「andante -唄う花-」



- 3 -

[back]  [home]  [menu]  [next]



 入学式でも授業はあった。昼までだけど。
 領様とはクラスが別で、廊下ですれ違っても1度も目も合わせず、声もかけなかった。新入生代表同士って言っても殆ど見知らぬ同士なわけだし、なんというかこれは自衛本能も働いたと思う。歓声を浴びる相手には下手に近寄るなってね。
 それでも使われていない空き教室なんかで落ち合えるのは、文明の利器のたまものだろう。
 放課後、新1年生の他はいつも通り部活動が行われているので、窓辺から見えるグラウンドには威勢のいい声が響き渡っている。
 机に腰掛けて外を眺める領様はここでもなかなか様になっていた。いかにも優等生といった笑みが失せ、すこし酷薄そうな冷たい目をしているのがよく似合っている。
 オレは手っ取り早く事情説明をすることにした。
「オレとカオ兄…三ツ原薫は従兄弟同士なんだ。母方の」
「母方の従弟ね。薫様の母親には姉がいたと聞いたことがある」
「そう。母さんは妹よりもずっとあとに結婚して、オレを生んだから」
「それで、君のお父上は世儀家の長男で」
「うん」
「母親は三ツ原家の長女」
 やけに含みを持たせた言い方をする。
「それがどうかしたか?」
 訊ねたオレに対して、領様は少し驚いたようだ。呆れたように目を細めてみせる。
「三ツ原家は女系優先だろう。世儀家の長男と三ツ原家の長女、こんな拙い組み合わせはない」
「そうなのか?」
 許してもらえずに駆け落ちして勘当、という話は聞いたけど、どちらも資産家だし政略結婚と考えればこの上ない良縁のような気がしたけど、違うのか。
「まー…確かに、跡取りは渡さないって考えで行くなら、どっちを立てても問題があるし、実際そうだったんだろうけどさ。オレの母さんは早くに死んじゃって、カオ兄のお母さん、オレにとっての叔母さんだけど、が、ずいぶん良くしてくれたんだ。だからオレにとって三ツ原家はもうひとつの家族みたいな感じで」
「で、溺愛されているというわけか。あの薫様に」
「ん。んー…」
 領様ってずいぶん含んだ言い方をするよな、と思いながら、オレは曖昧な返事を返した。
 溺愛っていうか、カオ兄は少し心配性なだけというか…。
 たぶんカオ兄のあれは、カオ兄にとってはふつうの親愛表現な気もするんだよな。カオ兄の上のトオ兄は出来る人だけどちょっとお堅いし、妹のナギ姉は凛とし過ぎていて、これまた絡みにくいし。
 カオ兄のお母さん、響(ひびき)さんは母親を失ったオレにそれは良くしてくれた。
 自分にとってのもうひとりの子どもだと言って憚らず、オレにとっても響さんはもうひとりの母親だって気持ちがある。
 一通り話を終えると、領様は頷き、オレを上から下まで遠慮なく眺めた。
 どうせカオ兄には似ていないとか思っているんだろう。余計なお世話だ。
「世儀は家を継ぐのか?」
「ん? …分からない」
「そうか」
 それは用意された答えで、オレにはそれ以外答えようがない。
 領様も察しよくそれ以上突っ込んで聞いてきたりしなかった。
 本当は継ぐ気なんてこれっぽっちもない。蟻の行列が過ぎ去った後ほどもない。殆ど目にも見えないぐらいの気持ちもないってことだけど、その点に関して父さんはオレに正直者ではいてほしくないようだった。
 オレは実質、世儀家の直系ってことになって、父さんの亡くなった弟さんには未婚で子どももいないそうで。
 継ぎませんと軽々しく口にすれば下手な色気を出すのがいっぱい出て、すごく面倒なことになる。逆に継ぎますと言っても、今の今までその存在さえひた隠しにされていたオレには役不足ってことになり、それはそれで大変で。
 だからこの辺りは曖昧にしておかないといけない、そういうことらしかった。
「よくまあ、ずいぶんと上手く隠れていたもんだな」
「上手くっていうかさ、隠れていたつもりはないし、オレだって知らなかったんだよ」
「そうか? 世儀家のことはともかく、薫様のあの様子じゃ、三ツ原家には良く行っていたんだろう。三ツ原家のお屋敷と言えば、あのスコッフィが設計した歴史ある洋館。本当ならそこの主は自分だったかもしれないと思うことはなかったのか?」
 オレは驚きに目を丸くしてから、首を横に振った。
「は? …いや、ないし。その何とかかんとかも知らないけど、すごいきれいなお家で、吹き抜けの螺旋階段とか、シャンデリアとかさ一見の価値ありだけどさ、…三ツ原家は女系優先なんだから、オレには関係ないだろ」
 カオ兄の妹、ナギ姉が三ツ原家の後継者であることに、オレは疑いも不満もまったくない。それが自然なことだと思っている。
 領様の話はちょっと大げさだけれど、とどのつまり羨ましいと思うことはないのか、ということなら、あるにはあるけど、ただそれだけだなって答える。
 三ツ原家の中にはオレの部屋もあるけれど、でも、あくまでそこは三ツ原のお家であって、泊まることはあるけれど帰る家じゃない。
 あそこはカオ兄たちの帰る家で、いずれナギ姉が継ぐ家。 
 きょとんとしたオレに領様は少し呆気にとられた顔になって、それから妙に納得した顔になった。どうしてそうなるのかオレにはちっとも分からないんだけど。
「変わったやつだな」
「…それほどでも」
 オレって至極ふつうの受け答えをしたよな?
 ま、でも、三ツ原家の子にならないか、ということなら言われたことがある。
 三ツ原のお屋敷にいれば大勢の人が立ち働いているから、上げ膳据え膳だし、家計のことを気にしたり、家事と学校の両立についてなんて考えずに済む。それはそれで居心地が良いだろうし、とても助かるのだけど、やっぱり父さんのいる狭いアパートに戻るとほっとしてしまうオレがいた。
 結局、世儀家に入ってオレの生活は変わってしまったんだけど。
 正直なところ、まだ戸惑いの方が大きい。朝は早く目が覚めてしまうし、手持ちぶさたになるし。
「ところで薫様の妹に会いに行くのか」
「え? ナギ姉のところ? 行くけど」
「なら、一緒に行こう」
「……うん、って、ええぇっ?」





