「andante -唄う花-」



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 そうしているうちに時間は過ぎて、もともとの目的であったその人に会えることになった。
 件の人は、そういうふうに変えてあるのだろう明るい髪色にちょっと派手めのスーツを着ていて、少し香水がつよいな、と思ったのがオレの第一印象。
 顔立ちは悪くない部類だと思う。やたら出来が良いのを見続けた後だったので、ちょっとぱっとしないと言えばそうなんだけどさ、そんなの比べてたら切りがない。
 身だしなみに気を使っているのが良く分かり、爪がきれいにやすりをかけられているのが見て取れた。はじめに手もとを見ちゃうのは、オレの爪が割れがちだから。ピアノ弾いてるとタコやら何やらで、あんまりにきれいとはいえない手になるんだ。
「わぁ、君が雪乃ちゃんのお友だち? 桜朱恩の子だよね?」
「え…、ええ。でも今は…桜朱恩ではないのですが」
「そうなんだぁ。今どこなの? あ、そのワンピース、よく似合うよ。ラテラのでしょ? いい服だよね。いつもそういうところで服買うの? 趣味いいなあ。学校の子たちも一緒に行く? 行くよねえ。あ、でも、雪乃ちゃんも蓮莉ちゃんも美人だからさ、何着ても似合うって。みんな引き立て役になっちゃうぐらい」
 この服らてら? それってお店の名前だろうか。
 学校の友だちって、桜朱恩の?
 引き立て役って、そりゃオレはみんなと並ぶときらきらの中の砂みたいな感じだろうけど。
 首を傾げている間に更に立て板に水みたいな勢いで語られる。オレは口ごもり、はっと我に返った。
 相づちを打つことさえできていない。
 ゆきちゃんが心配そうにオレを見るのが分かった。
「あの、地川(ちがわ)さん…。ごめんなさい。もう少し、ゆっくり話してくださるかしら」
「ああごめん。ついどきどきしちゃってさあ」
 小さく舌をだして笑う。
 目の前の人はトオ兄よりちょっと下ぐらいの年のはずだけれども、大人っぽさよりも甘えたがりというのか、そういうところがあるらしい。そういうのって女の子の心をくすぐるみたいで、あの人格好良いんじゃないなんて感じのこそこそ声が周りから聞こえてきたりのが分かった。
 ゆきちゃんも面倒見がよい方だし、今も困ったように眉を寄せながらも、やんわりいさめるぐらいでとどめているのが分かる。本気出したらゆきちゃん、もっときっぱり言う人だから。
 昼間はカフェ、夜はバーになるという店は、あまり聞き慣れないアップテンポのポップスがずっと曲が流れていた。うるさいほどの音量じゃなくて、室内のざわめきともよく合うのが心地良い。
 オレはようやく会話に加われそうな間を得て、おずおずと口をひらいた。
「あの…」
「なになに。蓮莉ちゃん。あ、こんな男でびっくりしたんでしょ。雪乃ちゃんに相応しくないとかって思ってるよね。わかるわかる。雪乃ちゃんはお嬢様で、俺はどこの馬の骨ともしれないもんな」
 うわあ…やっぱり、ひと言が数倍になって帰ってくる。おまけに早口だから、下手をするとずっと向こうがしゃべっているなんてことになりかねない。
 負けじとオレはなるべく素早く首を振った。
「いえ。人を好きになるのに理由はないって言いますから」
 ゆきちゃんとこの人の出会い方はある意味、ありふれていて、それでいて特別だ。
 好きになるのに理由はなくても何かしらのきっかけってあると思う。
 ゆきちゃんはたいていいつも、車で移動している。その日もそうだったのだけれど、いつも運転してくれている人が急に具合が悪くなってしまって、代わりの人に運転してもらって外出したらしい。
 慣れない人だったものだから、ゆきちゃんの行きたい店にうまく連れていってもらえなくて、ゆきちゃんは近くまでは来ているからと、車を降りてひとりで行くことにしたそうだ。
