「この曲はわたしが弾きます」 「いや、私だ」 「僕だって弾きたい」 ディとミケーレと秀さんが全く引かない感じでにらみあう。 ここに多忙な3人がそろってるなんて、ちょっとびっくりというか、どうしてこんなことになっているのか良く分からないというか。 「…………」 「おおきな子どもたちだねえ」 カーヴェさんはたっぷり粉砂糖がまぶされたクッキーを優雅な手つきでつまみながらそんなことを呟く。 えーっと…うーんと。 それって褒め言葉だよな、そうだよな。きっとそうに違いない。 3人がとりあっているのはオレの曲で、オレがつくったのだからオレが指名すればいいとか言われたけれども、口を挟む隙もなく言い合いをはじめた三つ巴っぽい状況にどうしたらいいのか分からないですどうしよう。 おろおろまごつくオレの隣でクッキーを食べ終えたラウロ・カーヴェさんは間もあけずに宝石みたいに輝くチョコレートケーキに挑みかかる。あふれんばかりの喜びが伝わってくる笑顔は見ているだけでおいしさが伝わってくるもので、ぜひとも職人さんたちに見せてあげたいというか。 オレもカーヴェさんぐらい余裕ある人になりたい……。 「も、もう1、2曲ばかり追加して書いた方がいいかな……」 そしたらけんかしないで済むだろうか、と思ってぽつんと呟くと、3人の顔がくるりと向く。 「だめです」 「だめだ!」 「だめだよ」 いくら何でもそんなことをさせたらトオ兄にどれだけ怒られるか! という悲痛な声にはどう反応したらいいのか分からない。 ……確かに、その、本気で怒ったトオ兄は怖いんだけども。大きな声で怒鳴ったりはしなくて、静かにひっそりと研ぎきった目で見据えられるというか思い出したらお腹の底がぞわって冷たい。トオ兄ごめんなさいもう夏だからいいやとか思って薄着で寝ませんハラマキだってします…っ。 オレとしても編曲時間と練習時間を確保したいからそんな無茶はしない方がいいと分かってるんだけど、憧れの向こう側にいたはずの、遠い世界の、すごい顔ぶれが言い合っているのだと思うと、とても落ち着かなかった。 「放っておけばいいよ。どうせ弾き合いをはじめてうんと疲れないと、答えが出ないだろうからね」 「……そ、そういうものですか」 それはこぶしをかわしあってはじめて通じ合うみたいな…感じだろうか…。男はこぶしで語るのだ、みたいな? そんなの、やったことない。やってみたいな。いいなあ。 「カーヴェさんは……その、不満とかありませんか」 オレが渡した曲でってことだけど、そもそも、オレがこの中にひょっこり入っていることに、不快な気持ちになっているんじゃないかって。 もともとこの話はミケーレを中心に、彼が面白いと感じることを詰め込んで、という案ではじまったものらしくて、それほどしっかり内容が決まっていたわけじゃなかったようだけども。 「ないよ。それよりも、あの曲でいいのかいって聞きたくなる。このところのレンは目覚ましいぐらい音が変わってきてるから、本当は違うやり方にしてみたいとか思っていない?」 「確かにこの頃、音がくるくる目まぐるしく変わってて、オレ自身追いついてない感じ、しているんですけど、でもカーヴェさんにお渡ししたのはあれがいいって思っていて」 以前、オレはオレの曲には足りないものがある、と言われたことがあるんだけどさ。 その言葉がどれほど正しかったのか、まるで薄布がはがれたみたいにはっきりしてきて、答えが分かるわけじゃないんだけど、立ち止まっていられないむずむず感があるっていうか。 だから、ここのところオレは以前作った曲の焼き直しやら新しい音づくりに余念がない。 それを良いと見るか悪いと見るかは、人それぞれだと思うけど、あんまりやりすぎるとトオ兄ストップがかかり、小言をあびてしまったりして。それでも止まらないぐらい、新しい音が流れて止まらなかった。 「いっそのこと、あのもめてる曲はレンが弾けばいいんじゃない?」 「オレはミケーレの新曲弾かせてもらいますし、……もう色々と手一杯で」 「だねえ……。ジャケットも決めなくちゃいけないしね」 そうなのだ。アルバムの顔とも言うべきジャケットを誰にお願いするかも考えないといけない。 本当ならすでに決まった相手がいたのだけれども、急きょダメになってしまったとかで、そういった采配を担当していた人たちが後処理にてんてこまいしているらしかった。 オレはミケーレたちよりずっと時間に余裕があるし、エドモンさんが何人か紹介してくれることになっているから、そこらへんも少しずつ先に進められたら、って考えている。 毎日が楽しくて、どきどきとして、疲れなんて感じる暇もない。 