「鈴鳴るほうへ」



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「兄さま、むちゃをされるからですよ」
「そんな…こと…言ったって……」
 体の中に沈んでいた久夜の手が抜けて、小さな珠をつまみ出す。
 一度に広範囲にみつばちの力を広げた上、実質三人分の力を飲みこんだせいでここのところのすず雪は繰り返し小さな珠をはらみがちだった。
「おー、やってんな」
「志じ麻(しじま)」
 両腕を荷物でふさいだまま器用に戸のあけしめをして中に入ってきた大男はいったんそれを手放すと、横になったすず雪の顔をのぞきこんで片腕をくぐらせ、軽い動きでその体を起こす。
「香津木の血はクセがあるなあ。まだおさまらんとは」
「……玖おんは?」
「まだ帰ってきちゃいねえよ」
 志じ麻は玖おんの知り合いの珠守で、承認式の時の万が一の人手として来ていてくれたのだが、羽づまとともに玖おんが少し遠出することになったため、引き続きすず雪のそばについてくれていた。
 志じ麻はやや気落ちしたようなすず雪の顔見て、唇の端をにっと持ち上げる。
「どうした。玖おんが恋しいのか、ん?」
「……そういう、わけでは」
 玖おんにはずっとみてもらってきたし、父に信頼されている珠守という安心感はある。
 けれどだからこの男が嫌だ、ということに繋がるわけではない。そこしは少しだけ、さびしいという気持ちに近いかもしれなかった。
 みつばちという足場を少しずつ踏み固めていこうと思ったら、いつまでも玖おんに頼ってはいられない。花主をこれから決めなくていけないように、珠守との関係も新しく築いていく必要がある。
 久夜は珠守としてすず雪のそばにつきたいと考えてくれているが、いずれ当主を継ぐ身でもあり、彼ひとりでは手がまわらないだろう。それを補うためにもすず雪には玖おんでも久夜でもない珠守が必ず必要だった。
「遠慮しなくていいんだぜ、俺は玖おんと違ってだいぶんがさつだからな」
 不安に揺れる気持ちを吹き飛ばすような豪快な笑い声に耳を傾けながら、すず雪は苦笑する。
 志じ麻を見て品がないやら荒っぽいとか言う者もいるが、珠を抜いてくれるときは玖おん同様にあっけないほどだし、体に触れるときもとてもやわらかだ。
 こればかりは直接接してみないと分からないことなので、はじめはすず雪もその見た目と手つきの違いようにびっくりしたのだが、慣れてしまえばどうってことはない。
 珠守はみつばちがはらんだ珠を取り出す際に、直接その体に腕を通す。
 さすがのすず雪でも不信感がある相手にはそんなことはさせられないし、彼のもとまで何度か珠守の技術を学びに行ったこともあるらしい久夜が落ち着いているから、その腕は間違いなく良いのだろうとも思う。
「確かに玖おんとはいろいろ違いますけど、すごく助かってます」
「だといいんだがな。ならまあ、次に何かするときはちゃあんと呼べよ?」
 志じ麻はすず雪の仮の珠守として登録されていたので、承認式でつつみを使った後、すぐすず雪の前に来られたがそれでは遅いと言う。
 珠守がみつばち本人以上にみつばちの体調や身のまわりのことに心を配っていることはすず雪も知っているから、気をつけたいとは思いながらも反応は鈍くなった。
「……次なんて、ないと思いますから」
 あんな大きな妖獣と行き合うことなどそうそうあることだとは思えない。
 少なくとも今まではなかったし、あったら困ってしまう。
「あの第八王子と、東絃(とうげん)家の子息、二人から花が贈られてっからな。予想外の事態ってのはどこにでもあるもんだろ。気をつけるに越したことはない」
「予想外というか、僕には予想通り過ぎて嫌になるぐらいですけど」
 久夜はやや不機嫌な顔で言葉を返す。
 二人に花を渡されたと知ったときの久夜はあからさまに眉を寄せ、花を渡そうだなんて百年早い、ずうずうしい、と今にも直接本人たちに文句を言いに行きそうな勢いだったのである。
 けれどそれを言うなら、すず雪こそ花を返すべきだと言う者のほうが多いに違いなかった。
 王子の中でもその優秀さや人当たりの良さで慕われてきた星映と、何かと揉めごとも起こすがその美貌と魔法力の高さは誰にも引けを取らない谷津江の二人が、いったいどのみつばちの花主となるのか、それは多くの魔法使いたちが気にしていた話題のひとつだった。
「わたしは二人から花を受け取ってしまって、本当に良かったのかな……」
「何も気にされることはないです。兄さまは堂々としていればいいんです」
「でも、久夜はそう言うけれど、殆どの人は思ってもみなかったことみたいだし。特に星映殿下には何人もみつばち候補がいたわけだから」
 王族全員が花主としての資格を得られるわけではなく、星映は王族から出た数年ぶりの有資格者で、そんな彼のみつばちになれることはこの上なく幸運なことだとも言われていた。