 目当ての店にはすぐにたどりついて用を済まし、車に戻ろうと思ったら大粒の雨が降り出して、連絡を取ろうと取りだした携帯電話を滑り落としてしまったらしい。
 それに気を取られたゆきちゃんは足もとをすくわれてしまったそうだ。それで、派手に転んでしまったのだと。
 そのとき助けてくれたのがこの人で。
 彼はゆきちゃんが足をくじいてしまったことにすぐ気づいて、泥水が移ってしまうことにもかまわず、抱き支えながらタクシーを呼び止めてくれたのだという。そのままゆきちゃんだけをタクシーに乗せて、持っていたタクシー券を渡してくれた。
 支払いは気にせずにそのまま家に帰ればいいといって、その時はそのまま別れた。ゆきちゃんはその後、お礼をしたいからとタクシー券から彼をたどって、会ったらしい。難しいことじゃなかった、ってゆきちゃんは言っていた。タクシー券には彼の勤めるお店の名前が書いてあったらしいから。
 再会したゆきちゃんに、彼はすごく感動していた様子で。わざわざそんなふうに気づかってもらわなくても良かったのに、と言いながらも幸せそうな顔でゆきちゃんを見つめ、また会って欲しいな、と遠慮がちに口にしたと。
 それで2、3回、誘われるまま会ったらしく、でもゆきちゃんは会うたびにちょっとだけ違和感を思えたらしい。
 それが何か分からないまま、付き合ってもらいたいという告白を受けて。ゆきちゃんは悩んでしまったのだ。今受ける気にはなれないとはすぐ答えたけれど、向こうは熱心に口説いてくるし、むげにも出来なくなって。
「あの…わたくし、ちょっと化粧室に行ってまいります」
「うん、いってらっしゃい」
 ゆきちゃんが席を立つ。
 少しだけ気づかわしげな顔に、オレは力づよく頷いた。
 話の途中でゆきちゃんが離れるのは、はじめから予定したことだ。やっぱり本人を前にしたら、聞けないこと、ってあるからさ。
 少しだけ沈黙が降りて、ゆきちゃんがいた空間を何とはなしに見ていると、そこにずいと顎が割り込む。
「蓮莉ちゃんて、無口な人だね。もしかして俺のことが怖かったりしてる?」
「いえ? …怖がったりですか?」
 頬杖をつき、上目づかいに見てきた顔を、オレはきょとんと見やった。
 怖いとは感じない。別に脅されている訳じゃないし、とても好意的に見てもらっていることは分かる。向けられている視線が妙に熱っぽく、ねっとりしているような感じはあるけどさ。
 親衛隊の子たちが向けてくるのもかなり情熱たっぷりなんだけど、それとも違う。じゃあどう違うか、というと、…困るけど。強いて言うなら種類の違いかもしれない。
「じゃあもしかして苦手? まあ、そうじゃないほうがおかしいよね。はじめて会ったばかりだし」
「…………」
 近寄られた分だけつい体を引いてしまった。
 いや、えっと。
 内緒話をするみたいで、なんだか嫌だというか。オレの立場はあくまで友人の恋人候補へ会いに来た、ってものなんだから、近づきすぎは良くないだろう。
「あの。あなたはゆきちゃんとお付き合いしたいって、聞いたんですけれども」
「うん。はじめて会ったときからスッゴクかわいいなぁって思って。正直付き合えたらなって思ってるんだ。俺みたいな男じゃ、つりあわないとは分かっているんだけどさ。もしよければ蓮莉ちゃんにも協力してもらえると、俺、すごく嬉しいよ」
 思わせぶりな視線をじっと向けられて、オレは内心首を傾げながら、押し黙った。
 どうしよう。
 協力するも何も、こういった形で相手の友だちが来たら、相手はどういう人なのかとか、そういうことを確かめに来たんだと思うはずだ。友好的な雰囲気で終えたいと思うのはよく分かるけれども、少し歩幅が大きすぎるような、あるいは幾つか石を飛び越えているような、そんな感じもした。
