「鈴鳴るほうへ」



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 今回、承認式を迎えるみつばちはすず雪をあわせ五名。うち二名は先月の式を体調不良で先延べしているとはいえ、多い方だろう。自分ひとりということにはならなくて良かったとすず雪は思う。
 何しろ目覚めの時期は人それぞれだから、今回も年齢はまちまちだし、承認式が行われない月もある。
 式の手順そのものはたいしてむずかしくない。
 輿のまま王が控える大広間まで行き、玉座が据えられた階段下で降りてひとりで階段をあがる。王の前で膝を折り、挿していた花を外してもらって、かわりに初珠をあしらった冠をつけてもらう。
 蜜珠はその持ち主のそばにあると薄く光を灯すので、それが確かに本人のものだと分かり、みつばちだと承認される。
 冠をつけてもらった後はいったん輿のそばまで戻り、先導に手を引かれて花付きたちが並ぶ道をすすむことになっていた。
 すず雪の後ろにはすず雪が髪から外した花を盆のせた付き添いがいて、すず雪をみつばちに望む者は自らの名を記した飾り紐つきの花をその上に重ねていく。
 これはあくまで形式的なものだから、祝いをこめて花の乗せる花付きたちも多いらしい。
「花渡しは新しいみつばちと直に接することができる貴重な機会でもあるからね。花は集まるものなんだが、未だに語りぐさになっているのが、君の父、羽づまのときだよ」
「父のことだから、花を貰いすぎて付き添いが持てなくなったとかでしょうか」
 長年花付きとしての資格を持ち続けてきたファリウス公は羽づまの承認式にも出たことがあるらしい。輿はゆっくり進んでやることもないから、彼はすず雪が緊張をほぐせるようにと話をしてくれる。
「いやいやその逆で。あまりの美貌で近づきがたくて、半分進んでも誰一人動けないまま」
 老いも若きもそろってぼんやり惚けて羽づまを見送る形になっていたらしい。
 ファリウス公はそのときの光景を思い出してか、いかにも楽しそうに口元をつりあげる。
「しかしひとりだけ違った。まだ花付きとしての資格を持てたばかりの若者でね、羽づまに花を差し出すとそれはそれは見事に顔を赤くして。彼はその後、無事に羽づまの花主になったよ」
 それは誰かと名を教えてもらって頷く。そのひとのことなら、すず雪も知っていた。
 最近屋敷まで羽づまを訪ねてきたからだ。
「父上と一緒に種むきしていたら、その方にすごく怒られました」
「ん?」
「ふたりそろってそんな薄着で、無防備極まりない、そもそもむき方がなってないって」
 その日、ふたりがいじっていたロウスキの実は、種をとりだして乾かしてから炒めるとほんのり甘くなり、街の子どもたちのいいおやつがわりになる。
 指先が実の汁で赤くなるから花街の子どもはあまりしないが、師匠が一度だけ作ってくれて嬉しかった、そういう話をしたら羽づまがどこからともなく実を手に入れてきてくれたのだ。
「彼はもともと下町の出だからねえ。それにしても羽づまを叱りつけられるようになるなんて、人は変わるものだ」
「……はじめはそんなふうに怒ってらしたんですが、見本をって父上に言われて、なるほどじょうずだと言われたらすごく嬉しそうな顔になって、…」
 本当は天日が一番いいんだと言いながら魔法で乾きを早めて、そのまま手ずから種を炒めてくれた彼は、今では魔法界のお偉い方のひとりだったりする。
「ははは、まあ仲良くやれてるならそれにこしたことはないだろう。羽づまの尻に敷かれてるのは七人とも同じだろうからね」
「わたしのこともずいぶん心配してくださってたみたいです。外に出たことはわたしが望んで決めたことだとお伝えしたのですけど、七人ともに渋い顔をされてしまいました。父上のものさしだけで、わたしのことを考えてはいけないと」
 すず雪が鳴り方になるための支度に、羽づまは花主たちを関わらせなかった。
 あくまで候補とはいえ、みつばちだと分かっている子どもの養育には様々な決まりごとがあり、それに反すれば様々な罰が課せられてしまう。
 ことが知られれば、すず雪はみつばちたちを保護している花果院預かりになっただろうし、羽づまの権限の大部分は息子たちに渡されて、凍結されることになったかもしれない。
 花主たちを関わらせなかったのはそれに巻き込まないためだったのだろうが、実は羽づまとすず雪はふたりで、この件はみつばちであるふたりが考え実行したことで周りは子細を知らされていないまま動かされた、という旨の文書を作ってあった。
