「andante -唄う花-」



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「我々音浜会は学院に相応しい知性と教養を持ち合わせた人材の育成を目的とした活動を行っています。先日、世儀蓮くんの入学試験に際し、不正が行われた可能性があるという報告が為されました。我々はこれを非常にゆゆしき事態と考え、その疑惑を晴らすべく、君に我々が用意した試験を受けていただきたいと考えています」
 つまり。
 オレがこの学院に相応しくないから、それをはっきりさせたい、と。
 本気で? というのが正直なところだった。
 それは学生会室で話したみたいに、中学での成績と今に違和感があるから、ってことなのかもしれない。でも、たぶんそれだけじゃないんだろうな、というのがひしひしと伝わってくる。
 今まで存在を知られていなかっただけに、本当に跡取りなのか疑わしいだとか、カオ兄の傍に並ぶのに絵面が良くないとか…同じ新入生代表である領様に恥をかかせたとかも、ぼそぼそ言っている声がした。なるほど。うん、余計なお世話だっての。
 もしオレ以外に庶民育ちの新入生が入ってきたら、彼らはまた同じことを言い出すのだろうか。それを思うと、何というか体中から力が抜けそうだった。がっくりしてしまう。いったいいつの時代の学院だと思わざるを得ない。
 世の中はいろんな人で出来ているんだぞ、とオレは彼らに言いたい。
 いきなり帰り際の玄関先で待ち伏せされて、ムリヤリ取り囲まれたオレはさすがにちょっと腹に据えかねていた。また牧田さんに待ちぼうけさせてしまうじゃないか、まったく。
「分かりました」
 でも今日は駄目です、日時は別途連絡してください、とオレは言い捨ててその場を去った。
 その態度がカンに障ったらしく、チワワ隊が再びオレに文句を言いに来たけど、その時は周りに奈々原たちがいたので、ひと言ふた言言い返されるとすごすごと引き下がっていった。
 ああいうふうに応対すればいいんだ。
 オレはひとつ学んだ。
 あれをそっくりそのままオレがやれるかっていうと、話は別だろうけど、ひとつ賢くなれた気がする。





 そんなことがあった数日後、装飾過多のご大層なカードが届いた。
 音浜会からの試験実施日の連絡だった。
 それこそチワワたちに言づてすれば良いんじゃ…と思いつつ、同じ形式で返事をした方が良いという学生会の皆さんの助言に従い、学生会に常備してある返答用カードを送り返した。やりとりはそれで大丈夫なんだって。なんだかそれだけで面倒だなあって気分いっぱいなんだけど、受けて立ったのオレだし。
 そうして、とにもかくにもその日は来たのだった。
 天気良し。体調よし。牧田さんへの連絡良し。お腹が空いてはいけないと、開始前に学生会室で軽食もとっておいた。カオ兄お手製の野菜ジュースとサンドイッチ。一部具材が罰ゲーム級だったけど。カオ兄、サンドイッチに苺とキュウリとワサビを挟むのはやめような。引き当てた遠見さんのあの何とも言えない顔。完食した遠見さんにオレは羨望と憧憬と土下座の気分だった。いや、カオ兄があんなものを思いついて実行する前になんとかできたのではと。
 …話がずれてしまった。ええと、場所は音浜会所有だという、学院の裏手にある小庭園で行われることになっていたので、オレと高等部学生会の皆さんはそろってそこまで来ていた。
 正直、こんなところがあったのかあ、とびっくりだった。一般生徒は立ち入り禁止、というわけではないそうなんだけど、音浜会が幅を利かせているんで、結局誰も寄ってこないという、驚きの場所である。
 でもおかげで野次馬なんかはいなくて、音浜会一部と学生会だけが、いちばん大きい東屋に集まって開始を待つ形だった。
 試験は知力と品位に偏ったやり方で執り行うらしい。時間を短縮するため、最初の試験は口答試問である。
 音浜会の役員がオレに質問し、学生会の役員が音浜会が選んだ音浜に相応しい新入生のひとりに質問する。
 これは学生会側から、オレひとりが試験を受ける形はただのやらせであり、いじめだろうと突っぱねたためだ。確かに試験にかこつけてオレがただやり玉に挙げられるのは分かったし、音浜会側が同じ問いに答えられないとか、そういうのでは困る。
