玉座に続く大階段の足もとに一台ずつゆっくりと輿が歩みをすすめ、先導役に導かれてみつばちたちが姿を見せる。 みつばちを降ろしたら輿はいったんその場から離れて、全員がそろったところでひとりずつ階段をのぼっていくことになっていた。 みつばちたちがいるところよりも一段下がったところに、花主やそのみつばち、あるいは花付きたちが集まっていて、式の様子を目にすることが出来る。 すず雪はファリウス公に手をとられて輿をおり、階段上に目をとめると小さく笑みをうかべた。 王の隣には位階付きが数名つく決まりになっていて、今回、王の隣にいるのは羽づまだ。本来であれば持ち回りで羽づまは出ないはずだったのを他の位階付きたちが気を回してくれたらしい。こうしてみつばちの正装をした父を見れば思っていたよりずっと心強く、すっと気持ちがほぐれていく。 (父上、おきれいだな) 白銀の糸をよりあわせてつくりあげた布に丁寧に織りこまれた星空は、まるで天の川に飛び込んだかのような眩さだ。 ゆったりとした様子で椅子に腰かけた姿を見れば、いつもどおりのくつろいだ空気が見てとれる。すず雪の眼差しに気付いたのか少しだけ笑みを深めて、頷きを見せた。 父の隣にいるのが王、朗円(ろうえん)だろう。 両隣にみつばちを控えさせた王は穏和を絵に描いたような優しい顔立ちで、みつばちたちをやわらかな微笑みをうかべて見下ろす。 あれでなかなか手強いひとだよ、と羽づまが言うからには見たとおりの和やかさだけを持つ王ではないのだろうが、すず雪にとってはこうして目の前にしてもどこか遠く、物語の中でものぞき込んだような実感のなさを伴う。 魔法使いたちに囲まれて、王から冠をいただく。街でそんな話をしたら、おとぎ話だとでも思われるに違いない。 まだちっともうまく舵がきれないのに、大きな海にこぎだしてしまったような。そんなおぼつかなさが足もとを揺らすようだ。けれど不思議と訳が分からなくなるほどでもない。 (はじめてお座敷にあがらせてもらったときは、たいそう緊張してしまったものだけど) 指先から冷たくなっていくように血の気を引かせて、師匠から足を踏まれたものだった。少しは血の巡りを良くしてやろうと気づかってやったんじゃないかと口にした顔はひどく楽しげで意地悪そうで、あやうく文句を言いそうになったのをよく覚えている。 今思えばあれでうまいこと緊張がほぐれて初回を乗り切れたのだが、あくまで主役は別にいたし、客も華妓も慣れたひとたちだったから、新米鳴り方がちょっとくらいわたわたしていても気にしたりしないというのも大きかっただろう。 けれどここでは、そんなふうに誰かの力をかりることはできない。 緊張の余り肌を青ざめさせたみつばちのひとりに目をとめて、すず雪は無事に階段をあがれるのだろうかと心配したが、王の足もとまで辿り着き、冠をつけてもらった顔の晴れやかさを見れば、杞憂らしいと気付く。 これからようやく正式なみつばちとして認められていくのだという誇らしさと、嬉しさ。そして幾らかの期待とともに階段をあがっていく彼らは、誰かの背に隠れなくても歩いていけることへの喜びがある。 幼い頃からみつばちとして大切に育てられていても、こうして王から冠をもらえなければ、ただの魔法が使えない少しばかり厄介な体質の持ち主に他ならないし、中にはそれを気に病み、不安を抱いてきた者もいるから、こんなふうに大勢に祝福される場はそういう意味でもとても大切なのかもしれない。 「すず雪様」 ぼんやり眺めているうちに順番が来たらしく、小さく促されて、すず雪はゆっくりと足を踏み出した。 履き物の中に仕込まれた鈴の音が思ったよりも大きく響き渡る。清んだ音色を乱さないようにと思えば自然と落ち着いた動きへと変わるから、それはすず雪が思っているよりもずっと優美な動きとなって、後ろ姿を追う視線の持ち主たちを感心させた。 母似らしい薄く小さめの唇にほっそりとしたうなじは白く透きとおるようで、青みがかった黒髪がよく映える。