食後のお茶が振る舞われるようになってから、おもむろに口をひらいたのは遠見さんだった。オレはようやくそこで、今日ここに集まったのは掲示板に貼られたあの招集状について話すためだったと我に返る。 「世儀。ひとつ聞く。もし入学試験と同様のレベルの問題が出された場合。同じような点数がとれるか?」 遠見さんの質問はもっともなことだ。 「征一郎」 ぞっとするほど迫力のある顔でカオ兄がひと睨みしたけれど、遠見さんはまったく動じない。オレもカオ兄に大丈夫と微笑みかけて、遠見さんとしっかり目を合わせる。 「その点はオレも気になって父に確認を取りました。世儀のおじいさまは世儀の直系が音浜に合格しないなんてことは有り得ないって言っていましたし、万が一にでも優遇されたということがあるのなら、非はこちらにありますから」 「それで?」 「父はこの件に関して、不正はないと断言してくれました。身内の言葉は信用が置けないと思われるかもしれませんが、オレはもう1度試験をすれば、同じような点数をとれると思っています」 オレの言葉に会計の一ノ瀬さんがことんと茶碗を置く。 「一昨日の実力テスト。結果帰ってきてるよなー、見ても良い?」 「恭吾。蓮くんのプライバシーだよ」 「いいじゃん、どうせ今頃上位30名は張り出されている頃だろ」 明るく一蹴した一ノ瀬さんに遠見さんも頷く。 オレとしても証拠品の提出には素直に応じるつもりだったんだけど、隣の奈々原が助け船を出してくれた。おかげでカオ兄対一ノ瀬さん+遠見さんなんて構図は回避できて、さすが奈々原。調停役が板に付いている。 「それなら、おれ、順位言いますよ。 1位 世儀蓮 2位 高ノ原領 3位 鈴島和美 4位 おれ 5位 吉岡政春 こうです。少なくとも2位以外ははっきりしてますよ」 「高ノ原くんの上をとるなんて。すごいね」 「へー…、顔も良くて頭も良いって最高。蓮、俺の補佐ってどう?」 「貴様の補佐には吉岡がついているだろうが」 すごい早業でぎゅっと握られた手を、素晴らしい神業で引き離した遠見さんが低く威圧的な声で一刀両断した。すごい低音である。 対する一ノ瀬さんは両耳を手のひらで塞ぎ、聞こえませんと素知らぬ顔をした。強者だ。力業でそれを外されて、耳元で繰り返されているけど…。 「でも申し訳ないけど、中学の成績はそれほど良くないと聞いたな。中くらい? 急に成績が良くなるとは思えない」 「遥…、どうしてそんなことを言うの? たとえ蓮くんが今までその実力を隠していたにせよ、それは蓮くんの事情なんだよ」 悲しそうな顔でカオ兄が柚木さんを見る。柚木さんはにこっ、と、愛らしい笑みをうかべて、でも気になるから、と、きっぱり言った。 「あ、でもおれも不思議です。どうして?」 奈々原の真っ直ぐな視線を受けて、オレも少し戸惑う。 そんなにおかしなことかな…? おかしいから、こういう話になっているんだろうけどさ。 「オレ的には…単に、面倒だっただけなんですけど…。中学では成績上位者は生徒会に、もしくは何らかの役員にならなければいけないって決まりで、オレ、早く帰って親父の晩飯作りたかったし、…」 体調不良で試験を休むことも多く、あんまりそういうところで融通の利かない中学だったので、自然とオレの成績は下がった。 「今回の音浜の試験に関しては、手を抜いているような場合じゃありませんでしたし、勉強はカオ兄たちがいつも見てくれていたので」 カオ兄たちはオレがせっかく桜朱恩で得たものを維持できるよう、マメに勉強を見てくれていた。英語以外の外国語とか、通っていた中学ではやってなかったし、ぐうたらな父さんもオレの勉強だけは良く見てくれた。 父さんたちのそれはたぶん、反省とか自戒とかもこもっているのだろうと思う。 桜朱恩に入るまで、オレの学力は底の底。というか、ものすごく遅れていた。 オレは母さんの病室に入り浸り、上がったばかりの小学校にもろくに行っておらず、その上その頃はまだ、三ツ原家のみんなとは少し距離があったのだ。ごくたまに会う親戚みたいな感じで、それはたぶんお互いに意識して距離を置いていたのだとも思う。 世儀家を勘当された父さんは、親子3人だけでやっていくってすごく意固地になっていて、下手に三ツ原の名がでれば父さんの仕事先で支障がでたのだろうし、母さんが倒れたからって、すぐに方針を変えるわけにもいかなかったのだ。 方々を忙しく駆け回る父さんの邪魔にならないように、オレも子どもながら気をつけていたし、良くも悪くもオレにまで目が行く人が誰もいなかった。小学校に上がっている息子がひらがなもまともに読めていないって知った時の父さんは、本当にびっくりしたと思う。 オレの生活環境や学力状況までしっかり目を配るようになったのは、オレの桜朱恩編入が決まった辺りからだった。その頃には父さんも三ツ原家の助力を受けることを受け入れていて、塔子さんたちがオレの面倒を見てくれるので、父さんは母さんにずっと付いていられるようになって、気持ち的にも余裕が出たに違いない。 最期の日まで、母さんとオレたちはとても充実した日々を送れたと、今なら思う。 遠見さんたちはオレの説明に一応納得してくれたみたいだけど、思い切り不満顔をうかべている美貌の青年がひとり。…カオ兄。その顔、トオ兄に少し似てる。やっぱり兄弟なんだなあとしみじみするな。 「まさかとは思うけど、蓮くんに音浜会の招集に応じるよう言うつもりなの?」 「呼び出しは無視して構わないが、売られた喧嘩は買うべきだろう」 遠見さんは平然としたものだった。絶対零度の美貌に鋭さを含んだ冷ややかな視線で応じていて、あきらかに室内の体感温度を下げている。 でもなぜかあわあわしているのがオレだけだった。みんな素知らぬ顔をして、なんだか和やかに脱線話を繰り広げている。いや、オレも夏は麦茶で冬はほうじ茶とか好きなんだけど。今お茶の話をしているんじゃなくて、ええと、…。 「気にしなくていいよ、放っておけば落ち着くからね」 柚木さんはにこやかにきっぱり言ってくださる。 そしてそれは本当だった。しばらく睨み合った後、会長副会長は無言の会話を済ませてしまったらしく、ため息ひとつで沈黙を解除した。 「世儀、おそらく音浜会は君に試験を執り行いたいと言ってくるだろう。この学院に相応しい人材であるのか確かめると言ってな。これには勝ってもらわなければならない。学生会と音浜会、どちらの力が強すぎてもいけないんだ」 「……なんとなく分かりますけど…、でも、オレ…ダメなものが多いから…」 「ダメなもの?」 訝しげに聞き直してきた遠見さんにカオ兄が割って入る。 「とにかく、音浜会のくだらない言いがかりなんて相手にする必要はない。蓮くんに無理をさせるぐらいなら、僕は蓮くんと一緒に別の学校に移る」 カオ兄は一歩も譲らず、遠見さんもまったく折れなくて。 まあ、音浜会のこれからの出方待ちってところもあるし。ここで何かを決めても仕方ないという感じもあったので、結論は先送りになった。 呼び出しには応じなくても良い、というのが、共通した意見ではあったので、それなら大して気にする必要はないなあ、と、オレはのんきな感想を抱いたりしたのだった。 |