ったすぐ後に会った天衛士の言った言葉を覚えていて、伏せってろくに動けない間暇を持て余したユツは、見舞客にそれを聞いた。訪れられたのは限られた顔ぶれだったので、それは結主だったのかもしれないしロウかもしれなかったが、誰に聞いても教えられる答えはセゼが優秀であるということだった。
「…徴持ちなのが惜しいぐらいなんだって」
「…そう?」
「天衛士の人も同じようなこと言ってた、そうなんだよ。セゼは頭いいの。才能がたくさんあって、僕の面倒を見ているだけなんて世界の損失」
「僕は自分が徴持ちであるのを誇りにしているし、それ以外の自分なんて考えつかないよ」
 ユツを振り返り、軽く笑ってセゼは眦を下げる。ユツは繋いだ手の先にある端正な顔を真っ直ぐ見上げた。ただ王子という響きだけなら、セゼの方が似合った。人柄良く、智慧があり、品がある。彼そのものがまさしく王子のようだ。おそらくユツの数少ない向こうでの知り合いたちにセゼを王子だと言って紹介すれば、驚きながらも信じるに違いなかった。前を塞ぐ倒木を引っ張り上げて貰って登り、飛び降りながらユツは静かに口を開く。
「…僕みたいに記憶を失うこともないまま、ずっとここにいて。もう王子なんていいやって気持ちにはならなかったの?放っておけば僕は死んだかもしれないけど、せいぜい覚えていれば寝覚めが悪いぐらいでそんなの忘れてしまえばいいだけで」
「寝覚めが悪いのは遠慮したいけどな」
 足を止めて隣に立ち、ユツの隣に並びながらセゼはそっと笑む。木々の並びが二人ぐらいなら歩けるぐらいの広さになったのでそのまま並んで歩き出しながら、王子らしい容姿をもった男は遠くに視線を投げて、王子の疑問に改めて首を横に振った。



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