グレンがガライの町に到着したのは、日もすっかり沈んだ宵の頃だ。 食料も水も尽きかけていたので、木々の合間にちらちらと町並みが見えた時は心底ほっとした。グレンは勇んで森を飛び出し、土手を滑り降りて粗末な街道に踏み入る。靴底から伝わる石畳の感触が酷く懐かしいものに思えた。 「モモちゃんはこの中に入って」 緩やかなアーチを描く門の前までやってくると、グレンはしゃがんで鞄を開いた。モモという予想外の同行者を得て非常食まで食い尽くし、中身は既に空に近い。 「魔物が入ったら追い出されちゃうからね」 「も」 蓋を閉じればモモの小さな体はすっぽりと隠れてしまう。 「ちょっと窮屈だけど我慢だよ」 言い置いて立ち上がり、グレンは町の門を潜った。 ガライは王都の六分の一にも満たぬ小さな町である。吟遊詩人ガライの生家跡と言われる礎石を境に商店街と住宅街に分かれている。 町の北にある一際巨大な建物を、人々は親しみを込めてガライの館と呼ぶ。世界のあちこちから集った詩人達はそこで仲間と語り、技巧を磨き、自らの人生を歌にして残していくのだ。 だが魔物の凶暴化が著しい近年、生きて町に辿り着く詩人は確実にその数を減らしているようだ。せめてもの鎮魂なのか、志半ばにして斃れたのだろう人々の名が館の石碑にずらりと刻まれていた。 「さて、早速三人の賢者について調べないと!」 鼻息荒く歩き出したその時、腹の虫がきゅうと鳴った。昨日の昼から何も食べていないので胃の中は空っぽだ。グレンの腹の音に触発されたかのように、鞄の中のモモも切々と空腹を訴え始める。 「もーももも」 「腹が減っては戦が出来ぬって? でもまずは調べもの……」 「もももー。もももー。もももー。もももー」 「わ、分かったから静かにしてよモモちゃん、見つかっちゃうよ」 もーもー鳴き声を上げる怪しげな鞄を抱えつつ、グレンは食堂を目指してこそこそと走り出した。 ここ数日干し肉や燻製などの保存食ばかりだったせいで、汁気のある温かい料理がたまらなく美味い。鞄から突き出したくちばしに時々肉や魚を押し込みながら、グレンはがつがつと皿の上のものを貪り続けた。飢えた狼のようなグレンの食欲に圧倒されてか、給仕の娘がぽかんとその様子を眺めている。 四人前の料理を平らげてグレンはようやく人心地ついた。 温くなった茶を飲みながら辺りを見回すと、他の客がいそいそと帰り支度を始めている。まだ八時を回ったばかり、酒場の客が引き上げるには早い時刻だ。 手持ち無沙汰にうろつく給仕の娘を捕まえて、グレンは尋ねた。 「みなさん早々に引き上げていきましたけど、今日は何かあるんですか?」 「この町は何時もこんな風よ」 娘は空になったカップに熱い茶を注いだ。 「九時前には家に帰って戸締りしちゃうの。外をうろうろしてるとあれが聞こえてくるからね」 「あれって何ですか?」 「これの演奏」 娘はポットをテーブルに置き、両手をだらりと胸の前に垂らした。 「……幽霊?」 「みんなそう言ってるわ。夜な夜なガライの墓から竪琴の音が聞こえてくるのよ」 「ガライの墓……地下墳墓のことですね」 この町の名所は二つある。ガライの館と、ガライの墓と呼ばれる巨大なカタコンペだ。 ガライに訪れる詩人の大半は歌に生涯を捧げる。家族を持たなかった者、故郷を捨てた者、歌うことのみを人生とした人々をガライの墓に葬り続けた結果、何時しか大変な規模のカタコンペが出来上がったのだ。 竜王が出現した頃から魔物が住み着くようになったせいで、現在カタコンペは使用されていない。入り口に魔物封じの魔法陣が張られて以降、そこを訪う物好きもいないようだ。 「お墓から竪琴が聞こえてくるなんて確かに不思議な話ですね」 「でしょ? おまけに竪琴が鳴り始めると、魔物がそれに合わせるように吠えたり唸ったりするの。……お陰ですっかり寝不足だわ」 「それがお墓に眠る人々の仕業だと?」 グレンは首を捻った。肉体を離れた魂は精霊神ルビスの加護の下、安息の園と呼ばれる楽園に旅立つのだ。未練に縛られて留まる魂もいないわけではないが、詩人としての生涯を全うした人々が今更カタコンペなどに執着するだろうか。 「手厚く葬ってるからそんなはずないとは思うんだけど……あ」 娘はそこではたと思いついたように眉を持ち上げた。 「ガライの墓の神器を狙って、昔はよく墓場泥棒が侵入したって聞くわ。泥棒避けに引っかかって死んだ奴が未練がましく悪さしてるのかもしれないわね」 「え? 神器?」 「そうよ。ええと、何だったっけ。確か元々精霊神ルビス様の持ち物で、命を作り出す力があったとか……」 「それは本当ですか!」 グレンがテーブルに拳を叩きつけた。小柄な肉体から放たれる衝撃は凄まじく、テーブルに乗っていたものが一斉に跳ね上がる。給仕の娘も驚きのあまりぴょんと飛び上がった。 「い、いきなり何よ、びっくりするじゃない!」 「ガライの墓に神器が納められているのなら、僕は行かなくちゃならないんですっ」 「はぁ?」 「勿論その演奏の正体も確かめてきますっ」 使命感に燃えたグレンが雄々しく鬱陶しく立ち上がる。 罪なき人々の安眠を妨げるとは許しがたき行為である。そこにどんな事情があるかは定かでないが、そのような傍迷惑な現象を放っておくわけにはいかない。ラダトームの兵士たるもの、国民の幸せに心血を注ぐ義務があるのだ。 グレンに気圧された娘は、盆を胸に押し抱いてふるふると首を振る。 「ででででもね。カタコンペには魔物が住み着いてるし、おまけに真っ暗で……」 「たいまつがあるから平気です!」 グレンはぴしゃりと娘の言葉を遮り、モモの入った鞄を背負った。財布からゴールドを取り出して唖然としたままの娘に手渡す。 「ごちそうさまでした」 深々と頭を下げると、グレンは矢のように食堂を飛び出した。 |