「鈴鳴るほうへ」



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「茂もせ(ももせ)と申します、すず雪様。ずっとお目にかかってみたいと思っておりました。あの秀護様や利帆様が目に入れても痛くないとおっしゃっているぐらい、みつばちのなかでも、ひときわ大切にされているすず雪様ですもの。お話してみたいと思うみつばちは本当に多くて、みな、すず雪様が初珠を迎えられるのを楽しみにしていたんです」
 長い髪を結い、陽射しをうけて白く輝く見事な銀の玉飾りをさした茂もせは、二十歳の半ばという若々しさと落ち着きとを兼ね備えたみつばちで、年長者らしいやわらかさを持ってすず雪を見下ろす。
「はじめまして、すず雪様。夏ひろ(なつひろ)と申します。お会いできることになったと言いましたら、あるじもたいそう喜んでおりました。今はどこもすず雪様の話題で持ちきりですから、そんなすず雪様にお会いできるなんて鼻が高いと言って」
 その傍らに腰掛けた夏ひろは、見事な緋色の衣を身に付けていた。幸いを運ぶという蔦鳥に金の花を描いた刺繍はそれだけでも華やかで、華妓でもなかなか着られない贅沢なあつらえだ。
 ふたりの花主はたいそう裕福な方らしい、とすず雪は身支度をみて思った。おっとりとした雰囲気の夏ひろは興味深そうにすず雪を見つめて、まるで小鳥が羽をひろげるように、ふわりと微笑む。
 今日のすず雪は彼らに比べるとだいぶ地味な装いだった。鳴り方としてつとめていた頃を思えば、じゅうぶん贅沢な装いではあるものの無地に小さな裾刺繍をいれてあるだけの飾り気のなさで、華やかさとは縁遠い。
 すず雪の兄は美丈夫で知られているし、弟の久夜もすこぶる顔立ちがいい。父の羽づまに至ってはその美貌は語りぐさになるぐらいで、その血を継いだすず雪も当然、と考えられがちだが、そんなことはまったくなかった。
 美貌では羽づまに負けず劣らずな師匠とともに過ごしてきたすず雪は、相手の悪気はないが意外さを含んだ眼差しには覚えがあり、当たり前なのだがみつばちも人の子らしいと思って、ほほえんだ。
「わたしはあまり父上たちには似ていませんから、驚いたでしょう。母が違いますので、当たり前と言えば当たり前なのですが」
「え、ええ…。そうでしたね。すず雪様はお母様によく似ておいでだとか。とても舞がじょうずな方だったと」
「ええ、そうみたいです。残念ながら、母の舞い姿はよく覚えていないのですけれども」
「まあ…」
 少ししんみりした様子の二人にすず雪は首を振る。
「でも母似だという自分を見れば少し面影をたどれますから。それに、父たちに似なくて少しほっとしているところもあるんです。顔が良すぎるというのも色々苦労するもののようですから」
 冗談めかすように口を開いたすず雪にふたりは驚いたように顔を見合わせる。
 まあそうなの、どんなふうに? と華妓たちならつめよりだすところだ。ただ彼らの様子は少し違う。ますます生真面目な様子ですず雪を見つめ返してくるのを、あれ、と思って見上げた。
「そんな…。たしかにあまり似ておいでではないようですけど、すず雪様はお可愛らしいもの。ちゃんとすず雪様のよいところをみてくださるあるじが見つかります」
 励ますように口をひらいた茂もせは、すず雪が父や兄弟に似ていないことを気にしていると思ったらしい。
 そんなことは全くないのに、とは思ったものの、すず雪はいつもの癖で静かにほほえみをうかべた。
 自分の話はただのきっかけで、思い思いに華妓たちが話すのを聞くのがつねだったので、そのならいで相づちだけを返す。
「承認式が済むまでは皆不安になるものなのです。どんな方が花主になられるのだろうとか、きちんとみつばちとしてやっていけるのだろうかとか」
「ええ、わたくしもはじめはそうでした。でも大丈夫。すず雪様は香津木本家のみつばちでいらっしゃいますから、ふさわしい立派な方があるじになってくださいます。すず雪様の手をやさしく取って導いてくださる方が」
 みつばちが花主を持つのはごくごく自然なことだ。
