「鈴鳴るほうへ」



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 褐色の肌に白銀の髪を持つ男を見上げて、羽づまは微笑みを浮かべた。
 明らかに異国の雰囲気を漂わせた男からはわずかに潮の匂いがする。それもそのはずで、男はここ数ヶ月ずっと海の上にいたのだ。
 船から降りてきたばかり体はかたく引き締まり、抱き寄せられると丈夫に作られた船乗りの衣服が肌をざらりと擦った。
 部屋に迎え入れるなりその腕につかまえられたものだから、ろくに顔も見られない。
「リエルグ」
「今日も美しいな、羽づま」
 いったん体を離したと思えばこらえきれなくなったように深く舌をからめてくるリエルグに応じてやりながら、羽づまは小さく苦笑する。
「急に戻ってくるというから驚いたよ」
「すず雪が承認式を迎えると聞いたら、急いで戻ってきた。あの子に良さそうなものを見つけたんだ」
「すず雪に?」
 リエルグは扉のそばまで戻り、箱形の鞄から小さな包みを取り出す。
 赤く沈む夕焼けを含ませたような色合いのつるりとしたかたまりだ。ちょうど羽づまが握り込めるぐらいの大きさで、それを受け取りながら羽づまは首を傾げる。
「これは、珊瑚……? ずいぶん大きいけれど」
「深響き珊瑚と言ってな、ゆっくり転がしてみろ」
 言われて手のひらの上で揺らすと、木の実がぶつかり合うような乾いた音が響く。海の中ではもっとやわらかに鳴るのだとリエルグは眼差しを和らげながら教えてくれる。
「そばにおいておけばみつばちの香りを少し抑えてくれるし、魔除けにもいい」
「へえ、おもしろいね。そんな効果があるんだ」
「羽づまには真珠。ほら、この青みがすごくいいだろう」
 子どものような顔をして自慢げに取り出された青い真珠はちょっと見ないぐらいの大きさだ。親指の爪と同じぐらいはあるだろう。薄く青みがかった光を含み、羽づまはにっこりと目を細める。
 羽づまにこうした飾りものを贈ってくるものはそれはもう山ほどいるし、羽づまも綺麗な布や石を見るのが好きだが、リエルグは自分で採ってきたものをどうだすごいだろうと言いたくて持ってくるのが少し面白かった。
 羽づまの花主の中でもリエルグは一風変わった経歴の持ち主で、この辺りでは珍しいその風貌は異国の血が入っていることを示す。
 みつばちは国の保護を受けていて、基本的に国外に出ることは禁じられているし、他国の魔法使いがこの国のみつばちの花主になれることはまずない。
 リエルグの母は遠く海を隔てた先で巫女として暮らしていたが、貿易商人であるリエルグの父と恋に落ちてそのままこの国までやってきた人である。
 彼の魔法の力はその母によるところが大きく、容姿もそうだ。優れた魔法の力で王家に尽くすことを一時期期待されていたのだが、本人は海洋探検で深い海に潜るだとか大型の海妖から身を守るためにそうした能力を使えればいいと言う。
 今はそれこそ海に出れば数ヶ月は戻ってこない男だが、羽づまに出会う前は王立学院で教鞭をとっていたこともあるような学者だった。
「承認式はどうだった? 何か大変な騒ぎになったとか聞いたが」
「ああ……、深尋くんがねえ、妖獣と一緒に飛んできてしまって。大捕物だよ」
「なに。一度説教に行くべきか……。羽づまもすず雪も怪我しなかったか?」
 みつばちであることが分かり王宮へと引き取られることになったが、日々妖獣狩りにあけくれていた彼には王族としもみつばちとしても知識が欠けていたので、何人もの教師がつけられた。
 そうしたうちのひとりであるリエルグは眉を寄せて、なかなか手がかかった教え子の顔を思い出す。
「平気だとも。陛下が守ってくださったし、すず雪もつつみを使ってね。第八王子と、東絃家の若君と力を交わしたようだ」
「それはなんとにぎやかな。血は争えないな」
 リエルグはため息を吐きながら、羽づまの髪に手のひらを沈め、ゆっくりと抱きかかえるようにしながらそばの長椅子にその体を横たえる。
 港から幾らか離れたところにあるこぢんまりとした屋敷は羽づまの持ち物のひとつで、リエルグだけが自由に立ち入れる鍵を持っていた。