 てっきり音浜会側が用意する対抗馬は音浜会役員で悲鳴と歓声? を一身に受けた領様だろうと思ったけど、違った。彼はこの場に参加すらしていない。
 選ばれていたのはなんと小型犬メンバーのチワワで、つり上がり気味の目の、勝ち気そうな少年だった。何とかかんとかという、大手不動産会社の跡取りらしい。ごめん、知らなくて。
 細い身体からあふれんばかりの敵意が彼につまっている。
 そんなに見つめられても、何も出ないぞ。
「では始めます」
 厳かに開始が宣言され、オレは真面目に答えた。
 正直、何としてでも学院に残りたいとは思っていない。でも、カオ兄の顔に泥を塗るようなことはやっぱりしたくないし、こんなことでいちいち敵視されるぐらいなら、正々堂々受けて立ってやる、みたいなものがオレにもある。
 与えられる質問は10問。
 大学レベルと思しき数学問題から最新の社会情勢についてなど、なかなか幅広い。
 最初の勝敗は引き分けという形になった。よかったー。昨晩父さんと一緒に雑学をさらったのが功を奏したみたいだ。何でもやっておくもんだなあ。
「ん? 不正どうこうなら、これで終わりにして良いんじゃ…?」
「まあまあ、次はお茶かお花だって、どうする?」
 奈々原はなかなか楽しそうだ。他人事だと思って。
「じゃ、花」
 挑戦者チワワはお茶を選んだ。
 学生会役員の前でお手前を披露するらしい。
 隠そうとしてさえいないだだ漏れのカオ兄の不機嫌さに、チワワはびくついている。なんだか見てるとちょっと可哀想になってくるんだけど、それでも自信はあるのだろう。オレを見ると、きっとにらんでくれたりする。まあ、前もって何をするか、音浜会側は知っているんだろうし、作法の復習ぐらいはしてあるはずだ。
「だめだね、すごく固くなってる。お客さまをもてなすどころじゃない」
 鈴島は容赦がない。日本舞踊の跡取り息子はお茶の心得もかなりあるようだ。
 正直オレはお茶は苦手だ。お薄苦いし、正座は続かないし。
「でも椀の選びは良い。茶菓子も良いし、雰囲気に合っている」
 吉岡の家はなかなか名が知れている弓道場らしく、鍛錬の一環としてこうした作法もたたき込まれているらしい。オレは凄く感心した。ただお茶をどうぞじゃなんだな、やっぱり。
 その場での採点はしない。後で傍観者である側も点数を出して、合計する。
 さすがのカオ兄も席につけば少々雰囲気を和らげてお客兼採点役をこなしていた。遠見さんは堂に入っているし、一ノ瀬さんものびのびというか、あっ、チワワの手を握った。ん? チワワ頬染めたぞ。恐るべし一ノ瀬さんのたらしパワー。柚木さんはぽわんとした笑みをうかべたまま、さりげなく声をかけて一ノ瀬さんからチワワを離した。
 なんというか、改めて見ているとすごい人たちだなあとぼんやり眺めてしまう。それぞれ華があって、個性が際だっていて、それでいてすごいまとまり感があって。とてもじゃないけど適わない、と思ってしまう。
 発表はオレが終わってから。ぼんやりしている場合じゃなかった。
「次、世儀蓮」
 緋もうせんにあった茶道具が片付けられて、花器が用意された。
「蓮、がんばれ〜」
 奈々原は小声で応援してくれた。うん、がんばるよ。
 花器の手前で音浜会役員に礼をする。
「よろしくお願いいたします」
 梅に桜に百合、大輪の薔薇まで用意されていた。あるものを使って生けよ、ということなんだけど、あり過ぎなのはどういうことだろう。後で持って帰っていいのかな。
 オレはほっそりとしたコリヤナギを取り上げ、枝振りを確かめた。
 桜朱恩ではお花の稽古がある。オレは体育にはほとんど参加できなかったので、その時間をこうしたお稽古にまわすことが多かった。
 体を鍛えられないなら、精神を鍛えましょう。そんな感じだったと思う。
 低学年のお花の稽古なんて、ぐちゃ、むきゅ、えいやっな感じの生けているんだか、花をダメにしているんだかな感じだけど、華道の先生はよくお花と向き合うことが大事です、と言っていた。世界を大事にしなさいと。
 オレはあんまりあれこれ花をいじらない。多少たわめることはあるし、切りもするけど、なるべくそのままを生かしたかった。