 王族だからみつばちを選べるというわけではないが、みつばちにとっても、その資格がない王族を花主にすることはできない。
 王子のみつばちになれれば王族の一員として数えられるため、后さえも入れないところへ場合によってはみつばちは行けてしまう。もちろんその分だけ多くの制約がからみつくが、婚姻とは違った繋がりを得られる花主との関係はみつばち本人にとってもその生家にとっても何より得難いもの。
 星映は王位継承からは遠いので規律も緩めだし、明るくて華やかな雰囲気はそばにいられるだけでもいいと思わせる。みつばちたちに誰に花主になってほしいかと聞いたなら、一番に名前があがってくるのが彼に違いなかった。
「候補ならばたくさんいましたけれど、別に決まった相手がいたわけではないですし。あの人はそれはもうお買い得に見えますから」
「候補に名前があがっていたみつばちの中には、心づもりをしていたひともいたんじゃないかな」
「たとえそうであっても、片方の気持ちだけでは成り立たないことですし。それに、あの人がそんないいものとは思えないです。できることなら兄さまとは関わって欲しくない。ただ、対等に渡り合えるみつばちがいるとしたらそれは兄さまだけでしょうから」
「……わたしにも、なかなかむずかしいことだと思うけれど」
 久夜の言葉に顔を曇らせながらも、彼らと渡り合えるようなみつばちでないと、確かにともにはやっていけないのかもしれないとも思う。
 それがすず雪にできるかは別にして、とても大切なことに違いない。そしてそれは星映だけなく、谷津江にも言えることだった。
「そういうふうに考えりゃ、東絃家の子息は博打だな。あたりゃでかいが危険も大きい」
「……そうみたいです。わたしは、とてもびっくりしたのですけれども」
 東絃家は代々続く上級貴族のひとつで、その魔法力の高さはもちろんのこと、独自の魔法を受け継いでいることで知られている。
 彼らの強みは一族以外には使えないと言われている複雑で高度な魔法技術で、国の守りの最も大切なところには東絃家の魔法使いが必ずつく。
 その為、その力を危険視する者も多かった。
 王に従っている今はいい、けれども牙をむかれたらあっというまに国を乗っ取られかねない。
 彼らに王への忠誠心など期待できなかったし、彼らの興味は自身の力をより高めていくこと、それを守り続けていくことにある。現王家はその点においていかなる口出しもしないという態度をとっているからこそ、安定した関係を築けているのだと言われていた。
 国を守るということと、一族の魔法を守るということ、そのどちらもが釣り合っている限りはお互いに協力関係であったほうが都合がよい。
「東絃家はみつばちが出にくいから、大事にしてくれることは間違いないがなあ」
「力は強くても体質的な問題で、花付きになるような魔法使いもあまり出ませんし。みつばちさえも必要としない一族なのだと恐れる者もいますけれど」
 それは時に嫌悪をもってさえ語られるが、東絃家に敵う者がいるといたらそれは王家の者に他ならないのだから、彼らとぶつかり合う日が来ればそれは国を失う争いになる。
 おいそれと手は出せないが、無視することは出来ない存在、それが東絃家だった。
 東絃家の人間を花主に出来れば最も穏便にその大きな力へと近づくことができる。だからこそ谷津江がいったい誰をみつばちに望むのかは、多くの相手から気にされてきた。
「ねえ、久夜。どう考えても二人ともわたしには荷が勝ちすぎる相手ということだと思うのだけれど。少なくとも周りからそう考えられている状態で、もし二人のどちらかでも花主にしたら、何かしらの無理を通すことになってしまうのかな」
 モーニー家と十是(じゅうぜ)家のみつばちを思い出して、すず雪は小さく息を吐く。
 花を受け取る可能性があるとすれば、それはこの二人だと思われていただろう。そしてそれはすず雪の思い込みなどではなく、それ以外はあり得ないと考えられていたのだ。
「調べの結果が遅いのも、わたしには無理だと思われているから……」
 すず雪は彼ら二人を含めた何人かを、力の相性などを見極める調べに出していた。
 あくまで目安にする程度のことだから、正式にそれで花主を決めるわけではない。そう聞いていたのに、なかなかそこがすんなり行かないものだから足踏みしている状態だった。
「調べの段階なら十人二十人だすのが普通らしいけれど。わたしはそんなに出さなかったからその分早く済むものだと考えていたのに」
「いえ、兄さま。たぶんそれで余計に、ということなんだと」
「外野がなあ、うるさいもんだから」
「……?」
 妙に言い含む二人の顔を見て、すず雪は首を傾げた。
「羽づまがああだから、その子どもであるすず雪が十人も満たない数を調べに出してきたとなれば、全員とはいかなくてもそこそこの数を重ねにするつもりかと思うわけだ」
「え。……と、それは重ねだといけないということでしょうか」
