「たいへんだったね、蓮さん。お茶をどうぞ」 「ありがとうございます、柚木さん」 柚木さんの微笑みは効果絶大の癒しだ。 オレは日本茶をずずっと啜って、大きなため息を吐いた。 ここのところの学生会はリラクゼーションルームに集まって仕事をしている。とにかく忙しいのでいちいち部屋にこもっているとうまくことが進まないため、自然と顔が見える場所で仕事をするようになっていた。 クッションに埋もれるようにしてぐったりしていると、近くにいた吉岡くんが顔を上げた。今日もすごい強面だなあなんて考えるのは失礼というものだよな。 吉岡くんは数字に強く、プログラミングなんかもお手の物で、オレでも使える簡単パソコンソフトを作ってくれるので、すごく助かっている。 これすごいんだ。機械音痴のオレでもあっというまに使いこなしてた。 「蓮。真下の備品室から学生会室に戻るのに74分もかかっているぞ、どうした?」 …そんなにかかってたのか、オレ。 とても怪訝そうな顔をうかべている吉岡くんは、呆れていると言うよりすごく心配そうで、オレは慌てて首をぶんぶんと横に振った。 「なんでもない。ごめん、善処します…」 「…そうか?」 「政春はその顔だから、みんな声をかけてこないものね」 「ああ、問い合わせに捕まっていたのか。なるほどな。まあ…世儀なら答えてくれそうな気になるだろうな」 力強く頷いてくれたけど、オレはしょんぼりとクッションの中に埋もれた。 オレ、隙ありまくりってことだろうか。そうなんだろうなあ…。 このままじゃ、業務に支障がでるどころじゃなくて、完全停止させてしまいそうで怖い。何とかしないと、とは思うんだけど、声をかけられれば応じずにはいられないし、応じたらやたら細々と処理しなければいけないことがあって時間を食ってしまう。 吉岡くんの隣でプリントアウトした紙の束をめくっていた鈴島くんがにっこり微笑んだ。 「あのね、蓮。こういう時は話しかけないで、近付かないで、という雰囲気をつくらなくちゃ」 「えと、どんなふうに?」 良く分からないでいると、鈴島くんが実演してくれた。 う。えと。どうしよう。 あまりにも見事すぎて言葉が出ない。助けを求めてきょろきょろ辺りを見回したけど、誰も目を合わせてくれなかった。どうして先輩も吉岡くんもふつうに仕事を続けているんだろうか。 半ば呆然としていると、違う部屋から救いの神がやってきた。奈々原だ。 「あれ、プチ女王さまがいるー。でも、どっちかっていうと高貴な皇女? 和美皇女、この書類にサインくださいな」 「…………」 「…………」 「広也…」 高貴な姫の蔑みというか苛立ちというか、思い切り上から見据えるみたいな視線に晒されているのに、奈々原はまったくふつうだ。吉岡くんが呆れた様子でため息を吐いたけど、それにもまったく気づかない。 あれだ。高貴な皇女の部屋に勝手に入ってきた無礼者という場面に違いない。 まるで歴史の一コマを覗くような見事な雰囲気。 眼差しひとつでそこまで雰囲気を変えてしまう鈴島くんはすごい。 まったく動じてない奈々原に至っては見ているこちらが心臓縮みそう。 「この書類だね。分かった。広也、でもその前に、この書類書き直して」 皇女モードが抜けきらない様子で、鈴島くんが微笑む。 すごく雅やかで、たおやかで…。 オレ、今すぐここでひれ伏すべきだろうか。いや、むしろそうさせてほしい。 それで場を収められるならオレもがんばって皇女の臣民に…っ。 これなら確かに誰も話しかけてこないと思う。オレは自信を持って応えるぞ。 でもオレにできるだろうか、といえば、できないって。…皇女の道は1日にしてならず、ってことではないかと。 「お茶。お茶にしよう! 美味しいカステラがあるんだ」 「蓮さん、手伝うよ」 にこにこ笑顔が変わらない柚木さんが一緒にキッチンに来てくれる。 すべては忙しいせいだ。 きっとそうに違いない。 でなければ学生会室にあれほど殺伐とした、ある意味とても恐ろしい雰囲気が生み出されるわけがない。…そう信じたい。 