 もしかしたらゆきちゃんの違和感もここから来ているのかもしれない。
 どうしてだかは分からないけど、答えを急いでいるのかな、と、ちらっと思う。
 時間をかける余裕があると見せながらも、まるで今すぐ結果を欲しがっているみたいだ。
「あの、ゆきちゃんのお家のことはご存じですよね」
「そりゃあもちろん。すごいよね。偉いと思うよ。桜朱恩ってそういう子たちばっかりなんでしょ。そのなかでもなんだっけ、生徒会みたいなのと関係してるとか? 一握りの選ばれし者だと思うな。俺、そういう頑張っている子に弱くって」
 早口に巻き込まれないように、オレはつとめてゆっくり言葉をつくる。
 右から左へ流れていきそうな言葉を頭の中にとどめて、真っ直ぐ相手の顔を見た。
「では、たとえば、ご結婚後もゆきちゃんを支えていかれると?」
「当然。婿養子だってぜんぜん嫌じゃないんだよ、俺って。むしろ尽くしちゃう。あたたかい家庭を築きたいな。なんだって、専業主夫とかいうの。そういうのもいいんじゃないのかなって思うんだよ。俺はこのとおりでしょー。そういう方が向きだと思うんだ」
「…………」
 オレは、何にも言えなかった。
 それは期待していた言葉とは少し違って。
 どうしたって上滑りな感じを受けるオレに、相手の早口は止まらない。
 この人は本当に、ゆきちゃんを支えていくつもりはないんじゃないか。そんな疑いが芽生えてしまう。
 たったそれだけのことで判断するのは良くないとは分かっているけれど。あまりに、ゆきちゃんのことを分かっていない気がした。
 口をつぐんでいるとちょうどよくゆきちゃんが戻って、予定していた時間が過ぎ、その日の面会は終了した。





「おつかれー」
「お疲れさま」
「あ、ゆきちゃんのお迎えは?」
「あちらにいらっしゃるよ」
 少し疲れたような顔を見せるゆきちゃんを促して、オレはなるべく元気よく車の方へ手を振った。
 今日はこのままゆきちゃんはお家に帰って、その後で寮に戻らなくてはいけない。
 少し離れたところに止まった車から、ひとりだけ降りてきて近づいてくる。
「お久しゅうございます。蓮莉様」
「わぁ、前澤さんだ。お久しぶりです」
 前澤さんはゆきちゃんのお家の執事で、きちんと後ろになでつけた髪に、やさしげな目もとが印象的な人だ。黒の上下に深い緑色のベストを品良く着こなしていた背の高さは、昔見たときとちっとも変わらない。
 ゆきちゃんと遊ぶときにはいつも、前澤さんが迎えに来ていたんだ。今では前澤さんの役職もあがって、ゆきちゃんのお父さんと一緒にいることが多くなっていると聞いていたから、まさか会えるとは思わなかった。
 懐かしさに引き寄せられるように近づくと、前澤さんは昔みたいに頭を撫でてくれる。ぐしゃりでもぽんぽんでもない、ふわっとした撫で方がとっても前澤さんだ。
「大きくなられましたね。最後にお会いしました頃は、この前澤の胸もとに届くか届かないかといったぐらいでございましたのに」
「でも、まだまだ前澤さんの方がずっと背が高いなあ…。ゆきちゃんともあんまりだし」
「さようでございましたか。おや、本当ですね」
 目を細めてオレとゆきちゃんを眺め、前澤さんは目を細める。昔っから、オレ、ゆきちゃんより背が高くなれた試しがないんだよね。かかとの高い靴でも履けば違うんだろうけど。いや、それだと端っからかかと頼みになってるんだけどさ。
 前澤さんは微笑み、丁寧に頭を下げた。
「本日は雪乃お嬢様におつきあいいただきまして、誠にありがとうございました」
 前澤さんはオレと、オレの後ろにいるみんなにお礼をのべる。広也なんかはいえいえそんなと恐縮していて、いかにも執事然とした前澤さんに圧倒されている様子だ。