「世儀。もう着く」
 動いているのが分からなくなるぐらい丁寧に走る車の中で眠り込んでしまっていたらしい。
 言われて瞼を押し上げると、百合と薔薇を象った華麗な門扉が見えてくる。
「世儀、学生証」
「ん。あ、はい」
 運転手がオレたち2人の学生証を提示して、前もって申請しておいたデータと照合してもらう。これが通らないと中には入れてもらえない。
 程なくして大きな門がゆっくりと開いていった。
 桜朱恩の建物が見えてくる。
 正しくは桜朱恩女子大学付属桜朱恩女子高等学校。総称して桜朱恩学園。
 ここにはオレの従姉と領様の姉が通っている。
 放課後の事情説明の後、自分にも用があったのだとか都合がいいだとかの領様に抵抗する間もなくあっという間に彼を迎えに来ていた車に乗せられて来てしまったのだ。ほんとにまさしく早業だった。
 オレは置いてきてしまった自転車を家に電話をして取りに来てもらい、領様と一緒に桜朱恩に行くことになったと連絡したけれど、驚いた様子の名尾さんには上手い説明が思いつかなかった。
 いや…オレも、どうしてこうなってしまったのか良く分からないもので。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとう。じゃ、オレあっちの面会室だから」
「ああ。後で」
「ええと…先に帰ってもらって全然良いので。家の人が迎えに来てくれる手筈になっているし」
「そうか? その方が面倒だろう」
「そんなこと全然ないです」
 というかひとりで勝手に帰れ、ぐらいの勢いで言うと、領様は少し不審そうな顔になったけれど、オレは気づかないふりをした。
 オレの言い分は間違っていない。…たぶん。
 案内役のシスターたちがおかしげに顔を見合わせたのが目の端に見えたけど、オレにはどうにも説明しようがないことだ。
 オレは傍にいるシスターケイトを促して、さっさとその場を離れることにした。