 そうしなければ、みつばちは生きていくこともむずかしくなってしまう。
 ただ、すず雪は単純にそれは義務と体質ゆえのものだと考えていたので、なるべく付き合いやすい花主であればいいというぐらいにか思っていなかった。ふさわしい立派な相手と言われると、まったく思いつかない。
 ふたりにとっては、花主は立派ですばらしいひとであるのが当たり前のことらしい。またすず雪自身がそうした相手との巡り合わせを当然夢見て不安も覚えている、そういうものらしいと気づく。
 思いもしなかったことにすず雪は目を丸くしながら、二人の姿を交互に見やる。
「すず雪様なら、それはもうたくさんの方から花主の申込みが来てらっしゃるでしょう。どなたか気になった方はおいでですか?」
「背は高いほうがお好きですか? お顔立ちは? すず雪様はご立派な兄弟に囲まれておいでだから、申し込む方もたいそう勇気がいるでしょうね」
「……ま、まだ…特には…なにも…」
 矢継ぎ早に、少し目を輝かせて問いかけられすず雪は戸惑いながら首を振る。
 候補として名乗りをあげている者は多いらしいが、承認式が済むまではどのみち受けられる話でもないし、すず雪にはその名すら伝えられていない。
 そんなもの見たってただ疲れるだけだよ、というのが羽づまの言で、兄弟に至っては、見る必要はまったくないと言う。おそらくそれらは、すず雪自身がどうこう、といった話ではなく、家同士の絡みで結べる縁なら結びたいという、形式的な話なのだとすず雪はとらえていた。
「すず雪様はまだお若いから。あまりむずかしく考えず、気持ちに合う方を選ばれるのがいちばんかもしれませんね」
「香津木家のみつばちであるすず雪様であれば、すず雪様が望む方が花主になってくださいますもの」
 困惑しているすず雪を、恥ずかしがっていると思ったらしいふたりは励ますようにそしてどこか懐かしそうに笑みを交わし合う。
「あの…、ええ…、と、花主は、望める、ものなのですか……?」
「ええ、もちろん」
「わたしはその、みつばちはどういった方が相手であっても、力の適した相手のもとへその力を供する義務があると…教わっていて。わたしが望んだ相手が花主になったりするものなのでしょうか」
 貴族としての位の高さと魔法力の高さが比例しているという部分はあるとはいえ、高位貴族のもとに優先的にみつばちが集められたりはしないし、そもそもみつばちと花主には相性があり、それぞれの力にも個人差がある。気に入った相手と力が合うとは限らない。
 もちろん、みつばちが絡んでの、家同士の力関係などの微妙なやりとりがあることは分かる。それを踏まえて花主とみつばちの縁が結ばれることもあるだろうが、みつばちはそれほど数がいるものではないので、生まれた家だけの考えで花主を決めることはできないという決まりもあった。
「ええ、みつばちには義務も伴います。わたくしたちは国の求めに従って様々な方のもとへ参らなくてはいけません。でもそれを必要とするような有事が起きたことなど、ここしばらくありませんから」
「好きな方とうまく力が合わないことはありますけれども、みつばちが嫌だと思った方のもとへ行くことはありませんし。どうか安心なさって」
 押し黙ったすず雪に、ふたりはすず雪の花主になるかもしれない、似たような家柄の貴族たちの名を連ねては、誰それは顔が丸いの尖っているの、学院での評価はどうの、将来性はどうのと話題は尽きず、すず雪は相づちを打ちながら、思っていたみつばちの姿と現状は違うらしいと感じて、しばらくぼうぜんと考え込むはめになってしまったのだった。




「兄さま、どうされました? 兄さまの番ですよ」
「ほら、すずくんこっちにおいで。少し疲れたのだろう。膝枕をしてあげようか」
「秀護兄さまのお膝はかたくておいやですよね、兄さま。その点、僕だったら」
「何勝手なことを言っているのです、ふたりとも。すずは私のほうがいいですよね」
 夕食をすませた後、誘われるまま双六をしていたすず雪は自分の番がきていたと気づいて慌ててさいころを握ったが、兄弟たちはもうすっかり飽きていたのだろう。膝枕を誰がするかでもめはじめるのを、当の頭の持ち主であるすず雪は困惑顔でみやった。
