「andante -唄う花-」



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「なあ、親父。…オレ、男に見えるか?」
「いや?」
 そっか…。
 帰宅してみたら息子が女の子の格好をしていたんだからさ、もっと驚くというか、なげくとか、あるだろう。ふつう。
「どうした。急に」
 オレの不満をかぎとったみたいにやっとそう尋ねてくれたけれども、いまさら遅いって。
 そう思いながらも、オレは事情を話す。
 演奏会が終わった後に偶然出会ったゆきちゃんは、すぐにオレのことに気づいて近づいてきてくれた。ただし、視線があったのは一瞬で、ゆきちゃんは"ほぼ初対面"設定のオレの方ではなくナギ姉の方へあいさつをする。
「渚おねえさま。こんばんは」
「雪乃さん、こんばんは。あなたも来ていらしたのね」
「はい」
 うわあ…、どっちもよそゆき声だ。
 これぞ桜朱恩、みたいな先輩後輩を演じた後、やっとオレの方に気づいたみたいにさりげなく話を振ってくれる。
「こんばんは。蓮さま。昨日お会いしましたけれど、覚えていらっしゃるかしら」
「もちろん。こんばんは…です」
 堂に入ったほぼ初対面のふり、にオレはどぎまぎしながらこたえて、ゆきちゃんをディの控え室に誘った。ゆきちゃんには折に触れて近況を伝え合っていたので、ディとのことも知っているから、すぐに頷いてくれる。
「パーティ、来てくれてありがとう」
「すごく格好良かったわ。れっちゃんって、ああいう服が似合うと前々から思っていたの。それにあいかわらず、ひょうひょうとしたスピーチなのがおかしくて、笑いを堪えるのがたいへんだったわ」
「知ってる、見てた。ひどいよ、オレがあたふたしているときも、しらんぷりでさ」
「当たり前じゃないの。わたしたちははじめて会ったのよ?」
「それにしたって」
 しんと静まりかえった廊下にオレとゆきちゃんの小さな笑い声が響く。
 すぐそばにはナギ姉もいて、こうしていると時間が巻き戻ったみたいな気持ちになった。
「みんな元気かなあ。寮生活ってどう?」
「楽しいわ。ここにれっちゃんがいたら良かったのに、って時々話すのよ」
「嬉しいけど、さすがになぁ」
 れっちゃんっていうのは、桜朱恩の同級生が良く使うオレへの呼び名だ。こうやって呼ばれると少し気恥ずかしいけれど、幼友達だなぁってしみじみ感じたりもする。
 でもここにいたら、って…。桜朱恩高等部は寮生活なので、どこをどうやったって無理だと思う。
 そう言うオレにゆきちゃんは目を細めた。
「ね、おねえさま。そういう話、出ますわよね」
 ナギ姉はゆきちゃんの言葉に振り向く。そして少しだけ考える素振りになった。
「やれないことはないでしょうね」
 いやいやいや、ナギ姉。そこは頷いちゃ、だめっていうか、困るっていうか。
 ひとり部屋だとはいえ、そもそも、そんな迷惑かけられないし…。オレ、もう山ほど、桜朱恩のみんなのお世話になってきたから。
 オレにできたはじめての友だちが、ゆきちゃんたちで本当に良かったって思うし、だから余計、迷惑をかけたくない。
 たとえ、それをずっと隠していかなければならなくても…。
「………秘密って、…」
「?」
「いや、さ…。オレが秘密を抱えているから、ゆきちゃんたちにも迷惑かけちゃうなあ…って」
 秘密って、難しいなあって思う。
 隠し通さなければならないこと、それがあることさえ気づかれないようにすること。
 秘密を秘密として持ち続けるためには、決して隙を見せたりしてはいけない。
 でもそんなふうに線を引くことは、時々すごく疲れてしまう。それを乗り越えられないなら、はじめから秘密なんて持つべきじゃないのだろうけれど。
 小さな呟きに足を止めたナギ姉とゆきちゃんが顔を見合わせた。その後でそろってやわらかな笑みをうかべる。
 オレにとっては見慣れた、とてもあたたかい微笑みだ。
「蓮、わたしたちは大丈夫よ」
「そうですわ。わたくしたちは、誰も後悔していませんもの」
 この世には決して口にしてはならないこともある。でも、分け合っても良いこと、もある。