庭先にぽっと咲いた野草の花のような素朴さと慎ましさを備えた立ち姿は、父や兄弟たちのような眩さはなく、見る者を圧倒させるようなものは何一つ持っていないのに、不思議と視線を引き寄せていくのが特徴的だった。 話題性というその一点で、すず雪は今回の承認式ではもっとも注目されていた。 なにしろあの羽づまの子であり、その兄弟もまたつねに話題の中心にある。 彼らがみつばちであるすず雪を大切にしているのは知られている話で、すず雪が外に出てこないのは親兄弟に似ていないからだ、顔かたちのまずさを気にしているからだという噂を信じている者も多いが、うっかりでも彼らの前でそんな口を利いてはいけない。 少なくとも彼らの気を引きたいあまりに話題にのぼらせたり、あるいは貶めるためにそれを持ち出すような者は端から相手にもされないし、我が家の可愛いすず雪に、何のいわれがあってそんな口を? と、冷ややかに突き放される。 彼ら自身にまつわることよりも、すず雪がからんだときの方が反応は鋭く、下手にそれをつけ込む隙だと思い込んで突き回した者の末路は、当人たちは誰ひとりそのせいだとは認めていないのに、決して踏み込んではいけない領域のひとつとして数えられているぐらいだった。 そんなふうだったから、いったいどういうみつばちなのか、そもそも本当にそんなみつばちは存在するのかと言う者さえいて、ようやく姿を現す香津木家のみつばちをひとめ見たいと望む者は多いのだった。 ようやく人前に現れたすず雪の存在は、本人や周りがどう思っていようとも否応なく場をにぎわせる。 そんな多くの視線にさらされながらも、すず雪本人は教えられたとおりに王の足もとで膝をつき、髪に挿した花のかわりに冠をつけてもらう。 「おめでとう」 立ちあがったすず雪は、王からの言葉に片手を胸にあて、小さく屈むようにして礼をとった。 みつばちは王相手でも立礼が基本で、ひれ伏す必要はない。王は花主よりも上位の相手であって、みつばちは全員その庇護下にあるとされているものの、その自由を奪うことは認められていないし、王がむやみにみつばちを手もとに置くことはできなかった。 全員の承認が済めば恭しくすすめられていた式は終了となり、そばに控えていた楽団が高らかに祝いの曲を奏で出す。 それに合わせてかたくこわばっていた空気も和らぎ、広間の中央につくられた道を歩き出す初々しいみつばちに盛大な拍手と祝いの言葉が向けられていく。 「きれいな冠だ。よく似合うよ、あめでとう」 「ありがとうございます」 すず雪は微笑んで、そばについてくれているファリウス公に小さく礼を返す。 道行きはゆっくり歩んでいくぶん、待たされる方はいったん広間から下がる。控えの場所は少しでも安らげるようにかとても静かで、今すず雪の周りには限られた人しかいない。 承認式につける冠は皆同じもので、羽を重ね合わせたような銀色の丸みに中央の初珠という、わりと単純なつくりをしている。おそらくどんなみつばちにも似合うように考えられているのだろう。 ただそれでもそれぞれつけている初珠が違うから雰囲気は異なり、それなりに華やかでもあった。 「さてさて。すず雪ちゃんはどんな道行きとなるかな。なに、心配することはない。たとえ盆に花が載りきらなくなっても、平気だからね。すず雪の付き添いをつとめる与代(よよ)は侍女頭のお墨付きだから」 「お任せくださいませ、すず雪様。いっぱいになった盆は素早くきれいに替えてみせますから」 羽づまが王城にあがったときに身のまわりの世話を任されているのだという王城づとめの侍女は頼もしげに頷いてみせる。羽づまはあれでいて細かいところがある質なので、それに付き合っていけるのはなかなかすごいとすず雪は目を丸くした。 父は好きだが、仕えようと思ったらだいぶ骨が折れるに違いないというのがすず雪の正直なところだったりする。 「よろしくお願いいたします。でもきっと、それほどのことにはならないかと」 「あらまあ。ご謙遜を」 与代は優しい顔でまなじりをやわらげ、すず雪を椅子に腰かけさせてから冠を留め直す。 