 羽づまは必ず花主ひとりひとり別にそうした特別な場所を持っていて、そこには決して他の花主を招き入れることはない。
「しかし、つつみなあ。本当にあの子は羽づまの子だな」
「そうとも。顔なんぞで似てる似てないなど話したって意味がない。だいじなのは根っこだよ」
 服をほどかれるくすぐったさに小さな笑い声をこぼしながら、羽づまは伸ばされた手を拒むことなく従う。
 リエルグはさらに大胆に肌をはだけさせにかかりながら、少しだけ遠い顔になる。
「あの小さかったすず雪が承認式を迎えるなんて。時が流れるのは早いものだ」
「さびしいかい?」
「俺には羽づまがいるから、すず雪だっていい花主に巡り会ってほしいと思うが。やっぱりな」
「すず雪の可愛がり方はむかしっから、相当だったもんねえ」
「かわいいのだからしかたない」
 どこかひらきなおるように、リエルグは言う。
 羽づまは幼いすず雪に他愛ない花主とのやりとりを隠さずに、むしろわざとと言えるぐらいあけっぴろげに見せていた。
 別にベッドの中のことまでのぞかせていたわけではないが、父たちが楽しそうに力を行き交わせるのを見て、それをずるいと言うぐらいには近いところにいさせていたのである。
 当たり前のように父と花主たちのことを受け入れ、馴染んでいるすず雪が同じ場所でひとり遊びしているだけで、なんだか空気は穏やかで、あたたかかった。
 そうした記憶があるから、花主たちはすず雪について何かしらの思い入れがあるのだろう。彼らはそろって、すず雪が可愛いと口にする。
「魔法使いがみつばちを求めるように、みつばちも魔法使いを必要としている。すず雪にも花主にしたいと思える相手がいればいいんだけどね」
「うん、羽づまの花主になれた俺は幸せものだな」
 そういう話をしていたんだったかねえと羽づまは笑って、きつく抱きしめるリエルグの背に腕をまわす。
 愛おしいという気持ちはひとつきりじゃない。
 少なくとも羽づまにとってはそうだった。
 羽づまがすず雪を思うのも、あるいは花主としてのリエルグを思うのも、同じ言葉でたとえられるのかもしれないが、似て非なるものだということは分かっている。
 重ね花をしている羽づまにはしょっちゅう不誠実だとかそれは本当のものじゃないなどと言ってくるひともいるのだが、いったい何がそんなに問題なのか分からない。
 それが他人様のものと似ていようが違うものだろうが、羽づまは愛おしいと思う相手といる。
 少なくとも当人同士はそれでいいと言っているのに、周りと同じように気持ちをつくってくれと言われているような気が、羽づまにはしてしまう。
「わたしもリエルグといられることが嬉しい」
 羽づまは淫らに動きはじめたリエルグの手のひらを真似るようにみずからの指先を褐色の肌に寄りそわせる。
 リエルグは少しくすぐったいような顔を浮かべながら羽づまの指先にされるままになり、より積極的につめよって魅力的に輝く双眸が熱っぽくうるむのを愛おしげに見下ろす。
 リエルグにとっても、羽づまはなくてはならないひとだ。
 他に花主がいると知っていても、何としても羽づまの花主になりたかったし、それが叶ったことがとても嬉しい。
「すず雪には羽づまもついているし、俺たちもついているから。きっとうまくいく」
「そう願っているよ。こんな父を持ってしまって、すず雪は苦労するかもしれないけどねえ」
「そんなこと言って、すず雪が自分のことを大好きだと分かってるからずるいぞ。俺たちはいつだって一所懸命なのに」
 少しだけ拗ねたようにリエルグは唇を尖らせる。
 ちょこまかと動きはじめた幼いすず雪が可愛くてたまらなくて、花主たちはこぞってすず雪に懐いてもらおうとしていたのに、すず雪にとっての一番はいつだって羽づまだった。
 たっぷり可愛がって喜んでもらえてようやく気持ちを少しだけ向けてもらえるようになったと満足していても、不条理な現実はいつだって勝手にやってくる。
 あれは危ない、これは危ないからと抱きかかえられているうちに、外を出歩くときは抱っこされるものだと思ってしまったすず雪を羽づまが叱りつけたことがあった。