もちろん倒れたりしないよう気をつけてるつもりだし、トオ兄たちのバックアップがとても厚いおかげで何とかなっているのだけども、ひいおじいさまや城で働いている人たちまで、仕上がりを楽しみにしているって言ってくれて、オレは嬉しいやら気恥ずかしいやらだった。そして同じだけものすごく心強くて。 「今日はその打ち合わせだよね」 「はい、これから」 「気をつけていっておいでね」 いつのまにか話がまとまったらしい3人がびっくりするぐらい穏やかにお茶を楽しむ向こうで、オレはカーヴェさんに見送られて出かける支度を調える。 下手に口を挟んでやぶへびになっても困るので、オレはいってきますとだけ声をかけ、外へ出かけることにした。 エドモンさんのところはいわゆる芸能事務所とか、そんな感じのものをやっているらしい。 待ち合わせで訪れた社屋はクリーム色の石壁に、女神の顔を模した彫刻が窓枠や軒先に見てとれる立派な建物だった。古い建物らしく音の響き方が少しだけ伸びやかだ。 「今、お飲みものをお持ちしますね」 前の予定が押してしまっているらしくて、ものすごく申し訳なさそうに待たせてしまうことを口にする秘書のおねえさんに、オレは大丈夫ですから、とぷるぷると首を振った。 大勢の人が忙しなく行き交うオフィスに、オレは幾ら誘ってもらったからってのこのこ来ちゃまずかったのではと心配になってきてしまう。前もって約束はしてあるんだけどさ、カオ兄とかにちゃんと聞いておけば良かったな。こういった職場でのなるべく迷惑のかからない時間について、とか……。カオ兄は芸能関係にけっこう詳しいのだ。 出された飲みものにちまちま口をつけながら待っていると、もう1度おねえさんがやってきて、エドモンさんが来るのにしばらく時間がかかる、ということだった。どうも何かしらのトラブルがあったみたいだ。 先に資料を見て選ばれますかというお話にオレは首を横に振る。 「あ、いえ。大丈夫です。オレ、出直します。時間があくようでしたら連絡くださいって伝えてもらえますか」 ここでひとり資料を見せてもらってもきっと良く分からないだろうし、オレがいると余計気を遣わせてしまうだけだろう。 おねえさんは心配そうに気づかわしそうにしながらも外へ行くというオレに近くの市場を教えてくれた。観光名所ってわけじゃないけど、めずらしいものがたくさんあるそうだ。 他にもちょっと休むにはこのお店がいいとか、道に迷ったらここが目印になるとか、この通りは入り組んでるし避けた方がいい、なんて話もしてくれて、何となく、……ちびっこに見られている気がしないでもなかったけど、ありがたかった。 オレは丁寧にお礼を行ってから外へ出て、言われたとおり市場へと向かって歩くことにした。 思えばこんなふうに一人歩きするのってとても久しぶりだった。 アパート住まいのときは当たり前だったけどさ、おじいさまのところへ移って……、安全の為もあって移動は車だったし、ベスと散歩してるときにふらっとお店の中へというわけにはいかないし。 石畳の上を歩きながら、屋根にある煙突や、窓辺から垂れ下がる緑の葉っぱなんかを眺めて進むと、言われていた市場に辿り着く。 天幕がはられた台の上に色とりどりの野菜や、チーズ、ハムなんかが並んでいて、オレの心は否応なしに浮き立った。 「わぁ…すごいな」 食べ物はもちろん複雑な模様を描いた織物や、木を彫ってつくった小物やたんすなどの家具まである。 何かお土産買っていこうかな。 ひいおじいさまには何がいいだろう。リッフォートさんやお城のみんなや、ナギ姉やトオ兄たちにも。 カーヴェさんにはお菓子だろう。ミケーレは何が好きだろうか。 ディには案外、この羽が付いた仮面なんかいいかもしれない。割とディってこういうの好きだと思う。ちょっと笑える楽しいものっていうかさ。 きょきょろ見てまわっていると子ども向けのおもちゃが目に入った。 セレスティノたちの顔がうかんで、小さい子どもなら何がいいだろうとふだん考えてもなかった品物さがしに迷う。 あれ以来ときおりお邪魔させてもらっているものだから、セレスティノの弟妹たちはオレを見つけると遊び相手が来たとばかりに目をきらきらさせる。ちょっとしたお兄さん気分だ。 弟扱いときに妹扱いも含む、みたいなことはたくさんあるけど、オレ自身が誰かにそんなふうな気持ちを抱けることってあんまりなくて、くすぐったいような、そわそわした気持ちになった。 「何かおさがしかい」 「何をってわけじゃないんですが、あの……えと、これ、見せてもらってもいいでしょうか」 「もちろん」 「ありがとう」 革細工の天幕の前で立ち止まり、ツルバラが描かれた小さなプレートを手に取る。 