「そういえば、今回は名のある方がそろっていらっしゃるそうですねえ」 「そうだねえ」 ファリウス公は頷いて、今まさに出ようとしているみつばちへと視線を向ける。 淡い金色の巻き毛に大きな水色の瞳がたいそう可愛らしい少年だった。顔見知りらしい青年たちがしきりと名を呼んで、微笑みを誘う。 「モーニー家の方ですよね。彼は巡り花替えをするのではと聞きました」 もうすでにかなりの花主の申し込みがされているらしいのだが、たったひとりのもとへというわけではないから、きっとこの花渡しでもだいぶ花を集めるだろうというのが兄たちの話だ。 まさにその通りで、花を載せた盆がすぐいっぱいになってしまうものだから付き添いが慌てているのが分かる。 「そうだねえ。ああいう光を灯す子はわりとそうなるかな」 ファリウス公の言葉につられて少年の冠に目を向けてみたものの、すず雪の目にはいたって普通の金色のあめ玉みたいなきれいな珠に見える。 いびつさがどこにもないきれいな丸さと透きとおった色合いは、彼の力の高さと安定ぶりを教えてくれるが、それ以上のことはすず雪には分からない。 首を傾げているすず雪にファリウス公は目を細めて、ちょうど反対側にある控えの場所からまもなく出ようとしているみつばちにへと目を向けた。 「十是(じゅうぜ)家のみつばちも花を集めるだろうね。相変わらず色っぽい子だ」 すず雪の三つ上で今回の承認式では最年長ではあるものの、みつばちとしての力も安定し、ちょうどそれが強まるのも彼ぐらいの年齢だろう。 すらりとした背の高さは目を引いて、凛とした横顔が静けさを放つ。左目の目もとにぽつんとほくろがあるのが、そうした面差しに艶を含ませるようだった。 「彼は花庭の中でもとびきり優秀でね。王立学院から声がかかるほどだったのだけど、みつばちとしての力も強くてかなわなかったらしい」 花庭はみつばちのための学舎のような場所で、そこでならみつばちは何も気にすることなく遊んだり学んだり出来る。 すず雪も幼い頃に何度か通ってみたことがあるのだが、体質的に合わないものがあったらしく、熱を続かせたために長続きはしなかった。 「すず雪ちゃんをのぞけば、あのふたりが注目株と言えるかな」 「はい、どこへ行ってもおふたりの名を聞かないことはありませんでしたし。今日お会いしてみて、なるほどと思いました」 二人の会話を聞きながら、すず雪も頷く。伸びしろだと、香はる辺りなら言うかも知れない。 先を見てみたいと人に思わせるもの。そうした者を持った存在が必ずいるものだ。 華妓の中でもそういった子がまれにでて、たとえその時は目立っていなくても小さなきっかけで大きく芽吹く。 彼らふたりにはそうした魅力があると思うし、見ているだけでもどことなく気持ちが引き締まって、どちらかと言うとすず雪はほっとしてしまう。 心強いと言えばいいのだろうか。何か分からないことがあっても、とりあえず彼らを見本にしてみようと思えるだけで、ずいぶんと動きやすくなれる気がする。 「わたしは父上の子ですからどうしてもその辺りの騒がしさはありますけれど、みつばちとしてはいたって普通ですし。彼らのように先を行く方がいらっしゃるのがありがたいです。少しでもその後ろについて行けたらいいのですけれど」 「おやおや。これは先が思いやられる」 「……?」 ファリウス公は少しばかり楽しげな様子で唇の端を持ち上げ、すず雪を見下ろした。 「すず雪ちゃんこそ、先を行くひとりだと思うけどねえ」 「……?」 どういうことだろうと問いかけようとした言葉は、出番を知らせる声に吸い込まれる。 穏やかにつつがなく、なるべくなら目立たずそうっと歩んでいきたい。そう望んでいるのに、それはむずかしいことなのだろうかと少しだけ不安を感じたが、どういった形であっても歩き出さなければはじまらない。 呼びかける声に頷いてすず雪はすっと立ちあがった。 