古の伝説<5>


 からからと滑車を回すような音が玄室に満ちる。それは壁の向こうから、床の下から、天井の上から聞こえてくるようだ。怪音にうなじを撫でられる感触にグレンはざわりと総毛立った。
「……何の音だろう?」
 緊張するグレンの腕の中、すこぶる呑気な声を上げるのは竪琴である。
「あー。言うの忘れてた。この墓には泥棒避けのトラップが幾つも張ってあるんだ。そして何と……いいか、驚けよ」
「はい」
「俺がトラップ起動のスイッチにされちまってるんだな、これが。さっさと逃げねぇとヤバイことになるぞ」
「そういうことは早く言ってください!」
 たった一つの出入口はからくり仕掛けの石壁に塞がれつつあった。
 グレンは猛然と出口に向かって駆け出した。ちょこんと座っていたモモを掬い上げるように小脇に抱え、思い切り身を投げ出す。がりごりと床を滑った体がどうにかぎりぎり石壁の下を潜り抜けた。
「ま、間に合った……」
「ほらほら、呑気に寝転んでる場合じゃねぇ! 次が来るぞ!」
「え」
 頭を擡げると同時にびしりと凍りつく。壁や天井に走る亀裂から幾つもの鋭い穂先が顔を覗かせているではないか。
「うわわっ」
 咄嗟に跳び退いたグレンの背後で金属音が響いた。一瞬前まで伏せていた場所に太い鉄の槍が斜めに突き刺さっている。
「トラップが作動するのはこの階層だけだ! 串刺しになりたくなかったら階段まで走れ!」
「はい!」
 グレンは鉄色の風となって地下通路を駆けた。疾走するグレンの軌跡を辿るように、降り注ぐ槍が硬石に穴を穿つ。装甲を貫通して肉体までをも容易に抉るだろう威力だ。
「も!」
 モモがたいまつで前方を差すと、今にも吹き消されそうな炎に照らされて、上階への階段が浮かび上がった。
「あそこまで行けば……」
 階段まで後一歩という地点に踏み込んだ時、不意にがくんと視界がぶれた。
「!」
 何が起きたかを把握する間もなく、グレンはバランスを崩して地面に強か腰を打った。奇妙な方向に捻れた足首から鈍痛が全身に伝播する。
 はっと後ろを振り返って、マントが槍で壁に縫い留められているのを知った。力任せに振り解こうとするものの裾の結び目に刃が食い込んでいてびくともしない。
「くっ」
 動揺するグレン目がけてあまたの槍が鈍い輝きを放った。
「……しょうがねぇな、これで貸し一つだ!」
 恩着せがましく叫ぶや否や、竪琴が大きく絃を震わせた。妙なる調べがいっぱいに溢れ、カタコンペを形成する全てのものに跳ね返る。うっとりするような音色が大気中で絡み合い、複雑な旋律となってわんわんと響いた。
 その余韻が治まるより早く、グレンの目の前の空間がぐにゃりと歪む。
「なっ」
 大気にじわりと闇が滲んだ。闇は凝固し変質し、粘土細工のように形を変えながらあらゆる色を帯びていく。吸い込んだ空気を吐き出すほどの合間に、闇は一匹の生きた魔物へと変じたのだ。
 土色の被毛を荒々しく逆立てて魔物が咆哮を上げた。玄室に来るまで幾度か見かけたリカントマムルだ。
「こんな時に……っ」
 舌打ち混じりにグレンが剣を抜いたのと、リカントマムルの胸から穂先が突き出したのはほぼ同時だった。
「え?」
 その位置に魔物がいなければ、グレンを串刺しにしていただろう槍だった。グレンが呆然としている間にもどすどすと音を立ててリカントマムルに槍が突き刺さっていく。
「小僧、バカ面下げてねぇでさっさと逃げろ!」
 腕から飛び出したモモが器用にマントの結び目を解く。グレンははっと我に返り、這うようにして階段を上った。


「どーよ、俺のアイディアは。魔物の盾なんてなかなかオツなもんだろ」
「……」
 床にへたり込んだまま、グレンはのろのろと竪琴を見た。顎の先から汗の雫が幾つも滴り落ちる。
「あのリカントマムルは竪琴さんが?」
「俺の放つ素晴らしい音色には魔物を作る力があってね。人恋しくなった夜には魔物を作って何度もカタコンペ脱出を試みたもんよ。けどあいつら、頭悪くて使えねぇんだよな」
「魔物を作る?」
 グレンはきょとんと二度瞬きをし、傍らのモモに囁いた。
「もしかしてガライの人達を怖がらせているのって竪琴さんなのかな」
「も」
 もしかしなくてもそれしか考えられない。竪琴が魔物を作り出す旋律が、カタコンペに反響して町まで漏れていたのだ。
