「andante -唄う花-」



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 つかのま意識を失ってしまったけれど、気がついたあとの決断は早かったと思う。
 体から力が抜けていてうまく動けなかったからオレは少し悩んだあと、高ノ原に助力を頼んだ。そうするほかなかったし、申し訳ないとは思ったけれど、気恥ずかしさぐらいならがまんできると思っていた。
 でもいざ実行に移すとそれは想像以上の苦行で、ものの数分でおのれの要請に後悔を覚えはじめていた。
「力を貸してと言ったのはオレだけど…」
「なんだ、諦めが悪いな」
「………抱き上げて連れて行ってくれなんてひと言も言ってないし、大体顔笑っているってっ。どういうことだよっ。こ、これはお姫さまだっこ的な」
「気のせいだ」
 しれっと言ったってだめだからな、オレの目は誤魔化されないっ。今はちょっと立場が弱いからそれ以上言わないけどっ。
 立ち上がって歩こうとしてみたら、思いのほか目眩がつよくてふらついたの支えてもらったのはとてもありがたいし、肩を貸して欲しいと言ったのはこっちだけど、こう…お姫さまというか花嫁さんを抱くみたいに腕に乗せてくれなんてひと言も言ってない。
「軽いからな、世儀は」
 軽いと腕に乗せるんですか?
 肩貸してといってといったら、ふつうは肩で腕を組むようにするものじゃないのか。まあ、その、身長差があるので少々無理な姿勢になったかもだけど、でもでもそれなら、おんぶとか。それもそれできついものがあるけれど。
 ぐだぐだ思いながら、でも高ノ原にとってはこれがいちばん楽なやり方なのかもしれないとも思う。先ほどから高ノ原はこのままスキップも出来そうな軽い足取りだし、高ノ原の首にまわしたオレの手がずれると、やたらこまめに直してくれるぐらいには余裕がある。
「軽くないよ、ふつーだよ」
 オレだって血と骨と肉があるんだからほどほどに重さはある。
 すらりとした体に隠された筋肉とか頭ひとつ分高い背だとかの分、高ノ原よりは軽いだろうけどさ。
 少しぶすくれて唇を尖らせると切れ長の双眸を面白そうに細め、一段抜かしながら弾むように階段を上がる。乗せているオレを揺らさず、でもテンポ良く進む技術はかなり高度なものの気がするけれど、そんな技術、優れてたって偉くないんだからな。…ものすごくとってもありがたいけど。
 今までは領様領様と呼ばせてもらっていたけれど、こうやってすごく近くでぽんぽん会話を交わしていると、自然と様づけを省くようになっていた。オレの心の中での変化に過ぎないけど、なんとなく高ノ原の方も前より打ち解けてくれてくれている気がする。
 高ノ原が最後のひと段を上り終えると、帰らずの回廊を出る時に先輩方が持たせてくれたお土産入りの紙袋が、がさりと鳴った。
 これは不本意ながらも高ノ原にお姫さま…じゃない花嫁さん…じゃない、単なる腕抱えをしてもらって外へ出たとき、顔見知りの先輩たちがくれたものだ。
 ずいぶんと心配を掛けさせてしまったのだと思う。渡されものはどれも先輩たちの思いがつまってて、元気になるにはまず食事とばかりに栄養補助食品とか非常食とおぼしき缶詰とかお菓子が山ほど入れられていた。
 こんなに食べものをため込んでいたのか…と思うと、ほんとうにちょっぴりこっそり害虫大丈夫か、と少し心配になったけれど、手近なひとつをあけて口に入れると、元気がもらえる気がした。よくよく見れば、お子さまに優しいカルシウム入りとか、美肌を保つコラーゲン入りとかあるのは謎だったけれど、それはおおいに高ノ原を笑わせて、これまた元気になれたみたいだから、まあそういう狙いだったのかもしれない。
 次から次へと渡されたのでいったい誰がいたのかもはっきり覚えていないけれど、後でお礼をしたいな。何が良いかなって悩んでいるのに気づいたみたいに、高ノ原が呟く。
「笑っていればいい」
「…笑って?」
「お礼などとごたいそうに考えなくても。楽しそうにしているのを見れば、それだけで報われるものだ」