 みつばちは国の保護対象ではあるものの、そのみつばちにもしてはならないことがあり、そのひとつが蜜の香りで他者を意のままに動かすことだ。
 これはあくまで相手の魔法力よりもみつばちの能力が上、といった場合にのみできることなので、やろうと思ってもなかなかできることではないとはいえ、羽づまぐらいの位階つきであれば可能だし、そこにすず雪も加わったとなれば現実味を帯びてくる。
 すず雪がひとりで書きすすめていたものを羽づまが見つけ、あっさり連名に書き換えた上、それならいかにも悪巧みらしく誘惑の手順書だとかお互いの共犯関係はここに結ばれた、などを、いかにもな感じで付け加えていこうと話をつめていったのだ。
 それは思いのほか楽しかったりしたのだが、この悪巧み手順書の存在はかなり早い段階からばれていたようで羽づまは自分の花主たちからも息子たちからも、ずいぶん小言を浴びせられたらしかった。
 そうして時間差で、すず雪もそのことについて釘をさされた。
「あまりにあさはかだし、みつばちに必要とされない花主などいる意味がないと」
「まあ彼らは羽づまが大好きだからねえ。その羽づまが大事にしているすず雪ちゃんもかわいくてたまらないのさ。仮花としてつくことになったときも、それとなくすず雪ちゃんの様子を聞き出そうと涙ぐましいぐらいだったよ」
 むろんすべてかわしたけどね、とファリウス公はほほえむ。羽づまたちの花主にとっても、ファリウス公はなかなか手強かったに違いない。
 みつばちと花主との間にあることは、そのふたりだけのものだった。
 元気だろうかとか背はどのぐらいになったろうかとか今好きなものは何だろうかという他愛ないことであっても、花主がみつばちのことについて軽々しく外で話すことをファリウス公はよしとしない。
 まあ、おもしろいので手の上でころがしていた、というほうが近いかもしれないというのは、すず雪もうっすら察することが出来た。
「まるで兄上たちが増えたようです。父上の花主方は本当に大事に思ってくださっていて」
「それを聞いたら秀護などはしぶい顔をしそうだねえ。じぶんのほうが、ずっとすず雪ちゃん思いだと真顔で言いそうだ」
「……、ええでも…秀護兄上は、少し時が止まっているのかもと」
「うん?」
「今朝も高い高いをしてくれようとして。着付けが崩れるからと、まわりが止めてくれたので…されずには済んだのですが」
 ファリウス公はぶっと吹き出して口元をふるわせる。
 少しまずいことを言ったろうかと思ったが、秀護はやたら小さいかわいいと口にするし、膝に乗せて本を読もうとしたりとどうも昔の印象が消えないらしい。
 もうじゅうぶんおとなだと、虫取りをしようとして池にはまるような間抜けもしないと言うのだが、何しろみつばちは体が軽いつくりだし、ものごとに熱中するとまわりが見えなくなるのはもともとの性格なので、秀護はひやひやするようだった。
 すず雪としても秀護が大切に思ってくれているのは分かっているし、兄のそばにいるのは居心地が良かったものの、ものには限度というものがある。
 本当にすず雪ちゃんは大事にされているねえというファリウス公の言葉に頷きつつ、すず雪はふっと顔を上げた。
 そんなふうに話をしていれば長い道のりもあっというまで、外回廊を抜け、そろそろ目的の場所までたどり着く。
 話しやすいようにとあげていた幕を戻して、ファリウス公は手にしていた魔法杖を振った。
 この日のためだけに使う、外回廊と中とをつなぐ鍵がしこまれた杖だ。
 使い手の腕と同じ長さまで育った石の樹を切り出したもので、乳白を帯びた樹の肌はつるりとして、持ち手の上の方はぼってりと太く、下は細く滴の形を逆さまにしたようになっている。
 見上げるほど高い黒い鋼の門がひとりでにゆっくりと動いてひらかれていくのを、すず雪はぼんやりと眺めた。
 みつばちの控え室は城の奥まったところにあり、そこから外回廊を伝ってより表に近い大広間へ行く。ずっと守られてきた巣の中からはじめて飛び出す、そうした門出の式なのだと思う。
 門が開ききるとすず雪を乗せた輿はまた静かに動きはじめる。
 なんとなくつめていた息をそっと吐いて身じろげば、足下で鈴の音がちりりと鳴った。





「殿下、まもなく承認式のお時間ですが」
「あー。わかってる、行くとも」
 書き上げたばかりの書類を転移箱に入れて、ふたについた丸玉を指ではじく。