 それははもう厳しい顔で、怖い声で。ただでさえ美しい羽づまにそんなふうにされたら、大の大人だってその迫力に負けてしまうだろうし、どうしたらいいか分からなくなってしまう。
 いやいやそんなことはないから悪いのはこのおじさんたちだからと焦る花主たちの言葉はまったく届かなかった。
 じっと唇を結んで、顔色を暗くして涙をいっぱいにためて。
 それなのに、次はちゃんと歩くんだよと髪を撫でられた瞬間の笑顔と来たら、自分たちには見せたことがないような愛らしさなのだ。地団駄などいくら踏んでも飽き足らない。
 そうした思い出の幾つかをぶつぶつと口にしたリエルグに、羽づまは少しあきれたような顔になる。
「どんなに気に入らなくても、すず雪が選んだ花主候補を追い払ったりしないでおくれよ」
「それはもちろん。……努力は、したい」
「頼りないねえ。もう。ただでさえ第八王子と東絃家の子息、二人ともが花を渡したことで、すず雪のまわりはずいぶん騒がしくなっているってのに」
「……彼らに個人的に何も思うところがないと言えば嘘にはなるが、それはどちらかと言えば良縁の部類だろう? そんなに騒がしくなってるのか?」
「力ある花主をひとりだけなく二人もいっぺんに持つなんて、とんでもないらしいとねえ」
「……それは、もう少しましな言いがかりをつけてもらいたいものだな」
 羽づまにさんざん引っかき回されてきた花主選びがようやく落ち着いて、滞りなく進められていたのにまた新たな悩みの種が増えるのかと騒ぎたくなる気持ちも分かるが、聞き覚えのある文句すぎて、もう少しひねってほしくさえなる。
 同じことを羽づまも言われ続けてきていた。
 こういう口を挟みたがる顔ぶれは自分たちにうまみがないことを嫌がっているのであって、そんな言い分で踏みつぶされるみつばちがいることには見向きもしない。
 どんなにおいしかろうが、まずかろうが、それを口にするのはあくまで当人たちであって他の誰かというわけではないし、その味が好きだというならただそうかと頷いてやればいいではないかと思うのだが、彼らにかかるとおいしさは自分にも手に入るものでなければ意味がないということになってしまう。
「すず雪では彼らの力に対応できていないのか?」
「そう言いたいみたいだけど、つつみを使って見せているからね。しるしをつけた二人、仮花のファリウス公、あの場に満ちていた他の魔法の力だって飲みこんでいる」
「なんだ、それなら何の問題もないじゃないか」
 つつみというのは本来、自身の花主のみか、そうではない相手には気持ち程度の効果をもたらすものだ。
 体の中を巡っていく魔法の流れに耐えきれなくなって昏倒するみつばちもいるほど向き不向きがあるし、それが出来るということは、魔法をためこんでおくための器が相当大きいということでもある。
「他の人たちも、そんなふうにあっさりと済ませてくれたら助かるのだけど」
「みつばちが魔法使いよりずっとか弱いものだと思うから、色々と口を出したくなるんだろうが……」
「おや、わたしはか弱くない?」
 口もとに薄く笑みをうかべた羽づまを見下ろし、リエルグは誰よりも美しいみつばちにひれ伏すように恭しく手のひらに口づける。
「俺はいつだって羽づまに敵わないぞ」
 むしろそうであることが嬉しくてたまらないというようなリエルグに、羽づまはしかたない男だと目を細める。
「それで、今回はどれぐらい陸にいるつもりなのやら」
「すず雪のことも気になるから、それが落ち着くまでは」
「それは珍しく長居だね」
 まあ、どうせすぐに海が恋しくなるだろうけどねえ、と笑いながら、羽づまは肌の上に重なってきたリエルグのぬくもりに甘く息をこぼす。
 ようやく一歩を歩み出した可愛い我が子の道行きに余計な石ころを転がしてくる相手はどうにかしてやらないといけないからと笑みをこぼすと、二人はしばらく花主とみつばちだけのひとときに身を委ねることにした。



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