「andante -唄う花-」



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「そんなっ、オレも探します。どこで落とされたかはお分かりになりますか? どんなものでしょうか? 差しつかえなければ教えて下さいっ」
 あったはずのものがなくなっている不安とか、もう見つからないのではと思う後悔とかって、大切なものであればあるほどすごく辛い。
 勢い込んで訊ねてみたことによると、落とされたのは指輪で、金の環に小さなピンク色の石が一粒埋め込まれているものらしい。金婚式で息子夫婦が贈ってくれたものだそうで、それを知ったからにはますます見つけなければと、オレは気を引き締める。
 幸いにも、落とした場所ははっきりしていた。このドッグラン内だ。
「ここはずいぶんと広いでしょう。草木もたくさん植わっているし、落ち葉も残っていて、土がやわらかいから。落としたのは昨日なの。その時にずいぶん探してみたのだけど、きっと、どこかに埋まってしまったのね…」
 今までだったらとにかく走り回ることしか考えられなかっただろうけど、ここのところの学校生活で培われたやり方で、まずこの広場を管理している事務局の方に電話で確認し、警察にも電話をかける。残念ながらどちらにも届けられてはいなかったけど、昨日今日と晴れていたし、風もつよくないし、それならまだここにある可能性が高いってことだ。
「きっと見つかります」
「ありがとう。でも…だいぶ諦めはついたのよ。ご迷惑をかけるわけにはいかないわ。その気持ちだけ受け取らせてくださいな」
 撫子色コートの撫子さんはそう言って微笑むけど、諦めが付いた人があんな寂しそうな顔はしないと思う。
 これは何としても見つけなくちゃ。
 まず昨日の足取りを辿り、それから端から端までたんねんに足もとを見ながら歩いてみる。原点に返ることも大事だ。
 何もしないよりはとベスに撫子さんのハンカチを嗅がせてみる。指輪にはそう大して香りが残っていないだとか、ベスは素人だとかはあるけれど、ベスも一生懸命土の上を嗅いで探してくれる。
「うーん…。誰か食べちゃったとか…ないよな。いやいや、このドッグランの犬はみんな行儀が良いし…」
「あらあ、どうしたの。落とし物?」
 足もとを眺めながら歩いていると、散歩途中に良く会う顔見知りのおばさんが声をかけてきて、オレはこくりと頷いた。
 そうだ。聞き込みも必要だ。落とされたのは今日のこれぐらいの時間だったそうだから、昨日いた人が今日もいるかもしれない。
「はい。金色の指輪なんです。昨日落とされたそうなんですけど…。ご存じありませんか?」
「そうねえ、昨日も来てたけど、見なかったわねえ。皆さん、金色の指輪ですって。見ました?」
「あなた、指輪を探しているの? わたしは見なかったけど、そうねえ」
 ひとりに声をかけられていると、いつのまにかたくさんの人に取り囲まれる。
 顔見知りのおばさんは顔が広い方らしく、積極的にこの場にいる人たちに声をかけてくれ、次から次へと繋ぐ形で輪が広がる。オレは何か手がかりがないかと注意深く話し声に耳を傾けて、情報を集めたけれど、あまりはかばかしい話は得られない。
「みんなで探したらきっと見つかるよ。元気を出しなさいな」
「そうそう」
「はい、ありがとうございます」
 ふつうなら、大変ね、がんばってね、で終わってしまうと思う。
 まだ朝なのだし、これから家に戻ってやることも多いはずなのだから、知り合いが知り合いを引き寄せるようにして大勢に話が広がったとしても、そこまでだ。
 話を聞けただけでもとてもありがたいし、何とか知恵を絞ってがんばろう、と思っていたオレは、いつのまにかたくさんの人が下を見ながら歩いていることに気づいて、ちょっと呆然とした。
 …お、オレ、また、おおごとにして、しまった、ような。
 慌てて止めようとしたけれど、顔見知りのおばさんはあっさりしたもので、気にしなくてもいいって、という返答で、かといって他の人に言おうにも今日はじめて会ったばかりの人か、オレはここでは新参者だから、向こうはオレの顔を見知っているけど、話したことはない、という人たちばかりで。
 でも、オレがひとりで探すよりも、大勢で探した方が見つけられる可能性は増えることは確かで。
 きっと見つかる。
 見つけられると思っていないと、見つかるものも見つからない。そういうものだと聞いたことがある。
 差し出される手を遠慮とかしている場合じゃない。
 気持ちを切り替え、オレは視界も変えてみることにした。
 金色金色って思って見てたけど、土がついて茶色くなっている可能性もあるし、やわらかい土だから、落ちたらすぐ埋まってしまったとも考えられる。それならいっそ考え得る範囲をすべて掘ってみた方がいいかもしれない。
 ベスと一緒になって土を掘り起こしては埋め、少しずつ移動しては土を掻き分ける。
 そうしていると細かな埃が立つのか、けふんとベスがくしゃみをして、オレもつられてくしゅりとやりながら、それがちょっと楽しい。まるで宝探しをしているみたいだ。
 よく見ると他の人たちも飼い犬と一緒になって、同じような気持ちでいるらしい。一匹が地面を見て吠えたら、花咲じいさんのお話を思い出すのか、その場所に集まってみたりと、すごく楽しげだ。
 それを見ていると不思議と気持ちが和らいで、大丈夫、必ず見つかるという気持ちになる。遊び心は大切だ。気持ちに余裕が生まれる。
「君」
「………うーん、…」
「君、ちょっといいかね」
「……え、あ、はいっ」
 ちょっと丈がある草の根を掻き分けていたオレは、自分に声をかけられているのだととっさに気付けない。慌てて立ち上がってから、腰の曲がったおじいちゃんだと気付いて足を屈めた。
「はい、なんでしょう」
「君が探しているものは、これかね?」
 節くれ立った指先が土だらけのオレの手に何かを渡してくれる。
 土色ばかりを眺めていていた目に、きらっ、とそれが光った。
「あ、指輪!」
「えっ、なになに」
「わあ、これじゃないの。おばあちゃん、ほら、この子が見つけたみたいよ」
「おじいちゃん、ありがとう…っ、…あれ」
 いない。あたふたと周りを見回したけど、どこにもいなかった。
 変わった形の杖を持っていたから、他の人と見間違うことはないし、足もあんまり速くないと思うだけど、どうしても見つけられない。
 そうしているうちにおばさんたちに背中を押されるようにして撫子さんのところへ向かい、そうっと閉じていた手のひらを開いたオレは、それが確かに指輪であることを改めて確認する。でも、これが本当に撫子さんが探していた指輪かどうかはまだ分からない。
「まあまあまあ…」
 撫子さんはオレの手のひらを見つめて、一瞬言葉を失った。
 どうぞ、と差し出した俺の手ごと指輪を握りしめる。もしかして撫子さん、この指輪で間違いない…?
「ありがとう。本当にありがとうね」
「い、いえ。そんな、見つけられたのは別の人なんです。もう帰られてしまったみたいなんですけど、後で確認してみます。でも良かった。この指輪なんですね」
「そう。この指輪なの」
 うっすらと涙ぐんだ撫子さんの手が温かい。
 撫子さんは指輪を受け取ってから、深々と頭を下げて回った。
「みなさんもどうもありがとう。お礼の言葉もありません。この恩は一生忘れません」
「そんな、おばあちゃん。大げさよ。ねえ」
「あら、もうこんな時間。そろそろ帰らなくっちゃ」
 おばさんたちは恐縮した様子で首を振り、さっぱりとした笑みをうかべて、まるで何事もなかったみたいに広場を去る。
 鮮やかな引き際だ。格好良いなあ。
 あっという間に半ば取り残されるような形で広場に残ったオレと撫子さんは、それからふっと顔を見合わせると、どちらともなく微笑みをうかべ合った。