 そうかなぁ、うん、…そういうものかもしれないな。
 励まそうとして贈ってくれたものだから、うれしいよ、って笑っていられることが大切なのかも。
 さすが高ノ原。贈り物を受け取り慣れているって言うかさ。先輩方の中にもオレを気遣いながら、高ノ原にぽーっとなっている人とかいて、これだけの差し入れをもらえたのは高ノ原がいたからこそだ。あとでちゃんと、高ノ原にも欲しい分だけ持って帰ってもらっておかなくちゃ。
 そんなことをつらつら考えていると、高ノ原がオレを見上げてびっくりするぐらい優しい笑みをうかべた。
「そういえば、お披露目があるんだってな。お祖母様が喜んでおいでだ。自分も招いてもらえると思わなかったと」
「章子さんが? ほんと…? ご迷惑じゃないかなぁって思ってたからうれしい。章子さんはオレの数少ない友だちだから」
「数少ない?」
 いったい何の冗談を、と無言で語っている視線を受け、オレは唇をとがらせた。
「言っておくけどさ、少し前まで庶民なんだぞ、オレ」
 少なくともお披露目パーティなんてものに招待しても良さそうな相手なんて、ごくわずかだ。おじいさまなんて、100人は呼べるな? とか言っちゃってすごく慌てた。100人て、歌レベルだろ。たとえばそういう心意気でということだとしても…、という人数。
 正直、パーティなんてものもオレは良く分かっていなくて。
 隠し芸のひとつやふたつ会得してそれを披露する、というなら分かるけど、…いやそれじゃ宴会どまりだから、空前絶後のマジックとか、そういうのが…というのも何だか違うし。
「桜の友がいるだろう」
 ちょっと遠回しだけど、桜朱恩のこと?
 誰が聞いているかも分からない廊下だから気づかってくれたのか、と思うと少しうれしい。
 確かに桜朱恩のみんなはそういった場所にも慣れてるだろうし、オレの招待を喜んで受けてくれただろう。でも蓮莉の友だちをオレが呼んだらおかしいし、かといって中学生時代の友だちは…オレ、いないから。
 オレ、とっつきにくいにもほどがあったと思う。すぐ帰るししょっちゅう休むし、新しい生活に慣れるのが精一杯で秘密を隠すことが第一で。
 同世代で気兼ねなく呼べるのは奈々原たちと、…高ノ原ぐらいだった。
「オレの名で呼べる友だちは本当に少ないよ」
 もちろんせっかくの晴れの日だから、蓮莉の友人は父さんがツテを使って招待してくれている。みんなはじめまして、をしましょうね、って、言ってくれて、きっと演技派女優顔負けの初対面を演出してくれるに違いないのが楽しみだけど。
 でもなあ、みんな忙しい人たちばかりだし、こんな形の都合で呼びつけるみたいな真似…、恩を仇で返すと言ったら大げさかも知れないけれど、そんな気分。
「この忙しいときにオレ個人の事情で音浜の人たちを呼ぶなんて、申し訳ないのにも程がある感じだよ…」
 せめてもう少し後にして欲しいって言ったんだけど、今が頃合いだっておじいさまは言ってて、気づいたときには引き返せないところまで話は進んでいた。
 オレが世儀の人間だってことをきちんを公表する必要があり、それには今が良いと。
 何を良いと考えかは人によって違うと思うけれど、入学式すぐにするよりはオレも友だちや知り合いが増えたし、かつまだぎりぎり新1年生としての真新しさみたいなのが残っているうちの方が良いと言えば、それはそうなんだけれど。
 でもなあ…。招待状を送らせてもらった人たちからはみんな良い返事をもらっていて、それはとても嬉しいんだけれども、申し訳ない気持ちの方が先に立つというか。せめてもの救いは音浜祭が終わった後に行うってことだけど、かなり日が近いし…。こんなふんにばたばたと忙しい後はゆっくり休むに限る、とは思うのに。
 オレひとりがぐだぐだ言ってても、招待状そのものはだいぶ前に送ってあったらしいし、100人決められなかった僕の分だけ直前…というだけだから。ああ、遅くなってすみませんともいう…。
「オレのお披露目がくっついているだけで、主は会社のなんとかかんとか記念パーティってことだし、そんなのつまらないだろ? 無理しなくていいんだからな」