「また今度ね、ゆきちゃん」
「ええ。今日はありがとう。いつにも増して可愛いれっちゃんを見られて嬉しかったわ」
 うぎゃ。それはどうだろう…。
 でも喜んでもらえたなら、幸いかなあ。
 オレはゆきちゃんを乗せた車が見えなくなるまで手を振り、それからちょっとだけ息を吐いた。
 これからオレがすることは、ゆきちゃんの本意ではないかもしれない。後でオレ、怒られたり、恨まれたりするのかもしれないけれど。
 でも…オレは、そうすることに決めた。謝るだけ謝って、ゆるしてもらえなくても、謝り続けて。そうなるだろうと考えるのは辛いけど、がんばるしかない。
「蓮?」
「どした?」
「うんん。みんなは車?」
 いつのまにか広也たち3人以外の姿が見えない。どうやら、先に車に戻ったらしい。
 オレもさっそく、広也たちと一緒になって車に戻る。
「どんな感じでしょうか?」
「楽しいことになっているよ」
「見てごらん、蓮。大変身」
 柚木さんが微笑み、カオ兄に呼ばれて隣に座る。車の中はもともと真ん中にテーブルが置けるようになっているので、そこに新たに設置されたモニタをのぞき込む。
「わぁ…すごい高感度カメラだあ」
 少し明かりを落とした店内も、まるで直に見ているみたいに鮮明だ。
 店内の防犯カメラから流した映像には、先ほどまで会っていた彼の髪が念入りに跳ね上がって、ジャケットも様変わりしている様子が映っていた。どうやらトイレで着替えたらしい。
 できるだけ顔を隠していたくって身支度に時間をかけるオレとはまるで逆方向。いや、逆って言うか、こっちのが真っ当か。
「ディ。ありがとうね。ディって、こういう若者向けの飲食店もやってたんだね」
「たまたまですよ、レン」
 お試しで手に入れてみました、なんて言うけど、向こうが指定してきたお店のオーナーがディだなんてびっくりだ。おかげでこんなふうにこっそり映像も見せてもらえたりして、すごくやりやすくなった。
 あんまり褒められたことじゃないっていうのは分かる。でも、今はそれを考えないことにしていた。
 みんなにも映像を見てもらうと、へえとかふーんとか、様々な声があがる。
「いかがなさいますか。すぐ捕まえることもできますが」
 三ツ原の有能な護衛のお姉さんたちに追われては、どこにも逃げようがないだろう。
 おまけに今回は世儀の警備チームからもぜひとも協力させてくださいって申し出があって、水も漏らさぬ警備網って感じだった。
 本当なら彼らに任せるだけで、あっさり片付くことは理解しているのだ。
 でもいくら何でもそれではとんでもなさすぎるかなあって思って。それは最後の切り札にとっておいて、今回は補助的な役回りをお願いしていた。それでも有能すぎるぐらい有能なんだけど。
「蓮様。第五からです」
 お姉さんが世儀の警備チームから連絡を受け取って、オレに伝えてくれる。
 頷きながら示されたモニタをのぞき込むと、映し出された地図に小さなマークが表示された。
「対象が向かうだろう目的地の候補です」
 えーっと。
 指でそうっと触れると、到着見込み時間やら説明文が現れる。うわ、なんだこの高性能機械。
「こっちのバーかなあ」
 驚きながらも、初心者仕様らしい画面を動かしながら、考え込む。ふだん行っている場所についてはすでに調べてあって、ここからだと幾つか候補があるんだけど。何となくここだと思われる場所があった。
「CからFまでは引き上げてもらっても良いですか」
「分かりました」
 お姉さんたちはにっこり頷く。
 うん、これはたぶん間違ってないってことだな。今回の指揮はオレだからって、完璧おまかせムードで、ちょっとどきどき。失敗したならしたで次があります、って感じなのだ。今はやってみることの方が大事だって。
「すごいねー。交友関係バレバレだ」