「わたしは別に眠くは…」
「おやまあ、めずらしいことをしていると思ったらもうおしまいなのか」
「…! 父上」
 上品な仕立てのフロックコートを脱ぎながら、外から戻ったばかりらしい羽づまが艶然とほほえむ。そんな父の姿に気づいて、すず雪も笑みをこぼす。
 羽づまは外へ出るときにみつばちの衣装を着ることは殆どなく、今日もコートの下は薄い灰色のスーツだ。少しばかりほっと父のもとへ寄ると、羽づまはすず雪を抱き寄せながら髪を撫で、手近なソファに腰掛ける。
「おかえりなさい、父上。今日はお早かったのですね」
「ただいま。今はどこへ行ってもすず雪の話題で持ちきりで、承認式も終えてないのににぎやかでねえ。あんまりしつこいから、早々に切り上げてきたよ」
「そ、そうなのですか…」
 自分が話題にされて父を困らせているかと思うと、すず雪はなんと言っていいのか分からない。
 すず雪は羽づまの子でも、その顔立ちだって力だってたいして受け継いではないし、鳴り物は入りすぎれば後が厄介だ。
 あきらかに気重そうな顔になったすず雪をみて、羽づまはおや、と少しだけ不思議そうな顔をうかべる。
「どうしたの。稽古に精を出しすぎたかい」
「いえ…。そんなことは…」
「すず雪にはおさらいなんていらないと思うけどね。まあ、稽古していたほうが気晴らしになるようだし」
 すず雪は頷く。稽古事はすず雪にとっての日常だったし、むしろ落ち着くようなところもある。
「稽古は好きですから。でも父上のお仕事にさわりがでるなど…」
「ああ…別にね、しつこいって言っても、これぐらいのことはどうってことはないんだよ。なにしろみつばちにとっては、いちばんの晴れ舞台だから。めでたさに騒がしさはつきものだろう」
「そう…だといいのですけども…」
「父さま。兄さまは今日、茂もせと夏ひろと会ったらしくて。それから元気が少しないようだと」
 久夜が口を挟むと羽づまは納得がいった顔で、なるほどと呟く。そのまますず雪の頬をむんにと摘んだ。
「なんだ、それで冴えない顔しているの。あの子らは相変わらず、恋みつばちだったかい」
「……恋みつばち?」
「あの子らはねえ、花主を想い想われることに重きを置く、そういうみつばちなんだよ」
 父の顔を見上げて、すず雪は耳慣れない言葉に戸惑う。
 羽づまはすず雪の頬のさわりごこちを楽しむように引っ張ったり、つぶしたりしてから、ゆったりと背もたれに体を預けた。
「すず雪はわたしぐらいしか、他のみつばちを知らないから。少しびっくりしてもおかしくないかもしれないねえ」
「想う花主のために尽くす。そういったみつばちは、今はわりと多いな」
 すごろくはもう終いにするかと呟いて、秀護が手早く盤を片付けにかかる。そんな兄の横顔を見上げながら、耳慣れない言葉を飲みこむように反芻するすず雪に、利帆はやわらかな笑みをうかべた。
「すずは、花主はどんな相手がいいとかあります?」
「…………」
 すず雪は利帆に眼差しを移して、ゆるく首を振った。
 茂もせたちと話しているときにも考えていたのだが、すず雪にはこれといって思いうかぶものがない。
「兄上、わたしは…仕事相手だと思っていたのです。同僚は顔や性格を主として探したりはないでしょう? 能力の兼ね合いとか相性とはありますけど」
 羽づまの花主には似たような立場の貴族もいれば、魔法力は高いがもとは商人の出だという者もいる。
 皆、羽づまを大切にしているようだったし、その関係は対等なもののように思えた。必要以上に羽づまを持ち上げることもなければ、羽づまが相手に対してへりくだったり、かしづいたりもしない。
 けれど、今日会ったふたりのみつばちにとって、花主は自分たちを守ってくれる、尽くすべきあるじだった。
 それはすず雪の考えていた、仕事相手、という存在とはまったく違うものだ。伴侶として意味合いからも少し外れるようで、あるじが大切に想う相手がいればその相手のことも大事にしたいと思うらしい。
