明るい昼の陽射しが眩く散って薄布を白く照らす。 やわらかなひだをつけた長い裾を引いて、舞手が鈴を振ると袖につけた金色の飾り紐がくるんと弧を描いた。 夜を含ませたような青みがかった黒髪を結いまとめて、額や首筋があらわになっているのがすっと目を吸い寄せる。 めでたさを彩るように鳥や花をかたどった天冠からは蝶の羽のような玉飾りがこぼれて、身じろぐたびにかろやかな音を鳴らした。 みつばちの舞はとても静かで、薄い花びらを透かしみるような清々しさとふっくらと優しい色合いをにじませる。 花庭につくられた舞台にあがったすず雪は、心地よい足取りでたどりなれた舞を紡ぐと丁寧に礼をとった。 「うちのすずがいちばん可愛いですね」 「当たり前だろう」 「なに頷きあっているんです、兄さまがつぶれます」 兄たちに抱きしめられたすず雪を久夜はすかさず助け出す。背が高い二人にぎゅうぎゅうに抱きしめられていたすず雪は息がしやすくなってほっと息を吐く。 久夜は天冠をはずしたあとにつけた花飾りを丁寧に挿し直し、帯は苦しくないか、喉は渇いていないかとこまめに動きまわって忙しい。 そんな末弟の行動に、秀護、利帆の二人は不満げな顔になった。 「久夜は珠守だからって、少しすずくんをひとりじめしすぎだろう」 「そうですよ。ねえ、すずだって、たまにはわたしと一緒にいたいですよね」 「利帆兄上とはこのあいだも、だいぶ時間をかけて本を読んだような……」 すず雪には読めない外国語で書かれた図鑑で、見たことのない形の生きものや物を利帆がひとつずつ魔法でつくってくれるから、一冊見終わるまでにほぼ一日かかった。 そんなことをしていては利帆も疲れ果てるだろうと思って、少しだけでも魔法の力を行き交わせられないかとくっつくと、ますますはりきるのですず雪としては近づいていいのか離れたほうがいいのかとだいぶ迷い、次に誘われても図鑑だけはやめようと思っていたりする。 確かに久夜といる時間は長いのだが、利帆はこまめにすず雪を探して会いに来るから、たまには何も、しょっちゅうともに過ごしているというほうが正しい。 「本なんて飽きるよな。すずくんは本物のほうがいい」 「秀護兄上、この前も言いましたけれど。湖の底にひとりでもぐるのはあぶないです。あと急に飛び込むのもだめです」 いくら魔法で水底でも平気で過ごせるからと言って、ひとりでそんなところに行っていては万が一のときあっても誰も気づかないし、秀護は水魔法とあまり相性が良くない。 そう心配したすず雪に秀護はなぜだかとても喜んで、なら一緒に行こうと言い出し、何の心づもりも支度もしていないすず雪ごといきなり湖に飛び込んだものだから、周囲はだいぶ慌ててその後を追ってきた。 別に兄たちと過ごすのは嫌ではないし楽しいのだが、たいそう疲れもするのが正直なところだったりする。 ただし、そう伝えてみても、次は疲れをとるにはこの食べものがいいだのなんだのとわっと持ってくるので、やはりなんだか大変で。 こういうのはどこの兄弟も似たようなものだろうかと思うのだが、そうした考えは別の二人によってばっさりと切り捨てられてしまう。 「噂には聞いていたけど、香津木家ってすごくヘン。ぜんぜん当たり前じゃない」 「ナナセル、他に言い様はないのか……」 兄たちから離れ、花庭から花果院へとあがったすず雪はうっと息を飲んだ。 「そ、そうでしょうか……」 「そうだよ。ボクのことをまったく見てなかったっ。というか自分たちのほうがよっぽど見応えあるじゃない。なのにもうずーっとずーっとどこにいっても、嬉しそうにすず雪すず雪」 「あ、あの、鏡を見ながらでは生きてゆけませんし……その、うちは小さいものに目がなくて…」 すず雪はまだ幼さが残る年頃に手もとから離れてしまったから、その熱が尾を引いている、らしい。 