「学院まで」
 同じ仕掛けを組み込んだ箱が学院にもあり、ほどなくすれば箱の中身はそっくり向こうへ届くだろう。
 机に散らばった書類を見下ろし、星映(せいえい)は短く息を吐いた。
「お忙しそうですね」
「ああ、少しね。有能な副会長どのがまとめて送りつけてきたんだよ」
 最終決済はいついつまでにお願いしますとそれはもうにこやかに美しい顔をほほえませていた。
 それらを片づけるにはどんなに手際よく進めても今日の式がはじまるぎりぎりになることを見越した上での、ちょっとした嫌がらせだろうことはすぐ分かったものの、下手に放り出したりでもしたら後が怖い。
 自分は見届けられないいらだちをここのところ小出しにぶつけてきていた彼である。
 別に承認式に顔を出さなくても花主候補として申し込むことはできるし、多少開始に遅れても問題はないのだが、やはり晴れ姿というのは見ておきたい。そう思っていることは相手も気づいているだろうから、当日も何かあるだろうと踏んでいたらこれだ。
 予想を裏切らないと言っていいのか、むしろこうまでして横やりをいれられると、逆に楽しくなってくるので背を押されているようなと、うがって見たくなる。
「かわいい後輩からの、はなむけと見るべきかな」
「そう思われるのはたぶん殿下だけでしょうけれど」
 星映付き侍従である双つ葉(ふたつば)は少しあきれた目でそれを眺めながら、インクがついた指先を拭い、用意していた上着を着せかける。
 双つ葉は城づとめをしながら王立学院に通わせてもらっていた時期があり、王子が言う副会長にも面識があった。
 王立学院には天星の会、というのが存在している。特別なひとにぎりの学生のみが入ることが出来るという会であり、幾つかの特権も認められていた。
 天星の会は学生会や学院理事では持てあますような貴族社会独特のもめごとや、魔法協会に持ち込むほどではないが手間のかかる魔法がらみの用件を引き受けており、事情をよく知っている者の中にはただの厄介ごと引受先だといったりもするものの、その会にいる者は大抵憧れと尊敬の目をもって見られる。
 現在、その天星の会の会長を星映が、副会長を久夜がつとめていた。
 入学当初から天星の会に入ることがほぼ決められていた星映に、幼い頃から父譲りの美貌で知られ香津木家の次期当主であった久夜は、天星の会入りするのが当然のことだと見られていた。
 彼らには会に対する憧れもなければ入れた喜びもないものの、どのみち入らなくてはいけないのならそれなりに心地よく過ごしていきたいという思いはある。そう考えて動いていた結果が会長職ということになれば、良かったのか悪かったのかという思いも過ぎるものの、こうなってしまったからにはどうしようもない。
「久夜はねえ、できることなら早くやめてしまいたいって顔にでかでか書いてるけど、無理に決まっているのにね。案外あきらめが悪いというか」
「殿下が副会長に選んだりされるから、予定が狂われたのではないか思いますが。そのせいでしょっちゅう久夜様ににらまれておいでなんでしょう」
 久夜のあの美しい顔でにらみつけられて平気な顔をしていられる星映は、なかなか図太い。
 久夜はとにかく人の目を惹きつける。
 その場にいるだけで光が満ちて、花がひらくような。華やかで、眩くて。久夜のそばにいられることを、あるいはその姿を遠くに目に出来るだけでも嬉しいと思う者は少なくないだろう。
 ただそんな夢にあふれた周囲の思いとは裏腹に、長年、王子が突きまわしてきたことによってあらわになりはじめた彼の本性はなかなかに複雑だと双つ葉は思う。
「とってもいじりがいのある後輩で私は嬉しい」
「さようですか」
 あきれ返るのを通り越していっそ感心してしまう。そんな顔の双つ葉に久夜は大きく頷く。
「あの久夜や兄たちが控えているみつばちの花主になろう思えば、小さなことはどうだって良くなるとも」
「ご兄弟たちだけではなく、羽づま様もいらっしゃいますが。むしろあの方のほうが、なかなかむずかしい存在ではないかと思うのですけれど」
「んー、どうだろう。香津木家はみつばちが出やすい家系だし、位階付きだからね。歳を重ねて力が弱まるまでは、花主は必ず必要なものだと誰よりも分かっているだろうから」
 羽づまは花主をないがしろにしていると、そしられることも多い。
 自由に外へ出て、好きなように動きまわって、七人もの花主を持ちながらみつばちからの恩恵をじゅうぶんに与えているとも思えない、まるで花主を食いつぶすようだと。