黒みがかったあめ色の皮で、花をモチーフにはしているけれどもそれほど愛らしい雰囲気はない。けれどもはっと目を引くようなつややかさが品の良さをかもしだしていた。 「目が高いね。それはね」 「あッ」 店主のおじさんが説明してくれようとしたとたん、すぐそばで響いた大きな声にオレはびくっと肩を揺らす。 声のした方を振り返ると、水色の瞳をまんまるにひらいた青年が立っている。 「そ、それっ…それ…っ」 今にも泣き出しそうな顔をしてオレの手にしているプレートを見つめている。 これですか? と小さく掲げてみせると、こくこくと金色の髪を揺らして頷く。光に透けると殆ど白に見えるような淡い色の髪だ。 オレより頭ひとつ分は高くって、長身のトオ兄と並ぶだろうか。ほんの少しだけ砂糖を煮詰めたような薄い褐色の肌がいくらか青ざめて見える。 「それ…おれ…の……」 ゆるく震えたような声はうまく聞き取れなかったけれど、どうやらこの青年があらかじめ目を付けていたものってことらしい。 目を引いたのは確かだったけど、それほど熱心にほしいと思っていたわけではなかったので、オレはそのプレートをはい、と差し出した。 「どうぞ」 けれどその青年は消え入りそうなほど細い肩を揺らして、半歩ほどオレから下がった。 ……首を傾げたオレに、店主のおじさんのこきみよい笑い声が割ってはいる。 「あんちゃん、また来たのか。で、お金はできたのかい?」 「……、ま、だ…」 「じゃあ仕方ないなあ。ざんねん、そりゃおあずけさ」 手にいられる算段がつくまでは決してさわってはいけない、と言うような、かたくなな態度はいつものことらしい。おじさんは気にした様子もなくオレからそのプレートを受け取ると、もとあった場所にそれを飾った。 ちらっと値札をみたところ、確かに安いものではなかったけれど、青年の耳にぽつんと輝くピアスの石はけっこういいものっぽく見えるんだけどな、服も既製服じゃなくて、丁寧に仕立てられたものだと思うし。オレの見間違いかな。 でも青年の顔は頬がいくらかこけていて、いかにもろくなものを食べてない、といったやつれた感じがする。そのちぐはぐさが気になってついじっと青年を見上げていると、はじめてオレの存在に気づいたとでも言うように水色の瞳がこぼれおちそうなほど見ひらかれた。 「い、一緒、来て……」 「え…?」 「ちょっとだけ。すぐそこ……」 袖をひっぱられたと思ったら、手をとられる。あ、と思ったときには青年が走り出していて、オレは慌てて足を動かした。 そ、想像以上に、あ、足早い……。いやオレが遅すぎる…んだけども。 声をだす暇さえないほどオレが息をあげるのに気づくと、少しおろっとした様子で足を止める。 まるで大きなわんこみたいだ。オレよりずっと背が高くて、手足も長くて。黙って立っていればかなり見栄えがするはずなのに、水色の瞳の中にあるのは主人を見失って不安がるみたいな色合いで。 オレは小さく笑って、ゆっくり、と声をかける。 青年は頷いて、そうっとそうっと、まるで忍び足でもしているような小さな歩幅で歩き出す。幸い目指す場所は本当にはすぐそこだったらしく、市場の裏手にある、少し真新しい雰囲気のアパートの中に一緒に入ることになった。 「ここ、すわって」 部屋に入って驚いた。 あんまりすごくて。こんなの、はじめてかもしれない。 「ちょ、ちょっと散らかってて、ごめんね……」 「いやちょっとなのかこれ……」 はっきり言って、ひどく散らかっているの間違いだと思う。 床が見えないとか、足の踏み場もないって本当にあるんだ……。 服に本に得体の知れないごちゃっとしたものがいっぱい積んであるけど、あれは、あ、お皿まで床の上だ。あぶない。 「お、おちゃ……。ええと、……わっ」 キッチンに向かった水色のわんこは何かを割ったらしい。たぶんガラスのコップだろう。 オレは洋服で覆われたソファから立ち上がり、慎重に足もとを見極めながら、音のそばに向かった。 「わんこ…じゃない、えっと、名前は? オレ、蓮っていうんだけど」 「ベランジェ…」 「そっか。ベランジェ、お茶をいれてくれようとするのはありがたいんだけど、その前に片付けたほうがいい」 まず聞くのはここに連れてこられた理由とかかもしれないけどさ、この洗いものの山とか、いったいいつからあるんだという焦げた鍋や、何より地層を築きかけている埃とか。 父さんとふたりで過ごしてきたアパートで整理整頓を心がけながら暮らしてきた主夫としては見過ごせるはずがない。 