「つれないことを言うなよ。そうそうたる顔ぶれになるだろうしな、楽しみにしてる」
「そうそうたる…、えーっと…たぶん?」
 たぶんおじいさまなら、何だかすごい人ともお友だちだとか知り合いにいそうだ。
 父さんもあれでいて底知れないところがあるし。でもまだどんな人が来るのかって覚えてないんだよな。大事な顔ぶれだけは押さえておけってことだから、その辺りは平気だけど。
 首をかしげたオレに高ノ原は呆れたように小さな息を吐いた。
「たぶんなわけあるか。世儀家主催のパーティに呼ばれることは大変光栄なことだぞ。それだけじゃなく、今回は三ツ原家の人間が顔を出すらしいってことで、注目度はうなぎのぼりだ」
「そうなの? …確かに、三ツ原のみんながそろったらすごいよね。忙しい人たちだし」
「……みんな…?」
「うん、行けたらみんな来てくれるって」
 ナギ姉とカオ兄とトオ兄と、響さん秀さん塔子さんにじいさま、で、みんな。三ツ原家勢揃いでイベントごとなんて、すごく久しぶりだ。
 できることならこういったことで無理をさせてしまうより、自宅とかでゆっくりしてもらいたいって思うけど、それを言ったら塔子さんに怒られた。この程度が無理に思うような仕事はしていない、そうだ。すごすぎる。
「世儀は少し、自覚した方が良い」
 でもなぁやっぱりなぁとうんうん首を捻っていたオレは思いがけず真剣な顔をした高ノ原を見上げて瞬いた。自覚?
「って?」
 と、オレが聞き返すのは想定内のことだったらしい。
 高ノ原は少しだけ歩みをゆるめて、オレを真っ直ぐ見つめる。
「ヒントは親衛隊」
「親衛隊…?」
「彼らの心をつかむのはどういった人物だと思う?」
 それはもちろん、何かしら目を引く生徒、だろう。
 頭が良くって顔のできが良くって、運動もできたり。とにかく何かしら秀でたものがある生徒だ。
「目立つ生徒、かな。一芸であれ、すごいところのある人」
「その通りだ。しかしその全員が選ばれるわけではない」
「だね。何らかの+αがあるってことだよね。優しくされたとか、微笑みかけられた、みたいな」
 何事もきっかけがあったのではないかと思う。
 高ノ原はそうだと頷く。
「誰しもはじめから人気者であったわけではない、ということだ。この学院は入学から卒業までクラス替えもなく、子どもの頃からの知り合いで親同士の付き合いがある者も多いから、下手すると一生同じ面々と付き合うことになる。それに息苦しさを覚える者は決して少なくない。そこから開放感をもたらしてくれる誰か、が人気者になりやすい」
「一生、ね…」
 ひとところに生きて、顔なじみとともに育ち、やがて死を迎えるというのは珍しいことではないし、悪いことでもないと思う。それはそういった生き方で、でも同じだけそれをつまらないと感じるのも分からないではない。
 高ノ原が言う人たちにとってはそれはつまらないことで、ひどく退屈なことで、新しい何かを欲しがること。そういうことなのだろう。
「もちろん、それだけでは語れない?」
「そういった一部分もある、ということだな。ざっくり簡単に言ってしまえば、ただアイドル好き、ってことだが」
「それはちょっとざっくり行き過ぎなような」
 つまりは、親衛隊に代表されるようなアイドルを求める心が音浜にはあって、それは生徒の悩みを反映していて、けっこう根が深いってこと…だよな。
「うっぷんたまって特定の相手に思い入れをつぎ込み昇華する?」
「その言い方もどうかと思うが、そうだな。その思い入れはつよい。好きな相手と仲良くする相手は同等の人気者ではならず、それを破る者は地獄に堕ちるべきだと思っているぐらいには」
「地獄かあ…地獄は困るなあ…」
 会いたいと願うひとはきっとそこにはいないから。
 それはともかく突然やってきて、馴れ馴れしく憧れの人、この場合はカオ兄とか高ノ原とかと話したりするオレは、ぎったんぎったんのぺちゃんこにすべき相手ではあるのだろう。筋は通っていた。それで納得できるかと言えば別だけど。