それなら末っ子である久夜がいるだろうと思うのだが、魔法使いとしての本能なのか、あるいは習性なのか、同じような力を持った相手にはあまり惹かれないようだった。 魔法を使うときにからんでわずらわしい、と、すず雪にはうまく分からない感覚で、お互いにお互いの使い方に対して文句を言っていたりする。 承認式からほぼ三ヶ月経ち、今日は新しくみつばちとして迎え入れられた者が集まって花果院へ近況を報告しなければいけない。 花庭ではちょうどみつばちたちが催す花祭が行われていて、みつばちたちや花主、その身内たちが集まっている。 そこで披露した群舞でナナセルは中心にいたのに、もののみごとに香津木家全員が端にいたすず雪を見ていたのが不満らしかった。 「まあ確かにな、あれだけ全力で可愛いうちの子っぷりを見せられると圧倒されるが、だからといって、主役の座をゆずれとは言い出さないし、そもそもそんなことはまるっきり思いつきもしないようだし」 「でてきた、ってだけですごい盛り上がってたもんね。でも、正直あれだけうまいとは思ってなかったな。すんなり一人舞を引き受けてお人好しだとは思ってたけど」 ひとりでは舞台にあがりたくないと思うみつばちも多いらしい。 特に承認式を終えてそれほど間もないみつばちは、あれやこれやと覚えなければならないことも多いときなので、なり手が少ないようだった。 すず雪が引き受けるとまわりにいたみつばちたちはほっとしたの半分、おもしろがるの半分といった感じだったものの、実際に舞台にあがってみればやけにしおらしい態度でこちらを見てくるから、すず雪としては右に傾けた首を左に傾け直すはめになっている。 「ああ、あの舞は素晴らしかった」 「胡はまは相変わらず、いったい何と戦っているのかと首を傾げたくなるいさましさだったけどね」 胡はまが披露したのは剣舞だった。みつばちとしては珍しい。 凛とした動きはどこまでも切れがあり、華やかで、みつばちたちからも花主たちからもたいへん好評だった。 「胡はまさんはすごいです。まるでツバビラのようで見惚れてしまって」 小さな渡り鳥で春先によく目にするツバビラという名の鳥がいる。胡はまが剣をふるたび、風を切るように濃い色で染めた短めの裾がひるがえり、それがその鳥が空で餌を追うのを思わせて胸がふくらんだすず雪だ。 「ああいうふうには、わたしはちっとも舞えなくて」 「ツバビラって…街中で巣をつくるっていう? ボク見たことないなあ」 だらしなく頬杖をつきながら、ナナセルはやや退屈そうに口をひらく。もうだいぶ長いことここで待つように言われているから、すっかり飽きがきているらしい。 その姿を通りかかった他のみつばちがどこか驚いた顔で見やり、すず雪に気づくとはっと我に返った様子で立ち去っていくのが、すず雪には見ていておもしろかった。 今日のナナセルはいつもよりいっそうこだわってつくられた可憐な出で立ちだし、胡はまも雰囲気があって、人通りの多いところに彼らが並んで座っていたら、見ないでいてくれと言うほうがむずかしい。 その二人にはさまれたすず雪は、ちょっとした骨休めのような、あるいはただの違和感とも言うべきか、彼らを目にした相手を正気付かせる効果があるようでさっきからずっと似たような光景が繰り返されている。 ナナセルはさすがに目立つことには慣れっこなようで、気にした様子もなく大きく背伸びをすると、すず雪を見て目を細めた。 「それにしても、すず雪ってけっこう度胸あるよね。悠々舞ってたし、今もこうだし」 「例の件もあるから、さっきから注目の的だが……。平気そうなのは何よりだ」 「……ついでに目が向いてしまうようで、……例の件?」 首を傾げたすず雪に二人からあきれた顔が向けられる。ナナセルだけでなく、胡はまからも同じようなため息混じりの反応を受けてしまっては、なんだか落ち着かない。 