「あ、…引く、よな。でもオレ、誓って言うけど…友だちにはこんなこと絶対しないから…、その」
「いやいや、平気だって、蓮。知っているとおり、うちもあれだからさ」
「あれ?」
「あれだよ、蓮。…ん?」
 知らないの、と言われて何が、と聞き返した。
 あれとかそれとかって、対象が多いやら少ないやらで。
 きょとんとしていたオレになぜだかカオ兄とナギ姉をのぞくみんなが顔を見合わせた。
「ええ、なんだよ」
「レン、これもそうだよ」
 これと言われてモニタを見下ろす。
 ディ…モニタってことはオレだって分かるけど、これがあれ? と聞いたらその中身だよ、と言われた。
 中身…。…中身って、何が何やら。
「原料…?」
「いや、ふつうそこまでは飛ばないだろ? 可愛いなあもう」
 一ノ瀬さんが伸ばしてきた手をカオ兄がさりげなくかわした。
 正しくはオレに覆い被さるようにぎゅうっと抱きついてきたカオ兄がちょうどよく壁になって、届かなかっただけだけど。
 どうやら答えじゃなかったらしいオレに、ディはあっさり答えを教えてくれる。
「ナナハラと言えば、世界規模で使われているコンピュータシステムのひとつだよ、レン」
「あ、うん。NHシステムでしょ。病院の機械もけっこう多いって」
 誤作動が極めて少ない上に、互換性が良く、使い勝手が良いとか。
 機械が苦手なオレだって、それぐらいのことは知っている。
「だから、ね。そのナナハラ…」
「…………」
「…………」
「えっ?」
 だってNHシステムだ。ナナハラと言えば近年目覚ましい成長を遂げている有望企業で、そのシステムもすごいけど、何より知られているのはその売り込み方で。
 口をぱくぱくあけて挙動のおかしいオレに、いやあ新鮮だなぁ…という広也のつぶやきが返った。
「まんま名前があれだから、言う必要もないかと思ってた。ごめんな」
「いやっ、その。オレが悪い…」
「蓮は何にも悪くないよ。ただの広也の趣味だし」
 和美がいつも通りのさらっとした言い方で慰めてくれる。
「趣味って…まあ、そうだけどさ。まあ、おれはぜんぜんプログラム組めないけどな。できるのは政春の方」
「俺の方こそ趣味の類だ。それを儲け話にしてしまうおまえがおかしい」
「えー。おれはたいしたことしてないって。種も仕掛けもあるし」
 左右から趣味だと片付けられた広也は、ちょっと嫌そうな顔になり、でもまあそうかと納得した顔になった。
 オレはそんな広也をまじまじと見つめてしまう。
「な、ナナハラマジック? もしかして広也が…っ?」
「ん? それは知っているんだ?」
 のんびり微笑む和美にこくこくと頷く。
 ナナハラマジックっていうのは経済誌に良く出ている言いまわしだ。謎の復活仕掛け人だとか、そんな感じで書かれている。
 色づけがうまいんだ、とか父さんが言っていた。ちょっとしたアイデアでもすごく魅力的なものに化けさせてしまうのがナナハラマジックなんだって。その話が面白かったので、オレ、特集記事を集めて読んだりした。
 それを言うと、みんながへえ、って顔になる。オレがそういったことに興味を持つなんて思っても見なかった、という雰囲気だ。
「もしかしたらそれって子どもが考えたものじゃないのかとか囁かれている記事とかあってさ、それってすごいじゃん。オレと似た歳のやつがそんなふうにできるなんてすごいって思って」
「なるほど、そういう着眼か」
「らしいと言えばらしいなあ」
 遠見さんと一ノ瀬さんがそんなふうに言ってくれるけど。
 何よりすごいのは広也だ。
 実際の記事には、子ども説なんてあり得ないみたいな感じで幾つも他の案が並んでいた。ある意味、都市伝説みたいな感じの扱われ方だったように思う。
「公然の秘密だけどね」
 さらっと頷く和美に、広也が苦笑いをうかべる。
