炎が勢い良く燃える中、幼いグレンは一人とぼとぼと歩いていた。 朱金の業火が全てを容赦なく飲み込む。建物も人も植物も瞬く間に炭と化し、その後崩れてさらさらとした灰になった。灰は逆巻く風にさらわれ、焼け焦げた大気に散って消えた。 熱風と砂埃で喉がひりひりと痛む。乾ききった喉から掠れた嗚咽を上げながら、グレンは当てもなく炎の中をさまよい続けるのだ。 やがて疲れて一歩も歩けなくなった頃、グレンの前に巨大な影が現れた。鈍く輝くくろがねの鎧が巨大なバトルアックスを引きずりながら歩み寄ってくる。 右も左もこれまで歩いてきた道さえも、分厚い炎の壁に囲まれて逃げようがない。震えながら魔物を見上げるグレンの頭上に、高々と斧が振り上げられる。 夢はそこで唐突に終わった。 目を開けた瞬間視界に飛び込んできたのは青空だ。グレンは息を弾ませながら無意識に毛布を握り、その感触こそが現実であることを確かめてほっと体の力を抜く。 「……またあの日の夢か」 故郷が滅びる夢は何度見ても慣れることがない。悪夢は何時でも新しい衝撃と恐怖を伴ってグレンの魂をえぐるのだ。 体力回復のための仮眠でぐったりと疲れてしまった。皮肉な結果に溜息をついて、グレンは地面に敷いた毛布から身を起こした。 「まずいな、寝過ぎちゃった」 昇ったばかりだったはずの太陽が真上に輝いている。予想以上に疲弊していたらしく、仮眠のつもりがすっかりと眠りこけてしまったようだ。 ラダトームを発って五日目、慣れぬ環境と過酷な旅路とはいえへたばるにはまだ早い。グレンは頬をぴしゃりと叩いて気合を入れ直した。 「こんなんじゃだめだ。ガライまで何とかがんばらないと」 グレンが最初に目的地として定めたのは、ラダトームの北西に位置するガライの町である。 今から四百年程前……大魔王ゾーマがアレフガルドを席巻していた頃、魔物の徘徊する地を旅してたくさんの伝承を残した詩人がいた。ガライという名の詩人は、銀色に輝く竪琴を携えて各地を放浪した後、生家に戻って町を築いたと言われている。それが今に残る昔語りの町だ。 古い町並みのそこかしこには、ガライやその他の詩人達が残した伝説が数多く息づいているという。アレフガルドの歩んだ日々が文字となって刻まれた町なのだ。 (ロトはゾーマを倒すために魔の島へ渡った。その方法がガライの町に記録されていればいいんだけど) 竜王が現れて以来アレフガルドの海は荒れ、船を出すことが出来なくなった。どんなに頑丈な船も気紛れに出没する渦潮には敵わず、ぐしゃぐしゃに砕かれて海底へと引きずり込まれてしまうのだ。 「……考えるより先に進まなくちゃ」 グレンは鎧兜を纏い、荷物を背負って広野へ踏み出した。 草原を抜ける風はまだ冷たいが、濡れた土の匂いが春の到来を感じさせる。そこここに残る雪を踏みしめながら、グレンはひたすら目的地を目指して歩いた。 やがて太陽が傾き、延々と続く草原が薔薇色に染まった。眩しい夕焼けに目を細めつつグレンは足を止める。休みなしに歩き続けたせいで鎧の中は汗びっしょりだ。 (そろそろ休憩するかな) グレンは草原から外れて森に踏み行った。四方を木々に囲まれた場所を見つけると、荷物を地面に放ってその上に腰を下ろす。腰の水袋を取り外し、乾いた喉を潤そうとしたその時だ。 「ももーっ」 木の向こうから奇妙な声が聞こえてきて、グレンは反射的に立ち上がった。 「もーもーもーっ」 「……何だ?」 人のものなのか獣のものなのかそれとも別のものなのか、全く判断のつかぬ声である。グレンはその場に荷物を残したまま、剣だけを手にして駆け出した。 足を進めるにつれ、奇妙な鳴き声と肉を打つ音が次第に大きくなってくる。 一際高い杉の木の向こうに音の出所があるようだ。グレンは幹にぴったりと背を添え、そっと向こう側を覗いた。 果たして小さな岩場では、二匹のスライムが狩りの真っ最中だった。小型犬ほどの白い生き物に、スライム達が交互に体当たりを食らわせているのだ。ぴょこぴょこ弾む体が残雪に映えて鮮やかに青い。 魔物だって食わなきゃならない。狩りは生きていくために必要な行為だ。 けれど白い生き物の放つ哀れな声を聞いてしまっては、このまま立ち去る気にはなれなかった。人間のエゴだと分かっていても飛び出さずにはいられない。 