 オレのことは、誰がはっきり口にしたわけじゃないけれども、なんとなく分かることがあり、そうしてそれはクラスのみんなとの繋がりを強める秘密のひとつになった、と、ゆきちゃんは言う。
「そのことでれっちゃんが気に病む必要はありません。告げたいときに告げたい相手に打ち明ければよいんですの。…わたくしたちはこう見えて、秘密の友だちであることも楽しんでいますし、そういった立ち位置になれたことを光栄に思います。でも、そのことがれっちゃんの重荷になるならば、公表することも、立ち去ることも、選び取れると…少なくともそうありたいと思っていますわ」
 オレと友だちになれて良かった、って。
 そう言い切るゆきちゃんはとても堂々としていて、少しも怖じけたところがない。
 オレはナギ姉とゆきちゃんの顔を交互に見て、うつむいた。オレにもそんなふうにきっぱり言える勇気が出せるかな。言わなければ良かった、って思ってしまったら、その時は…。
 その時は。そのとき。だよな。…うん。
 悪い方へ考えても仕方ない。当たって砕けろ、ぐらいが、オレにはちょうどいいかもしれなかった。
 そう思ったら、チャンスは今しかないように思えてくるのが不思議だ。オレは少しどきどきと、みんなが待っている部屋へと足を向ける。言えるかな、言えないかもな。でも…やってみようと、そんな気持ちがわき出していた。




「えー…と、蓮。おまえ、白川のお嬢様と知り合いなのか?」
「しょ、…紹介します。白川雪乃、オレの小学校時代の友だちです」
 学生会のみんながそろっている部屋の中で、時間はよいかと確かめてから、オレは思いきって口をひらく。
 ずっと黙っていたこと。言えるわけがないと思って隠してきたこと。
 一時期、女の子のふりをしていて、女子校に行っていたなんてとんでもない話だけれども、途中で現れたディも一緒になって、真剣に、茶化すことなく聞いてくれた。
 うまく言葉が出なくなっても待ってくれたり、相づちを打って助け船を出してくれるみんなを見ているとオレはずいぶん励まされて、どうにか全て話すことが出来たけれども、その後はちょっと顔を上げられない。
 どんなふうに思っただろうとか、そういうことがすごく気になって。どうでもいい相手ならともかく、学生会のみんなはオレにとって、本当に大切になっているなあって思った。ほんのちょっとした変化でも、すごく堪えそうだ。
 でも、告げたからには受け止めなくちゃいけない。
 そう覚悟して顔を上げると、まずはじめに飛び込んできたのは広也のなあんだ、という声だった。
「なんだはないだろうが、奈々原。もう少し言いようがあるだろう」
 遠見さんが眼鏡の縁を上げながら、ため息混じりに広也を見る。
「ごめんね、広也に悪気はないんだよ」
「和美まで。蓮、おれ、ふざけてるわけじゃないからな。なんかずっと抱えてるっぽいなあと思ってて、…。話してもらえてすごく嬉しい」
 まじめな顔をして広也が言う。
 オレはこくりと頷いた。
 広也はたぶん、気づいていたのではないかと思う。オレは言いたいけれど言えるわけがない、ってかたくなになって、それが苦しくて、どうすればよいのか分からなくなっていた。広也は何とかしてそれを和らげたいと考えてくれていたのだろう。
「良かったね、広也」
 柚木さんが和やかに口をひらき、いつも通りのおっとりとした微笑みをオレへと向けた。
「蓮も、がんばったね。ここに薫がいたら、号泣してそうだ」
 カオ兄はたぶんオレに抱きついて、髪を撫でてくれた気がする。
 そう言う柚木さんの近くで政春も深く首を上下させた。
「安心してくれ。秘密は守る」
「なあなあ、蓮っ、写真ねえの。見たいーっ」
 重々しく政春が口にしたのをかき消す勢いで一ノ瀬さんが騒いだので、オレは一瞬あっけにとられ、その向こうで遠見さんの眉間にきつくしわが寄るのが分かった。あ、えと、オレ…気にしてませんから、と言う前に、ふたりのそばにいた和美と広也が無言でソーサーごとカップを持ち上げる。
「言うことに事欠いておまえは…」
「うわぉ、どうどう」
 逃げようとした一ノ瀬さんを遠見さんがひっつかんで聞き慣れた小言が降り注ぐ。ああ…止められなかった。
