「andante -唄う花-」



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 欠伸を噛み殺しながら壁時計を確認して、オレはもぞもぞと姿勢を正した。
 どうしてこう、式典というのは長いんだろうか。
 ただ座っているのも疲れるけれど、体育館にパイプ椅子というのとは違って、学院内にある講堂は各種講演会はもちろん、演奏会や舞台にも対応できるちゃんとしたものなので、席もしっかりとした布張りのものだ。でもさして興味もない話を長々と聞かされても疲ればかりを感じてしまう。
 せめてもの救いは音響がいいことだろうか。司会の声がきれいに響く。
「続きましては内部、及び外部新入生代表による挨拶をお願いいたします。内部新入生代表、高ノ原領(たかのはら りょう)さん」
「はい」
 切れのいい応えが返って、前の方の席ですっと生徒が立ち上がる。
 その瞬間、ため息とも悲鳴とも付かないざわめきが走った。
 中等部で人気があった生徒なのか、高ノ原様とか、領様とか、そこここから声がもれる。
 遠目でも分かる整った顔立ちで、周囲の呼び声に1度だけ片手を上げて応えた。その仕草は同い年とは思えないぐらいサマになっていて、同級生かつ同性相手に叫ばれる熱意の籠もった声にあっけにとられながらも、まあ、なんとなく分かる感じもした。
 人を惹き付ける天性のものというか、同じ男でも格好良い男というのはやっぱり格好良いのだ。
「続いて、外部新入生代表、世儀蓮さん」
「─────」
「………、ハイ」
 返事が遅れたのはぼんやりしてたからじゃなくて、呼ばれた名が自分のものだと一瞬分からなかったせい。
 何せその姓になって2ヶ月足らず。慣れるにはもう少しかかる。
 少し間の抜けた返事をして立ち上がると、面白いくらいさっきとは方向性が真逆って感じの視線が突き刺さった。
 ご丁寧にも「あれが世儀の」とか「なんだあいつ」とか、遠慮のない声がいろいろ感想を言ってくれる。もしかしてオレって有名人だったりするんだろうか。こんなに地味に決めてきたのに、おかしいなあ…。
 前を見ると面倒なことにどうも壇上に上がらないといけないらしい。ここ遠いんだけど、とぶつぶつ思いながらも仕方なく通路まで出て、先ほどの領様の隣に並ぶ。
「よろしく」
「…どうも」
 そっと向けられた格好良い笑みに頷く。
 頭2つ分ぐらい高い長身の領様は何かスポーツでもやっているのか、鍛え抜かれた、とまでは行かないけれどよく引き締まった体付きをしている。体型を含めて、よく管理しているんだろう。
「世儀くん、原稿は?」
「あー…、原稿ですか。ないです。呼ばれるとは思ってなかったんで」
 さすがのオレだって、こんなふうに壇上に呼ばれるのだと分かっていれば何か用意した。というか、何か言わないといけないのか、やっぱり…。
 うんざりして肩を落とすオレに対し、領様の顔には呆れるような面白がるような笑みがごくうっすらうかんで消える。
 こちらの苦悩を憐れとは思ってくれないんだ。ま、いいけどさ。
 嘲笑う気配はないのが領様のなかなかの性格の良さを思わせるけど。陰険じゃないけど善良でもない。ちょっと邪悪な感じもする領様は司会に促されて壇上に立つ。
 ぜったい高校1年生じゃないって、というぐらいの挨拶をしてのけた領様に、講堂内から感極まってすすり泣く声さえ聞こえた。入学式を飛び越えて卒業式に突入したのかなとちょっとすごい。
 これならオレの挨拶なんて必要ないと思うんだけど、司会は律儀にオレを呼ぶ。
 領様と入れ替わりに立つと、3階席まで良く見えた。
 マイクを3本並べる必要はあるのかな、と、立ってみて思う。まるでどうでもいいことが気になってしょうがない。
 同上。世儀蓮。
