「鈴鳴るほうへ」



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 月に一度、王城では花主会が行われる。
 花主同士の交流やみつばち同士の集いが行われるその日にあわせて、新しいみつばちの承認式も行われた。
「兄さま、おきれいです」
 感極まったように抱きついてくる久夜をすず雪は、そちらこそね、と言いたいのをこらえてまなじりを細めた。
 みつばちの承認式には生花の飾りを身に付ける決まりで、すず雪も小さく編み込んだ横髪に今朝咲いたばかりの庭の花をさし込んでいたが、なんの飾りも身につけてない久夜の方がどう見ても華やかに見えるのがおかしい。
 ただの付き添いとはいえ、香津木家の次期当主ともなればそれなりの装いをしなければならず、城にあがるための少しきっちりとした身支度を済ませた久夜はもうそれだけでいつにも増して光り輝いてみるのだが、とうの本人といえば朝からすず雪を褒めちぎるのに忙しい。
「やっぱり藍王織りの上着がよくお似合いでしたね」
「父上たちも同じことを言っていたけど、この布ねえ、重いよね」
 着道楽で知られた王に藍王という王がいる。
 銀糸を交ぜた縦糸に鉱石を薄く削って羽のようにやわらかくした特別な糸を織り入れていくという、たいそう手間がかかる織物で、王みずから考案し、技術の確立に奔走したというなかなかいわれあるものだ。
 華妓たちでさえ滅多にお目にかかることができない値が張る代物だから、自分ごときが袖を通してはねえさんたちに申し訳ないぐらいだとそんなふうにも思ったりするものの、羽づまがだいぶん前から手配してくれていたらしく、ここは気張って身につけるほかない。
 この日のために用意された衣装や小道具を見せられたときから、すず雪はもう、似合うとか、似合わないとか、もろもろ含めて細かく考えるのをやめにした。用意してくれた父や、兄たちが喜ぶならばそれでじゅうぶんで、幾ら服に着られていようが、歩く一財産になろうが、目をつぶる。
 みつばちの正装はやわらかな布地を重ねて裾をふわりと広げ、歩くと薄い羽のように、時には花びらが光に透けるように仕立てられており、上は腕の形にあわせて細く、胸もとのあわせから腰の少し下辺りまでは、体の線にそうようにきっちりとしたものを身に付けることが多い。
 そうすることによって身じろぎしたときの裾の揺らぎがよりやわらかそうに映り、好ましいとされていた。
 すず雪はその上の衣に花と鈴をあしらう藍王織りをつかっているから、首もとから腰辺りまで白銀の地に金や紅の模様が広がり、その華やかさと言ったら見事のひと言だろう。
 おまけに羽づまのしゃれっけで、新米の華妓が使うような鈴つきの履き物を用意したため、身動きするたびに足もとからちりちりと可愛らしい音が響いていた。
「来年だったら、僕が兄さまの先導をつとめられたんだけどな」
 魔法使いの中でもみつばちが持てると認められた者、花付きと呼ぶが、そうなれるのは十六からである。久夜はまだ歳が足りていないため、花主会に出ることはできないし、今日も付いてこられるのは控えの間までだった。
 これからすず雪は先導役に手を引かれて王城の大広間に行き、王へ挨拶をしてみつばちの承認をうけなければいけない。あくまで形式的なものとはいえ、これを済まさないと正式にはみつばちとは認められず、花主も持てない決まりだった。
「おや。次期当主は私ではご不満だったかな」
「ファリウス公」
 久夜は戸口にあらわれた人影を見て、あざやかにほほえみをうかべて腰を折る。
「いいえ、兄の仮花をつとめてくださったこと感謝しております。すず雪兄さまには、経験豊富なファリウス公のような方でないと」
「そうかい? しかしふたり並ぶと、いっそう華やかだねえ。目に楽しくて仕方がない。すず雪ちゃん、久しぶりだ。初珠おめでとう」
「ジッヘルさま、なかなかご挨拶もできなくて。今日はお引き受けくださってありがとうございます」
「なに、役得だと喜んでるところだ。ああ、きれいだよ。もっとよく顔を見せておくれ」
 ファリウス公ジッヘルは羽づまよりも幾らか年上だが、いくらか白いものが混じりだした髪を丁寧に撫でつけ、姿勢良く立つ姿はすっきりと若々しく、すず雪と並べば祖父と孫のように映りそうなのにそういった感じはまるでしない。