 和美たちはそのままオレのすぐそばに避難してきた。そのままそこへいると、一ノ瀬さんに防波堤がわりに使われてしまうので、ふたりの脱出はかなり素早い。
 この状況にはじめて出会うはずのディやゆきちゃんも、きっちり空気を読んだらしくて、何も言わなかった。まあ、放っておけば自然とおさまるのだ、ということはオレも学習済みなので、改めてとりなしにいったりはしないのだけど。
「写真ならあるわよ」
 そんな一部騒然とした中で、にっこり笑ったナギ姉がおもむろに携帯電話を取りだした。言い出した一ノ瀬さんはまだ遠見さんに捕まえられていたけど、ナギ姉はまるでそんな騒ぎなんてなかったみたいに平然とそれをみんなに見せる。
「うわぁ、お人形さんみたい」
 ナギ姉から携帯電話を受け取った和美が目を細め、広也と政春が手もとをのぞき込む。柚木さんとディに移ってからオレもちょこっとのぞいて、ぎゃ、っと叫んだ。
「な、な、ナギ姉、どうしてそ、そんなっ」
 携帯電話の写真ってすごくきれいなんだなとか、劣化しないのか、とか妙なことが過ぎったけれど、一気に顔が赤く染まる。どうしてよりにもよって、ナギ姉それですか…っ。
「あら、可愛い弟がはじめて着たドレスですもの」
「すごく凝ったアンティークドレスですね。胸もとのリボンがすごくいいアクセントになっています」
 柚木さんがとても冷静な顔で寸評してくれる。いや、そんなにまじまじ見なくて良いですからっ。
 それはオレが桜朱恩に入ったばかりの頃に撮ったもので、正直細かいことはうすぼんやりとしか覚えていないんだけれども、写真だけは何度も見たので知っているというか。
 深く沈んだ赤ぶどう色のアンティークドレス。肘あたりで絞ったふっくらした袖や、パニエでたっぷり広がった裾はとても愛らしくて。白い長靴下をはいた足もとには、服と同じ色合いのストラップシューズがのぞき、花とリボンでつくったボンネットを頭に乗せている。
 布張りの椅子にひとりでちょこっと座ったものと、ナギ姉たち3人に囲まれて笑った顔と、あきらかに泣き顔で腕の上に抱えられたもの。以上3枚がナギ姉の携帯電話の中にあるみたいだった。
「蓮の子どもの頃って、想像以上に可愛いんだね」
 柚木さんが感心したように言うけれど、色素の薄い柚木さんの方がずっと似合うと思うなあ…。
 オレは半泣き気味でそんなことを口にしたけど、柚木さんはさらりと、赤は似合わないんだ、と教えてくれた。……。柚木さん…。
「とても似合ってるね。何かのパーティだったの?」
「七五三なんて覚えてない、って言ったら、色々着せられただけ」
 尋ねてきたディに七五三についてを説明しながら、オレはわずかに遠い目になる。
 男なんだから7歳のお祝いがなくって当たり前なんだけど、桜朱恩で知り合ったクラスメイトのお母さんが気を利かせてくれて、ずいぶんとたくさんの衣装をそろえてくれたのだ。
 その日は母さんの体調が良くて、親子3人での写真も撮れて。確かそっちは着物姿だったはずだ。母さんに可愛いわ、と言われたのが、すごく嬉しくって、でれでれしていた気がする。
「ナギ姉も着たんだよ、似たようなの…」
 確か青かった。オレみたいに裾がふくらんでなくて、アンティークなんだけれど、これならパーティとかに使えるだろうな、っていった感じの、落ち着いた雰囲気のやつだった。
 スーツと着物と、このドレスを着て写真を撮ったんだけど、最後のこれはおまけで、せっかくだからとかそんな話で着せられたのだ。…せっかくってなんだ、という気がするけど、サイズが合うのはめずらしい、とか、そんなだったはず。
「ナギ姉、持ち歩くならカオ兄のにしようよ…。すごくきらびやかだっただろ」
 アンティークってわけじゃないんだけれど、カオ兄なんて、お披露目の時のオレの格好が目じゃない、ものすごい王子さまっぷりだった。カオ兄ひとり見るだけで、ここはヴェルサイユか、って感じだ。もうぜひ見てもらいたいぐらい。それを力説すると、ナギ姉はちょっといやそうな顔になった。
「薫兄さまのなんて、持ち歩きたくないわ」
「ええ…どうして…」
「可愛くないんですもの」
 いやまあ、カオ兄は確かに可愛いって言うか、美しいんだけれども。
 カオ兄の方が絶対に見応えがあると思う。
