「鈴鳴るほうへ」



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 花果院(かかいん)はみつばちたちを取りまとめ、その保護を担うところだ。
 珠守の育成や、花付きの認定なども行い、みつばちに対する花主の見立てもここが行うことになっていた。
「すず雪様」
 揃いの白い衣服に身を包んだ男たちを振り返って、すず雪は静かに泉の中からでる。
 濡れた体を丁寧に拭われ、あらじめ用意されていた服を着付けられていくと、さらりとした布の感触がどこか気持ちを引き締めた。
 胸もとで襟を合わせ、やや袖口にむかってふくらんだ長い袖と足もとまですっぽりと多う長い裾。
 花果院につとめる花師たちと同じ白でまとめられた服は、今から行う儀式のためのものだった。
 石造りの建物は天井を高めにとられているのもあって、少しの音でも大きく響かせる。
 余計な物音をたてないように動くのはお座敷にあがる者の基本だから、どこか開放的な空間に自分の衣擦れの音や足音が広がるのは妙に慣れない。
 広がっていく音の先を見通すように視線を投げると、同じように花師に伴われた人影を見つけることが出来た。
 向こうもすず雪に気づいたようで、やわらかな笑みを浮かべる。
「すず雪は白も似合う。かわいいよ」
「星映殿下」
「殿下はいらない。これから仮とはいえ、すず雪の花主になるのだから」
 星映と呼んで、と言われて、すず雪は少しだけそのくすぐったさにうつむいた。
 改めてそんな風に乞われると、どこか意識してしまうような気恥ずかしさがわく。
 形は違うが、すず雪と同じように白い衣服を身につけた星映は、はじめて足を踏み入れただろう花果院にも気後れした様子はなく、堂々としたものだった。
 さすがにこういったことには慣れているのだろうと思いながら、すず雪はゆるやかに頭を下げる。
「なにやら妙なことになってしまってすみません」
「いや、外部顧問たちが口を挟みたがることは想像できたからね。むしろいいように口を挟ませてしまった力不足を感じてるところだよ」
 星映は少しだけ申し訳なさそうに眉を寄せる。
 すず雪はいいえと首を振った。
 みつばちが選んだ花主について、それで良いと最終的に判断するのは花果院だが、彼らは政治的な配慮やらつりあいなどはあまり気にしない。みつばちにとって良い花主というのは、あくまでそのみつばちを害すことがない、というのが前提で、そこに重きを置く。
 その為、あくまで意見をのべるだけとして、家同士のことやら王城内での力関係やらに詳しい者が花主選びにつくことになっていた。
 花主、もしくはその資格ありと認められた者を五名、魔法使いではない者を五名。
 総勢十人の外部顧問たちは、すず雪の花主選びについて待ったをかけてきたのだ。
「香津木家の新しいみちばちは、花庭にも出てくることが出来なかった」
「あくまで体質的なものとはいえ、現段階で魔法使いの中でも強いとされている者を同時に花主に持つことはあまりに負担が大きいのではないか」
「みつばちが花主を持つのは当然の権利。それを阻むことはゆるされることではないが、何かしらの影響のもとに自身をは合わない者を選んでしまっている、という可能性があるなら、憂慮すべきこと」
「すぐに決めてしまうのではなく、まずは仮花としてみてはどうか」
 父である羽づまの影響で、重ねがいいと思い込んでいるだけ。
 冷静になって自身を見極めるためにも時間を置くこと。
 つまりはそう言いたいらしい。
 実際の話し合いの場にはすず雪は参加することができず、つねづね、外部顧問には元みつばちか現役のみつばちも加えるべきだと言っている羽づまは不機嫌な様子だったが、端っから無理だろうと言われる可能性もあったことを思えば、その辺りがちょうどいい落としどころでもあるだろう。
 いつまでも仮というわけにはいかないだろうから、とりあえず三ヶ月。それで問題ないと分かれば花主を決めればいい。
「父上の時にもたいそうもめたそうです。重ね花はそれほど一般的ではありませんし、わたしにそれができるかと思われるのは当たり前のことだと思います」
 これは自分のみつばちとしての力なさが招いたことだと、すず雪は考えていた。
 何しろすず雪はみつばちたちの学舎である花庭にも出ず、集まりに顔を見せることもなく、どういったみつばちなのか殆ど誰も知らない。
 花果院の花師たちとはときおり会うようにしていたから問題ないとはいえ、これだけ隠されて育つみつばちも珍しかった。