両脇を大勢の花主や花付きたち、あるいはみつばちたちに埋め尽くされた道を歩いていくすず雪は、思っていたよりもずっと熱気にあふれた様子に驚かされた。 少し微笑んでみせることができればじゅうぶんとあらかじめ言われてはいたとはいえ、次々に差し出される花の波と名乗りと褒め言葉でその音の句切りさえ見失ってしまう。 特にまだ学生なのだろう一団や、年若い貴族たちは少しでも記憶に残ればもうけもの、ぐらいの勢いでつめよってくるから、警護と押し合いへし合いになったりしてまったく収拾が付かない。 体質的にあまり向かないことが多いのであまり数はいないものの、女性の花主や花付きもいるから、彼女たちからきれいに飾り付けされた花が差し出されると思わず足を止めてしまいそうになって、すず雪はこっそり苦笑う。 区別するつもりはないのだが、母のようであり姉のようであり妹のようであり、そして仕事仲間であった華妓たちと長く親しんできたすず雪にとって、立場こそ違うとはいえ同じように第一線で活躍する彼女たちから花をもらえることは素直に嬉しいことだった。 花渡しの道のりは一度円を描くように広間をまわってから、その頭上につくられた貴賓席へと移る。特別にその席の手前を魔法でつくられた道が通り、そこを歩いていくことになっているからまるで空中を進むようなのが少し楽しい。 ここに並ぶ顔ぶれはさすがに一定の立場がある者が殆どなせいか、下を歩いていたときよりもずっと落ち着いた雰囲気になる。 「あんたがそっち側にいるとはねえ。まったく手が早いというか」 「うらやましいかね」 「まさか、と言いたいところだが。羽づまが隠しているのがこんなに可愛い子だとは思わなかったよ。気が向いたらでいいから、たまにはこの老いぼれの話し相手にもなってくれると嬉しいな」 中にはファリウス公と親しいらしい相手からそんなふうに声をかけられることもあるし、羽づまの知り合いや兄たちの上司などからはようやくこの日が来たのかと思うと妙に感慨深いと微笑みかけられたりする。 すず雪にはたいそう甘い兄たちだが、外でもうちの弟は可愛いと言い続けてきたらしいとなんとなく察して、すず雪はどうにも言いがたい恥ずかしさにも襲われたが、おかげで会ったことはないけれどもよく知っている弟が大きく育った、という微笑ましい気持ちにもなっているようなのはただただありがたい。 この貴賓席の終わりにあるのが王族席で、そこをまわれば花渡しもお終いだ。 そろそろきちんと笑みをうかべられているのかあやしいと思いながらも、気持ちをひきしめるように短く息を吸って足を踏み出したすず雪は、そこで足を止めた。 「すず雪ちゃん?」 どうかしたかい、と続けかけた言葉をファリウス公は飲み込み、普段の穏やかな物腰からは想像つかない機敏さですず雪を抱え込んだ。 一瞬上向いた視線の先で、ゆるやかな半円を描いた天井にへこみがあらわれる。あ、っと思ったときにはすさまじい音をたててはじけ飛び、屋根につかわれた木や石の欠片が降り注いでくるのが見えた。 (な…に……?) すず雪のまわりをぽうと淡い光が覆う。その光に弾かれて、破片が肌に触れることはない。 見ればさすがに魔法使いたちの集まりらしく誰も彼も似たような状態で難を逃れているらしかった。 ほっとしたのもつかの間、硝子に爪を立てたような高く不快な音が響き渡ってすず雪はぞわりと肌を立たせる。 「なんだ、なにごとだ」 「あれは高鼠蛇(こうそうだ)だな、ずいぶんと大きいぞ」 黒っぽい短い体毛に長い胴。顔は鼠のようだが後ろ足はなく、先細りになった尾は蛇のそれだ。穴があいた天井からあらわれた大きな生きものに悲鳴とどよめきが重なる。 妖獣の中でも高鼠蛇は気性が荒く、細かく並んだ鋭い歯は獲物を捕らえればあっという間にひねり潰す獰猛な生きものだった。 承認式に立ち会っている衛兵たちの装備はどれも式典用のもので、実戦向きではない。 すぐに警報が鳴らされ避難がはじめられたものの、あちらこちらで混乱した様子の叫びと足音が行き交って騒然とする。 