古の伝説<4>


 ガライの館の裏庭に地下墳墓への入り口がある。
 地下へ続く階段の脇には慰霊碑が立っていた。石碑に刻まれた言葉は大部分が雨と風と時によって摩滅し、固いものを擦りつけたような筋となって残るのみ。どんなに目を凝らしても、そこに込められた祈りの意味を把握することは出来なかった。
「モモちゃん、たいまつを持ってくれる? 魔物と戦闘になったら灯りを気にしている余裕がなくなると思うんだ」
「も」
 モモにたいまつを任せ、グレンは慎重に階段を下り始めた。
 鏡のようにぴかぴか光る階段は、古くから多くの人々がここに出入りしたことを物語っている。うっかり足を滑らさぬように注意して階段を下ると、幅の広い地下通路へと出た。
 見上げた天井には煤がこびりついていた。数多の葬列が刻んでいった黒い軌跡を辿ればガライの眠る玄室へ辿り着くはずだ。
「こっちだね」
「も」
 かつんかつん、ぺたんぺたん、グレンとモモの足音が重なって不協和音を奏でた。閉ざされて久しい墓への闖入者に驚いて、ねずみの親子が悲鳴を上げて逃げていく。
 カタコンペに徘徊する魔物は、今のグレンでは太刀打ち出来ぬようなものばかりだった。戦闘にならぬよう時折物陰に身を潜めながら、グレンは一心に天井の煤を辿る。じっとりと冷たい空気が満ちた空間にもかかわらず、全身は緊張の汗でびっしょりだ。
 ぴりぴりと神経を張り巡らせつつひたすら足を進める。そうして半日も歩き続けた結果、グレンは地下墳墓の最奥へと辿り着いた。


「うわぁ……すごいね」
「ももー」
 階段から真っ直ぐ伸びた先にある玄室は、それまでの石の回廊とはまるで様相が違った。
 壁と天井にはめ込まれた白大理石は、何らかの魔力を含んでかほんのりと光を帯びている。玄室を囲む北の壁には雪、東の壁には花、南の壁には蛍、西の壁には紅葉が描かれ、詩人達の愛したアレフガルドの美しい四季を鮮やかに表現していた。季節の移ろいを見つめる女神や天童の石像はそら恐ろしくなるほど精巧で、今にも優しく微笑みかけてきそうだ。
「こんなきれいなお墓は初めて見たよ」
 くるりと巡らせたグレンの視線が、ある一点に止まって動かなくなった。
 入口と対を成す壁際に一際立派な棺があった。重厚なオークの蓋にはしっかりと鋲が打たれ、荒らされたり暴かれたりした形跡はない。
「……あれが神器かな?」
 棺を覆う織物の上に、きらりと銀色に輝くものがある。
「ももも」
「うん、気をつけるよ」
 グレンはモモを残して注意深く棺に歩み寄った。
 光の正体は竪琴だった。胴から突き出した腕が優美な曲線を描き、美しい女神のオブジェを頂いている。胴と腕の間に張った絃は蜘蛛の糸のように繊細でありながら、触れれば皮膚が裂けてしまいそうな緊張感に満ちている。伝説の吟遊詩人の墓に納められるのに相応しい、優美な白金の竪琴だった。
「ロトの神器の一つは竪琴だったんだ……」
 唇の内に呟いて、グレンが竪琴に触れんとした時である。
「ったくよぉ、四百年も迎えが来るのを待ってたっつーのに、やってきたのはこんなちんまりした小僧かよ。きれいな姉ちゃんが優しく尋ねて来たって罰は当たらねぇぜ」
 絃がひとりでに震えて男の声を奏でた。
「けど来ちまったもんは仕方ねぇ、明日への希望を胸に今日を生きることにするぜ。おい小僧、お前で我慢してやるから、さっさと俺を連れてこの辛気臭い墓場から脱出しやがれっ」
 グレンは一瞬唖然とし、すぐに踵をぴたりと合わせて直立不動の体勢を取った。喋る竪琴が存在する現実につくづくと世の不思議を思うグレンである。
「あ、あの! 失礼ですがどちら様でしょうか」
「どちら様ってお前、それは俺の台詞だぜ。ここは俺んち、入り込んできたのはお前。お前から名乗るのが筋ってもんだ」
「大変失礼しました!」
 グレンは腰からがくんと直角に折れて非礼を詫びた。人の家に上がり込んで名乗りもしないとは無作法極まりない。
「僕はグレンといいます。ラダトームからやって参りました旅人です」
「ラダトームぅ? ラダトームの小僧がこんなとこに何の用だよ」
 そこでグレンは旅の目的と地下墳墓に訪れた理由を詳しく語った。竪琴は黙って話を聞いていたが、やがてふるふると細かく絃を震わせ始める。人間で言えば忍び笑いをしているといったところか。
「残念ながら俺はロトの神器じゃねぇ。あれらは別の場所にある」
「別の場所……?」
「おうよ、ロトの仲間が持っていったんだ」
 勇者ロトは三人の仲間と長い旅をし、大魔王ゾーマを討った後、神器を一つずつ彼らに託した。三種の神器……太陽の石、雨雲の杖、そして虹の雫は、今でもその血に連なる人間が守っているらしい。
「ではその方達にお願いすれば神器を譲っていただけるのでしょうか」
「さあねぇ。四百年も守り続けたらもうそこん家の家宝みたいなもんだろ。そう簡単にはいかねぇんじゃないの」
 竪琴は一呼吸置いてからつけ加えた。
「……ロトの子孫ならともかくな」
「でも僕にはどうしてもそれが必要なんです。どうしても魔の島に行かなくちゃならないんです」
「……」
 竪琴は沈黙した。何処に目があるのかは分からないが、じろじろと値踏みされる視線を感じる。辛抱強く返答を待つことしばし、ようやく絃が声を弾いた。
「それじゃあ雨雲の杖の持ち主に会いにいってみるか?」
「案内して下さるんですか?」
「今でもぴんぴんしてるロトの仲間に心当たりがある。そいつに会って自分で頼んでみるんだな」
「ぴんぴんしてるって……ロトの時代の人がですか?」
「ちょい訳ありでな、長生きなんだよ、そいつ」
「はあ、そうなんですか」
 あっさり納得するグレンの前で竪琴はうきうきと声を弾ませた。
「そうと決まったらさっさと俺を運びな。外の世界がこの俺を待ってるんだよ!」
「は、はい」
 グレンは竪琴に両手を伸ばしかけ、ふと首を傾げる。
「あのぅ」
「何でぇ」
「それであなたは結局どなたなんですか?」
「おお、自己紹介がまだだったか」
 竪琴はひゅうっと口笛に似た音を奏でた。
「俺はガライと一緒にアレフガルドを旅した銀の竪琴様だ。由緒正しき伝説のアイテムであるこの俺様が、今日からお前みたいな冴えない小僧と一緒に行動してやる。ありがたく思いな」
「はい! よろしくお願いします!」
 グレンは両手で竪琴を持ち上げた。一見華奢な竪琴は予想外に重く、掲げようとする腕がぐぐっと沈む。
 竪琴を握る指に力を込めたその時、がたんと大きな音が辺りに響いた。