 仮花というのは、その名の通り仮の花主だ。
 花主がいない、あるいは花主はいるが事情があってその役目を果たせないとき、みつばちの身を保たせ整えていくためにつくのが仮花。
 あくまで仮なので花主に与えられる権利の大部分も削られており、力を行き交わせることでできる珠の所有権も持たない。
 その分だけ花主にかけられる厳しい決まりごとも少なく、たとえば花主ならば許されないみつばちの掛け持ちも認められたりするが、それは力が行き交う量も花主にするのと比べて劣るため、といった事情もある。
 星映は力ある魔法使いの一人だ。
 こんなふうに仮花になる必要はどこにもないし、きちんとした花主としてみつばちを持つことができた。
 すず雪の花主になりたいと思うことでそういった事情に付き合わなければならなくなるなら、それは星映にとってあまり望ましくない事態だろう。
 まだ今なら引き返せる、そうした含みを匂わせるすず雪に星映はその視線を花師たちへと流す。
「まだ時間はあるよね。少しいいかな」
「いつでも。急ぐようなことではありませんので」
「ただ話をしたいだけよ。取りやめたいわけじゃない」
 花師たちはみつばちが大切なのであって花主たちのことなど目に入ってない、そう言われることがあるぐらい、みつばち中心に動く。
 星映が仮とはいえ花主になるつもりがないなら、それはそれでかまわない。そうした空気さえにじませられて、星映は少しだけあきれたような顔になった。
「あの、外へ出たりはしませんので。二人きりにさせてもらってもかまいませんか」
「はい、すず雪様。そういうことでしたら、お部屋をご用意しましょうか」
「いいえ、ここで大丈夫です」
 すず雪の言葉に花師たちはすんなり頷くと、一礼してその場を去る。
 おそらく完全に二人きりにされるわけではないだろうが、目につくところにいないだけでも話しやすくはなるだろう。
「花果院でみつばちを泣かせたら、生きては戻れなそう」
「そんなことはありません。ただたんに、わたしたちをここの主人として扱ってくださっているだけなんです」
 花果院の主人はみつばちだから、花主候補である星映の言葉よりもすず雪の言葉を優先する。
 ただそれだけであって、彼らは別にみつばちに優しい存在というわけではないし、花主に厳しいというわけでもない。
「でも、その辺のことをすんなり受け入れられるのがすごいと思うな」
 わが兄上さまなんて、花果院になんて絶対に行きたくないと何度ごねたか分からないぐらい、と星映がこぼすのに、すず雪は小さく笑みを浮かばせる。
「ここは深尋さまには窮屈すぎるのでしょう。……花果院で求められることは、みつばちであること、それだけですから」
 自分がみつばちであることを知らず、その世界からも遠かった深尋にしてみれば、ここはなかなか馴染みづらい場所だろう。
 彼が積み重ねてきた妖獣狩りの経験も技もここでは何ら必要とはされず、ただ生まれ持った体質のみを尊ばれる。
「わたしは深尋さまが花主を持つことを受け入れただけでも、すごいと思います。深尋さまはみつばちであることを、あまり好いてはないのではありませんか」
「好いてないというか、拒絶反応に近いものも持ってたよ。柚木嶋がその辺、無理矢理にでも納得させたというか」
 みつばちであることを否定したら、生きていけないからね、という星映にすず雪は頷く。
 体を誰かに委ねなくてはいられない、そういったことをおおらかに捉えられる性格や土地柄ならいいが、魔法使いがいて、みつばちがいても、それは多くの人々にとってはあまり関係がない。
 たとえば華妓たちは色里を嫌うが、それはわりと一般的に受け入れられる考え方でもある。みつばちを同じように考えて受け入れられないと思う者は少なくないのだ。
「すず雪はその辺のことはどう。どちらかというと深尋兄上よりなのかな」
「……わたしは」
 星映のやわらかな問いかけにすず雪は戸惑いがちに眼差しを揺らす。
 みつばちでなければ、と思うことがないわけではない。
 自分がそうでなかったら、もっと違うようなことをできたし望めたのだと。けれど、みつばちであることは、すず雪にとっての当たり前でもある。それをなかったことにしたら、たぶんすず雪はすず雪ではない。
 押し黙ったすず雪の手を星映はひょいと握って、座ろうかと椅子を指さした。
 廊下の半ばにひと休みできるようにぽつんと置かれた長椅子は二人並んで座るとちょうどいいぐらいの大きさで、正面の窓からは階下に広がる中庭がのぞく。