 八重桜がすごくいい。薄桃の花がこんもりまるくて愛らしかった。
「…………師範持ち…か?」
「履歴書にも何も。どうなんです、会長」
 唸る遠見さんと柚木さんに、カオ兄はすごく誇らしげだった。とは、後で聞いた話だけど。
 オレからは良く見えなかったけど、さすがうちの蓮くんとずいぶん惚気てくれたらしい。恥ずかしくて頭に血が昇るから、ほどほどに頼むよ、カオ兄…。
 音浜会役員たちはオレが生けた花を無言で見つめ、顔を見合わせた。
 驚きや不満がその顔には見え隠れする。
 オレとチワワの評価がでた。オレの方がちょっと点数が良い。
「…………松谷(まつや)は少々体調が悪かったようだ。再試を要求する」
「そうやってあなた方はいつも逃げる。ケチを付け続けていたら勝てるとでもお思いですか?」
「三ツ原会長。君ご自慢の彼は再試には実力を発揮できないと?」
 まるでカオ兄がオレににわか仕立ての心得を教え込んでいたから、今回はまぐれでうまくいっただけで、後はないだろうと言わんばかりだ。
 気色ばむカオ兄を、オレは立ち上がって止めた。
「次はこちらが試験内容を決める、それで五分だと思いますが」
 オレの提案に音浜会役員たちはひそひそと話し合い、その案を飲んだ。
「なるほどね。良かろう、何にする?」
 料理か? 舞踊か? それとも節約術か? と、彼らはひどく庶民を誤解しているし、ばかにしている。
 ちょっとここに桜朱恩のお姉様を呼んで、説教をしてもらいたい。
 ハイソサエティにはそれなりの義務をこなす知識と教養がいるんだと、彼らはちっとも理解していないのではないだろうか。もちろん、それは庶民だろうがそうでなかろうが、持っていた方が良いのだけれど。
 だいたい、学院に相応しい知性と教養の持ち主の育成をしているんなら、そこのところを良く考えてくれないだろうか。オレだってたまにはびしっとツッコミを入れるんだからな。…その必要もなく、先手を打ってくれる人がオレのまわりには多いんだけども……。
「音楽です。歌でも楽器でも構いません。教養の披露としては定番、不服はありませんでしょう?」
 カオ兄からちりちりと怒りの炎がふくれあがっているのが見えた。カオ兄。その綺麗な顔で凄むととても怖いから…。
 ……視線ひとつでみんな凍っていらっしゃるから、ね、カオ兄、頼むから落ち着いて…。
「音楽ね。縦笛でも披露してくれるのか?」
 今の今まで凍りついていたはずなのにさっそく言ってくれる。
 だからさ、庶民をばかにするなっての。
 ソプラノリコーダーだって立派な楽器だぞ。
「ピアノです。蓮くん。良いね?」
「うん…」
 カオ兄の提案に、音浜会役員がにんまりほくそ笑むのが見えた。
 どうやら向こう側の彼はフルートをたしなんでおり、どこぞのコンクールにも入賞したことがある腕前らしい。
 せっかく温情を与えて試験からは外していたのに、と大笑いでもしそうな顔だ。
 まずオレから、と言われて、音楽室のピアノの前に大移動する。いったいどういうコネか、まあ、学生会と音浜会だからだろう、1番広い音楽室が確保できた。
 ぱららと指ならしをして音を確かめる。けっこういいピアノを置いているんだな。
 三ツ原の家にあるベーゼンドルファーの方が好きだけど、このスタインウェイもなかなか良い。
 できれば完成したばかりのルピテ・オート。独奏版とか弾きたいけど。ダメだろうなあ。それじゃあ、比較の仕様がない。
「リストのマゼッパがいい」
「か、カオ兄…」
 超絶技巧練習曲は好きだけど、カオ兄の目は完全に座っている。あの8分は体力を使うってば…。作曲だけじゃなくて、それをちゃんと弾けるようにという秀さんの心遣いもあり、この曲もついこの間まで練習していたけれど。でもマゼッパね…。そらで弾けたかな。あ、楽譜を貸してくれるのか。ま、いいけど…。
「じゃ、それで」
 オレは楽しく弾くのがモットーだ。
 この曲は緩急が激しいので、よく気をつけないと息切れしてしまう。
 いきます。よーい、どん。で、オレはいつものように弾きはじめた。



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