「高ノ原だってずっと音浜生だろ?たとえばオレが…高ノ原の…その…好きな人? と勝手に話したりしたら、いやか?」
「そうだな、まったくどうでもいい」
 言い切った。少しの間もあかなかった。
 聞いておいてなんだけど、あんまりそうきっぱり言われると今までの話はいったいなんだったんだ、ということになるような気がする。
「好きな人が今はいない…とか?」
「いや?」
 い、いるんだ。そうか。そうなんだ。
 でも高ノ原だって、いっぱしの男だもんな。オレだって、カオ兄も奈々原たち…広也たちも先輩たちも好きだ。男っていうのは大事なもののひとつやふたつ、あるものだって誰かが言ってた。それを言ったら、女もでしょうとは、ナギ姉の突っ込みだけど。男女にかかわらず誰だって持っている、ってことだよな。
 話がずれる。ええっと。
「で、自覚って?」
「いやよいやよも好きのうちって言うだろう」
「うん」
 その論理を押し付ける男がいたら、すぐ自分たちに言いなさいね、とは桜朱恩のお姉様からのお言葉だけど、これは対象外だよな。ああまたずれた、ごめん。ええと、つまり…その。
 理解し切れていないオレに、高ノ原は口もとをついと引き上げる。少し人が悪そうな、楽しそうな笑み。
「つまり、音浜の魔力にあらがえる者はいない、ってことさ」
「………ん?」
 魔力って…?
 たとえその言葉の意味が分かっていたとしても、それを防げたわけではなかっただろうけれど。
 話をしながらも着実に進み、いつのまにか近くなった目的地の前でオレはすぅ、と大きく深呼吸した。
 最後に謎をぽんと出された気がするけれど、とりあえずがんばってみないとな。
 とりあえずまずは、高ノ原。長い運搬ご苦労様でお疲れさまでとても助かりました。万が一にでも次があったら、そのときは運搬方法を指定しても良いですか。




 正直、頭の中はまだぐるぐるしていて、言うべき言葉も語るべき気持ちもうまく定まっていなかったけれど、よし、と気合いを入れて扉に手をかけた。
 そぉれとばかり勢いよく部屋の中に入ったオレは、案の定、その場にいた全員の視線を集めることになって一瞬固ってしまう。
「え、と…い、今、いいかな?」
 なんとかひと言ひねり出してはみたけれど、出足はあんまり良くないような。さっそうと、とか、かっこうよく、というとはほんと無縁だ。
 むしろ頼りないほど控えめに口をひらいたオレに、がたんと椅子が揺れる音が響いてそちらに顔を向けたけど、見なくても分かる。
「蓮くんっ、心配していたんだよ。頭を触らせて? ああ、たんこぶができているね」
「あ、カオ兄、…かおに…、」
 真っ直ぐ近寄ってきたカオ兄がオレの額にそうっと触れてから、まさに早業としか言いようがない素早さでオレを抱きしめ、思う存分胸もとにオレの顔を押しつけてから、いつも以上に慎重に丁寧に抱き上げると、手近な椅子を引き寄せて座らせる。
 そうしてからオレの足もとに膝をつき、上目遣いになって顔を見上げる手際の良さといったら。これは経験がなせる技なのだろう。…たぶん。
「まだ顔色が良くないね。ちょっと診てもらいにいこうか?」
「平気だよ」
「蓮くん。耳を出して」
「やだ」
 両耳を塞ぐ。
 カオ兄、その、今手を伸ばしかけた上着のポケットに耳温計があるんだよな。ほんと、いつでもどこでも持ち歩いているんだから…。
 高ノ原が黙っていてくれたことをカオ兄は身内だから容赦なく指摘する。オレ自身も分かっていたし、カオ兄もオレの顔を見るだけで分かるんだろうけれど。
 今そのことを言われるのは困ってしまうから、計られるわけにはいかない。今、熱がでてしまっていることなんて知られたら、この場でちゃんと話し合えない気がする。これはオレのわがままだけれど、どうしてもじぶんの言葉で話したかった。
「オレ、大丈夫だって言いに来たんだ。あれぐらいのこと、なんでもない」
「………蓮くん」
「三ツ原先輩。オレは、これでも…学生会の一員ですよね」
 棚ぼた式にというか、どうしてかあんまりよく分からないけれど、でも、選んでもらった。ちょっと改まって言うと、カオ兄は片眉をついとあげ、唇を一瞬引き結ぶ。
