「世儀っ、聞いてくれ、見てくれ、この見事な縫い目!」 「ええと…ミシンが使えるようになったんですね?」 「そうだ!」 この先輩たちは果たして当日までに作品が仕上がっているんだろうか。 はなはだ心配だけど、手を出しちゃダメだよな。 相変わらず、帰らずの回廊は手強い。学生会室から出て、用を済ませたのは良いんだけど、相変わらずなかなか戻れないオレは顔見知りの先輩方に連れられるまま、徐々にはっきりとした形を見せるようになってきた品々を見て回っていた。 「おおっ、世儀補佐じゃん。なあなあ、向こうに来てくれ、出来たんだ」 「うっ、先輩、ペンキ被りすぎです」 声をかけてきた先輩を見て、オレは息を詰まらせる。すごいペンキ塗れだ。どうしたんだろう、頭から被ったのか? でも本人全く気にしていないらしく、オレの手を掴んで引っぱる。 「なあ、早く」 「行きますから、とりあえずシャワーを浴びてきて下さい。…わっ」 「補佐っちゃん、そのピンいかすねえ。うわー、おでこ白い」 人の額をしげしげ眺めるなっ。 でも先輩のその小麦色の肌とか憧れます。…オレ、あんまり陽にあたらないからなあ。夏になったら積極的に川とか海に行きたいと思う。 ピンを褒めてくれた先輩と別れ、全身にペンキを被ったまだら模様の先輩の後を付いていく。まだら先輩が見せてくれたのはお城を象った背景だ。クラスで使う舞台の大道具係であるまだら先輩方はあまりに大きく作りすぎて天井破損とか、壁陥没とか、いろいろして下さっていたので、完成品を見るのは妙に感慨深い。 オレが実際に作ってきたわけではないけれど、何かしら関わり合ってきたからなあ。先輩方にもそういった思いがあるのか、何もできてない状態を知っているオレに途中経過を見せたくて堪らないらしいようだ。あっちこっちと引っぱられながら歩いていると、高等部だけじゃなくて中等部の生徒も見かけた。 一応中高合同という形を取ってはいるんだけど、基本的にそれぞれが独立して出し物を出すという感じだから、ここで見るのは珍しい。 「こんにちは」 中等部の生徒にとっては高等部の校舎なんて未知の世界だろうし、ふと心配になって声をかけたオレは、久しぶりに全身をぴしっと固める。うわ、どうしよう。ものすごいとげとげ視線。 その場にいた中等部生4人全員がオレを振り返って、苛ついたように顔を歪めた。うっかりでも声をかけたらまずかったのかな。そうなんだろうな。 「あんた、なんでこんなところにいるわけ」 「まだ辞めてなかったのかよ」 「うまいこと先輩方をたらしこんだみたいだけどさ、ボクらは騙されないぜ」 「そうだ。俺らの力であんたをリコールしても良いんだ」 オレと目線が一緒だ。下手するとオレより高い。いいなあ、最近の子は成長が良くて。…せいぜいオレとはひとつかふたつぐらいしか年は変わらないのは、見てみないふり。 「ええっと…、君たちは…」 「知らないの?」 小馬鹿にしたように見下ろされた。うっ。 チワワたちに似たようなことを言われた時よりも、ぐさっとくるのはどうしてだろう。 周りにいた先輩たちが少し遠巻きになって、オレと中等部生たちを見つめている。 手近な人に彼らが何者なのか聞こうかなと思ったけど、みなさんの顔があんまりにも困惑している様子で、迷惑かけるのも悪いなと思い直す。準備も佳境の先輩方を巻き込まなくても、目の前の本人たちに聞けば良い。 「ごめん、教えてくれる?」 「中等部親衛隊だよッ」 「えっ、…」 なんだろう、それ。 聴き慣れない言葉に驚いて目を見開いたまま首を傾げてしまう。 親衛隊…親衛…、尊い人の身辺警護とかの意味で、隊ってことは集団ってことだ。 「鈍い奴だな、ホント」 せせら笑いながらも、教えてくれた。 彼らは人気のある生徒のファンが集まってできたグループで、その名が示すとおり会員は中等部生のみ。 生徒たちが人気のある生徒に付きまとったり、迷惑をかけたりしないよう取り締まりながら、連名でプレゼントを贈ったり、時には人気ある生徒を囲んだ集まりを開いたりしているらしい。 「ふうん、そうなんだ」 でもどうしてその親衛隊さんが帰らずの回廊にいるんだろう。その疑問は再び彼らが答えてくれる。 「ボクらはここまで遠征してくる生徒の見回りをしているんだ」 「そうなんだ、すごいな」 中等部生だって音浜祭の準備で忙しいだろうに、誰かを大事に思うってすごい原動力だ。 「それはヒニクかよ」 「や、とんでもない」 慌ててぶんぶんと首を振ったけど、親衛隊のみなさんの顔がひきつる。 4方向からサラウンド効果ぐらいの勢いでまくし立てられたことを要約すると、オレは抜け駆け禁止という大原則を破っていて、オレの行為の様々に親衛隊のみなさんは腹を立てているらしかった。 でもオレ、親衛隊員じゃないけど…それでも違反扱い…なのだろうか。どうもそう、なんだろうな。 「おまえみたいなダメ人間の不細工、とっとと消えろよ」 ある意味、品行方正を目指す音浜会のチワワより、過激だと思う。 オレはどうすれば彼らの怒りが解けるのか分からず、すっかり困ってしまって小さく息を吐いたけど、それもまた彼らとしては腹が立つことだったらしい。 「他人事みたいに、あんたが悪いんだよっ」 「えと、でも…」 「おまえはこの音浜にいらないんだっ」 ヒステリーは伝染するのか、4人揃ってわめき、興奮状態にある。 