 で、終わらせるのはどうだろう。だめかな。だめだろうな。
 いや、いい気もするけど。つらつらと考えて、真正面に視線を留める。
「誠に僭越ではございますが、外部新入生を代表いたしまして、一言御挨拶をのべさせていただきます」
 とりあえず堅苦しくはじめてみる。舌を噛むな、これ。
 オレが耐えられない。やめだ、やめ。
「えー…、外部新入生代表の挨拶としては先ほど、素晴らしいものを伺ったばかりですので割愛させていただきます。私としましてはこれからの3年間、明るく、楽しく、元気に、過ごしていくことをモットーに、これからの学校生活を実りあるものにしていければと思いますので。以上を挨拶とさせていただきます」
 講堂内は水を打ったように静まり返った。
 あんまり想像通りの反応だったので、ふつふつと笑いが込み上げてきたけどそこは堪えた。
 しばらくの沈黙の後、司会が慌てて割って入る。
「え、えー…、し、新入生代表の挨拶でした。ありがとうございました。次は新入生代表へ在校生からのお祝いの品贈答です。在校生代表は学生会会長、三ツ原薫(みつはら かおる)さん、学生会副会長、遠見征一郎(とおみ せいいちろう)さんです」
 挨拶が終わったら戻れると思ったのに、まだ続きがあるらしい。進行表を確認しておけば良かったと思ったけど、眠かったんで見てなかった。
 諦めて在校生代表の登場を待ったオレは彼らが登場した途端、心臓が止まるかと思った。
 ────領様の数倍上を行く歓声とどよめきで。
 薫様、征一郎様の大音声は2階席の保護者もびっくり、と思いきや、至る所から少し浮き足立ったようなざわめきが上がり、講堂内は騒然とする。
 壇上袖から姿を見せたのは美しい人だった。
 その存在そのものが光り輝いていると言ったら大げさかもしれないけれど、彼という存在には華があり、煌めきに似たものがある。優しげな面差しにはどこかひとをほっとさせる微笑みがうかべられていて、ともすれば整いすぎて冷たくなりがちな美貌に日だまりのような印象を与えていた。
 傍らに立つ人はまったく逆だった。顔立ちは整っているのに全体的に冷たい空気をまとっていて、ひとつひとつの動きに鋭さがある。顔にかけた細いフレームの眼鏡も硬質な印象をつよめ、見るものをはっとさせる凛とした切れがあった。
 彼らが並ぶと、相当迫力がある。
 見惚れていたのはそこまでで、生徒たちの興奮を余所に、オレを含めた代表4人はけっこう粛々と目録のやり取りとか握手とかをこなして、早々に袖に引っ込む。いちいち対応していたらキリがないのだろう。
 いっとき上がった熱も良家の子弟らしく、憧れの人々が視界から消えれば、後は大人しいものだった。
 新入生たちはそのままつつがなく入学式を終えたらしいけど、その間、袖に引っ込んだオレが何をしていたかというと、感動しきり1名に歓迎の抱擁というか抱きつぶし? を受けていた。




「蓮くん、とっても可愛かったよ! あの代表挨拶。出だしにちょっとつまったところなんて、とっても良かった」
「………うー…、カ、カオ兄、…苦しいってば…」
 抱き枕か何かと間違えているんじゃないかという力の込め具合に辟易しながら、どうにかゆるめてもらって息を吐く。
 薫様なんて呼ばれていたときの近寄りがたさは、今のカオ兄にはまるっきりない。
 弾けすぎててある意味、遠巻きにしたい感じではあるけど、柔らかな雰囲気に甘さが加わり、美しいのに可愛らしい感じがするお得なカオ兄だった。
「ずっと連絡が取れなかったから心配していたんだよ。いきなり音浜受かった、なんてメールを寄越して、その後音信不通になるからどうしたんだろうって」
「ごめん。携帯新しくしたらうまく使えなくって、親父に聞こうと思ったら親父忙しくて聞けなくて」