 羽づまは理解できたというように頷いて、すず雪のほうを楽しげな顔でみやった。
「なるほどねえ。そう考えるみつばちはめずらしかろうが、すず雪は鳴り方としてつとめていたから。恋みつばちと話を合わせるのはたいへんだったのではないかい」
「いえ、やさしい方々で…はじめて外へでる不安をできるだけ和らげようと思ってくださっているのがよく分かりました」
 なにしろすず雪は、みつばちの集まりにさえでることなく、香津木家ゆかりの屋敷で過ごしていた深窓育ちということになっているし、もともとあんまり外とは関わらずに育てられるみつばちにとって王城での承認式は、ひどく不安にも思うもののようだった。
「緊張のあまり熱がでてしまう子も多いからなあ。すずは平気か? どうしてもダメそうだったら内々に済ませることも出来るからな」
「たぶん平気です。ありがとう、兄上」
 秀護に頷き返せば、ほっとしたような笑みが返る。
 王城にあがるのがおっくうではないと言えば嘘だし、そのあとでひらかれる会で多くの花主や、その有資格者、花付きたちに会うことになるのが、少しこわいような気持ちもあるものの、これを済まさないことには何もはじまらない。
「承認式だけで花主を見つける必要はないが、やっぱりこういうときの方がいちばん多く出会えるからねえ。今の仮主とはわりとうまくやってると聞いたけれど。すず雪はああいう感じの相手なら平気かい? まあ、あのひとは手慣れてるから参考にはならないかな」
「ファウリス公でしたか。あの方が目覚め前のみつばちを引き受けるとは意外でしたが、すずとは合うようでほっとしました」
 すず雪の仮の花主を引き受けてくれていたファリウス公爵は、特定のみつばちを持たないことで知られていた。相手にするのはたいてい、花主がいたのだが事情があってひとりになったみつばちや、ある程度歳を重ねて力が落ち、みつばちとしてのつとめから外れた者などだ。
「公にはだいぶご迷惑をおかけしてしまいました。わたしの都合ばかりを優先してもらっていて」
 すず雪が必要とするときに、すず雪の時間にあわせて会ってもらっていた。公だとて忙しい身であるはずなのに、鳴り方づとめをしていることも理解してくれていて、あまり喉を痛めないようにだとか、明日に響かないようにだとか、こまかいことも気遣ってくれるのが申し訳なくもありがたかった。
 そういったことを口にしたすず雪に羽づまは小さく頷く。
「それが楽しくてすず雪の仮主を引き受けたのだから、気にする必要はないだろうけれど。承認式の先導は公が引き受けてくれることになっているし、そのときにでも礼を言えばいい」
「まあ、すずくんはどう考えたって好みのど真ん中だろうしな」
 秀護は仕事上でかかわり合うこともあるようで、その声にはどこかあきれたような響きがある。すず雪にはやさしい、いいひとだったが、すず雪を引き受けてくれたところからしても、あまり型にはまらない人物なのだろう。
 たとえこころよく付き合ってくれていたのだとしても、すず雪の仮花となることは、ひどく面倒なことだったはずだ。そう思えばいっそう、公には頭が下がる思いがする。
「ファリウス公が花主のひとりめになってくれれば、すず雪はいくぶんやりやすくなっていいのでしょうが、どうでしょうね」
「公には公のお考えがあると思いますし…、…ひとりめ?」
 利帆の言葉に引っかかりを覚えて、すず雪は動きを止めた。
「巡り花がえをする予定はないですけども…」
 数ヶ月やら長くても一年ぐらいで花主をかえていくみつばちも中にはいる。すず雪としてはやりづらそうに感じるものの、それを選ぶ者も少なからずいるから、それなりの理由やいい点があるのだろう。すず雪の言葉に利帆は頷く。
「そのやり方は、すずにはあんまり向かないでしょうね。ある程度、馴染む時間がいりますから」
「そうだねえ。まあ、はじめは二、三人ぐらいからはじめるのが妥当だろう」
「花主同士の相性も絡むからな。珠守の腕も重要だし」
「はじめは玖おんについてもらえばいい。久夜もそこそここなせるようになってきたようだから、わたしから一時的に外れてもらってもいいし」