どうにか収めないと、帰らずの回廊に迷惑がかかってしまう。 まずは場所を移動しなければと思って、それとなく歩き出そうとすると、親衛隊のひとりにぐっと腕を掴まれてしまった。 「どこいくんだよっ」 「や、別の場所で話を…」 掴まれた腕が痛くて、わずかに眉が寄る。 彼にしてみれば軽く掴んだだけかも知れないけど、骨と贅肉だけでできたようなオレの腕にはそれに対抗する筋力がない。 「おいおい、おまえら、いい加減にしろって」 「そうだ、そうだ。補佐っちゃんは必要だぞ?」 「世儀は確かに三ツ原ばりの創作意欲はかきたてないが、良い人材だ。ふとしたときに見せる儚げな雰囲気など、なかなか良い」 「腕を放せよ、親衛隊」 さすがにまずい事態だと悟ってか、先輩方がわらわらと寄ってくる。 何らかの仕事を手伝った先輩たちばかりだけど、中にはまったく関わりがなかった先輩も近寄ってきてくれて、オレを庇うように並んでくれた。 「あ、ありがと…先輩」 でも、それでますます収まりが付かなくなってしまったようだ。 親衛隊の中等部生たちは顔を真っ赤にして憤りをみせ、掴んだままだったオレを腕をつよく引く。 「う、わわ」 オレが小柄なもので、背の高い先輩たちの間をすり抜けるようにして派手に転んでしまった。ざわりと周りの空気が揺れる。 額を打った。 ごちんといったぞ。うわ。 ピンで前髪を上げたままだったから、剥き出しの額を床に打ち付けてしまったオレは、痛みと気恥ずかしさで一瞬頭が真っ白になる。それでもすぐに我に返り、痛む場所をさすりながら体を起こし、腕を引いた生徒を見上げた。 「話を聞く。だからゆっくり話せるところに行こう?」 「だいたいあんた、は………!?」 「世儀、大丈…、…世儀ぃ?!」 こういう乱暴は良くない。 そう年長者として諭そうとしたオレは、大きく目を見開いて棒立ちする親衛隊を見て、首を傾げた。 ふっと周りを見渡すと、なぜか先輩方も唖然とした顔をうかべたまま時が止まったようにオレの顔を凝視している。いったいどうしたんだろう。 「もしかして、…オレの顔になんか付いています…?」 「せせせせせ世儀っ」 「はい?」 「その顔! 顔!!」 顔が何か。 鼻血が出ちゃったりとか、どこか歪んでたりするのかな? そんな感触はないけど…と、ふと映りの良い銀板が立てかけているのを見つけ、近寄って自分の顔を見たオレは、びっくり仰天した。 「オ、オレの敵が………っっ」 「はあああ!?」 あまりの衝撃に顔が真っ青になって冷や汗が込み上げたオレは、とっさに何も出来ず、その場に立ち尽くした。 ふと気がつけば顔にあるはずの眼鏡がどこかへ飛んで行ってしまったらしく、妙な開放感があったけれど、それをゆっくり探す余裕なんてオレにはない。 オレのうかつさだとか、まぬけさとか、いろんなことが混ざって後悔という名をつくり、オレは正直泣きたい気分だった。 「世儀…どうした…? 顔青いけど…」 「あっ、のっ」 動揺しすぎて変な感じに声が裏返った。 落ち着け、落ち着くんだ。 相手は無機物だ、オレに何もしない。何もしないんだ。 「上、頭の」 「頭?」 「とっ、て」 「そんな掠れた声で、涙声で言うなって、俺変な気持ちに、え、頭…?」 「そ、う」 目の前の先輩がダメなら、隣の先輩にお願いする。 早く、速やかに、ただちに。 「俺の敵を…」 「敵…って、この蜘蛛のピン?」 言うな! お願い言わないでっ。 オレはこくこくと頷く。 いったいどうしてそんなものをピンに使うのかオレは制作者を問いただしたい。 というか、今まで気づかずにつけていた自分がいやだ。今すぐに叫びだして振り払いたいのを、必死に堪えているオレに先輩たちは妙に目もとを赤くしてなかなか取ってくれない。 顔がどうとか、色気がどうとか、訳が分からない。オレは今すぐ助けて欲しいのに。 「ええと、でも、前髪上げていた方が…その、すごく…かわいいって…いうか」 「やだっ、とってっ、はやくっ」 すごく我慢しているのに、それはいつまでもオレの頭の上にある。 怖気だちすぎて目眩がしてきた。 8つ足の彼らに罪はない。その存在までは否定しない。忌まわしいと言い捨てられるほどオレは偉大なものじゃない。 でもっ。早く、お願いだから。 「たす、けて…」 「世儀蓮? どうした?」 「た、高ノ原、お願い、とって、頭の、頭のピン…」 騒ぎを聞きつけてやってきたらしい領様を見つけて、息も絶え絶えに訴える。 半ば縋り付くように自分の頭を領様に見せると、ありがたいことに、ようやくそれがするりと外された。 「なかなかセンスの良いピンだな。これがどうした? というか、眼鏡は?」 「ありがとうっ、すごく辛かったんだ、…っ」 緊張が解けてふっと意識が切れそうになる。 倒れかけた体を領様がすかさず支えてくれた。 「大丈夫か。顔が青い」 「ん、うん、平、気。なんでも……」 驚いたように体を抱え直されながら、オレはえへへと照れ笑う。 ちょっと苦手なものが、いて。 ただ、それだけなんだけど。 「世儀蓮…!?」 どうしたんだろう。うまく力が入らない。 たかがピンごときで、意識を失うっていうのはまずいなあ…と思ったけれど、そう思ったのが最後だった。 |