 私立桜朱恩学園は良家子女ばかりが集まった名門女子校で、国際社会の更なる発展に貢献できる女性の教育をモットーに設立された。
 初等部から大学部までの一貫教育で、高等部は全寮制。良家子女に相応しい品格と知性と、いかなる場でも通用する淑女としての教育を施される生徒たちは、実際に様々な場所で活躍している。
 セキュリティの厳しさは学園設立当初からの筋金入りで、不審者どころか、学内にいる生徒と面会するためには親兄弟でもきっちりと事前連絡をしておかなければならない上、面会室には必ずシスターが1人、ないし2人がつく。
 生徒の希望があれば、友人の生徒などを同席させても良いことになっているけれど、面会を求める方はひとりで学内に出たり、生徒と2人きりになど、絶対になれないようになっていた。
 だからといってプライバシーがないがしろにされるわけではない。面会室内での会話は絶対に外に漏らさない。そういう約束が守られているからこそ、この形が取られ続けている。
 それが救いと言えばそうでもあったけれど、できることなら逃げたい、とオレは思う。
「いや、やだって、ナギ姉。無理だって…っ」
「大丈夫よ、蓮。あなたときたら、まだこんなに肌もすべすべで、愛らしいんだもの。ね、皆さん?」
「ええ、とっても」
「ナギ姉っ」
 幾ら文句を言っても誰も聞いてくれないんだから困る。
 手際よく制服をはぎ取られて眼鏡を奪われて、新しく服を着せられる。
 彼女たちのとってはこんな強襲などお手のもので、オレの抗いなんて軽々抑え込まれてしまった。
「やっぱりとっても良くお似合いですわ」
「惜しむらしくは髪ですわね。こんなに短くされているなんて」
「もう少し襟足を長めに取られた方が、蓮様にはお似合いよ」
「そうだわ。良いウィッグがあるんですの」
「素敵ですわ」
 どこが素敵なものかとげんなりしているのはオレだけで、彼女たちはとっても楽しそうだ。
 面会室にはオレとナギ姉、シスターの他に、ナギ姉の同級生、上級生の皆さんが何人も来ていた。彼女たちはあれやこれやとオレを着せ替えしては楽しげに笑い声をたてるので、なんとも賑やかだった。
 全てを終えると彼女たちは優雅な一礼をして、次々部屋を去る。
 残されたのはナギ姉とシスターケイト。それと淡い桃色のレースをふんだんにあしらった可愛らしいドレスを着た、オレ。
「不満そうな顔ですこと」
「…………」
「とてもお可愛らしいですよ」
 シスターケイトが慰めてくれるけれど、どれだけドレスが可愛らしくても、着ているのが高校生男子だということを忘れてもらっては困る。
 ナギ姉はオレの不満などものともせず手ずから紅茶を用意して、オレたちに振る舞ってくれた。
 豊かな黒髪は丁寧にすかれて肩に掛かり、肌は透きとおるように白くて、唇はきれいなバラ色。にわか詩人になるとしたら、朝陽のような眩しさと、清らかさを持ち合わせた少女。それが三ツ原渚その人だった。
「何か言いたそうね。でも、もとはといえばあなたが望んだことよ」
「人聞きの悪いこと言わないでよ」
 女装したいなんてオレは思っていないし、言ってない。
「あら、本当のことでしょう。シスターケイトならよくご存じですわよね」
 ナギ姉の隣に座ったシスターケイトは微笑みをうかべ、オレの方を見ると懐かしげに目を細めた。
「蓮さんとはじめてお会いしたのも、この面会室でした。顔を泣きはらして、ナギ姉さま、姉さまと、渚さんにぴったりくっついていらっしゃいましたね」
 ナギ姉とはひとつ違いなので、それはナギ姉が初等部2年の時の話だ。
 オレは早生まれのせいか他の子どもよりも小柄で、シスターケイトに言わせると、はじめてオレと会ったとき、4、5歳ぐらいだろうと思ったらしい。
 その頃母さんは病気で入院生活を送っていたこともあり、オレはいつも不安で、寂しかった。
 ナギ姉は子どもの時からしっかりした少女で、オレにはずいぶんと頼もしく見えたものだ。
 母さんの病室に入り浸っていたオレは、上がったばかりの小学校にも殆ど行っておらず、友だちもいなくて、ナギ姉が心の頼りだった。何があると、ナギ姉にそばにいてもらって。それだけでほっとして。はじめてここに来たときもナギ姉に会いたい気持ちでいっぱいだった。
 これまでにも愚図って門前まで付いていったことが何度かあったので、場所は知っていた。病院からもそれほど遠くなかったこともあって、ひとりで来てしまったオレにシスターたちにはずいぶん驚いたと思う。