 庭木に降り注ぐ昼の陽射しの眩さに目を細めながら、すず雪は椅子に腰かけたというのに離れない手のひらに少しだけ戸惑う。
 その顔と手を交互に見たが、星映は気づかないふりだ。
「あの、星映さま」
「…………」
「……ええと、その、手を離してもらっても」
「うん。分かった」
 星映はにっこり笑ってつかんでいたすず雪の手のひらを離したが、そのまますず雪に眼差しをとめてせっかくの景色を楽しむつもりがないらしい。
 水を浴びたばかりだし、口もとに食べかすがついているようなこともないだろうがと思いながら、弟や兄たち同じく出来のいい顔の持ち主である星映にとって、すず雪の顔のほうがむしろもの珍しいものだと映るのかもしれないと思う。
 彼らも飽きもせず、すず雪の顔をよく眺めている。
 気にしないでいようと思い直して、すず雪は窓向こうの、少し遠くへと視線を向けた。
「わたしはみつばちであることを嫌だとは感じていない、と思います」
「そう。でも、外での暮らしも好きなんだろう? すごく楽しそうだった」
 確かにすず雪は深尋と同じように、みつばちじゃない自分の居場所を持っていて、そのことがすごく居心地が良かった。
 すず雪は頷く。
「ええ、ですが。わたしは生まれてすぐ、みつばちだと判断されましたので。みつばちではない自分を想像するのは少しむずかしいんです」
「ああ、本当にすぐ分かったんだってね。それで久夜をつくることにしたんだ、って聞いたよ。久夜の母上が羽づまと同じ苦労を背負わせるのは可哀想だろうって言ったって」
 香津木家は末子が家を継ぐから、このままではみつばちであるすず雪が家を継がなくてはいけなくなる。
 羽づまには秀護の母と利帆と久夜の母、二人の妻がいるのだが、さすがに羽づまと一緒になるだけはあるのか、あまり型にはまらない人たちだった。
 妻に押し倒されたんだよ、と羽づまはあっさりしたもので、まあ夫婦の間のことだから納得ずくでもあったのだろう。
 そういうわけで久夜が生まれることになったが、華妓であったすず雪の母は、彼女たちにも花主たちにも遠慮がちだった。
 三人目の妻になってはどうかという話も出たらしいのだが、すず雪を認知さえしてもらえればいいとそれを断ったらしい。
 貴族社会では正式な婚姻として四人までが認められており、当主の妻、あるいは夫が複数いることは珍しくない。
「おかげで弟として生まれてこれたので母には頭が上がりません、って久夜がね」
「……なぜか弟は、幼い頃からわたしに懐いてくれています。すごくありがたいです」
 すず雪に当主の座を押しつけられた、と言えなくもないのに、久夜はそれを気にすることもなく、ごく当たり前のように慕ってくれる。
 久夜も含め、本当だったらむずかしそうなことがすず雪のまわりではあっさり片付いてしまっていると言えるだろう。
 けれど少なくともすず雪の母はとても普通の人だったから、香津木家の妻として振る舞わなければならなくなったらひどく大変だったろうし、本人も向いてないと感じていたからその座につこうとはしなかったのだとも考えられた。
 華妓としての経験を積んできた彼女の周りには大きな家の旦那がついて、妻なりなんなりの縁を結ぶことになった娘も多かったが、その分だけの苦労も目にしてきたのに違いない。
 そういう思いをするよりは自分に合うやり方でいるほうがいいと、その辺はきっぱりしていてのではないかと思う。
「母がわたしを、もっと違うふうに生んであげられたらと思うのはしかたないことだと思います。それにわたしが応えられればいっそう良かった」
「……たとえそれができないことだと、分かっていても?」
 すず雪は星映を振り返って、小さく頷きを返す。
「はい。今ここにいるのはみつばちで、そして華妓だった母を好きだと思う、わたしです。それ以外の何者も、わたしではあり得ません。母や誰かと考え方が違うからと言って、それを否定してしまう気にはなれないんです」
 すず雪は自分がみつばちであることを納得しているが、他人にもそれがあてはまるのだとは思っていない。
 深尋のようにみつばちであることを何とか受け入れた者も、あるいはみつばちであることだけがすべての世界に育った者だっている。
 外を知りたかったから外へ行き、花主が必要になったらみつばちの顔をして、こうしてこの場にいるのだ。
 すごく身勝手かもしれないが、すず雪はそれを選びたかったし、後悔もしていなかった。