「えー、父さま。僕は父さま相手じゃなくって、兄さまがいいです」
 思ってもみなかった話を当たり前のようにするすると交わされて、すず雪はぎょっと目を丸くする。半ば焦りながら父たちの顔を見まわした。
「あ、あの。父上、兄上たちも…。それは…、わたしが、重ね花を? 父上のように複数の花主を持つと?」
「そうとも」
「兄さまには重ねがいちばん向いていると思いますけど」
「ま、待ってください。わたしが重ね? む、むりです」
 仰天するすず雪に、久夜はいっそ不思議そうな顔で首を傾げる。
「兄さま、重ねのほうがずっと楽だと思います。それに兄さまはあんまり単花向きのみつばちじゃないでしょう」
「そ、そんなことはないと…。通常、みつばちが受け止められるのは花主ひとりぶんが限界だと先生は。わたしもそう感じるし…」
 何しろ、屋敷の中を出歩くのにも苦労しているのだ。
 今はそういう時期だからと玖おんは慰めてくれるものの、今までうまく御せていたつもりの魔法の流れがちっともつかみきれず、入り込んでくるものを抑えることも、あらかじめ道筋をつけておいて自分自身に影響がでないように押し込めることもままならない。
 そうしたやりづらさを補いたすけてくれるのが花主という存在でもある、とは教わっていたが、今の状態で別の力の流れを受け入れられるのかといった不安さえ覚えてしまう。
「うーん、そうだねえ。こればかりは感覚的なものだから。すず雪は抜いてもらうことのほうが多かっただろうし。ちょっとためしてみるかい」
「……え?」
 羽づまはそう言うと、立ちあがって呼び鈴を振り、あらわれた相手に言付けをする。
 すぐに運ばれてきたのは青い染料をつかって花模様が描かれたふた付きの器で、片手ですっぽり隠せてしまいそうに小さい。
「おいで、すず雪」
 すごろくの盤を片付けてひらけた部屋の半ばに手招かれて、すず雪は戸惑いながらも父に従う。
 器のふたをあければ、仄かに甘い匂いが広がる。中に収められた金色に透きとおった蜜は力を交わしやすくするためのもので、すず雪もためしに何度か使ったことがあった。
「ためしに、秀護たちの力をもらってみてごらん。血縁者相手ではあまり意味がないが、目覚めたてのすず雪には加減が利きやすくていいだろう」
 羽づまが薬指ですくった蜜をすず雪にさしだす。それをそうっと小さく舐めて、すず雪は兄たちを仰ぎ見た。
 血の繋がりがあると力の質も似通っていることが多いから、身内相手に力のやりとりをしてもあまり意味がない。同じ材料でつくられた色水を混ぜ合わせるようなもので、かさが増えたり減ったりはしても、とりたてて変化は起きないのが一般的だった。
 もちろん誰しも多少は違う部分を持っているものだし、すず雪と秀護たちの場合は片親が違うから、幾らかは変化が伴うと考えられる。
「すずくん、ほら。心配しなくていいから」
 父のそばに寄りそうすず雪のまわりを兄弟たちが囲んで、どこか楽しそうにすず雪が動くのを待つ。
 たやすさに慣れてもいけないから、と羽づまは基本的に、兄弟たちがすず雪に直に手を貸すのをゆるしていない。力の巡りがうまくいかずに辛そうにしているのを見れば、たすけてやりたくなるが、身内相手は力が似ているぶん、まるで自分自身がそれをこなしたような錯覚を覚えるほど、簡単に力が行き交う。
 今のすず雪は力の一部を体内で珠にかえられるようになったばかりだし、今のうちに珠にかわる道筋に慣れておかないと後で苦労するというのが羽づまの意見だった。
 何をどうためすのだろう、と首を傾げながら、広げられた秀護の腕の中にすず雪はそっと近づいた。
 蜜薬を含んだことで少しばかり赤く火照った頬にそっと唇を寄せて、秀護はすず雪を抱き寄せる。
「すずくんはちっさいなあ」
「違います、兄上がおおきいんです」
 どちらの言い分も間違ってはいない。
 すず雪は全体的にほっそりしているし、秀護は日頃から鍛えている上に上背があるから、相手がすず雪でなくても大柄に映るだろう。
「先に少し抜く? それとも入れてみる?」
「入れてください…流れをあけてみます」
