「鈴鳴るほうへ」



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 男は自らを、蜂主だと名乗った。
「いろんなところを巡りながら、みつばちたちと暮らしてきたけどねえ。でもなかなか本物に触れる機会がないもんだから、久しぶりに君みたいなのをいじれて嬉しいよ」
 素直な喜びをのぞかせた顔で、ためらいも、遠慮もなく、すず雪が宿らせたままでいた蜜珠に手のひらを通した瑛千は、それをそのままにぎりこんで壊し、ゆるやかに体の中で身を結び直すまでひたすら腕を入れていた。
 できるだけ痛みを与えないようにだとか、あとあとまずいことになるのではないか、とか、そういったことはあまり考えていないらしい。ただひたすらにみつばちとしての体の仕組みを調べることに熱中していて、すず雪は憤りやおそろしさも通り越して、あきれ返った。
 念のためにと鍵のかかる部屋に入れられてはいたが、そんなことをされなくても逃げようがない。無理矢理に体をいじられた影響だろう。よくまあこれだけ吐き戻せるものだと自分の体に半ば感心して、手桶を抱え込んでうずくまり、あぶら汗と節々に重りを付けられたような痛みにうめいた。
(……一日経った)
 天井に近いところに作られた小さな窓はいつのまにかふたたび暗がりに沈んでいる。
 おそらく半分ほど地下に埋まったところにあるのだろう。横たわると石の冷たさが染みこんできて、ぶるりと体が震える。
「待たせたねえ、次の支度をしてきたよ」
 あ、吐き気はおさまってきたみたいだね、と嬉しそうに顔をのぞかせた男をにらんだ。
 どこかうきうきした様子から得体の知れない薬や、術をまた試そうと考えていることが見てとれて、腹の底がぞわりと揺らぐ。
「こっちの都合も少し考えてもらいたいのですが」
「まあねえ、でも今のうちにやれるだけのことをしておかないと。すぐに飛んでいっちゃうかもしれないでしょ」
 そんなにすぐ飛んでゆかれたらつまらないし、こっちは首が飛ぶかなあとのんきな呟きに、瑛千の後ろからついてきていた青年がむずかしそうな顔になる。
「えっ、瑛千さま。首飛ぶの? へいき? ひっつく?」
「引っ付かないし、飛ばないとも。そしたらなんもできなくなっちゃうからねえ」
 にこにこと応じた瑛千にこう哉はほっとしたように息を吐いて、しぼりがゆるくて水が滴る布をすず雪の頭に乗せる。
 熱を出しているすず雪のために、氷水にひたした布を持ってきたらしい。
 みつばちをさらうこと傷つけること利用しようとすること、そのすべてが重い罪を科せられることだった。瑛千には魔法の力があるようだから言い逃れは出来ないし、一生牢獄の中で済むならたぶん良い方だ。
 そうはならないという自信があるのか、それともそんなことになるとは思ってもいないのか、すず雪には判断がつかなかったが、ただなんとなく、こう哉の前でそれを尋ねるのはためらわれた。
 瑛千に悪ぶれたところがないものだから、こう哉はあまり大事だとは認識していないようなのだ。
 そんなこう哉は蜂主に体をかまわれることは、辛いことも多い、と理解しているらしい。
 だからおろおろおとすず雪の周りを歩きまわりながらも、どうしようもないことだから、そもそもの元凶である瑛千に向かって看病とはどんなふうにすればいいのかと聞いていたりする。
 こう哉が乗せていった布とでびしょ濡れになった首筋に、流れ込んできた風がすっと熱をとっていくのが少し心地よかった。
 施術中は立ち入り禁止にしているので、瑛千がそばにいるときはこう哉は余り長居しない。こう哉が出て行っていってから瑛千はおもむろにすず雪に近づいた。
「気分はどうだい? まあ、どこもかしこも最悪だよねえ」
 湿気ってはりついた服をゆっくりと脱がされる。
 少しぬるいような手のひらが肌に触れるたびに這い上がってくる怖気に眉寄せ、すず雪は身じろいだ。
 あの庭から連れ出されたのは、あくまでたまたまだったらしい。
 本当は羽づまが来ていると思っていて、できればさわりたかった、そう口にした。
 瑛千自身はとぼけるが、もしうまくいったら連れ帰るぐらいのことは考えていたのだろう。
 そうでなければ説明できない用意の良さと、用心深さが伺える。どうやらこういった住まいを他に幾つも持っているようで、用途ごとに使い分けているようだった。
「この部屋はだいぶ魔法の力がたまりやすいようにしておいたんだけど、どんどん飲み干していっちゃうから焦ったよ。君が蜜珠づくりに慣れてなくって助かったな」
 まだ管理出来る、とつぶやいた瑛千が下腹に指先を沈めてつくられはじめていた珠を融かす。
 体の奥でただの力に戻されたものが熱をもってふくらみ、すず雪は押しのけようとした男の腕に爪を立てた。