 けれどそれはあくまで自分自身ならということで、そういったものに星映を巻き込むことになるのは、正直申し訳ない。
 星映に自分を選ぶことの利点があればいいと思うが、それが何かと言われるとはっきりとしたものを思い描けなかった。
 重ね花であれば、星映は気が楽だろうとは思う。
 彼は王子であるので、みつばちに対する責任も他の花主より多くなるが、他に花主がいるのなら、そうしたものも幾らか軽くなるだろうし、必要なときにみつばちを呼び寄せる、という形もとれるかもしれない。
 けれどそれが仮花になってしまうと、行き交う力はどうしたって減ってしまう。
 花主としての権利を主張できない上に、すず雪の花主としての適性をある意味、その相手と競わされることになってしまうとすれば、損ばかりがふくれあがるに違いなかった。
 仮ということはいつだってその関係を終わらせられるということだし、正式に重ね花として認められない限り、花主として対等な立場に立つことも花主としての利点も得られない。
「わたしは、……その、星映さまに、花をいただけて嬉しかったのです。外にいたわたしを知っていて、それでもいいとお考えになってくださったのだと思って」
「うん。すず雪があの酔っぱらいから力を奪おうとしていくとこなんて、格好良かった。はじめはね、まあ、久夜があれだけ大事にするみつばちってどんなだろうって思ったのだけど」
「驚かれたでしょう? 久夜とは似ていませんから」
「似ていない兄弟っぷりなら、わが兄上ともそうだからね。それに久夜よりすず雪のほうがずっと可愛くて、好みだったし」
 久夜をたとえるなら、可愛いより綺麗の方が通りがいいだろう。
 可愛いという言葉はわりとけっこう幅広い。
 そうは思っていても、真っ直ぐ見つめられたまま言われるとどうにも気恥ずかしくて、どきりとしてしまう。
 兄たちが言うような、可愛いと同じ。
 そうは思っても身内以外には言われ慣れていないから、何だか頬が熱くなってきてしまってすず雪をおろおろと視線をさまよわせた。そんなすず雪を星映はどこか楽しそうに眺める。
 考えた挙げ句、すず雪は聞こえなかったふりをすることにして話を戻す。
「きょ、興味を抱いてもらったことはありがたいのですが、あの、わたしは王子である星映さまのみつばちとして、あんまり相応しくないというのも」
「王子である星映さま、には尻込みするところがあるかもしれないけど、私自身はどう? つつみで繋がって、力が重なり合った感覚。すごくわくわくしたんだけどな。すず雪はそうじゃなかった?」
「それは……」
「こうやって仮花の期間を持つことになったのは、それは確かに異例なことだし、面倒な部分もあるけど。でもそれだけすず雪を口説ける時間ができたってことじゃないかと私は思ってるんだよ」
「……え、く、口説かれる、おつもり、なのですか?」
「そう。だって、すず雪と谷津江はもともとの知り合いでしょ。私とはほとんど初対面。さすがにそこから同じような形で花主にしてもらえるなんて、さすがに思わない」
 どうやら本気の話らしい。
 あっさりとした口ぶりで告げられた内容にすず雪は驚きで一瞬身じろぎを止めてから、はっと思い浮かんだそのままを口にする。
「あの。口説いていただかなくても、わたしは、みつばちとしてちゃんとつとめます、けれど」
「うん、仕事としてね。責任感ありそうだもの」
「で、でしたら」
「でもそれだと、つまらないよ。気に入っている相手とせっかくふれあえるのに、何も語らせてはくれないなんて」
「…………」
 すず雪は頭の中で言葉がからみあったように、訳が分からないと途方に暮れた顔を浮かべてから、以前会った二人のみつばちのことを思い出す。
 ともに仕事をこなせるような相手というだけでは物足りないと言うのなら、もっと別のことを望んでいるのだろう。それはたとえば、そばにいて、大切にできる存在というような。
 そうすず雪が考えたのに気づいたように、星映は首を振った。
「だからといって、すず雪に恋みつばちみたいになってと言ってるわけじゃないよ。まあそれはそれで、楽しいかもしれないなとは思うけれど。少なくとも今のすず雪は、これまで培ってきたみつばちでない部分と、みつばちである部分、両方を釣り合わせたいと考えてるんじゃないのかなと思っているんだけど」
「それは、そう……ですけれど」
「私はそんなすず雪に近づきたいわけだ。だから言い寄ってみるけど、そこから先がどんなふうになっていくかは分からない。色々と邪魔したがる顔ぶれも多そうだし」