 というか、オレのは恥ずかしいので…。その…。
 子どもの頃に女の子の格好をしてたことや、その写真があることそのものは、今さらどうこうできることじゃないと思うし、わりと平気な顔で見られたりするんだけども、こればかりはどうにも苦手だった。
 あきらかにオレっぽくなくて困るのだ。ちょっとずつ覚えていることもあるのが、なんだか穴を掘って埋まりたいような気持ちを駆り立てさせる。
「この髪は地毛か?」
「う、うん…」
 政春の問いかけに頷く。肩を過ぎるほど長い、ゆるく巻いた髪は地毛だった。この頃のオレって、ちょっと髪色が明るかったんだよな。だから写真だと蜂蜜色みたいな、淡い茶色の髪で。
 だから余計、違和感があるというのか、オレの目にもフランス人形かビスクドールか、みたいに見えてしまうのが、何とも恥ずかしかった。
「うわあぁ、最高」
「ほう、なかなか絵になるな」
 いつのまにか戻ってきた一ノ瀬さんと遠見さんが写真を見て、そう感想をこぼす。
 オレは新たに上がった歓声に驚きながら、はっと気づいてみんなを見回した。
「気持ち悪かったり、いやだったり…しませんか…?」
「なんで?」
「なんでと言うか、その…。…生理的に、とか…」
 一ノ瀬さんは目を丸くしながらオレをまじまじと見て、ああ、と手を打った。
「俺、カワイイ子に目がな、…ふがゎっ」
「ふがわ…?」
 うつむきかけていた顔を上げると、一ノ瀬さんの口を遠見さんが押さえ、政春が羽交い締めにしている。何がどうなったのかさっぱりで首を傾げていると、そばで小さな笑い声が聞こえた。ディだ。堪えきれないとでもいうようにひとしきり笑ってから、オレに微笑みかける。
「レンには、不思議な魅力があるね。そばにいると、とても気持ちが和むような」
「…………」
「難しく考えなくても、大丈夫。ここにはね、レンを悲しませたいなんて考えている人は、ひとりもいないんだから」
 ディはそう言って微笑み、オレの頭をゆっくり撫でてくれる。
 演奏後で疲れているときにこんなふうに時間を取ってもらって申し訳ないのに、それをおくびにも出さないディは、そのままオレをぎゅっと抱きしめてくれた。
「レンはレンらしく、いつも通りにしていればいいんだよ」
「あら。伯はその魅力にあぐらをかいて、秘密を守る努力はしてくださいませんの?」
「マドモワゼル。信用してください。わたしはレンも幸せにしたいと思っているひとりです」
 ナギ姉がすました顔でそう言うと、ディも少しかしこまって言う。
 それが何だか妙な抑揚がついているせいか、お手本通りの紳士と淑女のやりとりみたいで、妙に楽しい。思わずふっと笑みをもらすと、同じように微笑んだゆきちゃんと目があった。
「れっちゃんには素敵なお友だちがたくさんできたのね。本当に良かったわ。…どうぞれっちゃんのこと、よろしくお願いいたします。わたくしにとって、れっちゃんは友だちであり、妹みたいなものなんです。どこかで泣いてないかしら、と思うとつい心配になってしまって」
 オレがべそべそ泣いていた頃を知っているゆきちゃんにとっては、手のかかる妹…みたいにも思えるらしい。弟じゃないの、と思って尋ねたら、妹にしか見えませんし、としみじみとした口調で言うので、ナギ姉も広也たちもみんなで大爆笑だ。
 その後は今日の公演について話したり、みんなの思い出話に花が咲く。そうしているうちにそろそろお暇しようということになり、オレはゆきちゃんにそっと声をかけた。
「そういえばゆきちゃん。なんだか相談があるらしいって、ナギ姉が言っていたけれど」
「ええ…、…たいしたことではないのだけれども」
 ゆきちゃんの顔が曇る。
 その顔にオレは驚いた。たいしたことがないことで、ゆきちゃんがそんなふうに困った顔になるわけがない。
「オレでよければ、聞かせて」
 そう尋ねて、ゆきちゃんがぽつぽつと話してくれたことによれば。
 最近、ゆきちゃんはある男の人と出会ったらしい。その人はゆきちゃんのことを好きだと言ってくれていて、付き合えないかと言われたのだと。
 ゆきちゃんはいわゆる良いところのお嬢さんだから、それこそ何拍子も揃ったような相手が良いと、家からはすすめられるに違いない。反対されたのかと、そう思って尋ねたオレにゆきちゃんは首を振った。