「今日は仮花終了日なんでしょ? 朝からその話題で持ちきりなんだけど」 「そういえば……うちは誰もその話をしないので、ちょっと忘れかけていましたが、そういう日ですね」 「忘れ……」 ナナセルは気が抜けたようにがくっと顔を伏せる。 「すず雪、それはどうなの。いくら目立つ周りに囲まれてるうちについでに視線慣れしちゃったとかでもね、ちゃんと区別して。ボクも目を引くけど君も目を引いてるのっ」 「え、ええと……」 ナナセルの勢いに押されて思わず体を引く。 自分も視線を集めているのだ、と言われれば確かにそんな気もしないでもないのだが、その区別を付けろと言われるとわりとむずかしい。 「目立つうんぬんはともかく……、めんどうなことではあるな。みなで足並み揃えて一緒にうまみを分かち合いたい、なんてどだい無理な話だというのに」 「おいしそうなお菓子は分け合うべきだみたいな? ほんと困っちゃう。みつばちの体はひとつだし、好きや嫌いなんててんでばらばらでしょ。だいたい、香津木家一家と一緒くたになって喜んですず雪眺めてる花主がどうして別の誰かを選びたがるとか思うかなー」 たとえすず雪と仮花たちが離れることになっても、実のところそれで別の誰かが彼らを花主にできるとは限らない。 ナナセルと胡はまにとっては、すず雪とは好きなものが違うらしい、というだけのことなのに、それを嘆かれたり憐れまれたり励まされたりするのが彼らは本当に面倒なようだった。 「あの、それは……」 「すず雪様」 「はっ、……はい」 すず雪の花主選びのことで、ふたたび迷惑をこうむっているらしい二人に気づいて顔色を変えたすず雪は、そばから声をかけられて思わずびくっと肩を揺らす。そんなすず雪に花果院づとめの花師が小さな笑みをのぞかせた。 「お待たせいたしました。支度がととのいましたので」 「あ、……はい。まいります」 「ナナセル様、胡はま様もこちらへ」 彼らも花師たちに呼ばれて席を立つ。 そこではじめて、すず雪はこの二人がともに赴くのは自分の仮花の件があるからだろうかと思い至った。 星映や谷津江のみつばちとして名前が挙がっていた二人が、すず雪とともに報告の場にあがるのはただたんに同じ時期に承認式を迎えたからという理由だけではないとしたら、それは困った事態だとも言えるかもしれない。 「あの……、わたしは」 「ああ、そうそう。今さら押しつけてこないでよ。離れるのは勝手だけど、そのかわりにボクをっていうのは、ぜったいにお断りだからね」 「同意はするが、もっと言い方というものがあるだろう……」 「ないよ。また着がえるの? もうほんとうにめんどう」 ナナセルは心底おっくうそうに花師たちを見る。 何かを考えねばと思うのにうまくとまとまわらない。その場に立ち止ちつくしたすず雪は、ひとりそばに残ってくれた馴染みの花師に促されて慌ててその後を追った。 花果院の奥へと足を踏み入れるときは、一度中の泉で体を清める。 今回はとりたてて儀式があるわけではないので、用意されているのはいつも通りのみつばちの衣で、薄布を重ねてつくった裾が身じろぐたびにふわふわと揺れた。 「顔色が良くねえな。花師どもが用意した薬湯は飲んだか?」 「はい。……あれ、年々味が濃くなりますね」 慣れていけば平気になると言われていたが、慣れる前に苦味が増していくものだから毎回少しだけ気が重い。 「ここの場と体を馴染ませるもんだからな。……よしっ、と。見ろ、この飾り結び。渾身の出来映えだ」 志じ麻は上衣の肩口から下がる二本の紐に、花を連ねたような結びをほどこして胸を張る。 ナナセルたちとはいったん離れ、花師たちに身支度を手伝ってもらったあと、志じ麻と合流してひと休みしていた。