 普段なら少しずつ含んでいくはずの力が時間を早巻きされたように体の奥であふれかえり、渦を巻く。
 みつばちは魔法の力を取り込んで、体の中で自分自身にとって扱いやすいものへ変えていくことができるが、あまりに飲みこんだ量が多いとそれだけで体力を使うし、つくりかえたものには行き場が必要になる。
 もうじゅうぶんなほどに、たくわえた。
 ためこんだものを出してしまいたいのに、珠にかえたそばからなかったことにされ、その度に全身に震えが走る。ふくらみきった風船の縁を指でなぞられるような不快さと恐れが首筋に汗を噴き出させた。
「不思議だな、みつばちは。お腹いっぱいになったら、もういらないってなりそうなものなのに、まだ足りないって顔をする」
「……っう」
 余計なお世話だ、とすず雪は思った。
 確かにそれは事実なのだろう。足りてない、と感じることに自分でもあきれる。
 どうしようもなく欲しくて、理性や意思を喰らい尽くすような勢いで体中が求めてやまなかった。
 それは砂時計が少しずつ下のふくらみに山を築いていくように、すず雪の思考を埋め、形を得ていく。
「してあげようか」
 甘く囁くような言葉を投げかけた顔をすず雪は見つめ返した。
 蜂主は、珠守とも花主とも違う。彼は、みつばちにとってのすべてだ。力の流れも、みつばちとしての生も支配する。
 瑛千に抱かれれば楽になるだろう。ただ足を開いてねだれば蜂主は望みを叶えてくれる。
(言うとおりにして、なにもかもゆだねてしまったら楽になれる)
 そうすればなんの苦もなく、ためこんだものを解きはなってもらえる。そうしてもらえたら助かるし、そうしてもらえなければいずれはち切れてしまう。
 こう哉が好きなように歩きまわっているところから見ても、瑛千はどこかに誰かを閉じ込めるのが好きなわけではないのだろうし、みつばちとしてのすず雪が何を欲しがっているのか、言葉にかえる必要がないぐらいよく知っているのだろう。
 蜂主に身を任せること、それはとても気持ちがいいひとときに違いない。
 もうだいぶ疲れた。どうせ勝手なことをされるなら、少しぐらい楽しんだっていいはずだった。何もかもがうまくいくような喜びにうっとりして、重くまとわりつくようだった手足がふっと軽くなる。
 とろりと眼差しをうるませて、唇の端をうっすらと引く。近づいてきた男の顔にすず雪は口もとを寄せた。
「……してあげようだなんて、なんてすてきな言いぐさでしょう。唇の先から融け落ちてもう二度と話せなくなるぐらいが、ちょうどいいのではありませんか」
「おっと、それそういう顔でいうセリフじゃないよ……」
 こわいこわい、と身を震わせながら、瑛千は注意深くすず雪から距離を取り、持ち込んでいた鞄からあやしげな道具を幾つも取り出してくる。
 なけなしの力を振り絞って起き上がらせていた体をどうでもいいように床になげうって、すず雪はかすみかける意識を縫いとめるように深く息を吸い込む。
「蜂主のくせして、淡泊なそぶりがよくお似合いですね」
「いやあ、あのねえ。蜂主だからって子飼いのみつばちといつもよろしくやっているわけじゃないんだからね」
「今あなたのそばにいるのは、こう哉さんだけみたいですけれど。他のかたも、……もちろんいらっしゃったんでしょう」
「うん、まあ。この道も長いからねえ。こう哉はとてもいい子だよ。もともとほんの少し、みつばちめいたものを持ってて」
 砕いた石の欠片らしきもの、おそらくは魔法石の一種だろう。
 それを手もとで火をつけてあぶり、煙を立たせながら瑛千は応える。
 彼の手を通してつくられてきたみつばちたちが、今はどうしているのか。まさか全員が死んでしまったととでもいうのだろうかと考えて、ありえないと打ち消したすず雪に、当たらずも遠からずかなと顔色から察したらしい瑛千があっさりと言う。
「この辺りの楼主はみつばちのことを高級娼婦のひとつとして見るから、安売りはしないし、蜜珠もあんまりつくらせないし。わりと真っ当だよねえ」
 よりいっそう、いやらしくて性技に長けて、ほんのちょっぴり魔法を持った客を喜ばせられる。
 そういうものがいいと言うから、瑛千も商売上はそれに付き合う。
「でもそればっかりじゃあねえ、みつばちとは言えない。それは本当にただの見せかけ。こう哉はわたしの希望通りのみつばちになりたいと望んでくれてるんだよ」
「そんなにみつばちの体をいじりたいなら、花果院に来ればいいでしょうに」
「それはつまらないよ。君たちは純粋にそういうものであって、わたしがたくさん考えて色んな子たちに与えてきたものをはじめっから持つんだからね。君たちっていざとなったら、花主も珠守も必要としないんじゃないかな」