「なんかね。ゆきちゃん、告白されたらしいんだけども。桜朱恩育ちのお嬢様だろ。こんなふうなときにどうすればいいのか分からなくて、悩んでいたら、上級生にも下級生にも心配されちゃったんだって。だから余計、下手なことはできないって思ったらしくて」
「んー? 蓮。おまえ、恋愛相談なんか受けてもちんぷんかんぷんだろう」
「うん」
 そこは自信を持って頷ける。
 まったくもって未知の領域だ。お手上げと言ってもいい。
 広也たちや遠見さんたちの方がずっと助けになるように感じたけれど、その場で話を聞いていたみんなは、それはどうだろう、とあんまりおすすめしたくない様子で。
「オレの方が桜朱恩育ちのゆきちゃんの気持ちが分かりやすいだろうから、って」
 実のところ、そこまではっきり言われたわけじゃない。
 でもみんなが言っていることは分からないでもなかった。
 桜朱恩学園、って、世間じゃ深窓の令嬢がうじゃうじゃいるみたいに思われてて、確かにそういった面もおおいにあるし、桜朱恩育ちだから分かる独特の考え方、というのもある。
 そもそもゆきちゃんがオレに話を持ってきてくれたのは、単純に桜朱恩にいるみんなは寮生で、その相手に会ってくると言ったってなかなかそうはいかないし、その点オレなら通学生だから多少の自由が利く、そういうことだと思う。
 少し会って話せれば、ひとりよりふたり、といった判断ができるかもしれない。オレに求められているのはそういうことだと思えた。
「とりあえずその人に話を聞いてこようかと思って。いきなり男友だちが出てきたら向こうがむっとするかもしれないし、それなら女友だちだっていうことにしようか、って」
「そうか、まあ、男友だちとしてよりはなぁ…」
 なんだその納得するみたいな声は。確かにオレは見た感じはちょっとその女の子と見間違えるような部分もあるとは思うけれども、というか今女の子の格好をしているわけだけど。
「とにかくっ。みんなも協力してくれるっていうし…。ナギ姉にもお願いされたし…」
「なるほど。ナギ姉に頼まれちゃ断れんな」
「…そうだけど」
 オレだって、誰かの役に立てたらいいな、とは思うんだ。今回はたまたまそれが、桜朱恩がらみだった、というだけでさ。
 オレはぎゅっとスカートをつかんで、父さんを見上げた。
「…その…できるだけ気をつけるつもりだけど、お披露目なんかした後にこんなことをして…、まずいとは思うんだけど」
「ああ。…ま、心配ないだろう」
 父さんはすごくあっさりとしている。
 いつも通りおおざっぱな答え方だ。あんまりにも即決過ぎて、むしろこっちが不安になる。
「いいのかよ…本当に…」
「案外雰囲気変わるしな。化粧なんぞしなくても、立ち居振る舞いもそれっぽくなるし」
 かつらをつけて髪を長くして、ちょっと色つきのリップなんかを塗れば完璧、とはナギ姉たちにも言われた。
 ふだんは意識なんてしないけど、桜朱恩時代にしてたみたいな格好をすると、どうもその頃身につけた癖みたいなのが出るらしい。オレ自身、蓮莉って呼ばれると、そのスイッチが入るような気もするしな。
 それでも本当に平気なのだろうかと疑ったオレは1枚服を借りてみたんだけれども。うん。女の子に見えるか見えないかといえばその…、見えるかも。
 こっちのことは気にするな、と父さんは言ってから、口もとをにやりとつりあげた。
「おまえちょっと、試しに言ってみろ。お父様、お帰りなさいませ、って」
「……親父…」
 オレが身につけたのは身のこなしであって、話し口調にはたいして変化はないっての。
 そう思ったけれど、オレは大きなため息を吐き出しつつ、言われた通りにしてやった。
 もと桜朱恩をなめるな、って感じだったけれど、あれかな。昔取った杵柄みたいな。そんな気もした。




 そんなこんなでお出かけの日。
 オレはお店のガラスに映った姿をとらえて、こわごわ隣を振り返った。
「目立ちすぎない…?」
「こんなものじゃない?」
 こたえる和美はすごく似合っているし、なるほど広也が皇女とちゃかしたくなる気持ちが分かるような美人っぷりだった。