どうやら水色わんこはここでひとり暮らしをしているらしいけど、壊滅的に生活能力に欠けているようだった。今までどうやって生活していたのかと思うほど、部屋の中はすさまじい状態。 とりあえずどこから手を付けるべきだろうか。 腕まくりをしたところで、こほんと咳がでる。オレは無言で持っていたハンカチを顔に巻いた。これでマスクのかわりになるかな。 「少し掃除してもいいか? 話はそのあとで聞く」 「……うん、…」 というわけで、オレはもくもく片付けはじめたんだけども、掃除ってのはけっこう重労働なわけで。 実のところ父さんと暮らしてたときもこまめに済ますことで体力をあんまり使わないようにしていたオレは、こうまで散らかったところにどうやって手を付けていけばいいのかが分からず。 けれど思わぬところから救いの手がさしのべられることになった。 「蓮様、こちらの荷物はいかがなさいますか」 「あ、それは左側の壁にお願いします」 部屋の中で動いてくれているのは第五警護隊の人たちで、はじめはなんというかオレが不用意に他人の家にあがった上にばたばた出たり入ったりを繰り返しはじめたものだから見かねたらしい。 どうかなさいましたかと声をかけてくれて、掃除していると答えたら、それなら手伝います、って。そんなの申し訳ない、って、オレは慌てたんだけど、でしたら業者呼びます、ってものすごくきっぱりとした顔で言われてしまった。 それほどの散らかりようではたぶんないから、それならとオレは手伝ってもらうことをお願いしたのだけども。 「仕事増やしてごめんな……。でもすごい助かる」 「わたくしどもは蓮様の手であり足でございますから」 「蓮様のお役に立つことが我らの喜び」 「蓮様、こちらはまだ埃が立ちます。どうぞあちらへ」 ベランジェははじめこそ、突然現れた顔ぶれに警戒心を見せて近づこうともしなかったけど、オレの指示に従っているところを見て安心したらしい。しばらくすると、第五警護隊の人たちの問いかけにも応じるようになり、これは捨てる、捨てない、と首を振るようになった。 そのおかげで部屋は瞬く間にぴかぴかだ。 オレはそのきれいになった部屋の中で、水色わんこに座ってもうらう。 「ベランジェ……、これは何だろうな?」 「……お金…」 「そうだお金だ」 床に散らばっていた服の中やら食器の中から出てきたその小銭やらお札やらは、数えてみたらけっこうな額になった。 「カードもあったぞ……」 出所は冷蔵庫だ……。 これはある意味、保管場所としてありがちと言っていいのか、冷やしてどうするつもりだったのかと突っ込んでみるべきなのかと迷うところだ。 「なのに財布は見つからなかった」 「ん…財布…ない…」 「そうなんだろうな。ポケットが財布代わりなんだろうなとは思った」 妙に自信たっぷりに頷くベランジェは少し前にお金がなくてツルバラのプレートが買えなかったことなど忘れているみたいな顔だ。ずいぶんたくさん見つかったなあ、すごいなあ、と言わんばかりの顔に、怒りたい気持ちもへなっとしてしまう。 そんな水色わんこに、オレは手早く作っておいた財布を前に置く。 「これ…何?」 「和財布。ここに小銭をいれて、紐でぐるって巻くと少なくとも散らばったりはしないだろ? とりあえずいらないって言ってた布を縫ったから、好きなお財布買うまでそれにまとめておいた方がいい。で、それ持って、買いもの行こう」 「お買いもの……?」 「ツルバラのプレート、欲しかったんだろ? それにお腹空いたと思うし。適当に何か作るにせよ、冷蔵庫空っぽだからな。買い出しに行かないと。あ、台所使わせてもらうからな? ベランジェはお肉とお魚どっちがいい?」 小銭を入れた財布をベランジェに手渡す。 ベランジェははじめて見るのだろう和財布を興味深そうに手でひっくり返したり振ったりしてから、肉と魚と聞いてぐうとお腹を鳴らした。正直すぎて噴き出すと、少しばかり恥ずかしげにお腹をおさえて唇を尖らせる。 「どっちも…好き……」 「みんなの分も作るから、いっぱい買うぞ。荷物持ちしてくれよ?」 そう言うと、ベランジェは淡い金色の髪をふわりと揺らして、力強く頷いてくれた。 「おれ、力持ち」 「ああ、頼りにしてる」 掃除の最中に重い荷物をひょいひょい持ち上げる姿は見ていたから、心の底からそう応じると、ベランジェは嬉しげに顔をほころばせてオレの後をついてくる。 やっぱりでっかいわんこだなあ、と思ったけど、多すぎたのではと思ったぐらいたっぷり作った料理がするする入っていく細い体を見ると、大型犬を通り越して恐竜なんじゃという気持ちにさせられたのは、ちょっとした予想外だった。 |