「わかった。じゃあ少しずつ」
 頷いた秀護から、力があふれだす。それは見た目通りに力強く、びっくりするほどやわらかい。
 羽をいっぱいにつめた布団に体を預けるようなやすらぎだった。すず雪はふれあった部分から伝わってくる秀護の力をゆっくりと飲みこんでいく。
 与えられるものをまるで土が水を吸うようにするりと含んで、それを体のすみずみに広げ、葉を茂らせていくようにのびやかに受け止める。
 当たり前のようにすず雪はそれをこなしていくが、みつばちでなければ他者によって体内の力の流れを変えられることは苦痛以外の何者でもない。
 秀護の力を受け入れたことであふれた蜜の香りはどこまでも透きとおって甘く、きらめきだして、秀護に心地よさとわずかな陶酔感をもたらす。
 みつばちにとってはただ体内に含んだ力を自分自身が得やすいよう蜜に変えているだけだが、その蜜こそ、魔法を使うものにとっては何より得難いうまみになる。
 香りや肌を通してのやりとりは、通常の半分程度の効力しかない。それでもすず雪のみつばちとしての力が働いているからだろう。秀護は魔法の力を高まりを感じて、深く息を吸い込んだ。
「秀護、そこまでね」
 羽づまの声がやわらかに終わりを告げ、すず雪ははっと体を離す。
 それは秀護にとって名残惜しいのひと言に尽きたが、すず雪がわずかにとろんとした眼差しで心地良さげな息を吐くのを見れば笑みがこぼれた。
「すずくんはかわいいなあ」
「ええ、当たり前です」
 利帆は頷きながら秀護があけた場所にすっぽりとおさまって、すず雪に向き合う。
「すず、秀護兄さんはどうでした?」
「すごくあたたかかったです」
「それはそれは。次はわたしですが、平気ですか」
「……たぶん」
 すず雪の中は与えられた秀護の力で満ちていて、ここのところうまくつかめないでいたものが、不思議なぐらい分かりやすくはっきりとしている。
 散らばっていたものを集めてきちんとまとめてみたら、思いのほか広々としたところだったのだと気づくような、そんな感覚だった。
 みつばちに花主は欠かせないのだと、改めて思う。
 利帆はすず雪の頬を撫で、膝の上に抱き寄せた。
「一応、ゆっくりめにしてみましょうね」
「あ…でも、利帆兄上は祭礼官だから。お力を乱してしまうことになりませんか」
 利帆は神殿に籍を置く神官のひとりで、その中でも主に祭礼を担う。
 謡や舞で場を清める力に優れた祭礼官は、魔法の力を持つ者の中でもとりわけ気に敏感で、繊細だ。
 利帆の場合は儀礼祭典の際の見映えがする、といった理由で指名がかかるうちになし崩し的にその役割を負わされることになったという、少々変わったいきさつがあるとはいえ、神官はみつばちを持たないことが多い。
 それを心配したすず雪に利帆はあっさりと首を振る。
「大丈夫です。相手はすずですから、むしろありがたいぐらいです」
「そうですか…?」
 少し不安に思いながらも、利帆から伝わってくる清々しい気配にすず雪はうっとりと身を委ねる。
 秀護とはまた違った心地よさがそこにはあった。
 少し肌寒い日に、お湯へ手足をつけたようなやすらぎだ。あるいは、熱がこもってしまった部屋の中に涼しい風がひとすじ通る気持ちよさに似ているかもしれない。
 利帆の力は日頃からととのえられているせいか、とても飲みこみやすく、受け入れやすいのが分かる。
 しかしそう感じているのはすず雪だけではないようで、利帆もまたうっとりとした様子で目を細めた。
「体のつかえがすっととれるような、とても爽やかな気持ちです。すずはすごいですね」
「兄上の力が清んでるからだと…、思い…」
 利帆が襟足をつまんで引くのがくすぐったくて身をよじったすず雪は、穏やかだった流れの中にいつもと違うものを感じとって言葉を途切れさせた。
「すず? どうかしましたか」
「…いえ、なんだか」
 少し流れがはやいような、と言葉にしかけて、すず雪ははっきりとした異変を覚える。
 すず雪はふだんから、周りに漂う魔法の力を少しずつ飲みこんでいて、あまりその違いを感じ取ることはない。入ってしまえば、みな同じもの。そういった気持ちでいた。