志じ麻は花師が簡単にとめた結び目が気に入らなかったようで、いったんほどくと手際よく結び直しはじめ、さっきからずっとそこにかかりきりだった。 花師たちはどちらかと言えばあんまりみつばちの装いには興味がなく、儀式がどうのと細かなときはあるがあまり口出ししてこない。こだわるのはもっぱら珠守で、なるほど志じ麻もそういう質を持ち合わせているらしい、と今さらながら思う。 「しかし香津木家の文様ってのはまったく結びにくい。いったいどの珠守だこれ考えたの」 「少しずつ変えていくものだと聞いたので、今のこれは…玖おん?」 「あいつめ……代々この結び方だとかしれっとした顔で言いやがって……」 眉を寄せた志じ麻の顔にすず雪は少しだけ口もとをほころばせる。 玖おんは羽づまをよりいっそう美しく見せることにそれはもう熱心で、こういったささいな飾りにも手間暇惜しまない。 瑛千のもとから戻ったとき、たった数日のことだったのに、玖おんは幾つも老けてしまったように見えた。 だが、久夜と志じ麻を引っ張る形ですず雪の回復に力を尽くしてくれた玖おんの腕はさすがのひと言に尽きたし、今もその信頼感は変わらない。 すず雪にとっては久夜と志じ麻が珠守だが、幼い頃からずっとそばにいる玖おんもまた大切な存在だと言える。父の珠守という立場も役目も変わらなくても、それはそういうものだと思えた。 「すず雪様」 外で控えていた花師のひとりに呼ばれ、はいと応じて部屋の外へ出る。複雑に入り組んだ廊下へ出ると、花師はすず雪をともない迷いなく進みはじめた。ここでは他のみつばちとすれ違ったことが一度もないな、とすず雪はなんとなく思う。 ただ静かで、衣擦れの音だけが響き渡る。視線を足もとへ落とせば、志じ麻が器用に編んでくれた飾り紐が目に留まり、すず雪はふっと父を思い出した。 みつばちとしてずっと過ごしてきたすず雪だが。 今ようやく父と同じところへ足を踏み出しはじめたのだという思いが唐突にわく。 魔法使いがいなくては生きていけないのだと、そう言われてはいても。そんなもの、あまり大きなこととは思えなかった。 香はるのもとへ行ったとき、すず雪は色々なことを教わってきたはずだったのに、何にもできなくて、理不尽なほどに谷津江には冷たく当たられ、どうしてここに来たか分からなくなって、みつばちなんだからどうしようもないのだとみずからをなぐさめたりもしたが。それは何の意味もともなわなかった。 すず雪はみつばちで、それ以上でもそれ以下もない。 星映はすず雪に弦琴をねだるわりに聞きはじめると寝てしまうだとか、谷津江が案外包丁づかいが下手だとか、ジッヘルはおいしかったお酒をほんの少しとっておく癖があるとか。 それぐらいささやかで、他愛もなくて、すぐそばにある。 みつばちだから花主を持つのだとしても、すず雪が重ねてきた日々はそういったことも含むというだけの、あきれるほど様々なことの上にあり、その時々によって見え方もとらえ方も変わっていくぐらいあやふやで。 すず雪の中で揺らぎ、変わっていくことのひとつが、みつばちであるということ。 花果院の廊下で花師に連れ添われながら進むのは、それはみつばちだからこそであり、父も、あるいは他のみつばちも同じ光景の中にいたことがあるのだろう。時間も状況も違う。ただその重なりが、すず雪の胸を小さく鳴らす。 弾むような軽さと、足もとを揺らすような重み。 その二つが恐れと力強さの両方を運んでくるような気がして、今この時はみつばちであるのだという思いが、はっきり色づく。 たとえどんな形ですず雪のありようや、花主とのありようを否定されても。自分自身が立つところは変わらない。 そういう思いが、不思議とすず雪の顔を上げさせた。 「香津木家のみつばち」 「……すず雪と申します」 恭しげにひらかれた扉から奥へと進み、ふわりと裾をふくらませて、すず雪はゆるやかにみつばちの礼をとった。 |