 すず雪の頬に手をあてて愛おしそうに目を細めたファリウス公に、すず雪は妙に気恥ずかしくなって首筋に熱をのぼらせた。
「わあ、すず雪兄さまのそんなお顔、はじめてみた。かわいらしいです、兄さま」
「ひ、久夜。からかわないで。…ほら、もう時間だろう?」
 香津木家の跡継ぎである久夜には王城に来たら来たでなかなか忙しく、控えの間にも長居はできない。その時間が来ていることを教えれば久夜は少しばかり不満そうに唇を尖らせてから、仕方なさそうに頷いた。
「兄さま、すぐに花主を決める必要はないですからね? 初回なんですからじっくり見定めて、あと花主会にでたてみたいな新人花付きは兄さま向きではないと思いますから、歳が近いのは視野外でいいですし」
「久夜…耳にたこができそうだよ…。そんなに同じことを聞かされなくても、ちゃんと覚えているから。ああ、わたしの方も時間かな」
 会場内まで付いていければこんな心配はしないで済んだのにと久夜はため息を吐くが、付いてきたら来たで心配はつきそうにもない。
 とはいえ他の承認式を迎えるみつばちにとっては、久夜に出てこられたら迷惑この上ないだろう。なにしろ、花主たちの視線は久夜ひとりに集まるに違いないからだ。
 王城では顔が知られているから平気だろうが、まったく知らない者が見れば久夜のほうをみつばちだと思うかも知れない。そんなことを思って内心苦笑いながら、すず雪は台の上に椅子をしつらえた屋根つきの輿にあがる。輿を支えてくれるのは二人の護衛兵で、このときから、みつばちとして国の保護がつくというあらわれだ。
 城の中で輿に乗る必要などまったくないように思うが、城の回廊にはつよく風が吹き付けるところもあり、魔法が使えず体も軽めのみつばちには危ないという配慮もあるのだろう。
「兄さま、気分が悪くなったら遠慮なく休まれてくださいね。先に目通りした玖おんの知り合いが来てますから、今日はその者がよくしてくださるはず。それから、…」
 心配でたまらないと言葉を重ねる久夜に、すず雪は小さく頷く。
「久夜、……いつも心配ばかりかけて、すまないね」
「いえ。そんなこと」
「あの日も、黙っていなくなって。おまえはわたしを恨んでもいいぐらいなのに」
「……? 兄さま?」
 唐突なすず雪の言葉に久夜は驚いたように口を閉ざす。
「ずっと言いそびれていた。わたしは久夜と離れることをさびしいと思ってたけれど、でもそれでも行きたくて。小さい久夜に泣かれるのがこわくて」
 久夜にだけは家を出ることを教えないでほしいと。すず雪はそう言って、最後までそれを押し通した。
 幼い頃から懐いてくれていた久夜は、急にすず雪がいなくなったことで傷ついただろう。それを思うとすず雪は申し訳なさが先に立ち、今でも心苦しさにたまらなくなるときがある。
 けれど、それでもこうやって久夜は変わらず慕ってくれて、気にかけてくれる。それがとても嬉しくてありがたかった。
「わたしはみつばちで、家を継ぐ久夜にしてやれることは殆どないとは思うけど、何か困ったことがあったら言ってほしい」
 兄としては頼りないことこの上ないだろうが、それでも久夜を大事に思う気持ちは他の兄たちには負けていないと思う。
 少しぐらいは久夜の兄らしいことを、そう胸に秘めるすず雪を見透かしたように久夜はまばゆいほどあざやかなほほえみをうかべた。
「兄さまは僕の自慢の兄さまです。いってらっしゃいませ、兄さま。僕はいつだって、兄さまを頼りにしています」
「ありがとう、久夜。いってくるね」
 久夜の瞼に口づけ、すず雪は椅子に腰かける。
「ご出立されますか」
「はい。お願いいたします」
 深々と頭を下げたすず雪に護衛兵二人は小さな頷きを返し、丁寧な動きで輿を持ち上げる。
 伴うファリウス公が幕の紐を引いて輿を覆い、すず雪の姿を薄い布の向こうに隠す。
 残った久夜は目上の者に対する礼をとり、胸に片手をあて腰をおる。そうしてから、あふれんばかりの笑みをうかべて、ゆるりとすすむ輿を見送った。



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