「…これでもなんて、蓮くんはれっきとした書記補佐で、その力は多くの人が認めている」
「うん、ありがと。オレでも力になれたり手伝ってもらったり、そういうのがすごくうれしくて…だからさ、役員のひとりとして、きちんと話をしたいんだ」
 向き合うことぐらいしか出来ないけれど。
 今ここでもっと事が大きくなってしまったら、音浜祭にだって影響してしまうかもしれないけど。
 でも黙ってことの成り行きを眺めるだけなんて、できなかった。
 黙り込んでしまったカオ兄に微笑みかけて、オレはゆっくりと立ち上がる。固まって座った中等部生たちは、こわばった顔つきでオレを見上げていた。
 彼らの顔をゆっくりと見回す。
 改めて見れば、みんなオレよりずっと幼い顔だった。背や体格が大きくなっても、年下の中等部生ということには変わりない。
「みんな、ちょっとだけ聞いてくれる?三ツ原学生会長は、…あえて言わせてもらうなら僕のいとこであるカオ兄は、こう見えてけっこう厳しい人だから、オレが来るまでにだいぶんきついことを言ったかもしれないけれど」
「…………」
 彼らの顔をひとりずつ見回して反応を見る。
 少なくともこのまま話をさせてもらえるようだと分かって、続けた。
「でもそれは、オレがカオ兄の家族だから。オレとカオ兄はほんとの兄弟みたいに育ちました。だからお互いとても大事な人なんです」
「…………」
「オレの行動が気に障ったのならあやまります。カオ兄がきついことを言ったのなら、それも。オレにとってカオ兄が大事なように、カオ兄もオレのことを大事にしてくれているから。オレのことを心配してくれたり、守ってくれるのは当たり前のことだし、そのことをダメだって言われても、どうしてもゆずれないものです」
 きついことなんてほんのすこぅししか言ってないよ、とカオ兄がすました顔でとりつくろうのが聞こえたけれど、柚木さんの顔を見れば何があったのか少し分かる気がする。
 カオ兄がもともといた場所の近くには柚木さんが座っていて、ことの成り行きを穏やかな顔で見守っていた。僕の視線に気づくと、だいじょうぶだよ、と励ますようなふんわりとした笑みをうかべてこたえてくれる。
 カオ兄のお目付役として、けれど中等部生の圧迫感になりすぎないように、ということで柚木さんが呼ばれているのだろう。オレの直属の上司ということにもなるし、何かあったら責任をとる立場だからということもあるかもしれないけれど、柚木さんを見ると思いのほか力づけられる気がした。
「オレは…」
 誰かとけんかだって、あまりしたことがない。
 音浜会とのことだって、べつだん腕っぷしとか知能戦というわけではなく、建て前というか体面というか。
 こんなふうに個人と個人で向き合うことはあまり経験がない。
 同性の友だちか少なくて、トオ兄やカオ兄はかるく叱るぐらいのことで済ませてくれるし。桜朱恩の友だちたちとかはオレがべそべそしていた頃を知っているから、おおいに甘いし。
 こころを削らない言葉はない。良かれと思っていても、それは刃になる。
 それをやわらげてくれる信頼は、彼らとオレの間にはないから、オレはどうしたってためらう。
 でも、はっきりしておかないといけないのだと、分かっていた。
「理解してくれとか、そういうかっこいいことを言える柄ではないから。つたない言い方で迷惑をかけてしまうけれど、でもオレは君たちの敵ではいたくないし、そういったことで戦うくらいなら、これからどうすればよいか相談させてもらいたいです。向きが違うふたつの話を、できるだけ重ね合わせていけたらって、それで…」
 甘い話だとしても、あまりに勝手な言い分だとしても、オレはそう願うほかない。
 好きな人を守るために決心して、厳しい規律の中でがんばってきて。
 そんな親衛隊のみんなの行為は、オレにはとても真似できないすごいことだ。