「とにかく俺に感謝しろ小僧。俺はお前の命の恩人だ」
「はい、お陰で助かりました。それにしても魔物の盾だなんて、竪琴さんの考えることって結構えげつないですねっ」
「てめー、恩人に向かって何て口の利き方だ!」
 怒鳴られて身をすくめた拍子にずきんと足首が痛んだ。緊張が緩んだ途端、先程捻った箇所が痛みを訴え出したのだ。
「ももも?」
「うん、折れてはないと思うんだけど……薬草じゃ効かないだろうなぁ」
 足首は既にブーツがきつくなるほど腫れ上がっている。切り傷や火傷には絶対の効き目を誇る薬草も、捻挫や骨折の類にはそれほどの効果を示さない。
「魔術で治しゃいいじゃねぇか。お前、魔力変換くらい出来るんだろう?」
 魔術師は体内で生命力を魔力に作り変え、それを礎にして魔術を発動させる。魔力変換と呼ばれるその能力は、僧侶や魔法使いを目指す者の必要最低条件だ。
 尤も魔力変換能力者全てが魔術師になれるとは限らない。魔術は本来神域に属する技で、人間が扱うには極めて危険な存在なのだ。魔術を使い過ぎると命が枯渇して死ぬこともあるし、脳が破壊されて廃人になることもある。常に己の限界を見極めていなければ魔術師として生きていくことは出来ないのだ。
「一応は。でも魔術が発動したことはまだ一度もないんです」
「ないんです、じゃねぇよ。お前このままだと魔物の餌だぜ。詠唱は作ってあるか?」
「はい」
「だったらやってみな」
 人の容姿が万別であるように命の形も様々だ。魔術師は三十二文字からなる精霊語を組み合わせ、それぞれに適した詠唱を作り出さねばならない。同じホイミの詠唱でも百人の魔術師がいれば百種類の詠唱が存在するということになる。
 詠唱は命を変換する変換節と魔力を整える指示節から構成される。精霊の力を借りる場合は召還節が必要になるし、威力を高めるために拡散節や増速節などを上乗せする場合もあるが、基本となるのはその二節だ。
(ここで成功しなくちゃ終わりだ)
 グレンは神妙な面持ちで患部に手を当てた。魔術発動のため意識を集中させようとしたところで、ギャラリー達が一斉に喚き出す。
「そーれ、がんばれ、がんばれ」
「ももも、ももも」
「あの、集中出来ないんですけど……」
「何でぇ、使えねぇ小僧だな。これしきで集中力が掻き乱されてどうする。戦闘中はもっと厳しい条件で魔術を使うんだぞ」
 竪琴は鋭い舌打ちを放った。
「ったく、魔術の使えねぇ魔術師なんざ音の出ねぇ竪琴みたいなもんだぜ。道具屋に売ったところで一ゴールドの値もつかねぇ、今のお前は馬のふん以下だ」
 馬のふん以下呼ばわりされてグレンはずんとへこんだ。術の成功には心理状態も大きくかかわってくるから、この状況では百発百中失敗だ。
「いちいちへこたれんな。ローラ姫さんを助けに行くんだろ? こんなところでくたばってる場合じゃねぇんだろ?」
「……」
 命よりも大切に思う少女の名は、甘く鋭くグレンの胸を抉った。
 グレンは目を閉じ、暗くなった視界にローラの笑顔を描いて瞼を持ち上げた。魔法のように力を取り戻した瞳で闇を見据え、とっておきの言葉を舌に乗せる。
「……絶対に大丈夫」
 モモと竪琴が見守る中、グレンは静かに彼だけの詠唱を口ずさみ始めた。
 グレンの命が分解し、再構築して全く別のエネルギーへと生まれ変わる。血流に乗って掌に滲み出た魔力は指示節によって癒しの力と変じ、これだけは全魔術師共通の発動詞を受けて魔術として完成するのだ。
「ホイミ」
 温かい光が掌から零れて腫れた肉と痛めた筋を包み込む。痛みが引くのに合わせてブーツの締めつけがすうっと緩くなった。
「……」
 グレンは壁に寄りかかるようにしながら恐る恐る立ち上がった。とんとんと爪先で床を弾いてみる。少しも痛くない。
「治ってる……」
「ちゃんと使えたじゃねぇか。馬のふん以下から薬草に昇格してやるから喜びな」
「もももー」
 口々に言われてようやく成功の実感が沸きあがる。生まれて初めて魔術を使った興奮を抑え切れず、グレンは固く握った拳をぶんぶん暑苦しく上下させた。
「ありがとうございます!」
 あの日ローラがくれた言葉は、グレンにとってどんな魔術よりも力のある奇跡の源なのだ。