「いけないなんてことはないです。兄さまが重ねを視野に入れてくれたことはとても嬉しいです。けれど、それはあの二人をも含めてのことですよね」
 まくりあげていた袖を直し、用意しておいた薬湯を温め直しながら久夜は小さくすず雪に笑いかける。
 そうすることによって少しだけ飲みやすくしてもらったものを受け取りながら、すず雪はうーん…、と声を出した。
「しるしをつけさせてもらったから相性は悪くないと思えたし……。それに二人とも、わたしのことを知っているから」
 すず雪が鳴り方としてつとめていたことをいちいち説明しなくてもいい。
 彼らがそのことについてどういう考えでいるかは分からなくても、少なくとも気は楽だ。
「兄さま、少し不思議なんですけれど。彼らはなかなか面倒そうでしょう。もっと負担がかからなそうな相手がいくらだっているのに、よいのですか」
 花主になりたいと考えている魔法使いたちは多いから、意に染まない相手をわざわざ選ぶ必要はない。
 すず雪はみちばちとして何か晴れやかな立場につきたいと望んでいるわけでなく、どちらかと言えば平凡に過ごしていきたいと思っている。
 だから本来、別の相手がその花を受けるべきだと考えられていて、その支度を調えられてきたというなら、そこに自分が割ってはいる必要などない。少なくともすず雪ならそう考えて、彼らを避けるのではと久夜は言いたいのだろう。
 そんな弟の言葉にすず雪は苦笑をうかべると、ゆるく首を振る。
「それはお互いさまなところもあるから」
「それは家的にということですか。香津木家も大きめですから」
「そういうことも、少し」
 すず雪はこくんと頷く。
 本人よければそれでよしという話で済ませたいが、彼らにもすず雪にも、どうしたって周りの目や口がからんできてしまう。
「星映殿下にもにいさんにも、色々厄介なものごとがつくけれど、たぶんそれはわたしにもある」
「たとえ周囲が何を考えようとも、兄さまのことは僕たちがきちんとお守りしますけど。……でも、そういったことも含めてということでしょうか」
 すず雪を通して、羽づまやその兄弟たちに近づきたいと考えたり、あるいは足を引っ張りたいと動く者がいてもきっと大丈夫だとは思う。
 けれどすず雪だって、家族を大事にしたい。降りかかる火の粉を未然に防げるのなら、そうしたいし、そもそも彼らがすず雪のために動いてくれるのを邪魔に感じるような花主では困ってしまう。
「わたしは師匠のもとへ行けたことがすごくありがたくて、今まで外で過ごせたのはみんながたすけてくれたからだということを知ってる。欲を言えば、あともう少し…と思ったりもするけれど」
 すず雪は鳴り方になるために稽古に励んではいたが、みつばちでもある。
 その二つはすず雪の中で相反することないし、たぶんこれからもそうであり続けるだろう。
 すず雪はそういった自分自身を偽ったり、ごまかしたりはしたくないし、花主相手であってもそこはゆずれない。
「言葉は悪いだろうけれど、魔法使いにとってみつばちに利用価値があるように、みつばちにとっても彼らは必要なものだから。わたしでいいのかなあという思いはあるけれど、お互いに許容できれば多少の面倒ごとは数に加える必要がなくて」
 少なくともすず雪は、花主にそういったことは望まない。
 何かしらの良くないことがあるのではと思い悩むよりは、そういうことをひっくるめてまあいいかと感じられるぐらいがちょうどよかった。
 星映と谷津江はその点から言えば、お互いにけっこうわずらわしい身の上なので、すず雪がそこへ加わっても何と言うか文句を言われる筋合いがない。
「重ねをするかどうかはまだこれから考えないといけないことだけど、でもたぶん、重ねのほうがあの二人には楽なんじゃないかって。みつばちに対する責任も軽くなるわけだから」
「責任ねえ……。まあ、自分ひとりに背負わせてもらえないことを、ひがむなりいらだつなりして、あたってくるようなやつだったら」
「そんな相手は兄さまにはふさわしくありません。少なくとも、兄さまというみつばちを分かっていませんね」
 目の前に獲物が来るのを爪を研ぎながらにこやかに待っているような久夜の笑顔に、すず雪は少しだけ心配になる。
「わたしのほうが、分かっていないということもあるからね。久夜、そこは忘れちゃいけないからね」
「もちろんです、兄さま」
 花主は必要だが彼ら二人に関して言えば思うところが大いにあるらしい久夜の顔を眺めて、すず雪は与えられた薬湯を静かに飲み干す。
 承認式を終えても、なかなかすんなり花主を決められないことは悩みものだったが、ここで下手に急いで妙なことになってしまってもいけない。
 とりあえずはずいぶん口当たりは良くなったとはいえ、だいぶ苦い久夜お手製の薬湯に改善の希望をだしたい。すず雪はそんなふうに思ってそれを申し出る機会をじっと伺った。



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