 けれど今のすず雪の中ではふたつの力が存在し、それははっきりとした形を見せあいながら少しずつ融けだす。
 青と黄の絵の具を混ぜて緑を生むように、と思っていたら、光の粒がはじけるように無数の色があふれてくる。それは速さと勢いを持っていた。驚いて利帆から体を離そうとしたすず雪を、白くほっそりとした手がとらえて、背をかるく叩くように撫でる。
「すず雪。このままで少しがまんして」
「父上…」
「そこはすず雪の場所なのだから、少しうるさいようならよけてもらえばいい。ほら、まるめたり、押したりしてごらん」
「まるめ…る?」
「布に包むようにでも、雪だまをころがすようにでも。なに、さわってみたからって、こわいことは何もない」
 あふれはじめた熱が思考を融かしていくようで、身を任せてしまいたい気持ちに駆られる。
 けれどたぶんそれではいけないのだろう。
 羽づまを振り返り、静かに先を促す気配を感じ取りながらすず雪はゆっくりと息を吸う。そうやって気持ちをととのえ、あふれだす流れをさぐった。
 いてほしくない、来てほしくないところまであふれて乱していくものを抑えようとするものの、すぐにはうまくいかない。指先からするりとこぼれおちて捉えることが出来ないのを、すず雪はいったんすべて手放す。
 かわりのように、すず雪はそこへ別のものを持ち込むことにした。
 馴染みの音を、て、ん…と鳴らす。音で包み込むようなそんな気持ちを思い描いていく。
 弦琴の節を思い描いて謡いを重ね、すず雪は舞手の動きを追うように力の流れを辿れば、思いの外すんなり追いかけられるような気がした。
「そう…じょうずだよ、すず雪」
 間違ってはいないらしいと思って、ほっと続けていく。
 いくらか苦労しながらもなんとかひとまとめにすれば、秀護と利帆の力はまるではじめからそうだったようにひとつになるのが分かった。
 それはとても満ち足りた感覚だった。ものすごく静かで、穏やかな場所へと足を踏みいれたような。不思議な広がりがすず雪を包む。
 けれどそこまでだった。あ、と感じたときには、ぷっつり糸が切れるようにすず雪の手を離れた力があふれだすのを羽づまが少しばかり苦笑いをうかべて目配せする。
 指示を受けた秀護と利帆はすず雪の手をとって、抑えがきかなくなった流れをととのえてやりながら、余分なものを外へと放り出す。
「兄さまかわいい」
 久夜はうっとりと目を細めて、羽づまの腕の中にくったりと沈んだすず雪の姿を見つめた。
 兄の珠守をしたくてその技を学んでいる久夜には、ほんのわずかな間だったとはいえ、すず雪の変化がはっきりと感じ取れていた。
 与えられるままに含んでいたものにすず雪自身が手を加えることによって、すず雪らしい模様が形づくられていく。
 それは蜜に深みと、つやを加え、魔法の力が高まっていく喜びをぐっと引き上げる。すず雪にはそれを持続していくだけの体力も経験もないので、長くは続かず、今は疲れ切った様子で羽づまの腕にいるもののこれからだろう。
「分かった? すず雪は、ひとりぶんじゃ足りないって」
「……足りなくは、ないと…思いますけど」
 羽づまに応えながら、それでも、今まで味わったことがないような満ち足りた気持ちではあるし、兄たちのはっきりとした力の高まりを感じ取って、すず雪は曖昧に首を振る。
 花主はひとりだと、こだわる必要はないらしいとは思ったものの、こうして動くのもおっくうになっていることを思えば、なかなか重ねで花主を持つのは荷が重そうな気がした。
「父上のようにはいきそうにもないです」
「なかなかおもしろいものだよ。合いそうにもない同士を自分好みに変えていくのも思わぬ変化を知ることもね」
 それは七人の花主を持つ羽づまだからこそ言えることで、羽づまでなければ至れない場所でもあるだろう。
 なるほど父は誰にも真似できないみつばちなのだな、と、すず雪ははじめてはっきりと思った。



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