 ものすごくうっかりだったけど、この顔ぶれで目立たないというのが無理だったなあ。
 ゆきちゃんに告白中のその人は夕方にならないと体があかないということだったので、じゃあそれまで一緒に遊ぼうということになったのだけれども、どうせ後からそういった格好をするのなら、先も後もかわらないから、ということで、オレはすでに女の子の格好をしていた。
 まあ、ぞろっと男を引き連れて歩いてたなんて噂がつくとゆきちゃんに申し訳ないし、オレの方としては先に着ようが後に着ようが変わりはない。
 なので、オレと和美と柚木さんが女の子の格好をすることになって、他はふだん通りの私服で待ち合わせることになったのだけれども。というか、オレひとりがすれば、おかしな噂回避にはなるんじゃないかと、考えていたんだけどなあ。
 おもしろそうだ、ってだけで、和美と柚木さんも女の子組に加わってくれたのは、ありがたいと言うか、恐れ多いって言うか。
 ぞろぞろと歩く後ろからはディとナギ姉とカオ兄が付いてきていて、いったい何の集団だ、と疑いたくなるような有様だった。
 でもこれだけ団子になっていると、不思議と声をかけられたりはしないんだ。オレとカオ兄とだけで出かけると、あの人誰、って聞かれたりするけれど、それもない。これだけいればさすがに、遠巻きになっちゃうんだろう。
 あの日いなかったカオ兄は、今日は絶対に来るって朝からすごく張り切ってて、実際に参加してくれている。
 桜朱恩のことを打ち明けたことを話したら、ほっとしたような残念そうな顔をしていたけれど、いざどこへ遊びに行こう、という話になったら、オレたちがふらついても大丈夫そうな通りだとか、そういうのをたくさん教えてくれたので、すごく助かった。
 カオ兄のすごくきれいな顔、をさらしても大丈夫なとっておきの場所だから、安全度はかなり高いと思う。とはいえどの店も、この集団で来られてはびっくりだっただろう。
 ナギ姉はカオ兄の妹だから、多少同系統として慣れがあるかもしれないけれども、おしゃれしたゆきちゃんも和美もすごくきれいだし、柚木さんはふわふわほわほわした雰囲気が更にグレードアップした癒し系美人だし。
 広也の私服姿は雑誌を抜け出してきたみたいな格好良さでいかにも垢抜けてて、政春は政春でぴりっとした鋭さみたいなのが、なんだか男の目から見ても見惚れるというか。遠見さんと一ノ瀬さんはさすが、って感じの大人っぽさで、まるで違う系統の服を着ているのに、並ぶとしっくり合うのがすごくおもしろかった。
 ディとカオ兄、ナギ姉は、これはもう予想通りとしか言えない、華やかすぎる3人で。
 そんな顔ぶれがそろっているものだから、太陽の光でもまぶしたんでしょうか、という、贅沢な空間がそこかしこで発生している。歩く贅沢空間だ。
 ごくごくふつうのワンピースを着込んだオレだけ浮いている気がする、のは、まあ…仕方ない。
 今日のオレの身支度はすべて、桜朱恩のおねえさまたちが用意してくれたものだ。
 あの人たちはオレのサイズを完璧に把握しているので…。…というか、普段よりオレに着せようと考えている服を作ってくれたり、そろえてくれたりしているので…。…勿体ないことこの上ないんだけれども、みなさま充実した様子で楽しんでいるみたいだから、まあいいかみたいなところもあると言うか。
 でも、さすがにオレの趣味も把握しているせいか、どこにでもありそうなシンプルな服にしてくれていた。
 薄手のセーターに小花柄のワンピースを重ね着して、厚めのストッキングにかかとが低めのパンプスって格好はものすごく当たり障りのない組み合わせなはずだ。
 念のため、試着したときにご近所の高ノ原にも確認してもらって、オレだとは分からないかという、いちばん大切な部分を判断してもらっている。一緒に来る? とは誘ってみたけど、別の日がいいらしい。違うときにその格好で出かけないか、とか、言われるぐらいだから、たぶん、ある程度、女の子らしく、かつ、別人に見えるんだろう。
 ちなみに高ノ原邸は高ノ原のお姉さん、もといナギ姉の先輩の主導のもと、オレやおねえさまたちの衣装合わせの場となった。