「こらっ! あっちへ行けっ!」 グレンは剣を抜きながら飛び出した。着地と同時にずるりと傾いた兜を押し上げ、刃を突きつけてスライム達を威嚇する。 スライムはぴょんぴょん体を弾ませながらグレンを見た。たまねぎのような愛嬌ある見てくれに騙されると痛い目に遭う。スライムは柔らかい体で執拗に体当たりを繰り出し、体勢を崩した獲物の口と鼻を塞いで窒息死させる。そしてその後、ゆっくりと骨と肉を溶かして食うのだ。 グレンの顔を目がけてスライムが跳躍した。 スライムの軌道を素早く読み取って、グレンは高く翳した剣を真っ直ぐに振り下ろした。毒々しいまでに青い体が弾け飛び、粘つく液体となって宙に散る。 右方から跳びかってきたスライムを、グレンは身を沈めて避けた。着地と同時に再び跳躍しようとするスライムの脳天へ、どんと剣を垂直に突き立てる。頭から串刺しにされたスライムはぶるぶる震えた後、大きく広がってゲル状の水溜りを作った。 下っ端といえどもラダトームの兵士、それなりの訓練は受けている。スライム程度の魔物なら敵ではない。 「ふぅ」 ぶかぶかの鎧兜が不安だったが動きに支障はなかった。城から支給された防具はさすがに質が違う。 グレンは剣を鞘に収め、未だ蹲ってもーもー鳴いている生き物に駆け寄った。 短い前足で抱えたパンをがつがつ貪る生き物を、グレンは好奇心の赴くままじろじろと観察していた。 凄まじくへんてこな生き物だった。父の仕事の関係で書物に触れることの多かったグレンだが、これまで取り入れた情報を総動員させてもこの生物の正体が分からない。 体毛や尻尾は獣のそれなのに、くちばしや水かきは鳥のものだ。酒樽のように丸い体の両脇にぴったりと手を添えて、小さな足でぺたぺたと歩く。雪のように白い体の中、尻尾の先端と頭の飾り毛だけが鮮やかに青い。 「君、魔物?」 「も」 魔物がずいと両手を差し出した。 「もう一個食べたいの?」 「も」 パンを渡すと魔物は尻尾をふりふり振って喜んだ。両手でしっかりと抱え直して再び猛然と食らいつく。 咀嚼を繰り返す魔物を見つめることしばし、グレンは鞄の蓋を閉じて立ち上がった。ぐらつく兜を抑えながら魔物を見下ろす。 「僕はそろそろ行くね。君はもうスライムに見つからないようにもっと森の奥の方へ隠れた方がいいよ。……それじゃあ元気でね」 踵を返したグレンの足に柔らかいものが絡んだ。見れば魔物が短い両腕でがっちりとグレンの脹脛を抱え込んでいるではないか。 「森の奥はあっちだよ」 「もーもーも。もも」 魔物はグレンから離れてしきりにじたばたと手足を動かした。お前が気に入ったとか一緒にいたいとか、どうもそういうことを訴えているようだ。 「ついてきたいってこと?」 グレンは身を屈めて魔物の瞳を覗き込んだ。 その途端、血がざわりとざわめいた。体の中に眠る何かが波の如くうねり、毛細血管の隅々に行き渡って熱を帯びる。灼熱の衝撃はグレンから五感を奪い、魂そのものを激しく揺さぶった。 眩暈に似たものを覚えて思わず額を押さえる。閉じた瞼の裏でちかちかと星が散った。 「……疲れてるのかな」 しっかりしなくちゃと頭を振ると、グレンは気を取り直して魔物の前にしゃがみこんだ。 「僕は今、ラダトームの姫を助けるために旅をしているんだ。魔物と戦うし、危ない場所にも行くことになる。さっきはスライムだったから勝てたけど、これからもそうだとは限らないんだ。僕についてくると危ない目に遭うかもしれないよ」 「もも」 魔物にとって既に同行は決定事項であるらしい。グレンのマントを引っ張りながら、切々と懇願の声を上げた。 「……しょうがないなぁ」 グレンはぼりぼりと頬を掻いた。彼にはこの調子で三匹の捨て犬と七匹の捨て猫の面倒を見た過去がある。 「僕の言うことを聞くって約束出来る?」 「も」 「勝手なことしちゃだめだよ」 「もっ」 魔物が勇んで飾り毛を揺らす様がおかしくて、グレンは思わず笑った。 「それじゃあ名前をつけなくちゃ。名なしだとやりにくいしね」 「もも」 「もも、か。……そうだ、モモちゃんにしよう。君は今日からモモちゃんだよ、よろしく」 グレンが片手を差し出すと、魔物改めモモはそれを取って嬉しそうに上下させた。 |