 まあそれもまた楽しいけれど、と星映は微笑む。多少の難がつきまとうことは想定内なのだろう。
 外部顧問たちの横やりや、あるいは王子としてからみつくものごとがたぶん彼にははじめからある。それは相手がすず雪でなくても少なからず起こりうること。
 星映にとってそれはさほど問題ではないに違いない。
「今は仮でいい。それでも私はすず雪の花主になりたい」
「あ…え、……ええと」
「それともすず雪は、私が嫌い?」
「い、いえ。そんなことは」
 思ってもみなかったことでぐるぐる目の前がまわっている気はしたが、どうにかそれだけは口にする。
 すず雪が気にしていたのは星映に利点がないことだったから、本人がそれでかまわないと考えているなら、いいはずだった。
(いい……ん、だと、……たぶん? ここで迷っていたら、申し訳ない気も、するし。し、しっかりしないと)
 いまいち自信がないが、それ以外はないような気もする。
 すず雪は少なくとも、星映を苦手だとか、好きじゃないとは思っていない。
 それは確かだと思う。
 それがどれぐらい大事なことなのかは、よく分からなかったが。それを抜きにも語れない気がする。
「それに、谷津江はもう仮花の儀を済ませちゃったんでしょ」
「は、はい。にいさんはまどろっこしいのは好きじゃないからと、かなり略式でしたが」
 こういうのはさっさと済ませるに限るだろ、と言って、すず雪が話を持ちかけたその日には花果院に引っ張っていく素早さだった。
 さすがに星映はきちんとした手順を踏むことに抵抗がないようで、こうやって身支度を調えて今日という日に臨んでくれているのである。
「ならこちらは、真っ当にね。私を花主にするために支度してくれたすず雪の可愛い姿をたっぷり楽しみながら、儀式を済ませたい」
 たっぷりも何も眺めて楽しいものではないはずで、むしろ余分に時間をとらせることになってとつらつら考えていたすず雪は、にじり寄ってきた星映の顔がすぐそばにあるのに気づいてぎょっとしてしまう。
 どうしたらいいのかと迷う間もない。とっさに瞼を閉じたすず雪に、りん、と鈴の音が響いて誰かがすず雪の体を抱え込む。
「儀式前のみつばちに手を出されては困ります。このお方はまだ、あたなさまのみつばちではありません」
「ほんの少しぐらい、……というのは、いけないんだね。うん」
 冷ややかな眼差しが星映をとらえ、彼は降参するように手を挙げてすず雪から体を離す。
「すず雪様、こちらへ」
 花師の青年に促されて、すず雪は立ちあがった。
 彼らがどこか怒ったふうなのは気づいていたから、すず雪は首をすくめてうなだれる。
「あ、あの。すみません。うかつなことを、してしまったでしょうか」
「すず雪様が気にされるようなことは何も」
 思わず詫びたすず雪に慇懃な様子で首を振ってから、花師はわずかに目もとをやわらげる。
「すず雪様、いかがなさいますか。この方を仮花に? それともおやめになりますか」
 改めて問いかけられて、すず雪は星映を振り返る。
 星映は穏やかな佇まいでその場に立ち、すず雪の視線に気がつくと、整った顔立ちにふわりと光がこぼれるような微笑みをつくった。
 花師たちににらまれてもまったく平気な様子なのが、なんだかおかしくて、少しだけ気持ちが楽になる。
 星映はいやいやこの場に臨んでいるわけじゃない。少なくとも何かしらのことを選んで、ここにいる。それだけははっきりしていたし、そのことが分かっただけでも良いと思う。
 それにこれはあくまで仮の、話ではあるのだ。
 そうなってしまったことがまどろっこしくて、少し面倒でもあるけれど。もしかしたらそのおかげで、ゆっくり考える時間ができたということかもしれなかった。
 何しろみつばちとしての目覚めはあまりに突然で、それからすず雪はただひたすらに決められた手順をこなすばかりだったから、色々なものごとをよく理解できていないような気がする。
 せっかく手に入った時間なのだから、便利に使うぐらいの気持ちで。たぶんそれぐらいのほうが、ずっといい。
 すず雪はそう思い直す。
 花師を見上げたすず雪は小さく息を吸い込んだ。
「……わたしは」
 問いかける眼差しを真っ直ぐに見つめて、ゆっくりと言葉をつくる。
「この方を、仮花に選びたいです」
 花師たちは頷くと、すず雪の周りを囲んで歩き出す。
 すず雪は顔を上げて、促された先へとゆっくり足を進めた。



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