 章子さんにバレちゃったらどうしよう、と焦るオレに、高ノ原はさらっと、爆弾落としてくれたけど。
「おばあさまならご存じだったぞ」
 って。何でどうしてっ、とは思ったけど、学園理事長とも知らない間柄じゃないOBだから、そういうこともあるだろうなあ、と、どうにか納得してみたけどさ。章子さんに会う日がちょっとどきどきだ…。
 ちなみにオレの眼鏡は取り上げられた…。
 髪はお披露目の時にきっぱりばっさり切られてしまったけど、おねえさまたちはオレの目が好きなんだってすごく力説されて、ふだんもふだんでいいけど、今日はなしで、ってことに。
「にしても、改めてこう見ると、蓮って睫毛長いね。こぼれそうに大きいし」
「それに何だかきらきらしてるしなあ」
「ああ」
 和美たちがそろってオレの顔をのぞきこむ。
「いや、あのさ、褒める相手が違うから…」
 そしてそれは本物の女の子に使ってください、…。ゆきちゃんとかナギ姉とか。
 でも、広也たちって結構そつなく女の子をエスコートするんだと、オレははじめて知った。
 中学校からずっと男子校にいたわりに、すごく慣れているのだ。
 でもまあ、褒められるべきふたりは、笑いを堪えてるけど。下手に美辞麗句を並べ立てるより、よほど楽しんでもらえているみたいだ。
 たぶん周りの人にとっては、オレひとり異分子…で、なんというか、景観の保護?みたいな感じに、抜けていた方が良いんだろうけれど。
 こんなふうに友だちたちと大人数で出かけられるのなんて、はじめてで、オレちょっと興奮気味だから。周りから向けられる視線にはちょっと鈍くなっている気がする。ここにはオレたちしかいないみたいな、そんな錯覚に陥ったりした。
「見て見て、れっちゃん。似合うかしら」
「うん。ゆきちゃん、すごく似合う」
「蓮はこの帽子がいいんじゃないかな。ほら」
「おお、れっちゃん、似合う〜」
「広也までれっちゃん言うな…」
「えーっ、かわいいのに」
 広也はどうも気に入ってしまったらしく、れっちゃんれっちゃん言っている。
 なら、広也のことだってひっくんって呼んでやる、と言ったら、嬉しそうな顔になった。
「呼んで呼んで、ぜひ」
「ええーっ。子どもっぽいって思わない?」
 高校生になってまで、ひっくん、れっちゃん、じゃなんかサマにならない。昔から続いているのはもう仕方ないって感じだけれどさ。
 そう思うのに広也はまったく気にした様子がなかった。
「広也」
「…ひっくん」
「………ひっくんは、広也で、ひっくんじゃないし…」
「じゃあ、れっちゃん」
 きらきらとした目でオレをじっと見てくる広也を見て、オレは少し戸惑った。
 本気で呼びたいなら、構わないけれど…。オレ…。
「広也には蓮って呼ばれる方が好きだ…」
 そう呼ぶ広也の声を聞くと、ほっとする。そう言うと、広也はがっくりと肩を落とした。
 慌てて、いや、れっちゃんでも…と言いつくろおうとすると、いやいや、と首を振られた。
「蓮と呼ばせてくれ…」
「あはは、完敗だね。広也」
「勝てない勝負を挑むからだ」
「和美も政春もひどいー」
 茶目っ気がたっぷり入った広也の声に和美たちはそろって笑い声をたて、オレも吹き出した。
 最近出来たばかりらしいお店には休日だけあって、たくさんの女の子たちが集まっている。柚木さんとディをのぞく年上組は車の中で留守番中なので、ここにはいない。
 このお店はいかにも女の子向け、って感じだから、大人組は入る気が起きないのだろう。ディはといえば、ものすごくもの珍しそうな顔をして店の中を眺めていた。日本の文化見学、みたいな気分なのに違いない。
 ゆきちゃんはちょっと悩んだあと似合うかと聞いてきた帽子をお買い上げして、和美もふだんでも着られそうな夏向けニットを買った。柚木さんはなんと買ったものに着替えて外へ出てくる、という、つわものだった。
 柚木さん…そういうのも似合うのか…と、オレはすごく驚いたけど、みんなの反応は素っ気なく、どうやら柚木さんって、着るものにあんまりこだわらない、良いと思ったものは何でも着る、ってタイプらしかった。
 オレと言えば、これもあれも良いと言われて混乱し、結局何も買わずじまい。でもすっごくあれやこれやと眺めて、目の前がぐるぐる回りそうなのにすごく楽しくて。