 機械音痴のオレは恥ずかしながら、携帯電話が上手く使いこなせない。
 最新の、と言うより、市場には出回っていないんだという特別製の携帯なんて与えられてもオレにはさっぱりだった。
「見せてごらん」
 上着に入れっぱなしだった小さな機械をちょこちょこっと触って、カオ兄はオレに電話のかけ方、メールの出し方を教えてくれる。
「こう使うんだ。ありがとう、カオ兄」
「どういたしまして。それより、少し遅かったみたいだけど、どうしたの?」
 薄い機種なので、上着の中に入れていても収まりよく目立たない。元通りしまってから、カオ兄を見上げた。
「熱はないね…?」
 どこからともなく取り出した耳温計をあてられて、熱を測ったカオ兄はオレの顔色を確かめるようにじっと顔を覗き込んだ。
 いつでもどこでも体温計を持ち歩いてるのはどうよ…と思うけど、オレは大人しく頷いた。カオ兄が持っているのと同じものが家にもある。
「今日はすごく調子が良くて。自転車でだって来られたし。でもちょっとゆっくりしすぎちゃって」
「…、じ、自転車!? それって何時間かかったの!?」
 びっくりした様子のカオ兄に大丈夫だってと軽く笑いかけた。
 カオ兄は大げさすぎる。まあ、ふつうなら1時間の道のりを2.5倍かけたけど。
「ゆっくり走っていると、すごく色んなものを見つけて楽しいんだ。今日は他にもそんなふうに走っているひとがいたりしてさ、最近流行?」
「……蓮くん、それ…」
 カオ兄はちょっと困ったような苦笑うような顔を見せる。
「たぶんね、それ、護衛の人たちだよ」
「…ご、ごえい…?」
「そう。蓮くんは世儀家の直系ってことになるし、そうなると誘拐ということも充分考えられるからね。明日からは車で来た方がいいよ。気後れするようなら、透(とおる)兄さんに頼んでもいいし、僕と一緒に来てもいいし」
「………カオ兄、本気で言ってる?」
「もちろん」
「…………」
 カオ兄はこういう事を冗談で言うような人じゃない。
 そういう危険なことに巻き込まれる可能性を持った人だし、カオ兄がそういうのなら、疑うまでもなく本当のはずだった。オレはがっくりと肩を落とす。
「……そっか、…。なら、明日からそうする」
 オレがのんびーり自転車をこぐのに付き合ってくれていたんだと思うと、知らなかったとは言え、悪いことをしてしまった。
 きっと後ろから、よそ見して危ないっ、とか、このままだと遅刻っ、とか、色々焦らせたのだろう。そんな気持ちなんてまるで知らずにオレは鼻歌まで歌いながらうきうきと登校してきたと思うと、恥ずかしいやら、申し訳ないやらだ。
 しゅんとしたオレの頭を撫でて、カオ兄は美しい顔にいつも通りの優しい微笑みをうかべた。
「大丈夫。気にしなくても良いんだよ。あ、いつでもいいから、渚(なぎさ)のところへ行ってくれる? 会いたがってたから」
「うん」
「そろそろ行かないと。またね、蓮くん」
 すぐに返事をしたものの、ナギ姉のところかあ…と呟くオレにカオ兄が手を振る。
 すっかり話し込んでしまった。これからどうすればいいのかな、と思ったところで、はっと我に返った。
 カオ兄の傍らにいた遠見さんはまるで塑像か何かのように黙して立っていて、違和感もなかったから失念していたけれど、オレの隣にも塑像が一体あったんだった。
「世儀くん。いろいろと聞いても良いだろうか?」
「………、あはは…」
 高ノ原領様は爽やかさのにじむ顔にわざとらしく人が悪そうな笑みをうかべた。
 知らない振りをするぐらいなら、そばに人がいることを忘れるなって、そういう話だよな。
 よく承知しています、と深々と頷いた。



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