「おれ、うるさいの嫌だしー」
 そんなふうに言って笑う広也をオレは心底尊敬の眼差しで見る。あんまり見過ぎたのか、広也は少し照れたように頬を指先でかいた。
「いや、蓮のがすごいからな?」
「うんんっ。とんでもない。びっくりだ…。オレ」
 どうしよう。サインもらっていいかなあ。いや、秘密だしなあ。
 とりあえず、そうだ。
「オレ、えっと。…お世話になってます? …うん。親父のパソコン、広也のうちのだ」
「ああ、そうだってな。ありがたいことに」
 お披露目の時にそう話しかけられたらしい。
 父さん…、手が早い。いや、これは口が早いとでも言うべきか、ナナハラが知られてきたのは最近だけど、その前から父さんはナナハラユーザーだから、ファン心がくすぐられたのだろう。
「親父は使い勝手が良いから、って言ってた。ずうっと前から使ってるよ」
 そう言うと、広也はふわっととろけるような嬉しげな顔になる。
 なぜかそのまま、ますますがんばりたくなってきたな、とつぶやき、鞄をごそついたと思えば、何かスプレーを髪にかけだした。
 オレがあっけにとられる前で、広也は鏡も見ずに手早く髪を整え、いつのまに手配したのか見慣れないジャケットを着込む。
「広也…?」
「ほれ政春も」
「あ、僕も貸してくれる。それ」
 政春は半ばむりやり、和美はいそいそとそれをかけだす。
「何…してるの?」
「何って、変装。けっこう、ぽいだろ」
 何がぽいって、まるで違うのだ。
 ざっくり手ぐしで整えただけなのに、雰囲気が変わっている。
 広也の育ちの良さみたいなのが抜けて、鋭さが足されたみたいな。
 柄が悪くなった、というのとは違って、やっぱりおしゃれなんだけれど。すっと空気が沈む、そんな感じだ。
「できるだけ多くの噂、集めてくるよ」
「生の声ってやつ」
 和美と広也が何でもないことみたいに言う。
 オレが目星を付けたバーの辺りは、確かに少年少女が多い一帯ではあって、おねえさんたちとか警護組に動いてもらうよりかは確かに、同世代の広也たちの方が動きやすいだろうけれど。
「だめだよ、危ない」
 慌てて止めるオレの心配に、いちばんに止めそうな政春があきらめろ、と苦笑いをうかべた。
「1度言い出したら聞かない奴らだってことは知ってるだろ? …それに大丈夫だ」
「俺らも一緒行くし〜」
 はいっとばかりに手を挙げた一ノ瀬さんは…、うん、素で夜が似合うかもだし、なんだかさらっと危険もかわしそうだけど。
 その分だけ引き寄せそうなトラブルは眉間にしわ寄せた遠見さんが避けてくれるのだろうか。たぶん、そうなんだろう。遠見さんは手慣れた様子でふだんかけている眼鏡を掛け替えている。たったそれだけで、冷ややかさが倍増しだった。
 でもこの中でいちばん変わったのは、柚木さんかもしれない。
「ゆ、柚木さん…?」
「うん。どうしたの」
 オレを見てふんわり日だまりみたいに笑むのは変わっていないのに、髪型だって服装だって小道具だって、そのままなのに。
「黒いよなあ。スイッチどこにあるんだか常々不思議」
 ずばり一ノ瀬さんが言う通り、まさにそうで。
 背中が怖い。
 まるで違う人みたいに、雰囲気がかたくなる。こんな表情も出来る人なんだ、ってオレは新発見。
「そんなものはないけど、おかしいね」
 そうやって振り返るときには、いつも通りの柚木さんなんだけど…。
 でもやっぱり違う。
「音浜の生徒でもそういうことができるのね」
 それぞれバラバラになって外へ出ていくみんなを見送った後、ナギ姉が感心したように口をひらいた。
 いやたぶん、みんなが特別なんだと…。少なくともオレは真似できないし…。



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