魔法使いたちの誰もが戦えるというわけではないし、むやみに大きな魔法を使われるとそれぞれの力が反発し合って大変なことになってしまう。 「すず雪ちゃん、平気かい。怪我は?」 「大丈夫です。ジッヘルさまは?」 「ああ、ありがとう。平気だとも。しかし王城の真上にねえ、ずいぶんとみごとに結界を割ったものだよ」 ファリウス公は苦笑いながら、すず雪の腕をとって抱き起こす。 街にもたまに妖獣が現れることはあるが小さなものが殆どだし、すず雪は少しでもその気配を感じたら近づかないようにしていたから、こうして目の前にのぞむことになるのはほぼはじめてだと言えた。 そうっと頬に手をあてられ撫でられると、体が強ばっているのが分かる。すず雪は自分が怯えているのに気付いて力んでいた体から小さく息を吐いた。 「……すみません」 「いいんだよ。泣き出さないだけ上出来だろう」 今でこそ屋敷でのんびり過ごすことが多いファリウス公も、かつては攻撃魔法の使い手のひとりとして大がかりな討伐隊の指揮もとってきたから、さすがに落ち着いている。いつもと変わらない穏やかさに、すず雪は少しだけ安堵を覚えてやわらかな笑みをうかべた。 「通路は崩壊の危険性があります。どうぞ急ぎ避難を。七番の通路がひらいていますので、そちらをお使いください」 「七番? 結界路を通したのかい」 「はい。本来は王族の方々用ではありますが、ここから最も近い路となりますから。許可はでております」 魔法の力を持った者には心地よく感じられるみつばちたちの香りは、同じように魔法をその身に宿す妖獣にも作用する。 それは人がそう感じるよりももっとてきめんに、いわばごちそうが転がっているように見えるものらしい。実際にみつばちを喰らえば力が増すのだから、そういう本能なのだろう。 ファリウス公が護衛兵と話すのを聞きながら、すず雪はまわりを見まわす。 「与代」 付き添いとして先を歩いていた与代はとっさに花の載った盆を袖で覆ったらしい。王城につとめる侍女は簡単な魔法なら使えることが多いのだが、その為に少し身を守るのが遅れたのか髪や衣服に土埃がついている。 「花を守ってくれたんですね」 「引き寄せの魔法が間に合いまして、取りこぼさずにすみました。…あら、まあ…まあ」 すず雪が与代の結い上げた髪から丁寧に埃を摘みとり、袖や肩の手早く払うと驚いたように目を丸くする。 「お召し物に埃がかかっては」 「平気です。それよりもその花は邪魔になってしまいますね」 盆に載せたままではゆっくりとしか動けないし、引き寄せの魔法とはいっても、おそらく与代はそれを継続して用いられるほど魔法の力は強くない。 すず雪は少し考えてから、自分の腰紐に手をかける。 「す、すず雪様…っ」 結い目に指をいれたすず雪がいきなり胸下から広がる衣を外しはじめたので、ぎょっとしたように与代を目をむく。裾の揺らぎを引き立てるための飾り衣のひとつとはいえ、人前でみずからの服に手をかけるなど、みつばちにはあってはならないことだ。 それを知らないわけではなかったものの、別に肌を見せるわけでもないからとすず雪は構わない。 「これで包めば持ちやすくなると思います」 「え、ええ…それは。でも、いけません。せっかくの晴れ着をこのようなことには」 「花はわたしがいただいたものでしょう。ならば、わたしの服を使うことに何ら問題はないはず。物を包むにはあまり向かない薄布ですけど、そんなに簡単には裂けたりしないでしょうから大丈夫です」 破けてしまったら、それはその時だ。また別の案を考えればいいと軽く請け負うすず雪に与代は手もとの包みとすず雪の顔を戸惑った顔で見下ろし、獣の低いいななきが響き渡るのを耳にして、唇をすっとひき結ぶ。 「……分かりました。どうぞお任せください。付き添いとして、きちんと運びきることがわたくしの役目です」 「ありがとう、頼みます」 包みをしっかり胸に抱いた与代が貴賓席の前につけられた転落防止の柵を越えるのを手伝い、すず雪も続こうとして、はっと後ろを振り返った。 |