 1度来てしまうと次も、また次もとなり、ナギ姉に会うとなかなか離れようとしないどころか、無理に離そうとするとひきつけは起こすは熱を出して倒れるは、終いには片時も離れたがらなくなり、少し離すと発作を起こす。
 まったくもって厄介な子どもだったわけで、ふつうなら頼むから来てくれるな、いい加減にしてくれ、となるところだろう。だけどオレの家庭事情についてシスターたちは胸を痛めてくれていたようで、母さんが桜朱恩の卒業生ということもあり、ずいぶんと寛容に受け止めてもらえていた。
 そのうちに話を知ったOB会もオレに同情的で、どうにかしてあげよう、という気運が高まったのだ。そこで当時の桜朱恩理事長は一計を案じた。
 必死の思いで学園に来ても、オレが面会室でナギ姉に会えるのはごくわずかな時間。子ども相手とはいえ、客人を学内を歩かせたり、長く留め置くのは避けたい。ならばどうすればいいのか。ことは簡単。子どもが桜朱恩の生徒なら何も問題がない。
 この案は大変な支持を受けた。セキュリティが厳しい分、学内のことはちょっとやそっとでは外に漏れない。閉じられた学園であるが故に、そのとんでもない案に実行可能の太鼓判を捺されてしまう。
 数ヶ月後にはもう桜朱恩学園初等部の制服を着て、堂々と学園をかっ歩していたのだから、確かにあまり偉そうなことは言えないのだけれど、だからってふつう、こんなことが認められるなんて、有り得ないのではないだろうか。
 当時のオレはナギ姉に付きまといたがる以外は大人しい子どもで、口数も少なく、同い年のクラスメイトにも妹扱いされていた。
 穏やかな日々がしばらく続いて、桜朱恩での学生生活にも慣れ、落ち着きを取り戻した頃、母さんが死んでしまった。オレは再び不安定な精神状態になり、ずいぶんとまた迷惑をかけてしまったのだけれど、その時にはナギ姉だけでなく、同級生や上級生、シスターたちが助けてくれて、オレはそのままなし崩し的に桜朱恩初等部を卒業している。
 いったいどういうわけか、本来在籍しているはずの公立小学校の卒業証書をもらっているので、公には勿論違うのだけれど、桜朱恩でのオレ、笹山蓮莉(ささやま れんり)はきちっと桜朱恩を卒業していた。笹山姓はナギ姉のお父さんの旧姓を借りていて、ここでのオレは彼の遠縁ということになっていた。
 中等部にはむろん行かなかったので、今は時々訪れるだけだけど、事情を知っている人まで、今尚オレを妹扱いするのだ。
 こんなことなら過去に戻って小学生のオレに文句を言いたいところだ。高校生になっても妹扱いされても良いのかっ、て。…あの頃のオレなら、まず間違いなくナギ姉といることを選ぶんだけど……。
「蓮さまの受け入れは、まさに特例。男女の差がはっきりしてくる前に取りやめると申し合わせてはいたのですが、きっと今の蓮さまが教室にいらっしゃっても、愛らしいただの少女に見えるでしょうね」
「………シスター…」
 生徒の暴走を止めるべきシスターにこんなことを言われるオレって。
 ため息を吐きたくなりながら、ナギ姉がたっぷりミルクを入れてくれた紅茶に口を付ける。
「気が弱くて泣き虫だったあなたがまさか音浜学院に入って、新入生代表をする日が来るとは思わなかったけれど」
「そうでしたね、蓮さん。入学、おめでとうございます」
「ありがとう、シスターケイト。…って、あれ、なんで知っているの?」
「蓮。今はすぐ連絡できる手段が幾つもあるでしょう」
「あ、そっかぁ」
 そういう最新機器をあんまり使わないんで、思いつかなかった。
 なるほどと感心したオレの様子にナギ姉とシスターは顔を見合わせて、小さく笑みをかわす。
「蓮さんはおっとりとしていらっしゃいますから、他の生徒さんにしてみれば少し合わせにくいと感じられることがあるかもしれませんが、時間と共に慣れてゆくものですから」
「そうよ。周りなんて気にせず好きにやればいいわ。でもいざとなったらここがあるもの。寮のひと部屋ふた部屋、すぐに用意してあげるから戻ってくるといいわ」
「いえ、大丈夫です…」
 自分ではそんなにおっとりしているようなつもりはないけど、今更オレがここに戻るなんて有り得ない。
 そもそも、オレがいやだ。桜朱恩での日々は何ものにも代え難い、大切なものだけれど、それとこれとは別の話。
 とはいえオレが彼女たちに口で勝てたことなんて1度もないから、ここは大人しく黙っておく。
「ところでナギ姉、ちょっと相談したいことがあるんだけど…」
 そっと話を持ち出すと、ナギ姉は快く耳を傾けてくれる。
 こういうところはやっぱり頼りがいのあるナギ姉らしいところだった。



- 3 -

[back]  [home]  [menu]  [next]