モモという奇妙な同行者を得て数日後、グレンは深い森の前に立っていた。 立ち並ぶ樹を突っ切った先にガライの町がある。森を迂回すれば魔物の少ない平原を進むことが出来るが約半日分の遠回りだ。 「……森を行こう」 グレンは巨木を見上げて決然と頷く。 一秒でも早くガライの町に到着して情報を得たかった。何処とも知れぬ場所で不安に震えているのだろうローラを思えば、踏み出す足にも自然と力がこもる。 やがて枝の間に煌いていた太陽が、その日最後の光を放ちながら地平線に沈んだ。陽光に代わって降り注ぐ月明かりはおぼろげで、足元の闇を完全には払ってくれない。 「暗くなったし今日はもう無理だね。野宿の準備をしようか」 「もも」 のこのこと歩み出たモモがグレンを見上げた。数歩進んで振り返り、長い尾でぴしゃりと地面を打つ。ついて来いと言っているようだ 「野宿にいい場所でも知ってるの?」 「もっも」 モモが目指すのはガライの町の方角と一緒だ。遠回りになることでもないしと、グレンはモモについて歩き出す。 地面からごつごつ突き出す巨大な木の根を幾つか越えると、ぽっかりと開けた砂地に出た。草一本根づかぬ砂地の中央に黒々とした岩の塊が突き出している。 「洞窟?」 グレンは岩に穿たれた巨大な穴を覗き込んだ。奥へと続く洞窟はかなり広いようで、見通しの効かぬ闇の向こうから風が吹きつけてくる。引きずらぬように裾を結わえているマントがそろそろと揺れた。 「随分深そうだな……」 「もももっ」 「あ、モモちゃんっ」 止めるいとまもあらばこそ、モモがひょいと洞窟に飛び込んだ。白くて丸い後姿があっという間に闇に飲まれる。 「大変だ」 グレンは慌てて油紙の包みを裂き、中からたいまつと火打石を取り出した。ぱちぱちと燃えるたいまつを翳すと、モモの後を追って洞窟へと踏み込む。 幸いにしてモモはすぐに見つかった。通路の真ん中でゆらゆらと尾を振りながらグレンが来るのを待っていたようだ。たいまつの放つ光を浴びてもももと嬉しげな声を上げる。 「一人で洞窟に入っちゃ危ないよ」 「ももー」 「え? ここは大丈夫?」 「もーもも」 グレンはモモに促されるまま周囲を見回した。 明らかに人為的に作られた洞窟だった。長年人の出入りがないせいか床は埃塗れ、天井は蜘蛛の巣だらけだが、空気は澄んでいて清浄だ。魔物の気配は全く感じられない。 たいまつを動かした拍子に壁が赤々と浮かび上がる。そこに不思議な文様がびっしりと彫刻されているのに気付いて、グレンは思わず声を上げた。 「……魔法陣が張ってある」 文字や線、絵や印を組み合わせて力場を作り、それを礎に魔術を発動させる図形を魔法陣と呼ぶ。魔力を含ませた基本図形に働きを指示する付加図形を乗せるのが一般的な作成方法で、付加図形を更に重ねたり細工したりすることによって、様々な魔術現象を引き起こすことが可能なのだ。 「こんな魔法式を見たのは初めてだよ。ルーナ方式……に似てるけどちょっと違うかな。きっと誰かのオリジナルだね」 この洞窟には何者かによって強力な魔物避けが施されているのだ。湿気と闇を好む魔物がいないのはその力に弾かれてのことなのだろう。 「こんな洞窟の話、聞いたことないな。ラダトームの誰かが見つけていそうなもんだけど」 「も」 モモが奥に向かってぺたぺたと歩き始める。好奇心に駆られたグレンは張り切ってその後に続いた。 長い通路の先には階段があり、階段の下にも更に迷路が続いていた。 魔物に遭遇する心配がないので、グレンはたいまつだけを気にしていればいい。ぼんやり広がる灯りの中にモモの姿を捉えながらひたすら足を進めていく。 そしてどのくらい歩いたのだろう、不意にモモが足を止めてグレンを振り返った。青い瞳でじっと少年を見つめたかと思うと、ぴょんと跳躍して曲がり角に消える。 「モモちゃん」 角を曲がった瞬間眼前に広がった光景に、グレンは雷に打たれたかのごとく立ち竦んだ。 「……」 三方を白壁に囲まれた狭い石室に、巨大な青い石碑が鎮座していた。 サファイアのような石の表に精霊文字が浮かんでいる。文字から滲む光の雫が石碑を伝い落ち、床に蟠って不思議な文様を描いていた。床一面に広がるそれは空を飛ぶ鳥を象っているようだ。 「ええと……我が名は……ロト」 魔術を扱う者にとって精霊語の読み書きは必須だ。得意とは言いがたいが、グレンも魔術師の端くれとして一通りの知識は修めている。 「魔の島へ渡るには三つの神器が必要だった。私は雨と太陽の力を手に入れ、虹を授かり闇を払った」 ごくん、とグレンの喉が意識せずに上下する。 「今、それらの神器を三人の賢者に託そう。我が血を引きし者よ、再び闇が訪れた時には彼らを訪ねるがよい」 グレンは数秒沈黙し、それから感嘆と憧憬の入り混じった溜息をついた。胸がどきどきと高鳴り、体がじわりと熱を帯びる。握り締めた拳の中は吹き出す汗でべっとりだ。 「……すごい。勇者ロトの石碑だ」 伝説の勇者が存在した証を前に、グレンは興奮を抑え切れなかった。 ロトは幻のように現れ幻のように消えた人物だ。彼が実在した証は何一つ残っておらず、勇者伝説は単なる作り話だと主張する者も多い。アレフガルドの人々を誰よりも魅了しながら全てが謎に包まれた存在、それが勇者ロトなのだ。 「モモちゃん、この石碑のこと知ってたの?」 「もーも」 得意げに胸を張るモモから視線を外し、グレンは改めて石碑を眺めた。 「勇者ロトか……。きっと凄く強くて立派な人だったんだろうね」 アレフガルドの少年ならば誰もが一度が憧れる存在だ。ロトの剣戟は大地を割り、魔術は天を裂いたと言われている。勇者ロトに憧れて剣士や魔術師の道を志す者も少なくない。 「今でもロトの子孫っていると思う?」 「も〜?」 モモがひょこんと首を傾げる。 「僕はいると思う。四百年前に勇者ロトがゾーマを倒したみたいに、竜王を倒してアレフガルドを平和にしてくれるかもしれない」 「もももっ」 モモが憤慨したようにグレンの脹脛をぺちぺちと叩いた。 「え? しゃがんで歯を食い縛れって?」 「ももっ」 「一体何……うごっ」 モモの言う通りに膝をついた途端、凄まじい衝撃を顔面に浴びてグレンは後ろにひっくり返った。モモが思い切り体当たりを食らわしてきたのだ。 「な、何するんだよモモちゃん!」 「もももー! もももー! もももももももー!」 酷く激昂して四肢を振り回すモモを、グレンは鼻血を拭いながらしばらくの間見つめた。 「そんなんじゃだめだって?」 「も。ももも。もももももも?」 「そっか……そうだね」 グレンはこくんと頷いた。 「そんなんじゃだめだ。アレフガルドは僕達の国なんだから僕達が戦わないと」 ぐっと拳を握ると、よく手に馴染んだ皮の手袋が軋んだ音を立てた。 |