疲れがたまると、些細なことが気になってたまらなくなったりするし、そう言う時には気分転換がいると思う。 幸いにも支度を済ませて戻ったら、みんないつもの調子で各々の仕事に向かっていた。学生会全員が囲める大きなローテーブルにお茶を置いて「お茶が入ったよ」と声をかけたら、それぞれにふっと頬がゆるむのが分かる。 お茶とお茶菓子の威力はほんと侮れないと思う。 明日のお茶請けは何がいいかなあ。 こっそりみんなの好き嫌いを探って、好みのお茶菓子を揃えるのって思いの外楽しい。出すからには喜んでもらいたいし、こう言う時にも役立つし、オレの良い気分転換にもなるから、ちょっとはまりそうだ。 「あー、お茶してる。いいな、いいなあ。蓮、俺にもちょうだい〜」 後ろから被さってきた一ノ瀬さんはオレの髪に鼻先を埋めて、まるでベスみたいだ。 何となくそういう予感はしていたので、カップをテーブルに戻しておいて正解。ひとまわりは大きい体を乗っけたまま、オレはよいしょと立ち上がった。 一ノ瀬さんっていつもタイミングがいい。 必ずどこに行ってても、お茶に間に合う。時間なんて決まっていないのに、逃さないのだ。動物的勘というか、特別製の嗅覚があるんじゃないかと思ってしまう。 ちなみにこういう場を逃すのがカオ兄。また逃した…とあんまりしょんぼりするので、ついついカオ兄との個別お茶タイムを設けがちだ。ちなみに参加者はオレとカオ兄だけ、なんてこともある。よくよく他の人との時間が合わないカオ兄だ。 「あのう、一ノ瀬先輩? これじゃあ、やりにくいんですけども」 「ああ、かわいいなあ。癒し補給、蓮補給」 「癒しでしたら柚木さんの方がすごいですよ。オレいつも癒されてますから」 「蓮がいい〜」 「5分経過しました。一ノ瀬会計、即座に世儀補佐から離れて下さい」 「お。吉岡。今日も顔が怖いぞ」 「離れて下さらないようでしたら、…」 「うはっ」 一ノ瀬さんへのアプローチ法は2種類ある。 ひとつは遠見さんみたいに問答無用で確保。 もうひとつは吉岡くんのように、情け容赦ない攻撃。 蹴りから続く、正拳突きをひらりと交わした一ノ瀬さんは、飛び石を踏むような足取りでひょいひょいっと繰り出される攻撃を避け、腕でいなして後退する。 オレも含めて突然始まった組み手に驚くものはない。この後の勝敗もだいたい決まっているのだ。 一ノ瀬さんは遊び相手を見つけたみたいな無邪気な笑みで、すべての攻撃を防ぎきると、掻いてもいない汗を爽やかに拭って見せた。 「ふはは、まーくんはまだまだ精進が足りないなあ」 「足りないのはおまえだ」 「痛っ、征一郎、いまげんこつだっただろ?ひどい」 遠見さんはしれっとした顔で、何が?と眼鏡のズレを指先で直す。 一ノ瀬さんがしきりと鉄拳制裁の非道さを訴えるけど、遠見さんはどこ吹く風だ。まあ、これもまたいつもの光景なわけで、最初のうちはオレも仲裁すべきかと悩んだけど、むしろ一ノ瀬さんはそれを楽しんでいるふうもあるんだよな。 攻撃を受けてそれをいなすのも、それを怒られて弁明するのも、日常の風景だ。 「政春。45勝126敗め」 「………次こそは」 ちょっとめげているふうの吉岡くんは奈々原の容赦のない戦果報告に力こぶをつくる。 ああいう姿を見ると親しみ倍増だ。今日からは吉岡くんのことは吉岡って呼ぼう。 道場の跡取りでかなりの強さを誇る吉岡が適わない一ノ瀬さんは、足音高く近付いた遠見さんの攻撃はほぼ間違いなく避けられなくて…。ええっと。ここには何をプラスしたら帳尻がとれるんだろうか。 ふとわき起こった疑問にオレは首を傾げる。 「とりあえずお茶も飲み終えたことだし、仕事に戻ろうか」 「はい、柚木さん」 「えええっ、俺お茶まだだって。蓮のお茶、俺飲み逃し?」 「でも、恭吾は充分気分転換したよね?」 にこにこっとした柚木さんに一ノ瀬さんはがっくり肩を落とす。 いえ、お茶ぐらい今からでも用意させてもらいますが、でも。 学生会内力関係図に柚木さんも加えるとすれば、うーん…。 この場で最もつよいのは誰になるんだろうか? |