 良くも悪くもあきらめが早いと言われるオレはつよく何かに執着することが少ない。頭の中が音でいっぱいになってどうしようもなくなることもあるけど、わがままを通してはいけないラインをちゃんんと分かっているつもりだ。その線引きが少しゆるいとは言われるけれど。だからといって好きの気持ちが足りないとは思っていないけれど、でも、何かを決めて行う、ということはとても力がいることだと思う。
 仲良くなりたくない、気にくわない。そう感じているオレに対して、彼らが譲歩してくれるなら、それは善意であって親しみではなく。でもそうした引き出しさえ、オレにはあけたくないかもしれないけれど。
「むずかしいことは何も言えないけれど…、オレには大事な人がたくさんいて、そういう人たちに迷惑をかけたくないって思っていて、それができていないこともたくさんあるのが実情で。オレのそうしたところが苛立たせてしまうなら、オレはがんばってみるとしか言えなくて、みんなの大切な人のことをオレも大事に思っているってことを、信じてもらえたらと願うしかなくて…」
 入学からこっちつもりにつもった苛立ちはそう簡単には解けないとは分かっていたけれど、どうにかこうにか言葉をつくったオレに、しんとした沈黙が返る。
 いちどうつむけてしまった顔を持ち上げるのには勇気が必要だ。
 あきらめないこととか、信じることとか、いろんなことがぐるぐるになりながら、4人の中等部生のほうに視線を持ち上げたオレは、その瞬間ぎくっと肩に力をこめた。4人がいきなり立ち上がっていた。
「え、えと…」
 心がまえ心がまえと覚悟を決めようとしている間に、4人の体がいきなり半分になってしまう。
「すみませんでした!!!」
 頭をきっちり90度に下げて声をあわせる。
 見事なそろいようだ。
「…っ」
 情けないことに、言葉じゃなくてその声の大きさに心臓が震えた。
 驚きだけで熱をあげそうなオレの手をそっとカオ兄がとる。後ろには高ノ原が立つのが分かった。柚木さんはひとりずつ話そうね、と4人にほほえみかける。
 崩れそうになっていた気持ちが持ち直して、オレは浅く息を吸った。
「あの…」
「ボクたちはあまりに勝手な思い違いをしておりました」
「え、…、と…」
「我々の振る舞いに対し、また中等部親衛隊代表として改めてお詫び申し上げます」
「お優しく慈愛にあふれ、愛らしくもお美しい世儀様に対して、俺たちのしでかしたことはどんなに愚かで失礼だったか。どのようにお詫びの言葉を尽くしても足りません」
「…………」
「どうかお許しいただけますなら、今後ボクたち中等部親衛隊はこれより世儀様のしもべとなります。どのようなことでもお言いつけください。世儀様の怒りが解けるまで、いえ、ボクたちがいる限り、世儀様のすべてに従います」
「…………」
「…………」
「………え?…」
 この状況に対して、オレはついていけないでいた。何が起こったのか分からず、ほうけた顔をさらしてしまう。
「オレが嫌いだったんじゃ…」
「とんでもありません!!!」
 また声が揃った。でもカオ兄のひとにらみで音量は前回よりぐっと弱められる。
 えーとえーとえー…と…。
「オレのこと、…その…、ゆるしてくれる?」
「そんな恐れ多いですっ。俺たちが間違っていたんですっ!!」
「………いや…その、そんなふうに思いつめられることでも…、ないし、オレに従ってくれなくて、いいので…」
「ああ、なんとお優しい! 痛み入りますっ。しかしながらそれではあまりに過分なご措置ですっ」
 従ってくれなくてもいいって言ったけど、ここはえっと、従っていただきたいような。
 ええと、でも。
 どうしたら、いいんだろうか。
「し、しもべっていうのは、困る気が、その。できれば、その」
 きらきらと輝く4人の目がつらい。そんなに期待のこもった、聞いているだけでうれしいみたいな顔で、見られても、その。
「か、カオ兄。お、おねがい」
 すっかり困ってしまったオレが丸投げすると、カオ兄はよしきたとばかりににっこりほほえんで、この場のいちばんいい解決策について話し始めた。



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