「蓮様。少しお休みになっては」
「ん…」
 本日の移動手段である小さめのバスみたいな車は、ナギ姉についている護衛のお姉さんたちが運転手をつとめてくれていて、戻ってきたオレに水を差しだしてくれる。
「れっちゃん、大丈夫?」
「うん。気にしないで、ゆきちゃん。さっき買ったお帽子、すごくかわいかったね」
「…ありがとう」
 ゆきちゃんはとてもかわいく微笑んで、昔みたいにオレのことをじっと見つめた。
 気になることがあると、相手のことをじっと見つめる癖があるんだよね。目は口ほどにものを言うとは、ゆきちゃんのためにあるんじゃないかと思うぐらい。
「なあに、ゆきちゃん」
「うんん。…そうね。ちょっと、懐かしくて。クラスのみんなとお出かけしたこと、覚えているかしら」
「…もしかして、動物園?」
「ええ。そう」
 オレが熱を出して行けなくなった校外学習のかわりに、みんなが企画してくれた動物園へのおでかけだ。
「れっちゃん、あの時みたいに笑っていたわ」
「…あの時みたいに?」
「アイスクリームみたいに溶けてしまうような、素敵な笑顔よ」
「ええ?」
 それはなんというか、すごくしまりのないような。
 でもアイス好きだからなあ。そう言われて悪い気持ちにはならない。
「それって、まだ蓮が入りたての頃の話だよね。そんな昔から蓮のお姉さんをしてたのか、雪乃さんは」
 カオ兄が笑うと、ええ、とゆきちゃんが頷く。
「はじめて会った頃のれっちゃんは、もう本当に渚おねえさまにべったりだったんですのよ。最初は少し、一人占めしていてずるいわ、って思ったのだけれど、涙をいっぱいためて鼻水をすすりながら、がんばっているお姿を見ていましたら、もう。なんでしょうね。クラスメイトのみなさまと手と手を取り合いまして、蓮莉さまを見守る会、を結成しておりましたの」
 桜朱恩初等部2組の団結ぶりにそんな秘密があったのか…。オレ、ちょっと遠い目。
 桜朱恩はクラス替えがないので、今もオレを見ると、よいこよいこ、みたいな顔になるんだよね。なでなでの後にもれなくお菓子がついてくるというか。
「聞いたことがあるわ。それを知った他のクラスがそっと励ます会をつくっていたのでしょう?」
「な。なにそれ…ナギ姉、オレ、聞いてない」
「当たり前よ。そっとと言ったでしょうに。おおっぴらなものではないのよ」
 困った子ね、とナギ姉が微笑むけれども、いやでもその。
 何ですかその励ます会って…。
 妙に焦ってどんなのと尋ねかけるオレに、ナギ姉もゆきちゃんも、にっこり笑ってさりげなく話題をそらす。うわぁ…。
「蓮は変わらないんだね。音浜の親衛隊では、いちばんの人気者なんです」
 いや和美。あれはその、なんていうか勘違い的な、何かの間違い的な。
 体調を崩してしまって入院してしまったことさえ、前向きにとらえてくれるすごさは、感心するほかないんだけれども。ちょっと前だったらぜったい、情けないとか言われただろう。
「レンはたくさんの人に好かれているんだね」
 ディまで。
 オレはもういっぱいいっぱいだ。
 どう言ったらいいのかちっとも分からなくって、しょんぼりと肩を落とすと、みんなから励ますような、あるいは見守るようなそんな視線が集まった。
「…えっと、見守りも励ましもありがたいんだけどさ、でもさ、その…ちょっともう、…」
「お腹いっぱい?」
「そうっ、ディ。そんな感じで」
「大丈夫だよ、レン。お腹というのはいっぱいになっても、時が経てば必ずすくものだからね」
 いやいやいや。確かにそうなんだけれども、何だか論点がすりかわったような。
 ちょうどよくと言っていいのか、オレのお腹がくうぅと鳴って、話はどこのお店でお昼ご飯を食べるか、ということに素早く切り替わった。
 ……話の切り替え、早すぎる…。
 視界の向こうで遠見さんが諦めろ、みたいな顔をうかべていたのが分かって、オレは何とも言えない気持ちになった。
 遠見さんがお手上げなら、オレにはちょっと一億光年ぐらいかかる話題展開かもなあ…。



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