 しかしそんな羽づまがいたからこそ、みつばちにも花主にも少しだけ選択肢が増えた。それは疑いようのない事実だ。今は重ね花はそれほどおかしなこととは見られていないし、かつてよりもずっと気楽な形で外へ出ていくみつばちたちも増えている。
「まあ、あの父にして子ありというところはあるのかもね。久夜にしても、彼にしても」
「わたくしも早くお会いしてみたいです。殿下がこっそり会いにいったりされるから、わたくしにまでとばっちりが来ているんですよ」
 自分にはいわれのないことで、久夜からやんわりと嫌みを言われる身になって欲しい、と嘆いた双つ葉に、星映は声を立てて笑う。
「そこはあきらめてもらわないと。しかし久夜は妙に双つ葉には気を許しているし、むしろ双つ葉が花主になればいいのにとか言い出しかねないな」
「わたくしには花付きになる資格がございませんので」
「相手はあの久夜だからね、油断は出来ないよ。でもまあ、まずは本人と話をしてみないとね。まずは名乗るところからはじめないと」
 顔さえ知らないまま花主を決めてしまうみつばちもいるが、おそらく彼はそういったことはしないだろう。
 自分自身の望みを叶えるためには何が必要かと考えて、それに最も合った相手を選びたいとは考えているはずだ。
 会ったと言っても一瞬。自分の名さえ相手には伝わっていないだろうし、彼はあの夜のことなどきれいさっぱりなかったことにもしているかもしれない。なにしろあの久夜の兄だ。なかなか手強い相手であることは確かだろうと星映は思う。
「名乗られなかったのですか?」
「余計、警戒されても困るからね」
 王子という身を伝えるのは簡単だが、とれる時間も少なかったし、ちょっと会ってみたいという簡単な気持ちだったからあまり深く考えていなかった。
 母似であまり兄弟たちとは似ていないらしいとは聞いていた。実際会ってみて確かにその通りだとも思ったが、血は争えない。
 真っ直ぐ胸の奥を通り抜けていくような目と、やわらかな中にもしっかりと芯が通っているのを感じさせる佇まい。
 彼のまなざしを向けられると不思議なぐらいすっきりとした気持ちで、ああ、と思えた。なるほどあの久夜が大事にするわけだと。
 そのまなざしは素直な感情を映し出していて、かといってあけっぴろげすぎることもなく。色眼鏡を感じさせない、というのも、少し違う。ただ当たり前のように見つめ返し、存在そのものを飲みこんでくれるような。
 とりたててどうということもなく、彼の前に自分がいるのだというたたそれだけのことがひどく心地いい。
 クセになる目だ。少なくとも星映にとっては。
 もっと話をしてみたい、そういう欲を覚えてしまうひとときを、星映はいくらかの喜びと胸の高鳴りとともに思い返す。
「そういえば、わが兄上さまも会ってみたいと言っていたような。戻ってきてるかい?」
「深尋(みひろ)様ですか? いいえ。柚木嶋(ゆきしま)様もとくにお変わりなく、式典にでておいでだったと。確かめてまいりましょうか」
「いや…。今の時点で帰ってきていないのなら、きっと手が離せないことでもできたのだろう」
 王家にもみつばちはいる。それが星映の兄、深尋だった。
 彼は羽づまが好きだと言ってはばからず、同じみつばちとして尊敬していると嬉しそうに語り、案の定と言うべきかなかなか型にはまらない。
 遠巻きにしているぐらいがちょうどいいからね、と続けた星映に双つ葉はため息を吐く。
「深尋様はにぎやかな方でいらっしゃいますから」
 この弟にして兄ありと香津木家のみつばちに言うなら、まさしく当王家の兄弟もそうだろうという言葉を飲みこんで、星映の全身を確認し、身支度がととのったことを確認する。
「いってらっしゃいませ。良きご縁があることを願っております」
「うん、ありがとう双つ葉。いってくる」
 小さく手を振って星映は部屋を出る。
 花主として立候補できるようになったばかりの新人花付きとはいえ、星映は式典慣れしているしみつばちに接する機会も多い。
 みつばちにとって花主選びがとても大きなものごとであるように、みつばちに選ばれてその花主となれるかは魔法の力を持つ者にとっては将来に関わる一大事ではあるものの、その足取りはまったくいつも通りで気負いないものだった。



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