「あなたがどんなにつまらなく感じようが、まったくかまいません」
 切り捨てたすず雪に、話を振ってきたのはそっちなのに、と瑛千はしょぼくれた顔になる。
 のんびり草木の手入れをしているのが似合いそうな和やかな顔立ちの男に、すず雪は何とも言えない気持ちになった。
 彼の目を通してみれば、すず雪はつまないものだという。そのくせに好きなように体をいじくりまわしたいというのなら、身勝手という言葉では語り尽くせない。けれどどこか憎めなさがあって、とてもやりにくかった。
「……あなたがどう思おうと、花主も珠守もみつばちにはなくてはならない存在でしょう」
 妙にむきになった口ぶりに、瑛千は少しだけ面白そうに目を細める。
 すず雪の反論に興味が引くものがあったらしい。
「本当に? 何から何まで必要なものをあらかじめそろえられているから、きちんと感じたことがないだけじゃないのかな」
 たとえその通りであったとしても、何の問題もないだろうと思って、すず雪は少しだけ軽くなったような体に首を傾げた。
 瑛千が煙らせたものがいつのまにか部屋を満たして、それを吸いこんだ体に何かしらの影響をもたらしているらしい。ぼやけかけていた頭の芯がすっきりしてきた気がする。
「……わたしに何をさせようというんです?」
 まさかひと休みさせてくれる気になったのだろうか。
 そう思ってすぐに違うと気づく。
 それは突然で、圧倒的な感覚だった。
 今まで感じたことがないような熱が体中に燃え広がるように、それがはじまる。
「あ、……あ」
「君みたいな生まれつきのみつばちは、作りものとはまったく違う。けれど今見えてるものが、ぜんぶじゃないって思うんだよね」
 瑛千の声が耳朶をくすぐり、どこからともなく匂いがした。おいしそうな、みっしりとうまみがつまったような。
 魔法の匂いだと気づいて、ぞくりと肌が立つ。それだけで昇りつめそうな快感が視界を濡らして、手を伸びた。
「君はどんなみつばちなの」
「……知ら、ない」
 何者でもない。ただのみつばちだ。そのひと言しか、答えを持たない。
 瑛千はすず雪には理解することが出来ない理由で動いて、勝手をして、それなのに平和そのものの顔をして、ひどい真似ばかりしている。
 けれどひどくそそられてたまらない。感じきった体が見つめられるだけで嬉しいというようにとろとろに融けていく。
(……ちがう)
「あなたはちがう」
「うん。そうだねえ、君には花主がいるもの」
 頷きながら瑛千はすず雪に手を伸ばし、うなじから肩をやさしく撫でていく。
 それはとってもうっとりするような気持ちよさで、けれどどこかで少しずつ棘がからんでいくような気持ちの悪さがにじんだ。
 半ば反射的に瑛千の手を打ち払い、その体を押しのけたすず雪に瑛千の黒い眼差しが輝く。
 床に縫い付けられたように重たい体をずるずると這いずるようにしてうごめかせると、知らない間にはりつめきっていた下腹がはじけて、気持ちよさとともにひどくみじめになった。
 恥ずかしさと腹立たしさが首筋を赤く染めたが、それはどこか熟れきった果実に指をつきたてたくなるような衝動をかきたてていることを本人は知らないだろう。瑛千はその様を余すことなくたっぷりと眺めて満足そうに頷き、いいみつばちだねえ、と呟く。
「でもまだ、その先だよ」
 その向こう側に何かあるはず、そう言われてすず雪は首を振る。むしょうにいらだった。
「勝手を言わないでください……」
 蜜を吐き出せる相手をさがすのにいっぱいになっていく体が邪魔だ。
 伸ばされた手を拒んだのはすず雪自身なのにどうして近づいてこないんだと焦れる心も、むしゃぶりつきたいような、すがりつきたいような物足りなさにわめく声も、みんなうっとうしい。
 みつばちは魔法使いがいないとその体を保たせることが出来ない。
 そう教わっていただけで、実感としては何も知らないままだった。すず雪ははじめてみつばちである体がわずらわしいと思った。
 みつばちとしての欲求が恐ろしいほどの勢いですず雪をむしばみ、喰らい尽くすように広がっていくのが分かる。手の施しようがないほどに、自分自身ではどうすればいいのか分からない早さで意識と体とを埋め尽くす。
「本当を、見せて」
 本当も偽りもない。ここにあるものがすべてだ。
 そう言い返したいのに、言葉が形になる前にほどけてしまうのを感じ取ってきつく手のひらを握りこむ。
 知らぬ間に近づいた手のひらが肌に触れると、まるでとけきった飴がからむような熱さと粘り気を残して、白く灼けつくような喜びがあふれる。すず雪はたまらず大きく体を跳ね上げさせた。



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