「指輪をなくしてしまったときは悲しくてしょうがなかったけれど、こんな良いことに変わるものなのねえ。おばあちゃん、とても驚いてしまったわ」
「ほんとに、オレもびっくりしました。あんなにたくさんの人が手伝ってくれるなんて、すごいです」
 一緒にドッグランを出て撫子さんと歩きながら、オレは深く同意する。
 残念ながら指輪を見つけてくれたおじいさんは見つけられなかったけれど、きっとたぶんご近所にお住まいの方だろうし、いつかまた会えるかも知れない。その時にちゃんとお礼を言おうと思う。
「ぼうやのおかげよ。あら、そういえばぼうやのお名前、まだ聞いていなかったわね。うっかりしてた。わたしは章子(あきこ)っていうのよ。高ノ原章子」
 撫子さんは章子さんだったのか。…ん、高ノ原……?
「えと、オレは世儀蓮と言います」
「まあ、世儀さんのところのお子さんだったのね。あら、じゃあ…」
「お祖母様! 遅いから心配しました、…」
「………た、高ノ原?」
「………世儀蓮?」
 だからどうしてフルネーム。名前でいいって言ったのに。
 って。
「えええええ!?」
 往来であることも忘れ、数瞬後にオレは叫び声を上げた。
 ふんわりとした撫子さんと歓声を集める人気者の領様。
 どちらも人を癒していることに違いはないけれど、いったい誰が結びつけて考えるだろう。
 なんで、どうして。いやそもそも、領様ってご近所さんだったのか、と、オレはどうでも良い考えにぐるぐると悩み、いったいどうやって話を終えたのか覚えていない。その後オレは半ばベスに引率されるような形で帰宅したのだった。



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